2018年12月15日土曜日

2018年のアルバム その5:じっと目を見ろ

Barbara Carlotti "Magnétique"
バルバラ・カルロッティ『マニェティック』

ルヴェ・ブーリ(文)+エルヴェ・タンクレル(画)の『フレンチ・ポップ小事典(Le Prtit Livre FRENCH POP)』(Dargaud刊、2018年11月)の2018年ディスクおよび同著結論部の1枚として紹介された文を以下に訳します。
本書の結論として選ばれたこのディスクはひとつの象徴である。60年にわたるポップ・フランセーズの歴史全体(おそらく例外があるとすればJUL)の総括である。いかにも、バルバラ・カルロッティは"これらすべてを整理すること(註:原文=A canaliser tout ça)" に成功したのだ。 彼女の「夢の研究室」にインスパイアされた、よく練られ、時代を超越したアルバムは、最終曲の7分に及ぶきわめてコズミックなサイケ・ジャズに到達して終わる。しかしやんぬるかなこのアルバムを制作しようというレコード会社はどこにもなく、クラウドファンディングによる資金集めが必要とされた。今日のフランスで音楽を制作するということは、悪夢に転じる可能性もあるということだ。
ポップ・フランセーズ60年のエッセンスがすべて詰まったアルバムという破格の評価です。註でつけた "Canaliser tout ça これらすべてを整理する"という言葉は、1曲め "Voir les étoiles tomer"(星々が落ちるのを見る)のアウトロで語られるセリフの一部です。(↓このクリップでは登場しません)

I try, I cry, I'm in, I die
J'ai trop de feu, trop de violence, trop d'énergie
私には多すぎる火、多すぎる暴力、多すぎるエネルギー
Trop de désir, trop de peur
多すぎる欲望、多すぎる恐怖
Trop de mouvements contraires, trop d'agitation
多すぎる相反する運動、多すぎる激動があって
Et j'ai l'impression que si j'arrive pas
私はもしもこれらを全部整理することが
A canaliser tout ça
できなかったら
Si j'arrive pas à trouver le point d'équilibre
もしもバランスの中心点が見つけられなかったら
Je vais me consumer d'un coup
私は即座に破裂して
Mon coeur va lâcher...
心臓が止まってしまうと思うの
このなんでもいっぱいありすぎる当年44歳の女性アーチストは、2005年にベルトラン・ビュルガラのバックアップでデビューして以来、今日まで5枚のアルバムを発表しています。ビュルガラのみならず、カトリーヌ、ドミニク・ア、オリヴィエ・リヴォー(レ・ゾブジェ、ヌーヴェル・ヴァーグ)など90年代00年代のポップ・フランセーズのど真ん中の制作現場におり、フランソワーズ・アルディやブリジット・フォンテーヌをカヴァーし、独立系の映画の音楽を担当し、象徴詩人ボードレールを取り上げたアルバムでテレラマなどインテリ硬派に高く評価され、国営の一般向けラジオでありながらインテリ臭ぷんぷんのフランス・アンテールで毎日1時間の定時番組を持ったり...。温く厚みのあるうっとりヴォーカルの強み、ジャズにもコンテンポラリーにも対応するマルチなパフォーマンス。安心できる姐御肌の安定したアーチストのように見えましたが、このアルバムは自らギリギリのところでやっているのよ、というポーズがあります。
 テーマは夢です。少女の頃から、夜中に目が覚めたら、その直前の夢をノートに書き留めるという習慣があったそうで、良夢も悪夢もそうやって記録として保存していたら、ある種の"夢研究室"または"夢アトリエ”のようなものが出来てしまった。だいたい夢には辻褄や整合性や論理性や倫理性もないものでして。怖いものが、なぜ怖いのかもわからない。20世紀初頭のシュールレアリストたちのように、夢をあるがままに記述しようとすると、やっぱりとんでもないものになってしまうのではないか。バルバラ・カルロッティはブルターニュのとある村に1ヶ月篭って、その夢実験を音楽化しようとしたわけですね。と言ってもそれはポップな音楽の範疇の話でして、とんでもない方向に行ってしまいそうなものをポップなバランス感覚で "canaliser"(カナリゼ。管に通して流す。整理する)のです。曲はシクスティーズ風、セヴンティーズ風、ニューウェイヴテクノポップ風 、サイケデリック風... いろいろポップのあの手この手を用いて、夢の混沌にまとまりをつけようとするのです。夢ですからとんでもないエロっぽいものまであるのですが、カルロッティのバランス感覚はその絵図をヒョイっと、ホワンっと、レレレっと...。これはポップなアートじゃないですかね。
 そして夢と狂気の抗えない関係について。あなただって「こんな夢見るなんて私狂ってしまったんじゃないかしら」と思ったことがありましょう。この夢からの狂気の呼び声を、カルロッティはラジオ放送のように表現します → 「メンタル・ラジオ、センチメンタル」(↓クリップにはフィリップ・カトリーヌが出演)

黄昏どき、私のメンタル・ラジオは音とイメージが一致しない
私には声が聞こえる
知ってる?あなたは私にしたいことをしていいのよ
私には誰にも見えないことが見えるのよ
私は他の人が知らないことを知っているのよ

私は狂っていないわよ、もし私が狂ってるとしたら
私はあなたに狂っているのよ メンタル・ラジオ、センチメンタル
私は狂っていないわよ、もし私が狂ってるとしたら
私はあなたに狂っているのよ メンタル・ラジオ、センチメンタル

夜、私のクリスタルな陶酔のどまん中で
音とイメージは声を共有するの
私は知っている、私には感じる、 私には見える
知ってる?あなたは私にしたいことをしていいのよ
私には誰にも見えないことが見えるのよ
私は他の人が知らないことを知っているのよ

私は宇宙の運命がわかる
すべての天の成り立ちが
存在と存在をつなぐ原因が
私たちをかきたてるすべての炎が
私は見えない電波を受け取れるのよ

でも心配しないで、私は沈黙することも知っているから
そしてあなたは私にしたいことをしていいのよ
私は他の人が知らないことを知っているのよ

私は狂っていないわよ、もし私が狂ってるとしたら
私はあなたに狂っているのよ メンタル・ラジオ、センチメンタル
私は狂っていないわよ、もし私が狂ってるとしたら
私はあなたに狂っているのよ メンタル・ラジオ、センチメンタル

嘘も快楽も天との交信もすべて夢の中。夢もうつつ、うつつも夢。ドリームズ・カム・トゥルー。狂気の側に落ちそうで落ちない、ボーダーラインのポップ・ミュージック12トラック。2018年最良のポップ・フランセーズなり。

<<< トラックリスト >>>
1. Voir les étoiles tomber
2. Radio mentale sentimentale
3. Le mensonge
4. Tout ce que tu touches (feat. Bertrand Burgalat)
5. Vampyr
6. Plaisir ou agonie ?
7. Phénomène composite
8. Paradise beach
9. La beauté du geste
10. Tu peux dormir
11. Bonheurs hybrides
12. Magnétique

BARBARA CARLOTTI "MAGNETIQUE"
CD La Maison des rêves 9029567774
フランスでのリリース:2018年4月

カストール爺の採点:★★★★★

(↓)私にはアルバム最高の曲と思える "Plaisir ou Agonie ?" 6分15秒。


(↓)バルバラ・カルロッティ+ジュリエット・アルマネ "J'ai encore rêvé d'elle"(1975年イレテ・チュヌ・フォワのカヴァー)





 

2018年12月12日水曜日

2018年のアルバム その4:キー・オブ・ライフ

Michel Polnareff "Enfin!"
ミッシェル・ポルナレフ『やっと開いた南京錠』

を去ること42年前スティーヴィー・ワンダーが『人生の鍵の歌(Songs in the Key of Life)』(1976)という大名作アルバムを出したんですが、その中で最も知られた曲のひとつに「イズント・シー・ラヴリー(邦題:可愛いアイシャ。1997年にホンダ車ロゴのCM音楽として使われたのは、"可愛い愛車"とダジャレたものだったのだ)という6分34秒の歌があります。これはスティーヴィーの娘アイシャの誕生を祝って、可愛くてしかたのない赤ん坊アイシャの泣き声やら笑い声やらブーブーいう声やらをサンプルして曲にしていったら、あの声も入れようこの声も入れようで、出来上がりが6分半にもなってしまった親バカ曲です。ナレフの28年ぶりに発表した10枚目のスタジオアルバム『Enfin !』の4曲めにナレフの(ナレフが生物学上の父ではないが認知した)ひとり息子ルーカ(もうすぐ8歳)の声をたくさんフィーチャーしたディスコ調インストルメンタル曲「ルーカス・ソング」は、まさにこのわが子いとしや「イズント・シー・ラヴリー」の手法を踏襲したものです。赤子だったアイシャと違って今や8歳のルーカはものをしゃべる(一応英仏バイリンガル)わけで、吾子よ吾子よと溺愛しているうちに、気がついたら、え?こんな成長、え?こんな性徴、と老父(74歳)を狼狽させたりもするでしょう。
 ルーカにまつわる歌はこのアルバムに2曲。私は結局この2曲がアルバムの核心なのだろうと思っています。端的に言えば、坊主のためにわしはもう一働きせにゃいかん、というのがナレフのアーチスト再生の最大の契機だったと思うわけです。枯渇して久しいアーティスティック・インスピレーションをどうしても蘇生させにゃあいかん。子を持った人間ならば誰しも最初に重く実感することでしょうが、子育てにはお金がかかるのです。定年引退の年齢の頃に授かった子ですが、引退などしていられなくなるのです。これが閉じかけていたナレフの人生を再び開けさせる鍵となったということです。キー・オブ・ライフというわけです。おわかりかな?
 しかしこの鍵をもらってからも、時間はいたずらに過ぎていき、1990年の『カーマ・スートラ』 以来、出す、出来た、と何度も何度も狼が来た発表をしていた新スタジオアルバムも、2010年以降は「もはや絶対に出るわけのないもの」というのが音楽業界および黄表紙メディアの一致した認識となりました。インターネットの時代になって、自らを巨大宇宙船の「アミラル (L'Amiral = 提督)」と呼び、フランス+仏語圏世界+日本にまたがる親衛隊もどきの無条件ファン群を「ムサイヨン(moussaillons = 新兵水夫)」として、ヴァーチャルな絶対カルト小宇宙に君臨してきたが、そのムサイヨンたちだけは新アルバムの登場を信じて疑わないありがたい人々でありました。
 私はね、今度のアルバム制作の最大の動機は子供の養育費だと思うんですが、2007年のステージ復活(ゼ・ルトゥール Ze re tour ツアー)と、新アルバムお披露目ツアーのはずだった(が新アルバムは出なかった)2016年のツアーだけでは、ナレフとダニエラの台所も十分に潤わなかったのではないか、とも思ってます。Money's too tight to mention.
 そんなものはシングルヒットで解消できるさ、とアミラルは思っていたかもしれません。"Ophélie Fraglant Des Lits(ベッド現行犯のオフェリー)"(2007年1月)、"L'Homme en rouge(赤い服の男)"(2015年12月)、ナレフの思惑は見事に外れ、売上げは言うまでもなく、今のナレフのクリエイションクオリティーはこの程度なのか、とファンたちを大いに不安にさせもしました。このシングル2種の不発でナレフはいよいよ追い詰められたようです。
 仏語ウィキペディアの"Enfin !"の項の記述によると "Actuellement je suis en studio"(現在スタジオで録音中)という公言は2010年から始まっていて、2014年6月5日に公開された映画館上映のドキュメンタリー映画 "Polnareff, quand l'écran s'allume"では(私、これ地元映画館で観ました。やっぱり大筋のところでは吾子可愛いやばかりが目立つドキュメンタリー)では、加州のホームスタジオで録音中の4曲の断片がインストとハミングで紹介され、2014年11月リリース予定で進行中と発表。以来2015年にも2016年にも同種の「ついに完成、発売間近」の発表がありましたが。で、誰も狼が来たを信じなくなった2018年9月7日、オランピア劇場で開かれたレコード会社仏ユニバーサルの年次コンフェランスで、同社代表オリヴィエ・ニュッスの公式発表として「11月30日発売」がアナウンスされたのでした。そして10月3日、「Enfin !」(やっと、ついに、ようやく、という意味の、まあ、自虐的ユーモアみたいな、他人も自分もあきれきったような...)というアルバムタイトルと、"Enfin !"と彫り文字された南京錠に鍵が突っ込まれて、錠が開けられたという図の、わかりやすくも含蓄が薄くアーティのかけらもないジャケ写が発表になりました。ナレフ自身のアイディアでしょうね。ジャケットアートの価値の問題は置いといて、ここでも重要なのは鍵なのであります。
 本題に入っていきます。このアルバムには私のような非ムサイヨンでも、これは無条件に頭が下がる、という曲が1曲あります。3曲めの「坊や大きくならないで (Grandis Pas)」です(私の勝手な邦訳題は、1969年日本のフォークトリオ、マイケルズの歌で知られることになったヴェトナム人作反戦歌に敬意を表してのことですが、両曲の関連は皆無ですから気にしないで)。言うまでもなく吾子ルーカに捧げられた曲ですが、ナレフの伝家の宝刀と言うべき流れるようなピアノ弾き語りバラードで、極上のメロディーと必殺のハイトーンのファルセットの泣かせどころもある、それはそれはミッシェル・ポルナレフさまさまなのです。これは否定のしようがないじゃないですか。

大きくならないで
きみが知っていることを
忘れないで

大きくならないで
きみはすでに
きみそのものなんだから

きみの伸びる1センチは
1キロメートルみたいだ
ひまも与えず
巨人の歩みを進むようだ

おもちゃを置いて
ここにいて
私のすぐそばに

王子のままでいて
この王国から
去って行かないで

きみの書く詩で
私たちのことが好きだと言っておくれ
私の手を取って
きみの描いた絵の中を一緒に歩こう

きみが見知らぬものを怖がって
私に身を寄せてきた頃
私はきみに大丈夫だよと安心させるのが好きだった
今や私の方がきみが私の手を導いてくれないと
迷ってしまう

大きくならないで
大人たちは大人たちだけの世界に
放っておいて

きみの子供時代を
ぱちんこで射たないで

夢が嘘に変わってしまうところに
行かないで
きみのベッドから出ないで
きみのベッドはなぜこんなに小さくなったの?

柔らかく軽い
雲に乗っている歳のままでいて

この顔と
この光景は
完全なものだよ

きみの中にいるこの男を
待たせておいて
この男は私ときみを離れ離れにしてしまうんだ
きみも、私たちも、私もそれを望まないのに

きみが見知らぬものを怖がって
私に身を寄せてきた頃
私はきみに大丈夫だよと安心させるのが好きだった
今や私の方がきみが私の手を導いてくれないと
迷ってしまう

そしてきみと私が似ていたら 
一緒に大きくなっていく
私の手を取って
きみの描いた絵の中を一緒に歩いて行こう

大きくならないで
大きくならないで
(詞:ポルナレフ&ドリアン/曲:ポルナレフ) 
この歌をナレフは「家族版の"行かないで(Ne me quitte pas)"」と称し、見苦しい父親のエゴイズムであることを認めています。自伝本などで知られているように、父レオ・ポルから殴られながらピアノを叩き込まれた子供時代を過ごしたナレフが、吾子にはそんな思いを絶対にさせたくないと思いながらも、物心ついたらやっぱり自分と同じように親離れをするということを74歳で狼狽している感じがよくわかるではありませんか。ルーカが20歳になった時、ナレフは(生きていれば)87歳ですよ。私はね、こういう本音から出てくるナレフの歌なんて知りませんよ。本当にこの歌がこのアルバムの(唯一)例外的な佳曲でありますよ。

 さて他の曲をどう聞いていいのか、私は戸惑うものがありますよ。
 冒頭の11分のインスト曲「ファントム(Phantom)」と9分強の終曲(インスト)「お湯(Agua caliente)」はその大仰さを覚悟して聞かねばならないものです。私はこれは「花火音楽」だと聞きました。毎年9月、私のアパルトマンのセーヌ川対岸のサン・クルー公園で催される欧州最大規模の花火大会 "Le Grand Feu de Saint Cloud"が開かれるのですが、「ファントム」はその最終の"ブーケ・フィナル”(大トリの乱れ打ち)に向かう音楽として使われたら、どれだけ映えるだろうか、と想像できます。しかしそれは花火あってこその話です。ここでもキーワードは「鍵」なのですが、それは花火の時に風流江戸人が掛け声としてあげる「鍵屋!」ー っとこれはコジツケが過ぎました、ごめんなさい。
同様にオリンピック開会セレモニーのアトラクションの音楽のようなものも想像できますが、これも大仕掛けのアトラクションがあってこそ生きる音楽と言えます。多くの映画音楽が映画(それも心に残る映画)がなければ生きないように。ナレフのインスト曲は、1971年アルバム『ポルナレフス』に収められた3曲、 およびいくつかの映画音楽で評価が高かったのですが、新作アルバムにインスト3曲(トータル26分、アルバムの3分の1強)入れたのは『ポルナレフス』の評価の高さを意識してのことのようです。そりゃあ印象に残るメロディーでも随所にあればね。この長さとケレン&ハッタリの編曲だけでは無理があると思いますよ。4曲めで前述の「ルーカス・ソング」(5分21秒)はディスコですけど、全米制覇するつもりで1974年にアメリカ移住してアトランティックと契約したものの全米でナレフが評価されたのは唯一ディスコチャートを騒がせた映画音楽『リップスティック』(1976年)だけだったという過去が蘇ってきます。
 編曲(ご自分がほとんど)は、加州で40数年間ヒットFM聴いてるきたら、こういう感覚になるんだろうか、と思ってしまう百年一日のような西海岸FMのノリで、時代とのシンクロを全く感じさせません。ユニークだと思います。なぜみんな長めなのか、4分、5分、6分、7分サイズです。初めから意識して12インチシングルにしちゃっているような。既発シングルからまあまあ変身した5曲め「ベッド現行犯のオフェリー」と9曲め「赤い服の男」に至っては、ヒット狙いを放棄してこねくり回した90年代的マキシシングル型ヴァリエーションになってますが、これはどんなことをしても詞が災いしてます。後者は21世紀におけるサンタクロースの惨状を嘆く歌ですが、吾子ルーカを思っての寓意でありましょうけど、現代風刺の含蓄としてはいかにも貧弱じゃないですか。「地球人に告ぐ」という大上段に地球の危機を説くエコロジカルな歌「テール・ハッピー」(8曲め)も、こちらが決まり悪くなりそうな浅薄なメッセージです。お題目だけの愛と平和と環境保護はオリンピック開会セレモニーだけにしてくれと言いたくなります。長年宇宙船船長アミラル役をやっていると(その上その言うことを聞く何十万というムサイヨンがヴァーチャルに存在すると)、これほどまで現代社会とのズレが生じてしまうのでしょうか。
 日本に何万人いることか、日出る国のムサイヨンたちへのファンサービスのつもりでしょうが、2曲め「スミ」(福岡のゲイシャ・ガールとのきつ〜いアヴァンチュールの歌)は問題ありませんか? え? 日本のファンたちはメルシー!アミラル、と言うのでしょうかね? ナレフはある日 "Sumi m'a soumis"(スミ・マ・スミ スミは俺を服従させた)というダジャレを思いついたんでしょうね。 このオチのためにひょいひょい日本(的)単語のダジャレを並べて、90年代FMハードポップ化した、人呼んで「ゲイシャ・ロック」なのだそう。いったいどんな惑星にこの方は生まれたのでしょう?
  自らの「カーマ・スートラ」(1990年)のテーマ掘り返しなのかもしれない7曲め「体位(ポジシオン)」 も前述の「ベッド現行犯のオフェリー」も、世界の女性たちが"#MeToo"と叫んでいる時勢をなんら考慮していないでしょうし、いつまでも変わらない好色ナレフを新アルバムでもアピールしたい気持ちがあったんでしょうが...。

  南京錠は開けられて、28年の禁を破って蔵出しされた珠玉の11トラック、と私は思いませんでしたが、たぶんナレフの人生の鍵(キー・オブ・ライフ)は開けられて、かなりそのまんまの形(ナレフ等身大)で提出された作品であるでしょう。無理もいびつさも隠さずに。私には奇異(key)なアルバムですが、「坊や大きくならないで」だけは高く評価します。

<<< トラックリスト >>>
1. Phantom
2. Sumi
3. Grandis Pas
4. Louka's song
5. Ophélie Flagrant Des Lits
6. Longtime
7. Positions
8. Terre Happy
9. L'Homme En Rouge
10. Dans Ta Playlist (C'est Ta Chanson)
11. Agua Caliente

Michel Polnareff "Enfin !"
CD/2LP Universal/Barclay/Enough Records  002577137334
フランスでのリリース:2018年11月30日

カストール爺の採点:★★☆☆☆

(↓)国営テレビ FRANCE 3とタイアップの"ENFIN !"プロモーション・ヴィデオ



2018年12月8日土曜日

エドゥアール・ルイ:黄色いチョッキに加担して

『黄色いチョッキを侮辱することは僕の父を侮辱するに等しい』

ディー・ベルグールにケリをつける』(2014年。邦訳本は『エディに別れを告げて』 2015年)の作家エドゥアール・ルイ(現在25歳)が、2018年11月から始まった全国規模でのガソリン燃料税増税反対抗議運動「ジレ・ジョーヌ(Gilets Jaunes、黄色いチョッキ)」について、12月4日レ・ザンロキュプティーブル誌上で支援トリビューンを寄稿。「暴動」、「治安不安」の側面からしか取り上げることのない日本のメディアからでは、この運動をネガティヴにしか見れないであろう日本の同志たちへ、今起こっていることの意味を少しでもわかってもらいたく、速攻で全文訳しました。12月7日に向風三郎のFBタイムラインに載せたものと同じものです。レ・ザンロキュプティーブル誌およびエドゥアール・ルイに許可は得ておりません。緊急のこととご理解ください。

(翻訳始め)
もう幾日も前から僕は「黄色いチョッキ」についてそれを支持する文章を書こうと試みたがうまくいかなかった。この運動に降りかかる極度の暴力性と階級の侮蔑が僕を麻痺させる。それはある意味で僕を個人的に狙い撃ちしているように感じられるからだ。
黄色いチョッキの最初にイメージとして現れたのを見た時に僕が感じたショックをどう描写していいものか僕はわからなかった。僕は数々の記事に添えられた写真の上に、公のメディアスペースなどには一度も登場したこともない多くの姿を見ていた。苦しみ、仕事と疲労と空腹に焦燥しきった姿、支配される者たちへの支配する者たちによる絶えることのない辱めに痛めつけられた姿、社会的なあるいは地理的な理由によって排除された姿、僕はこれらの疲れきった体、疲れきった手、押しつぶされた背中、衰弱した目の数々を見ていた。
僕の動揺の理由、それは確かに僕の社会的世界の暴力と不平等性に対する嫌悪によるものであることは確かだが、それだけでなく、たぶんそれはまず第一に、僕がこれらの写真で見た人々の体は、僕の父、僕の兄、僕の叔母…の姿に似ているということなのだ。彼らは僕の家族、僕が子供時代を過ごした村の住民たち、貧しさと惨めさで健康を冒された人々の姿に似ているのだ。僕の子供時代、この人々はいつも毎日のようにこう繰り返していたのだ「俺たちは誰も信用しない、誰も俺たちのことなど知ったことではない」ー僕がこの運動について即座に降りかかったブルジョワ階級による侮蔑と暴力が僕個人に向けられたものだと感じた所以はここにある。なぜなら僕自身にとって、ひとりの黄色いチョッキを侮辱するおのおのの発言は、僕の父を侮辱するに等しいからなのだ。
この運動が生まれるやいなや、僕たちはメディア上で「専門家」たちや「政治家」たちが黄色いチョッキ集団と彼らが体現する抗議運動を矮小化し、糾弾し、揶揄するのを見た。SNS上で僕は「野蛮人」「バカ者」「田舎者」「無責任」といった言葉が飛び交うのを見た。メディアは黄色いチョッキ集団の「不平」についてこう論じた:庶民階級は反抗はしない、彼らは不平を言うのだ、動物のように。一台の自動車が焼かれ、一軒のショーウィンドウが壊され、ひとつの像が破損された時、僕は「この運動の暴力」という言葉を聞いた。暴力という言葉の認識の相違といういつもの現象だ。政界とメディア界の大部分は、暴力とは政治によって貧困に落とし込まれ破壊された何千もの命のことではなく、何台かの焼かれた自動車のことであるとわれわれに信じ込ませようとする。歴史的モニュメントに落書きされたことが、病気を治療すること/生活すること/食餌を摂取すること/家族を養うことの不可能さよりも重大であると考えることができるとは、これまで一度たりとも悲惨というものを知る体験がなかったに違いない。
黄色いチョッキ集団は飢えと生活不安定と生命と死を問題にしているのである。「政治家」たちと一部のジャーナリストたちはそれに対して「わが共和国の象徴に傷がつけられた」と答える。この人たちは一体何を言っているのだ? よくもそんなことが? この人たちはどこから来たのか? メディアは黄色いチョッキ集団のレイシズムと嫌同性愛傾向をも取り上げる。彼らは誰をバカにしているのか? 僕は僕の本について語りたいわけではないが、これは興味深いことなので強調しておくと、僕が小説を発表するたびに僕は貧しいフランスの田舎を貶めていると糾弾されることになるのだ。それはまさに僕が僕の子供時代の村にはレイシズムと嫌同性愛風潮があったと言及したからなのである。庶民階級に益する何事もしたことがなかったジャーナリストたちが、(僕の小説を糾弾することによって)おもむろに憤激し庶民階級の弁護者のふりをするのである。
支配者たちにとって庶民階級は、ピエール・ブールデュー(仏社会学者)の表現を借りれば、Classe Objet(オブジェ階級、客体的階級)である。言説によって操作されうるオブジェ(客体)であり、ある日良き貧しき真正の庶民であったものが、翌日にはレイシストにも嫌同性愛者にもなれる。この二つの場合においても土台にある意図は同じものである:すなわち庶民階級による庶民階級に関する意見の噴出をさまたげること。前日と翌日で矛盾することになろうとも、庶民は黙らせておかねばならない。
たしかに黄色いチョッキ集団の中で嫌同性愛やレイシズムの言動はあった。だがメディアとこれらの「政治家」たちはいつからレイシズムと嫌同性愛を憂慮するようになったのか? 一体いつから? 彼らはレイシズムに反対して何かしたのか? 彼らが持ち合わせる権力でもって、アダマ・トラオレ(註:2016年7月マリ系移民の子アダマ・トラオレが警官の暴行で命を失った事件)とトラオレ支援委員会について語ったことがあるのか? フランスにおいて毎日起きている黒人とアラブ人に対する警察の暴力の事件について語ったことがあるのか? 同性結婚法(註:トービラ法 Mariage pour tous)の時、彼らはフリジッド・バルジョー(註:元コメディエンヌ、反トービラ法の論客)と某司祭に発言の場を大きく与えたではないか。そのことによって、テレビの席で嫌同性愛論が可能になり、まかり通るようになったのではなかったか?
支配者階級とある種のメディアが黄色いチョッキ運動の中における嫌同性愛とレイシズムについて語る時、彼らは嫌同性愛にもレイシズムにも言及しているのではない。彼らは「貧乏人は黙っていろ」と言っているのである。一方、黄色いチョッキ運動はいまだに形成途中の運動であり、その言語はまだ固まっていない。黄色いチョッキ集団の中に嫌同性愛やレイシズムが存在するならば、その言語を変えていくのがわれわれの責任である。
「私は苦しんでいる」と言うにはさまざまなやり方がある。ひとつの社会運動、それこそが、苦しんでいる人々が「私は移民流入と生活補償手当を受けている私の隣人のせいで苦しんでいる」と言うのをやめて、「私は国を治める人たちのせいで苦しんでいる。私は階級システムのせいで苦しんでいる、エマニュエル・マクロンとエドゥアール・フィリップのせいで苦しんでいる」と言うようになる可能性を開くものである。社会運動、それは言語の転換の契機であり、古い言語が衰退されうる契機である。それが今日起こっていることである。数日前から僕たちは黄色いチョッキ集団の使うボキャブラリーの言い直しに立ち会っている。最初の頃はガソリン燃料のことばかり聞こえてきたし、「保護受給者」のような聞きたくないような言葉も聞こえてきた。しかしその後は不公平、賃上げ、不正、といった言葉が聞かれるようになっている。
この運動は続かなければならない。なぜならこれは公正で、緊急で、根本的にラジカルなものであり、それまで不可視の領域に押し込められていたこれらの顔と声は、今や見られることも聞かれることもできるようになったのだから。闘争は容易ではない。黄色いチョッキ集団は大部分のブルジョワジーにとっては一種のロールシャッハテストのようなものであり、普段は婉曲的に侮蔑を表現しているブルジョワジーに直接的に階級的侮蔑と暴力を表すよう強要する。この侮蔑は僕の周りの非常にたくさんの生を破壊したし、今もその破壊を続けている。前よりもさらに多く。この侮蔑が僕を沈黙させ、僕の書きたかったことを書くのをやめさせ、表現したいことを表現させない寸前まで僕を麻痺させていたのだ。
僕たちは勝たねければならない。僕たちは多く、僕たちは言い合っている:さらにもう一回左派が敗北することなど、つまり苦しんでいる人々が敗北することなどもう堪えられないのだ、と。
エドゥアール・ルイ(2018年12月4日)
(翻訳終わり)

(↓)フランス深部アルプ・マリティーヌ県の山間の村で抗議デモを行う黄色いチョッキ集団(国営テレビFrance 3のニュース)


(↓)黄色いチョッキ集団、12月1日パリ。



2018年12月5日水曜日

2018年のアルバム その3:白鳥の歌なんか聞こえない

Johnny Hallyday "Mon pays c'est l'amour"
ジョニー・アリデイ『わが祖国、それは愛なり』


ジョニー・アリデイ(1943-2017)の51枚目で遺作となったアルバム。当初12曲を予定していたが、アリデイが歌を吹き込むことができたのは10曲のみ。録音はアリデイが肺がんを公表した2017年3月にサンタモニカとバーバンクのスタジオで始まり、その間アリデイはロサンゼルスでがん治療に通っていた。制作作業は6月/7月のアリデイ+エディ・ミッチェル+ジャック・デュトロンのトリオによる2ヶ月間の LES VIEILLES CANAILLES(レ・ヴィエイユ・カナイユ)ツアーで中断し、9月にアリデイがロサンゼルスからマルヌ・ラ・コケットに帰仏再移住したのちに本格的に再開するはずだった。しかし西海岸で録音したベーストラックに歌を吹き込んでいる最終のところで病状は悪化し、11月呼吸器障害で入院、何度か入退院を繰り返したあと、12月5日、マルヌ・ラ・コケットのジョニー邸で息を引き取った。
 LAでジョニーが吹き込んだのは3曲:"Je ne suis qu’un homme"(11曲め), "Un enfant du siècle"(9曲め), "Pardonne-moi"(4曲め)。マルヌ・ラ・コケットに近いシュレーヌのギヨーム・テル・スタジオで死の数週間前に録音されたのが残り7曲。多くのジョニーに近い評論家(特にフィリップ・ラブロ、ピエール・レスキュール)が言うように、このアーチストは長い芸歴(ほぼ60年)の中で歳を重ねるほどに歌がうまくなっている例外的なヴォーカリストである。どんどん良くなっている。この歌唱パフォーマンスのうまさの上昇曲線は、この死の間際の録音においても変わりはないのだ。つまり、ここにはウルティメートなジョニー最良の声と歌唱があるわけだが、それがジョニーのベスト録音になるかどうかは楽曲&編曲のクオリティーにも左右されるので...。プロデュースと多くの曲の作曲はヨードリス(またの名をマクシム・ヌッチ)という人。2011年のマチュー・シェディドプロデュースのアルバム『Jamais Seul』以来、ジョニー晩年の5枚のアルバムに関わってきたが、前作『De l'amour』(2015年)と本作『Mon pays c'est amour』(2018年)では制作の中心者=プロデューサーということになっている。ジョニーやギターのヤロル・プーポーなどは、ワーナー移籍(2007年)以降、ヴァリエテの音から脱した、ロックとブルースの基本に還った、とロック路線を強調した自画自賛をしていたのだが、どうなんだろうか。熱心なファンではない私にはどうしてもすべすべしたFM系(ヴァリエテ)ロックのように聞こえてしまうし、特にヨードリスの書く曲は...。
 アルバムのレヴューをと思って書き始めたのだが、この声のすごさの他に何も言えないようなところがある。1曲異彩を放つのが10曲め"Tomber Encore"という曲。これがシュレンヌのスタジオで最後に録音された曲。言わばジョニーの白鳥の歌である。

詞がボリス・ラノー。素人でありファンである。2015年10月9日、リールでのジョニーのコンサート前のホテル"入り待ち”で、この地方詩人はジョニーに自分の13編の詞集を手渡したかった。しかし予定通り自身には渡せず、後でホテル入りしたヤロル・プーポーに渡り、ヤロルからヨードリスに渡り、その夜のコンサート前の楽屋でヨードリスはそのうちの一編("Tomber Encore")に曲をつけてジョニーに聞かせた...。1年後ラノーはレコード会社(ワーナー)からこの曲が次のアルバムで録音されることを知らされるのである。それが最後のアルバムになる(しかも死後に発表になる)ことなど、知るよしもないが。
あたかもファンへの最後の感謝であるかのように、この曲は録音され、アルバムの11曲中、10曲めという重要な曲順で収録された。
Je ne vois plus que toi  もはや俺にはおまえしか見えない
Quand tu croses les jambes おまえが脚を組むとき
L'ombre de tes bas おまえのストッキングの影に
Et le ciel qui rampe 空が絡みついていく
Il me suffit de peu ほんのちょっとでいいんだ
Un pli, un remous ちょっとした起伏や動きさえあれば
Que la mer s'ouvre en deux  海はまっぷたつに割れ
Pour tomber à genoux 俺は膝から倒れていく
Fais-moi encore tomber もう一度俺に
Tomber amoureux fou 狂おしい恋に落とさせてくれ
Fais-moi encore tomber もう一度俺に
Tomber à genoux 膝から倒れさせてくれ
イメージはふたつ。1992年映画『氷の微笑(Basic Instinct)』のシャロン・ストーンの脚の組み替え。もうひとつは90年代に腰の手術をして以来、ステージアクションとしてできなくなった膝立ちor膝折りで歌うジョニー(←)。これをもう一度というファンの切ない願いなのだろう。だから、この詞に合う曲は "Que je t'aime"のようにひざまづいて歌うロカバラードか、トンベ、トンベ、トンベとリフレインするロックンロールかであってほしかったが、ヨードリス&ヤロル・プーポーはメジャー調FMロックにしてしまった。悪くないですよ。

 そしてアルバムタイトル曲にして最重要曲順の2曲めにつけた"Mon pays c'est l'amour(わが祖国、それは愛なり)" 。作詞カティア・ランドレア(ジェニフェール "Ma révolution")、作曲ヨードリス。

Je viiens d'un pays 俺が自分で選んだ国で
Où j'ai choisi de naître 俺は生まれた
Un bout de paradis 天国のかけらみたいなところさ
Que tu connais peut-être たぶんおまえも知ってるさ
Je viens d'un endroit 俺は国旗も国境もない
Sans drapeau ni fontière 場所で生まれた
Une terre sans loi 法律なんてない土地だけど
Où personne ne se perd 誰も迷ったりしない
Mon pays c'est l'amour 俺の国、それは愛さ
Mon pays c'est l'amour 俺の国、それは愛さ
Je suis né dans ses bras 俺は愛の腕の中で生まれたんんだ
En même temps que toi おまえと同時にね
J'ai grandi sous ses doigts 俺は愛の手で育てられたんだ
En même temps que toi おまえと一緒にね
74歳で、死の数週間前に、肺をガンで冒されながらジョニーはこれを吹き込んだ。なんという声だ。なんというパフォーマンスだ。なんというロックンロールだ。音楽家としてブレルやアズナヴール並みの詞とメロディーを自分で書かなかったことなど、この男のなんのハンディキャップになろう。何百万、何千万の人たちにこの男が愛され、リスペクトされるのに、この声以外の何が必要だろう。
 アルバムは2018年10月19日にリリースされ、発売時にすでに30万枚を売り、1ヶ月を待たずに100万枚を突破した。レコードCD業界の長年の不振をアルバム1枚でチャラにする勢いだった。ジョニーの好きな人はダウンロードやストリーミングはしないから。

<<< トラックリスト >>>
1. J'en parlerai au diable
2. Mon pays c'est l'amour
3. Made in Rock'n'Roll
4. Pardonne-moi
5. Inerlude (instrumental)
6. 4M2
7. Back in LA
8. L'Amerique de William
9. Un enfant du siècle
10. Tomber encore
11. Je ne suis qu'un homme

JOHNNY HALLYDAY "MON PAYS C'EST L'AMOUR"
LP/CD WARNER 9029561739
フランスでのリリース:2018年10月19日

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)2018年10月19日、パリ、アルバム発売時の狂騒を報じるFRANCE24のルポ。




 

2018年11月20日火曜日

2018年のアルバム その2「ラヂオが気がかり」

ラヂオ・エルヴィス『セ・ギャルソン・ラ』
Radio Elvis "Ces Garçons-La"

郎3人、うち2人がメガネ。エルヴィス名乗るくらいなのでロック。ただし歌はフランス語。文化系の佇まい。エルヴィスと言うよりは、22歳夭折のバディー・ホリー(1936-1959)に近いルックス。この場合コステロというオプションもありか。それでラヂオ・エルヴィスなのか?という説もあながち...。ピエール・ゲナール(vo, g)、マニュ・ラランボ(b, g)、コラン・リュセイユ(dms, kbd)のトリオであるが、2009年にラヂオ・エルヴィスの名でステージに立っていたのはピエール・ゲナールひとりだった(トリオになるのは2013年)。つまりこのピエール君のコンセプトで始まったというわけだが、彼はパリに出てくる前はフランス西部(ポワチエ、ナント...)でスラムをやっていた。ポエトリー・リーディング。詩少年だったのだ。当然文学寄り。その影響の源はジャック・ロンドン、ジョン・ファンテ、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリだという。
 文学寄りフレンチ・ロックと言えば、2015年に爺ブログが絶賛したフ〜!シャタートンが旗手みたいな存在で、無頼&ロマンティスムのほとばしりが強烈だったのだが、メガネのラヂオ・エルヴィスはそれに比すればずっとクール&哀愁に聞こえる。2013年からバンドとなって、レ・ザンロキュプティーブル誌や国営ラジオFRANCE INTERの新人コンテストで世に知られるようになった頃は、若くてやせっぽちの(学生もどき)ロックで女子ファンたちが多そうなスタイリッシュさだった。2016年4月1日にリリースされたファーストアルバム "LES CONQUETES"は、2017年のヴィクトワール賞(新人アルバム部門)を受賞、その受賞セレモニーでのパフォーマンスがこれ(↓)。

こんな感じなので、このバンド(ひいてはピエール・ゲナール)はドミニク・ア〜バシュングの直系後継者のように言われるようになるのだが、どうだか...?
 2018年11月、早くもセカンドアルバム『セ・ギャルソン・ラ』の登場。新人賞荒らしの年月を追い払うような「大物感」を伴って。青臭い学生っぽかったピエール・ゲナールも30歳になったのだから。疾走型青春ロックは4曲め "Fini Fini Fini”、ドラマティック疾風怒濤巨編は5曲め "Prières perdues"、とレンジの広い多彩な表現の11トラックだが、全体の印象はエレガントでダンディズムも香ってくる。6 - 7 - 8 - 9 - 10 - 11曲はノン・ストップで聴きたい、尻上がりクレッシェンドの佳曲ばかり。そしてこの若き日の告白のようなタイトルソングがある。
それは普段と変わらない夏だった
この野郎たちは優しく
気の利いた言葉をいつも見つけてくれた
そして僕は隠れてそれを書いていた

この野郎たちは
この野郎たちは
この野郎たちは

娘たちは苦い味がした
僕はそれが怖くて吐いてしまうほどだった
この野郎たちはうまくそれができたのに
僕は語る言葉もなかった

この野郎たちは
この野郎たちは
この野郎たちは

予期せぬ攻撃が雨あられとなって降ってきた
この野郎たちは猛々しかった
暴力はたわむれごとで
この簡単そうな少年を捕まえた

そいつを捕まえろ
そいつを捕まえろ
そいつを捕まえろ

ある日この野郎たちが僕を追ってきた
彼らのオートバイが爆音を上げ
怖さで僕の目は真っ赤になった
この野郎たちが僕を走らせた 
僕の頭の中はひとつの考えしかなかった
その女の子にタッチして、そして逃げ出すこと
僕がどんな男になるのか彼らに見せること
僕はただただそこから脱出したかったんだ

この野郎たち
この野郎たち
この野郎たち 

そして僕はありったけの声で叫んだ
でも四方の壁には耳なんぞありはしない
僕の両親はその場所で子供が落とし込められたことなど
知るはずもなかった

その場所で
その場所で
その場所で

そして僕は決して忘れることができない
この野郎たちの顔が
そして僕は決して忘れはしない
僕が普通の男の子だったってことを

僕はその普通の男の子だった
物語を書くのが好きな
約束するよ、僕はきみたちのことを決して忘れない
僕はその普通の男の子なんだから 
約束するよ、僕はきみたちのことを決して忘れない
僕はその普通の男の子なんだから

その男の子
その男の子
その男の子
("Ces Garçons - là)

歌詞を訳すだけで、胸が痛く熱くなる。この少年の傷を、こんな音楽にできるのだ、このラヂオ・エルヴィスは。 そしてそのクリップが、このなんとも美しい南西フランスの青年田舎闘牛士たちのスロー・モーション。恐れ入りました。表彰状ものです。


<<< トラックリスト >>>
1. 23 minutes
2. Ce qui nous fume
3. L'Eclaireur
4. New York
5. Fini fini fini
6. Prières perdues
7. Bouquet d'immortelles
8. La sueur et le sang
9. Selon l'inclinaison
10. Nocturana
11. Ces garçons - là

RADIO ELVIS "CES GARCONS-LA"
LP/CD LE LABEL / PIAS LL113
フランスでのリリース:2018年11月9日

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓) "23 minutes" (オフィシャルクリップ)

2018年11月17日土曜日

2018年のアルバム その1「ぶろる」

アンジェル『ぶろる』
Angèle "BROL"

い空をバックに白ふちの抜き取り文字で "BREL"と書くと、ベルギーが生んだ不世出の大歌手ジャック・ブレル(1929-1978)の遺作アルバム『レ・マルキーズ』(1977年11月17日発表)のジャケットになる(↓写真)。
 この12月で23歳になるベルギーの女性シンガーソングライター、アンジェル(本名アンジェル・ヴァン・ラーケン)のファーストアルバムは『ブロル』というタイトルで、青地のバックに白ふちの抜き取り文字で "BROL"と書かれている。なんらかの意図がないわけがないではないか。ここに私たちは確固としたベルジチュード(ベルギーらしさ、ベルギー気質、ベルギー度)を見て取れるのである。
ベルジチュードに関しては爺ブログのここ(『華麗なるベルジチュード』2015年3月)で爺論が展開されているので参照のこと。あの小さい国のそのまた半分(ワロニー=フランス語圏)から、フランスを凌駕してフランス語文化圏に衝撃を与える作品やアーチストががんがん出てくる。ルネ・マグリット、ジョルジュ・シムノン、タンタン、ブレル、アダモ、アメリー・ノトンブストロマエ.... ふだん「単純な隣人」とコバカにしがちなフランス人たちは、ときおりこのベルジチュードの見事な逆襲に尻尾を巻くことになる。アンジェル、素晴らしい。2018年ベルギー発のわが一等賞アルバムである。
 まず、(→)アルバム裏ジャケが示すように、このお嬢さんは長いブロンド髪でたいへん端正な顔立ちをしている。これだけで音楽アーチストとして面出しをすると、どういうことが起こるかというと、判で押したように「それだけの人」という反応で消される(今日びの日本語ではディスられる)のである。世の人たちは才能もなく頭も悪いのが「ブロンド美少女」であると信じているのだから。ベルギー人のブロンド美人が「実はわたしアタマいいのよ」と言ったって誰が信じるだろうか。ベルギー&ブロンドは70年代から天才寄席芸人コリューシュが徹底的に揶揄した2大ターゲットであった。へへん、そんなもの怖くない、とアンジェルは今の自分から遠いのだけれど正真正銘の自分(どろ〜んとした目の5歳、乳歯が抜けましたぁ!)の顔面ポートレートの大写しをジャケ写に。強烈なインパクト。ベルギーの金髪に強烈な個性などあるわけがない、という説は一発でくじけてしまう。
 うわさはもう1年以上前からあり、彼女の最初のヴィデオクリップ「マーフィーの法則」は 瞬く間にSNS上で1200万ビューを超えた。

マーフィーの法則が解く「トーストパンのバターを塗った面がカーペットに落ちる確率」に代表される、ありとあらゆる「ありえる」災難が自分に降りかかる確率は、思っている以上にありえるのである。ヘアーサロンに行った日には雨が降るのである。銀行窓口の順番待ちで、老女に順番を譲ると、1年分の出納明細の話を始めてしまうのである。駅に行く途中、道を聞かれて親切に教えてやると、電車に乗り遅れるのである。すべてはマーフィーが私を陥れようとして前以て決めていたことなのだ。こういうテーマを訛りのある英語まじりで堂々と歌ってしまうブロンド娘。ただ者ではないと思う一方、このユーモアの質のベルギー的高さに圧倒されてしまうではないか。
 アンジェルはポッと出のアーチストではない。父親は90年代にフランスでも評価の高かったシンガーソングライター、マルカであり、母親は女優・劇作家・ユーモリストのローランス・ビボ、そして3歳上の兄がラッパーのロメオ・エルヴィス(当たり前かもしれないが親父のマルカに本当よく似ている)というベルジアン・ポップ第一線の環境で育ったお嬢さんである。楽器はピアノ(クラシック→ジャズ)を習得。父・母・兄のステージ見てたら、怖いものなど何もなくなるのではないかな。そして2010年代のSNSど真ん中世代、大メディアを必要とせずインスタやユーチューブで才能を開花させていくノーハウをばっちり身につけている。このお嬢さんはひとりで何でもできる。詞曲・アレンジ・クリップ映像のシナリオまで。10歳年上のベルギー人ストロマエを想わせるものがある。
 アルバムからの最新シングル "TOUT OUBLIER"は、兄ロメオ・エルヴィスとの共演である(↓)。

クリップの最初に写真立てに入ったシャルル・ボードレールの肖像が出てくるが、これはリフレインに出てくる "spleen"という言葉にかけてのことで、かの散文詩集『パリの憂鬱(Le Spleen de Paris)』がココロである。リフレインはこう歌う:
スプリーンはもう時代遅れよ、幸せになるのは複雑なことじゃない
スプリーンはもう時代遅れよ、複雑なことなんて何もない
すべて、すべてのことを忘れてしまえばいいのよ
信じたいなら、すべてを忘れることよ
賭けると言ったって、私はもう賭けすぎた
この幸せは、手に入れたかったら絶対に手に入るわ 
と冬の山小屋でチーズフォンデュを食べ、スキーウェアを羽織って小屋の外に出るとそこは真夏のビーチだった。シュールな絵であるが、スプリーンのすべてを忘れようというダンスへの誘いである。一貫して憂鬱な顔が続くところ、どことなくストロマエ "Alors on danse!”(2009年)と共通すると思わんか?
 このお嬢さんの歌には日常の憂鬱や、起こりうる失敗への恨みや、嫉妬(3曲め "Jalousie")や、SNS上の寂寥(7曲め "Victime des réseaux")など、笑いごとではない複雑なテーマが多い。8曲め "Les Matins"はひとりで目覚める朝の泣きたくなるような寂しさを歌うのだが、こんなリフレインだ。
こんな朝が私を泣かせるのよ
朝の真実が私を殺すほどに
夜は私に忘れさせることができるけど
こんな朝が私を泣かせるのよ
私が過ごした孤独の夜のことを
目の当たりに見た瞬間から 
泣かせる歌も書けるお嬢さんなのだ。そして2018年的大事件・大現象も私的主題として反抗的にオピニオンを展開できる。アンジェルは世相も確かな目で捉え、恐れずに独自の視点でコミットしていく。フランスの "#MeToo #BalanceTonPorc"へのシンパシーと、音楽界とくにラップ界のミソジニー(女性蔑視)を告発する2曲め "BALANCE TON QUOI"は勇気ある1曲である。
彼らはみんな動物のように言葉をしゃべる
子猫たち(註プッシー、おまんこ)について悪く言う
2018年の今日あんたに必要なものは何なのか私は知らない
だけど私はもう動物じゃない
ラップがすごく流行ってるのはわかるけど
それは言葉が汚いほど成功するのね
まあそろそろそのコードを破った方がいいんじゃないの?
その先鞭をつけるのがひとりの娘なのは当然でしょ
Balance ton quoi (あなたの何かを告発して)
あんたが女のことを悪く言ったとしても、あんたは心の奥底では理解してるだろ 
Balance ton quoi、いつかは変わるのよ
2017-2018年、女性たちはもう動物ではなくなったのだよ、男たち!アンジェルはアンジェル独自のフェミニズム讃歌をユーモアと風刺を込めて歌う。したたかで明晰な女性の言葉である。
 こんな風にこのアルバムは22歳のしっかりした視点で、世のごちゃごちゃなテーマの数々を歌い上げるのだ。ベルギー流のオールドスクールなテクノ(テレックスを生んだ国だもの) も、凝り性なメロディーも、ダンサブルな展開も、醒めてハスキーな声の歌唱も、みな素敵だ。このごちゃごちゃのことを、フランス語では "bordel"(ボルデル、淫売窟、ごった返し)と言い、ベルギー(ブリュクセル)の町言葉では "Brol"(ブロル)と言うのである。明白に文句なしに圧倒的にベルジチュードの勝利。

<<< トラックリスト >>>
1. La Thune
2. Balance Ton Quoi
3. Jalousie
4. Tout Oublier (with Roméo Elvis)
5. La Loi De Murphy
6. Nombreux
7. Victime Des Réseaux
8. Les Matins
9. Je Veux Tes Yeux
10. La Reine
11. Flemme
12. Flou

ANGELE "BROL"
LP/CD VL RECORDS 0256797720
フランスでのリリース:2018年10月5日

カストール爺の採点:★★★★★

(↓)アンジェル「ゼニ(La Thune)」


*** 2019年4月16日追記 ***
4月15日にYouTube公開された "Balance Ton Quoi" のオフィシャルクリップ。明るい「性差別糾弾」の歌であるが、クリップは内容が濃く、「反性差別アカデミー」という公開講座シーンが挿入され、全然理解できてない受講生としてピエール・ニネイとアントワーヌ・グーイが出演している。
ニネイ「例えば女の子がノンと言っても、そのノンには少しのウィがあることもあるんでは?」
アンジェル講師「ノンはノンなのよ。」
ニネイ「例えば女の子が寝てる時って、ノンかウィかわからないことがあるよね。この場合はウィと考えられることも?」
アンジェル講師「いいえ、そのまま寝かせておきなさい。」
こういうセクハラ教育のイロハを、何度言ってもわからない男共。だったら何度でも言ってやればいいんです。わかるまで。
(↓)"Balance Ton Quoi" オフィシャルクリップ。


2018年11月11日日曜日

ボーっと大統領やってんじゃねえよ!

大統領、レイラ・スリマニに叱られる

一次大戦終戦から100年、11月11日(終戦記念日)の大セレモニーを前に、大統領マクロンが北東フランスの古戦場各地を訪問、その中で11月6日、最大の激戦地にして慰霊メモリアルのあるヴェルダンで、慰霊セレモニーに参列したひとりの退役軍人叙勲者との会話:

退役軍人:大統領閣下に敬意を表します。
大統領:お元気ですか?
退役軍人:閣下ご自身は?
大統領:あなたたちとこの場を共有できて光栄です。
退役軍人:いつ不法滞在者(サン・パピエ)たちを国外に追放していただけますか?
大統領:ははぁ、滞在許可と難民権のない人たちのことですね。信用してください、その人たちを...。私たちはその仕事を続けますから。
退役軍人:やってくださいますか?私はそのことを他の人たちに言っていいですか?
大統領:あなたはそのことを人に言ってもいいです。 でも私たちが保護すべき人たちは...
退役軍人:それは誓って閣下の言葉ですね?
大統領:そうですとも、私が言ったことです。しかしわが国にたどり着く人たちは...
退役軍人:私は閣下の言葉を記憶にとどめます。
大統領:しかしわが国にたどり着く人たちには、私たちはより有益である必要があります。まず対処の仕方において。住むところに窮している人たちには屋根を提供しなければなりません。
退役軍人:正直な人たちであれば、私はそれに賛成します。
大統領:自分たちの自由が脅かされたゆえに国を逃げてきた人たちは保護しなければなりません。
退役軍人:そうかもしれませんね。
大統領:しかしそうでない人たち...
退役軍人:しかしその人たちをここに置くのは「トロイの木馬」(敵が侵入するためのからくり)ではありませんか?
大統領:しかし自国で自由に生きられるにも関わらずわが国に来る人たちは送り返さなければなりません。これが私の答です。
退役軍人:私は閣下のお答にたいへん満足です。

このやりとりに対して、レイラ・スリマニが激しく怒っている。モロッコ系フランス人作家で2016年のゴンクール賞を受賞したスリマニは、2017年の大統領選挙の第二次投票(マクロン vs マリーヌ・ル・ペン)の際、公然とマクロンへの投票を訴え、新大統領に評価されて2018年春に大統領の私的任命による「フランス語文化圏担当官」のポストをもらった言わば「マクロン身内」であった。自由な論客レイラ・スリマニはそんなことに意を介さず、11月9日、ル・モンド紙に激しい批判のトリビューンを寄稿した。

11月6日、ヴェルダンにてひとりの退役軍人がエマニュエル・マクロン大統領にこう問いかけた「 いつ不法滞在者たちを国外に追放していただけますか?」ー このかしこまった表現の優雅さと巧妙さに注目したい。この退役軍人を私は知っている。と言うよりむしろ、私はこの人を認知する。この苦味のある声、この辛辣な口調、彼が「不法滞在者(sans-papiers)」という時の音節を吐き出すような高飛車な言い方。フランスにいるあらゆる外国人たち、すべてのアラブ人たち、すべての黒人たち、すべての滞在許可を持つ者たちと持たない者たちは確証するだろう「このような意見は日増しに一般的になっている」と。

私たちの往来でぶつぶつ言う人たちは日増しに増えている。バスの中で、肌の黒い人たちが多すぎるように見え、自分たちのフランスは変わってしまったと繰り返し嘆くことで自己満足している人たち。辱める人たち、食ってかかる人たち、罵る人たち、あなたにサービスを提供することを拒否する人たち、イスラムに対して悪罵する人たち。「(民族)大交替」(註:ヨーロッパ大陸でヨーロッパ諸民族がアフリカ諸民族によって放逐されるという、フランス極右思想家ロベール・カミュの説)、「トロイの木馬」(註:ギリシャ神話のもじりで、現在の難民大移動が次に来る非ヨーロッパ民族大移動の布石となっているとする説)を嘆く人たち。自国がここであるにも関わらず、私たちに「自国へ帰れ」と言う人たち。

この退役軍人の質問に対して大統領は庇護される権利のある人たちは受け入れるが「自国で自由に生きられるにも関わらずわが国に来る人たちは送り返さなければならない」と答えた。「閣下のお答に満足です」とその勇敢な退役軍人は胸をそらせた。しかしながら、この男が追放することを望んでいる人たちをエマニュエル・マクロンはもっと厳格さと冷静さをもって防御するべだったと私には思われる。「サン・パピエ(sans-papiers = 紙を持っていない人 = 滞在許可証を持たない人 = 不法滞在者)」という言葉で括られる人たちに関してそのような言い方をするものではないときっぱりと答えるべきだった。彼の言う「複合的思考」を弁護するべきだった、なぜなら移民の問題というのはそれが人間的で、苦悩に満ち、実存的であるがゆえにどれほど複合的で複雑なものか、ということを。

いわゆる「サン・パピエ(紙を持たない人)」たちはサン・ヴィザージュ(顔を持たない人)たちではないことを彼に思い起こさせるべきだった。人が好き勝手に攻撃的に憂さ晴らしができる抽象的な人物たちではないのだ。彼らは学生であり、ベビーシッターであり、料理シェフであり、社会学研究者であり、著述家であり、病人介護者であり、親であり、子供であり、家族ヘルパーである。吐き気を催させる言説を前に、誰が彼らの弁護をしてくれるのか。この国に彼らは溶け込み、仕事をし、愛し、生き抜こうとしているにも関わらず、彼らが追求されたり侮蔑されたりすることに関して誰が憂慮してくれるのか。大統領は「私たちはその仕事を続けますから」と言った。この間にも、何日も何年も仕事をし続けているのはこれらすべての移民たちであり、それは誰もが知っていることなのに、彼らが不当な扱いを受けていることには目を閉ざしてしまう。

「自由に生きられる」? それはどういう意味なのか? 人間の尊厳がなくても人は自由に生きられるのか? 人が飢えている時、手当てをする病院がない時、子供に入学手続きをした学校にトイレや黒板がついていない時、それでも人は自由に生きられるのか? 希望もなく、抗議示威行動をする権利もなく、表現することも、自分のセクシュアリティーに従って生きる権利もない時、それでも人は自由に生きられるのか? アフガニスタンでは人は自由に生きられるのか? その国に多くの「サン・パピエ」たちは強制送還されていて、彼らの運命が残虐な現実に落としこまれるのを見ながら、それでもその国で自由に生きられるのか?

別の質問を立てよう。今日アフリカのいくつの国で男も女も自由に生きられるのか?その土地を発つことは人間の生活の一部である。パリに出てくるために地方を旅立つように、倦怠や絶望から逃げ出すように、人は違う地平を求めてその土地を後にする。おのおのが正当に持っている幸福を求める権利は、なんびとによってもないがしろにされるべきものではない。なんびとたりとも、軽々しさや優越感をもって流謫者たち、影の労働者たち、紙(パピエ)はないかもしれないが権利は持っている目に見えない人たちのことを語る権利はないはずである。そして彼らの権利の第一のものは、人間として尊重されることであり、目を見つめて話されることである。そして守られること。

         レイラ・スリマニ(ル・モンド紙 2018年11月9日)

2018年11月9日金曜日

ある恋の物語(Historia de un amor)

"Un amour impossible"
『ある不可能な愛』

2018年フランス映画
監督:カトリーヌ・コルシニ
主演:ヴィルジニー・エフィラ、ニールス・シュネデール、ジェニー・べト、エステール・レスキュール
フランス公開:2018年11月7日

 リスティーヌ・アンゴの同名小説(2015年発表)の映画化作品である。小説の方は拙ブログで紹介しているので、そちらを読んでいただきたいが、近年のアンゴでは例外的な出色の作品であり、それだけにこの映画がどれだけ原作の魅力を表現できるか楽しみでもあった。映画はラシェル(演ヴィルジニー・エフィラ。"ラシェル”というファーストネームは原作小説と同じだが、姓は映画では変えてある)とフィリップ(演ニールス・シュネデール。原作小説では"ピエール(・アンゴ)"だった)の出会いから始まる。場所は中央フランス、アンドル県の県都シャトールー、時は1950年代。当たり前の話だが、映画はあの時代のファッション、あの時代の車、あの時代の音楽で、小説数ページ分より雄弁に、瞬時にして状況を凝結させてくれる。フレアスカート、手動タイプライター、プジョー403、そして二人がダンスする曲が「ある恋の物語(Historia de un amor)」(パナマ人カルロス・アルマランによる1955年の世界的ヒットのボレロ曲。日本ではザ・ピーナッツ)、もうフィフティーズど真ん中な始まりで、日本の言葉で言うならば「イカしてる」のだ、これが。
 女25歳を過ぎたら婚期を失ったと思われていた時代(25過ぎた独身女性を「聖カトリーヌ Sainte Catherine」と呼ぶ習慣がある)、国民保健局でタイピストとして働くラシェルは貧しい母子家庭の出身で、文化教養の乏しい地方オールドミスであった。 そこに現れた都会的ブルジョワ美男であるフィリップは、シャトールーに作られたNATO(北大西洋条約機構)基地の通訳・翻訳者として働いており、数カ国語を自由に操ることができる。誘惑者フィリップはスポーツカーでラシェルを連れ出し、世界を拡げ、芸術文化の道しるべとなり、ニーチェを読ませる(これ、アンゴ小説の世界では重要)。ラシェルにとってこの燃えるような恋は、同時に新しい世界への越境でもあった。そしてこの映画ではきわめて大胆な(とても50年代的ではない、インターネット時代以降のような)性交をするのだった(日本で上映されることになると、この辺ばかりが強調されるかもしれない)。ヴィルジニー・エフィラ、日本語で言うところの「体当たり演技」だった。
 このブルジョワ青年は、あの当時の新しい男女関係論のポーズで、俺は結婚はしないよ、きみも自由であった方がいい、などと方便を言い、またはっきりと自分とラシェルの社会階層の違いは超えられないとも言うのだった。自由な関係でいようと言いながら、自分の家や社会的地位を理由に貧乏人とは結婚できないと。ラシェルはそれが理解できないのだが、愛がいつかはそれを凌駕するものという希望(幻想)を抱いて、「受け入れる」「耐える」「待つ」女になっていくのである。それは十数年も続くことになる。
 激しい愛の数ヶ月の後、フィリップはストラズブールに異動になる。旅立つ前の最後の夜、ー ナレーションがこんなディテールを語るのだよ ー 「それまで膣外射精をしていたフィリップが最後の夜に中に出してもいいかとラシェルに問い、ラシェルはいいと答えた」(いかにもアンゴ小説的だが、この部分は映画での創作だと思う)。 で、シャトールーにひとり残されたラシェルは懐妊したことを知る...。
 知らされたフィリップは急に連絡が稀になり、このことを喜んでいるのかその逆なのかも判然としない。不安のうちに女児シャンタル(原作小説では"クリスティーヌ”) を出産、出生届には「父不詳」と。その後もフィリップはごくごく稀にラシェルに会いにやってくるだが、子の認知を求めるラシェルにフィリップは「考えておく」と茶を濁す。さらにしばらくして「結婚しない」を公言していたフィリップは、家柄の良いドイツ人女性と(家族・親族の祝福を得て)結婚するのである。自分は幸福であり、この結婚に満足している、なぜなら「ドイツ女性と日本女性ほど夫によく尽くすものは世界にないのだから」などとラシェルの前でしゃあしゃあと言ってしまう。その上その舌の根が乾かぬうちに「おまえとの関係は違う、それは特別なものだ」とラシェルとの情愛関係の継続を請うのである。
 ヴォージュ地方ジェラルメ湖畔での密会ヴァカンス、幼いシャンタルとママンとパパ、こういう刹那の「家族」幸福を描かせては、映画は小説より数倍も雄弁なのであるな。
 月日は経ち、再三の子供認知願いを断ってきたフィリップは、シャンタルが12歳の時ついに折れて認知し、おまけにシャンタルの養育費を負担し娘の教育をバックアップしたい、と。数年振りに再会した父娘。聡明な少女となったシャンタルは、(十数年前に母ラシェルが魅了されたように)フィリップの教養インテリジェンスに魅了され、毎週末のように美術館・書店・劇場などに連れ出してくれる父に嬉々としてついていくようになる。この12歳から16歳までのシャンタルを演じるエステル・レスキュールという新人(少女)女優、すばらしい。知的で情緒不安定で激しやすい(クリスティーヌ・アンゴ的)少女像を完璧に体現。役どころとしては、14歳の頃から父親から近親相姦(肛門性交)を受け続けるのに、苦悩しながらそれを隠している、という極端に難しい演技。事情が明らかにされないまま、ラシェルはラシェルでフィリップと(教養教育という名目で)逢瀬を重ねるシャンタルに嫉妬し、地獄的な(想像上の)三角関係に悩み精神疾患を起こしてしまう。気晴らしのために入会した市民サークルの中で親しくなったムラートのアマチュア・カメラマンのフランク(演ガエル・カミリンディ = 作家/ラッパーのガエル・ファイユ同様、幼少の頃ルアンダ大虐殺を逃れていた経歴あり)にほのかな思いを寄せるラシェルだったが、そのフランクも娘シャンタルの交際相手となってしまう。最重要の秘密であったシャンタルとフィリップの近親相姦の事実も、ラシェルは(親しい友人としての)フランクから聞かされ、フランクはラシェルにシャンタルをフィリップに会わせてはいけないと嘆願する。それを聞いたラシェルは動顚してしまうが、ラシェルは母として言うべきことを告げに、深夜シャンタルの部屋に入って行ったにも関わらず何も言えないのである(この何も言わなかったということに関して後にシャンタルはラシェルはずっと恨むことになる)。その何も言えなかった夜にラシェルは高熱で倒れ、救急で病院に収容され、10日間病院で苦しむのであった...。
 映画はそれから年月が飛び、大人となったシャンタル(演ジェニー・ベト。フランスでは女優としてよりもロック系女性ヴォーカリストとしての方が知られているかも)が、ことあるごとに母親ラシェルと感情的に対立し、遂には別居(娘が母親を追い出す)してしまう。この母親に対して全く笑顔を見せることがなく怨念すら抱く役どころを演じるジェニー・ベトという女優、怒ってばかりの一本調子で感心しない。(アンゴ的)インテリジェンスがほとんど感じられない。少女役の女優の好演に比べて本当に残念。 そして映画はこの母と娘の過去にまつわる確執と、どんなに議論しても埒が明かない(終わりのない)ダイアローグに長時間が費やされる。これが本当に長い。この映画に悔やまれる最大の点は、この終部の意味のない長さであり、最後に現れる母と娘の不可能な和解はこんなに引き延ばされる必要はない。
 20代の地方都市女性から、80代のすべてに対して防御的な老婆までをひとりで演じきったヴィルジニー・エフィラの演技は素晴らしい。脱帽ものである。映画はエフィラの怪演がすべてを救っている。これまでの作品で名女優とは誰も評価できなかったこのベルギー出身の41歳の女性は、この映画で真の大女優になった(と私は思う)。

カストール爺の採点:★★★☆☆ 

(↓)『ある不可能な愛』予告編


(↓)トリオ・ロス・パンチョスによる「ある恋の物語、なんて素晴らしい!

2018年11月4日日曜日

炭鉱長屋(レ・コロン)

ピエール・バシュレ「レ・コロン」
Pierre Bachelet "Les Corons" 

詞:ジャン=ピエール・ラング
曲:ピエール・バシュレ
1982年発表

代のシャンソン歌手ジュリエットが2018年2月に発表した13枚目のオリジナルアルバム『私はシャンソンが嫌い(J'aime pas la chanson)』の増補版を10月26日に発表し、他者のシャンソンをカヴァーした新録音4トラックのボーナスCDを追加した。意表をついた選曲。
1. Padam Padam(エディット・ピアフ)
2. Ma préférence (ジュリアン・クレール)
3. Les corons (ピエール・バシュレ)
4. Les brunes comptent pas pour des prunes(リオ)
このプロモーションで10月22日にフランス国営ラジオFrance Interの朝番組「ブーメラン」(ホスト:オーギュスタン・トラプナール)に出演して、生弾き語りで「パダム・パダム」と「レ・コロン」を披露した。


Au nord, c'étaient les corons (北の国 それは炭鉱長屋)
La terre c'était le charbon (大地 それは石炭)
Le ciel c'était l'horizon (空 それは地平線)
Les hommes des mineurs de fond (人間 それは炭鉱夫)

北の国で炭鉱が閉鎖されてから既に四半世紀以上経った時の流れのせいだろうか。オリジナルより数百倍もノスタルジックで憂愁に満ちたジュリエットの歌唱。地方の産業が切り捨てられ、地方が荒廃してしまう歴史はまだまだ続いているというのに。
今から11年前、この歌を向風三郎はその唯一の著作本『ポップ・フランセーズの40年』 の中で解説していたのだが、今日読み返して、えええ?こんな泣けるような文章書いてたのか、とわれながら驚いた。以下再録します。

 私は北国出身であるから、こういう歌は絶対に外さないのである。「エマニエル夫人」(1974年)の音楽を書いたピエール・バシュレ(1944-2005)は、パリ生まれだが、父親の出身地である背伸びして見る海峡の町カレーで育っている。北フランスは19世紀から炭田地帯であり、産業革命期からこの炭田が国を支え、北フランスは多くの移民労働者たちも住む炭鉱長屋(コロン。何列にも続く坑夫住宅棟)がいたるところにあった。イタリア人もオーヴェルニュ(フランス中央山塊)人も多く坑夫としてやってきて、彼らが持ってきたアコーディオン音楽は北フランスでも重要な文化として根付くのである。そしてベルギー同様、美味いビールを産する。この歌でも「ワインはバラ色のダイアモンド」と形容されるほど貴重だが、ビールは安く浴びるほど飲めるものであった。また炭鉱は労働者たちが身を守るために組合と労働運動と社会主義を育てていき、エミール・ゾラの小説『ジェルミナル』を書かせ、歴史的に北フランスは左翼の地盤であった。この歌にも社会主義者ジャン・ジャレス(1859-1914)の名が登場する。
 しかし20世紀後半から炭鉱はひとつ、またひとつと閉山していき、石炭産業は衰えてしまう。人々は職を失い、北フランスは活気を失う。そして移民労働者を追い出せば職に回復できるという排外思想が伸張し、左翼の地盤であったところに極右フロン・ナシオナル党が大きく勢力を張っていくのである。80年代シュティ(ch'ti)()と呼ばれた北フランスの炭鉱夫たち(「Gueule noir グール・ノワール=黒い顔」とも俗称された)は、この地上から消え去りつつあった。そんな時にピエール・バシュレはシュティへのオマージュの歌を発表したのである。
 「北、それは炭鉱長屋。大地、それは石炭。空、それは地平線。人間、それは炭鉱夫。」ー 力強いリフレインである。この土地を愛するように、この職業を愛する人たちがいる北の国、ピエール・バシュレはその国の子であることを誇りに思うと歌う。素朴だが厳しい北の生活とその労働者たちへの讃歌は、数週間にしてシングル100万枚を売り、北だけではなくフランス全土がこのリフレインを歌ったのである。82年、オランピア劇場でフィナーレの曲として「レ・コロン」を歌い舞台から引き下がったバシュレは、総立ちのオーディエンスによるこの曲の大合唱によって舞台に引き戻されている。
 「レ・コロン」はひとつの職業の終わりを記録した歌でもある。91年12月、北フランスに残された最後の炭鉱が閉鎖された。19世紀から続いた産業革命はやっと終わったのである。顔を真っ黒にして働く北の人間はもういない。
)向風は「シュティ」を炭鉱夫の呼び方であるように書いたが、これは間違い。シュティは北フランス、ノール=パ・ド・カレ地方の土地っ子全般のことで、その方言「シュティミ」を話す人々。原文を訂正してもよかったのだが、あえてそのまま再録。
(↓)ピエール・バシュレ「レ・コロン」(1982年)

(↓)2013年、北のプロフットボールチーム RC LENS(ランス)のサポーターたちによる「レ・コロン」のスタジアム大合唱。



2018年10月31日水曜日

涙のシャンソン日記(Attends ou va-t'en)

ジェーン・バーキン『マンキー・ダイアリーズ 1』
Jane Birkin "Munkey Diaries 1"

 ジェーン・バーキン(1946 - )が10歳の時から書き始めた日記を(文章の書き直しをせずに)再構成して自らフランス語化した本『マンキー・ダイアリーズ』(マンキーは日記の語り相手である猿のぬいぐるみ人形の名)の第1巻(1957-1982)が10月3日に刊行された。第1巻はロンドンの少女時代からゲンズブールとの破局〜ルー・ドワイヨンの誕生まで。来年刊行予定の第2巻は長女ケイト・バリーの死まで(それ以降日記は絶たれている)。
 第1巻の紹介記事はラティーナ誌の2018年12月号(11月20日発売)に掲載されることになっている(現在執筆中)ので、 そちらにまかせます。爺ブログでは、第1巻の大詰めと言えるゲンズブールとの別離:ジェーンBが娘ふたり(ケイトとシャルロット)と共にヴェルヌイユ通りのゲンズブール邸から出ていく頃の1980年の日記に差し挟まれた、2018年の著者筆の解説文を、断片として紹介しようと思います。

ジュリアン・クレールとの録音のセッション(註:”Mangos”)の間、いつものようにセルジュは全員のためにシャンパーニュをふるまっていた。彼のエージェント、ベルトラン・ド・ラベイもそこにいた。私はバスケット篭を手にスタジオを抜け出し、タクシーを止め、ポール・ロワイヤル・ホテル(註:パリ5区)に向かわせた。しかしホテルは革製品見本市のせいで満室だった。代わりにセーヌ川の対岸のノルマンディー・ホテルを紹介してくれた。着いてホテルの部屋から私はラベイに電話し、私には何事も起こっておらず無事であるとセルジュに伝えて安心させてほしい、と。そして私はパリの電話番号簿でドワイヨンという名の家を探した。最初に電話して出た相手はご婦人で、私は彼女にジャック・ドワイヨンという人をご存知ありませんか、と尋ねた。すると彼女はそれは私の息子ですと答えた。私は彼がどこにいるのか知りたいのですが、と言うと、ご婦人は今私の横で眠っていますよ、と。これがおしまいであり、これがはじまりだった。
ジュリアン・クレールのレコード録音の間、私の子供たちは妹(註:リンダ・バーキン)と一緒にアイルランドにいたはずである。子供たちが戻ってきた時、彼女たちには寝耳に水だったろうが、私たちはヒルトン・ホテルに移動した。セルジュは私と子供たちがパパラッチに追われながら二つ星ホテルにいてもらっては困ると思ったのだ。子供たちと私はホテルの部屋に閉じこもり、彼女たちをバイリンガルスクールに送っていく時だけ、数ヶ月前にセルジュが私に買ってくれたポルシェに乗り込んでホテルを脱走した。私は彼がすべてを理解し、そして私が自殺することを望んでいたのだ(この筋書きは映画『シャルロット・フォーエヴァー』の中で再現される)と想像した。彼はヒルトンにやってきた私たちを訪問したが、やつれきっていた。この頃、カトリーヌ・ドヌーヴは『ジュ・ヴ・ゼーム』(註:1980年クロード・ベリ監督映画、共演ジャン=ルイ・トランティニャン、ジェラール・ドパルデュー、アラン・スーション、ゲンズブール)の撮影中で、たぶんこの時にカトリーヌは彼女ならではのとびきりの優しさと繊細さでもってセルジュの世話を見るようになったのだ。私たちの別離の不幸の影で、彼女はそれを表面に出さずにいた。彼女がセルジュとデュエットで歌った「神はハバナ葉巻を吸う Dieu est un fumeur de habanes」を例外として。私は常に彼女には守護的人物として限りない敬意を抱いている。
(ジェーンB『マンキー・ダイアリーズ』p334-335)

(↓)ドヌーヴ&ゲンズブール "Dieu fumeur de havanes" (1980年)


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記事の表題「涙のシャンソン日記」(日本語題)は、フランス・ギャルの世界的大ヒットシングル「夢見るシャンソン人形」(日本語題)(ゲンズブール作1965年)に続いて、1966年に日本で発売されて中ヒットしたフランス・ギャルのシングル盤。ゲンズブール作。歌詞には「日記」などという言葉は出てこない。原題の"Attends  ou va-t'en"は、「待ってよ、それがいやなら別れてよ」とどちらかの決断を迫る内容。1980年のジェーンBは、極度のアルコール漬けとなって暴君的な振る舞いが顕著になったゲンズブールに耐え忍ぶ限界を何度も超えていた。その日記は、(改善を)待つか出ていくか、の自問に終始している。
(↓)1997年(ゲンズブールの死の6年後、ミッシェル・ベルジェの死の5年後)、フランス・ギャルの最後のライヴアルバム"Concert Privé"の「涙のシャンソン日記」


2018年10月24日水曜日

艱難シンクロ

『ル・グラン・バン』
"Le Grand Bain"

2018年フランス映画
監督:ジル・ルルーシュ
主演:マチュー・アマルリック、ギヨーム・カネ、ヴィルジニー・エフィラ、レイラ・ベクティ、ジャン=ユーグ・アングラード、ブノワ・プールヴォールド、フィリップ・カトリーヌ...
フランス公開:2018年10月24日

 ランスで公営プールに行くと、だいたい大小のプールがあって、子供や高齢者や泳げない人らが水浴び・水遊び・水中リハビリなどをしているのが小さく浅い方で、「プチ・バン(Petit Bain)」と呼ばれている。それに対して泳げる人たち専用の大きくて深い方のプールを「グラン・バン(Grand Bain)」と言います。グラン・バンはお遊びではないので、競泳の練習に使われたりするので、ちんたら平泳ぎで泳ぐ不届き者たちは「あんたらはこっちじゃない!」と怒られるのです。この映画はそんな地方(雪山が近い小さな地方都市)の公営プールが舞台で、日中の一般利用が終わったあと夜には競泳やウォーターポロなどのクラブが時間分割でグラン・バンを使って練習するようになっている。しかし、この町には一風変わった「男子シンクロナイズド・スイミング」(通称シンクロ。これは2017年からアーティスティック・スイミングと競技名が変わったそう。とりあえずここではシンクロ。映画の中でも Synchro サンクロと言っている)というのがある。一般的認識からすればこれは女子の競技であった。だから男子シンクロへの世間様のジェンダー的偏見はこの映画でもやや強調されている。そこがこの映画が「フランス版フル・モンティ」と評されるゆえんであるのだが、それはそれ。 
この男子シンクロ部に集まってくるのは、揃いも揃って中年ルーザーたちばかり。この辺も90年代英国の破綻地方都市の失業者たちが主役の「フル・モンティ」と通底するもの。抗うつ薬を朝食に混ぜて飲む2年間失業者ベルトラン(演マチュー・アマルリック)、鉄工所工場長ながら極端な短気ゆえ家庭も老いて施設にいる母親との関係も壊してしまうローラン(演ギヨーム・カネ)、経営能力ゼロで既に4つも会社を潰して今の会社も倒産寸前の中小企業主マルキュス(演ブノワ・プールヴォールド)、社会順応性が乏しくイジメられやすくも心優しい公営プール従業員ティエリー(演フィリップ・カトリーヌ。隣のテーブルの集団の冗談を聞いて大声で笑いながら一人で昼食を取る、という寂寥ギャグが素晴らしい)、それらどのパーソナルストーリーも珠玉の21世紀型残酷コメディーであるが、ひときわ私の胸を打つのがジャン=ユーグ・アングラード演じる長髪の没落ミュージシャンにして昼は学校給食給仕係のシモン。十代のひとり娘がいるが、その母親には縁を切られ、ひとりキャンピング・カー(兼ホームスタジオ)で暮らす住所不定人。自主制作で何枚もアルバムを制作するが、箸にも棒にもかからず、ステージと言えば養老ホームか田舎のバル(20世紀前半的意味のダンスホール)、それでもいつかは世界的ロックアーチストになるという途方もない夢をどうしても捨てられない。ここがひとり娘にとって父と和解できない最大の理由であり、「パパは絶対にデヴィッド・ボウイになれっこないのよ」と諭すのだが...。このオールドファッションドな夢みるロック中年は、ある種ジョニー・アリデイ追っかけ中高年たちと似た、自分の音楽の「正しさ」神話にしがみついている。ストーリーの後半になるが、世界選手権にチームが使用する演技のバック音楽を検討し始めた時、シモンはここぞ自分の出番が来たと、嬉々として(みんながあっと驚くはずの)オリジナル曲を作り、自信満々にその録音したものをチームに披露するのだが...。
 コーチは元シンクロ・デュオでさまざまな優勝経験のあるデルフィーヌ(演ヴィルジニー・エフィラ)とアマンダ(レイラ・ベクティ)。この二人は世界の舞台で活躍できるはずだったが、アマンダが事故で下半身不随になり、デルフィーヌはそのショックでアル中になった。以後二人は疎遠になっていたのだが、このダメ男たちの世界選手権出場という目標で和解し、友情を取り戻すという筋もある。二人のコーチ法は対照的で、デルフィーヌはシンクロの女性的エステティスムを教え込もうとする一方、アマンダはスパルタ鬼コーチであり時に暴力的ですらある。天使と悪魔(アンジュとデモン)なのである。
 さて話は前後するが、ちんたらと中年ダメ男たちのストレス解消の水中お遊戯にすぎなかったこの男子シンクロは、ある日ティエリーがインターネット検索で、既に世界に男子シンクロチームが多く存在し、さらにその世界選手権大会が開催されることになっていると知った時点で、映画は急激にテンポが良くなる。この世界選手権に参加申し込みをし、そのチーム名を「フランス代表チーム Equipe de France」と勝手に名乗ってしまうのである。フランスには他に男子シンクロのチームなどないのだから。ここから、あのフットボール世界チャンピオンのレ・ブルーと同じ誇り高さで、この中年ダメ男たちは世界選手権に向けた猛練習を始めるのであるが...。
 ダメ男たちの変身/再生、これが映画の進行とパラレルに展開されるわけだが、冗談のように始めたこの挑戦が、やっていくうちにだんだん、ひょっとしたらできるのではないか、という自信や、辛く苦しい体験を共にすることによって日に日に強くなっていくチームの連帯、というこの種の映画の"美談”ぽさがどんどん表面に出てくるんだな。けっ。
 そして、シモンのキャンピングカーに全員乗り込んで、ノルウェーで開催される男子シンクロ世界選手権大会へと向かうのでありました...。

 この映画は2017年に制作されて、2018年5月のカンヌ映画祭に出品されたもの。だから2018年7月のフットボールW杯のフランスの優勝は知らずに作られたものだが、10月現在もなおレ・ブルー優勝の余韻はフランスに残っていて、その熱はこの「フランスチームが世界チャンピオンになる映画」におおいに味方するだろうし、この映画は大ヒット間違いないだろう。「勝つ」という大団円に向かうシナリオの映画は安直だと思う。しかし「勝つ」という幸福を覚えた人民はこういう映画に本当に弱いはず。そういう意味で、2018年的ツボを見事に当てた映画と言えるでしょう。だって、みんなハッピーになりたいんだから。それを助長するように、シンクロと切っても切り離せない「音楽」がこの映画ではエイティーズものオンパレードで、オリヴィア・ニュートン・ジョン「フィジカル」や、世界選手権でのフランスチームの演技バック音楽で使われるフィル・コリンズ&フィリップ・ベイリー「イージー・ラヴァー」(ダリル・スチューマーのギター・ソロのところ、シンクロ演技では仲間たちに水上にリフトされたジャン=ユーグ・アングラードが迫真のエアー・ギターを延々と)など、中高年泣かせのサウンドトラック。今季最高のフランス産コメディーと言っておきましょう。少しはこんな映画観て幸せになりましょうよ。

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓) 『ル・グラン・バン』予告編

2018年10月7日日曜日

働かないと手のひらに毛が生える

Les 40 heures
週労40時間

詞:アンドレ・ヴァルシアン、ジャン・ペラック
曲:シャルリス、ロマーニ

ッスー・テ&レイ・ジューヴェンのアルバム "OPERETTE VOL.2"(2018年10月19日フランス発売)の中の1曲。1936年、人民戦線政府(首班:レオン・ブルム)が施行した2大政策(2週間有給休暇、週40時間労働)のひとつ。それまでの週労働時間は48時間で、まる1日短縮された計算。このテーマをマルセイユのシャンソニエ、アンドレ・ヴァルシアン等が風刺歌にして、ダルサリスが歌ってヒットさせた。ナチズムが吹き荒れる直前、ひとときの労働者時代を謳歌するマルセイユ歌謡。「週労40時間と言ったって、まだ39時間は働きすぎなのさ」という正しさ。はげしく同意。曲のリズムはワルツではなく、ジャヴァである。

週労40時間なんて
すごいじゃないか
3日間も
家を離れられるぞ
田舎に行ったり
澄んだ空気を吸ったり
海や山や コートダジュールまでも行けるぞ
仕事で苦労ばかりしてるんだから
週労40時間とは言っても
39時間は働きすぎってことさ

昔 人民は
奴隷制のもとで縮こまってた
昼も夜も
未開人のように働いてた
だが幸いにして人民は
権利を勝ち取ったんだ
もはや人民はレジャーのことしか考えない
快楽のことしか考えない

シャルキュトリー(腸詰屋)は最低でも3日は休むようになった
その言い訳が
ビストロでとぐろ(腸詰)を巻くためだって
やりすぎだろう
床屋は日曜日休業だ
それで俺たちの手のひらに生えた毛さえも
註:手のひらに毛が生える=手を長いこと使わない=怠惰
剃ってくれないんだ
週労40時間なんて
すごいじゃないか
3日間も
家を離れられるぞ
田舎に行ったり
澄んだ空気を吸ったり
海や山や コートダジュールまでも行けるぞ
仕事で苦労ばかりしてるんだから
週労40時間とは言っても
39時間は働きすぎってことさ

(↓)ムッスー・テ&レイ・ジューヴェン「週労40時間」

(↓)ダルセリスのヴァージョン(1937年)

2018年10月2日火曜日

Tu parles, Charles.

2018年10月1日、シャルル・アズナヴールが94歳で亡くなりました。私は熱心なファンではないし、レコードCDも多く持っていないし、コンサートも一度も行ったことがない。いわばテレビ越しのリスナーでしたが、歌える曲は何曲かあります。その偉大さは死後48時間たった現時点でも、ラジオ/テレビの特番でいやと言うほど聞かされました。安らかにお休みください。
私がこのアーティストにどうしても馴染めなかったのはその絵に描いたような「国際スター性」であり、偉人のようにふるまう「偉人性」だったように思い返しています。そこのところは単なる偏見ではないと思っていました。で、その死んだその日に、私が最も信頼するシャンソン評論家でありテレラマ誌のジャーナリストであるヴァレリー・ルウーが、(死の報道から1、2時間で書き上げたであろう)アズナヴール追悼記事をテレラマのウェブ版に発表しました。そこには彼女が、どうしてここまでアズナヴールが自分の価値を絶えず証明しようとするのか不可解になったことが吐露されていました(!)。Tu parles, Charles (激しく御意)。しかしこの偉大な芸術家は、その晩年に多くの若者たちに囲まれて、人々の歴史の中に入っていく、という感動的な瞬間をルウーは証言しています。ルウーの筆に感謝。私も見方が変わりました。以下、ルウーおよびテレラマ誌に許可なく、ルウー記事全文を訳します。

千の歌を持つ男、シャルル・アズナヴールを回想する

今日10月1日の月曜日に94歳で亡くなったシャルル・アズナヴールは、2007年9月、プロヴァンス地方の自宅でテレラマ誌の二人のジャーナリストの長時間インタヴューに答えていた。

天気のよい夏の終わりだった。サン=レミー・ド・プロヴァンスに近いムーリエス村にある彼の自宅に私たちは迎えられた。建物は低く、大きかったが控えめで、周りを囲む塀の中にひっそりと建ち、目立ったものは何もないが彼が育てているオリーヴの木々が生い茂る大きな庭があった。このオリーヴの木々が彼の自慢でもあった。入り口の前にどんと構える1本はおそらく樹齢100年を越したものだろう。うろ覚えだが、シャルルはすでに大きかったこの木をある暑い国から取り寄せたのだった。木はこのアルピーユ地方の土に再び根を下ろしていった。少し彼に似た話だ。

アズナヴールは公式にはムーリエス村には住んでいず、スイスの居住者となっていた。しかしこのプロヴァンス地方で多く時を過ごすようになり、ここがどんどん好きになったと言っていた。彼は大広間を行ったり来たりしていた。そこにはピアノ、バー、テレビとりっぱなDVDコレクションがあった。彼はそのきちんと整理されたコレクションを私たちに見せてくれたのだが、すべてセロファン包装のままだった。そこには彼の生涯の女性(1967年に結婚した3度目の妻でスエーデン人のウラ・トルセル)の同国人であるベルイマンの全映画があった。ユゴー・カサヴェッティ(テレラマ誌音楽ジャーナリスト)と私は彼の何度目かのステージ復帰の機会に合わせたロングインタヴューのためにこの家に二日間に渡って迎えられたのだった。それは2007年のことで、彼は当時83歳だった。耳は少し遠くなっていたようだが、意気は闊達で、ボクシンググローブを吊るす(=引退する)ことなど毛頭考えていない様子だった。

このボクシングの例えは彼に似合っていた。アズナヴールの生涯と芸歴はまさにボクシングの試合のようなものだったから。亡命者の子供だった彼は、パリのアルメニア人コミュニティーの中で育ち、暮らすのがやっとな環境だったが、演劇や音楽の中にささやかな慰めを見出すことができた。そのスターとは程遠い見てくれとくぐもった声で最初はシャンソン界の嫌われ者だった。特にその声は幾多の嘲りの対象となり、英米人たちは「アズナヴォイス」と呼んだ。その彼は戦争と物のない時代を経験したし、食うために雑多な仕事をこなし、なんとか切り抜けた上、芸能学校に通い、自分に誓った約束を忘れなかった。誰も予想もできなかったことに、彼はピアフに見出され、彼女の祝福を受け、ついには国際的スターの座にまで上りつめた。彼の広間の壁の一面には数々のゴールドディスクやいくつかの世界的な雑誌の表紙が飾られていた。それは他に類を見ない彼の芸歴のほんの一片でしかない。作品は800曲以上、それは8カ国語で録音され、売ったアルバム数は世界で1億8千万枚近くに及ぶ。

2日間にわたって彼は私たちの質問に答えた。忍耐強く。彼のデビュー、最初のヒット曲、書くこととの関わり、毎日新しいことを習得しなければ気がすまない本能的な欲求(彼は10歳で学校に行くのをやめた)について彼は語っていった。また彼の公的イメージや彼と金銭との関係についても弁明した。彼はアルメニアについて言及した。「郊外」についても。世界中のつまはじきにされた者たちについて、ずっと前から彼は自分に近いものを感じていたと。彼は大げさでもあり痛ましくもあった。というのはその静かに始まった話は徐々に聞き捨てならない言葉の数々が目立つようになっていったのだから。単刀直入になった。アズナヴールはつけていた超最新式の補聴器を外しテーブルの上に投げ出すことさえしたのだ。この補聴器はずっと彼の気分を害していたに違いない。それからあとは私たちは大きな声で話さなければならなくなったが、話はずっとよくなった。もはやフィルターがなくなったのだから。

2日目、録音機をしまった後、彼は昼食に彼が常連であるらしい小さなレストランに私たちを招待した。気取りなしに。しかしその直前に彼は私たちにその図書室(広間のDVD棚と対をなして広間の反対側にある)を見るようにと言い張ったのだ。そぶりはまったく見せないが、アズナヴールはその個性的な教養が欠如しているということをまたもや自ら証明しようとしていたのだ。そこまで行く途中、別の間があり、彼は大棚を開けてみせた「待ちなさい、これをごらんなさい」… そこにはトロフィーの数々、そしてフランスと外国のファンたちから(多くは外国から)受け取った贈り物の数々が陳列されていた。その中で彼をひときわ喜ばせたらしい彼をモデルにした小さな銅像のことを私はよく覚えている。私はそこで笑いをこぼしたのだが、その笑いを彼には見せなかったということもよく覚えている。まさにこの瞬間、この驚嘆すべき芸歴を持ったこの男が、人がどう言おうが、彼の価値を証明するために畳み掛けてものを見せようとするということをどう考えていいものかわからなくなった。間違いなくこれは、二度と塞がることがなかった古い亀裂のしるしではないか。

そしてそれはステージ上でも同じことがあった。フレンチ・クルーナー、千両役者、驚くほど感動的なことは確かだが、休む暇なく歌から歌へつなぎ、時間の無駄を省き、ファンたちが要求する前にアンコール曲を告げてしまうなど挑発的なところもある。これらのコンサートにおいて、何ら聖化されたものはない。例外は多分彼自身の伝説のみ。そのスペクタクルはアーティスティックな魔法よりも、何らの支障がない簡潔で完璧なプロのパフォーマンスということに重きが置かれていた。しかしそれは2015年のパレ・デ・スポールのコンサートまでのこと。アズナヴールはその時91歳だった。私たちがムーリエス村に訪問した時に比べたら腰は少し曲がっていたかもしれないが、そんなに曲がっていたわけではない。奇妙なことに彼の声は往年の強さと音程の正確さを取り戻していた ー おそらく新しく優秀な補聴器を見つけたのに違いない。しかしなによりも彼は以前よりも身近な存在に見えたのだ。突然若返ったように見える聴衆たちの溢れるような愛情に感動した表情を見せたのである。それ以後、ファンたちはステージ前に駆け寄っていくことができるようになった。30人ほどの人波が急いで寄っていき、耳を聾するばかりの声を張り上げ彼と共にヒット曲の数々を歌う。彼は信じられなかった。こんなに多くの若者たちが彼を祝福しているのを見て、彼は狂喜し仰天した。まさにアズナヴールは彼らの家族的で親密な歴史の一部となったのである。そしてこの夜、彼は私の個人史の一部にもなったのである。

 ヴァレリー・ルウー
(テレラマ誌ウェブ版2018年10月1日)
(↓)2015年パリ、パレ・デ・スポールでのアズナヴール(ライヴDVDのプロモーションヴィデオ)