2022年3月31日木曜日

日本人のおなまえ

Akira Mizubayashi "Reine de coeur"
水林章『ハートの女王』

ランスでの発売が2022年3月10日。2月24日に始まったウクライナの戦争が激化していく中で読んだ「戦争」の本だった。作者もこんな状況で読まれることなど全く考えていなかっただろう。
 『千年の愛』(2017年)、『折れた魂柱』(2020年)に続く水林の三作目のフランス語小説であるが、三作に共通しているがクラシック音楽の楽曲が小説を構成する重要なファクターであり、楽曲のムーヴメントと小説のムーヴメントが抜き難くシンクロしている。これは"水林スタイル”と呼んでいいオリジナリティーではないだろうか。そして最新作と前作『折れた魂柱』に共通するテーマは戦争と音楽であり、戦争が非人間性の淵に立つ人間のぎりぎりの行為であるなら音楽はその淵で人間を救済するものであるかもしれない。戦争で破壊され魂柱を折られたヴァイオリンを再生する人間の物語のように。
 しかしこの新作はその戦争の非人間性/残虐性において、前作と比較が難しいほど惨たらしい。小説の導入部である第一章第一節(p13〜p20)は 読むのが辛くなるほど惨たらしいリアリズムで描写される大日本帝国軍の中国での蛮行シーンである。1945年2月、日本降伏の6ヶ月前、満州で中国人住民をものもろくに食べさせずに強制労働させていた日本軍、そこから脱走を試みたという口実で中国人を処刑する。上官から日本刀を手渡され、皇軍兵士として犯罪者を斬首せよ、と命令される学徒動員二等兵(パリ音楽院に留学していた音楽科学生)ミズカミ。大日本帝国軍紀に定められたとおり、上官の命令は天皇陛下の命令に等しい、背くものは国賊として処罰される、という理屈で命令の執行をせまる上官の極限の恫喝を受けながらも、ミズカミは自分にはできませんと抵抗する。しかしその抵抗もいよいよ限界となり、わなわな震える両手で握り締めた日本刀を哀れな中国人の頭上から振り下ろさんとした時、その極限の極限の時にミズカミの頭の中に強烈な音楽が鳴り響くのである...。
 小説全編を読み終えたあと、この小説の核心はこの第一章第一節の8ページにすべて凝縮されている、ということがわかる。
 第一章で戦争の残酷さは繰り返される。ミズカミの子を孕んだ身で、安全な場所で出産すべくパリを逃れて北上していったアンナ、その避難行の人々の列に空から機銃掃射し、爆弾を落下させるドイツ軍機、周囲には死体...。場所はさらに移り、1945年5月東京、病院看護婦アヤコの帰宅途中、中野区野方の上空から襲ってくる米軍機、身内からはぐれて迷う見知らぬ少女の手を引き、とにかく安全な場所へと駆けて逃げ惑うが、アヤコの気がつくと引いていた手の少女は姿なく握った手だけが残っている...。
 ミズカミ・ジュンは1930年代にパリ音楽院に留学したヴィオラ奏者だったが、日中戦争(1937年〜45年)の激化により1939年にマルセイユから横浜行きの最後の運行汽船に乗り込んで帰日し、召集され1941年から大日本帝国陸軍の兵士となる。パリ滞在中に、ジュンが昼食客の常連となっていた音楽院近くのビストロで働く教員志望の女学生アンナと恋に落ち、戦争で引き裂かれることを知りながら、マルセイユでの最後の夜の交情でアンナは妊娠することになる。マルセイユからの最後の日本航路船「箱根丸」に乗り込む桟橋での最後の抱擁、その最後の最後にジュンはアンナの耳元でこう囁くのだった。
Tu es ma reine, Anna. Oui, ma reine de coeur...
それから二人は文通でのみの交信となるが、敵同士となった両国ゆえそれは途絶えてしまい、アニエスという名の女児が生まれたことだけを知りながらジュンは満州に送られる。そして第一章第一節で描写された”事件”があり、ミズカミは”病気”に倒れ、精神疾患者として日本に送還され、1945年3月東京の陸軍病院に収容される。さまざまな症状を併発して衰弱し、その上頻繁に錯乱発作を起こすミズカミの病状を献身的に世話したのが看護婦アマノ・アヤコ。戦争によって心も体も限界まで破壊尽くされた男は、アヤコの懸命のケアもさりながら、戦争が大カタストロフとして終結に近づき、やがて終戦、廃墟からの生き直しという窓の外の日本の動向ともシンクロして、生の世界に戻ってくる。1945年10月、ミズカミとアヤコは結婚し、翌年男児タカシ誕生。しかし戦争が破壊したミズカミの精神はついに治癒することなく、自らの命を絶って果てる。同じ頃、戦後のフランスで幼いアニエスを育てていたアンナは急性白血病でこの世を去っている。
 すなわち不遇の日本人ヴィオラ奏者ミズカミ・ジュンにはふたりの子供がいた。フランスにアニエス、日本にタカシ。そして小説はミズカミ・ジュンの孫二人の物語なのである。フランス側にマリー=ミズネ・クレマン=メルシオニ、現在パリ交響楽団の第一ヴィオラ奏者となっている。2007年11月、テアトル・デ・シャンゼリゼでパリ交響楽団での初のソリストとしてのコンサート(共演にチェロ奏者ヨー・ヨー・マ!)を終え、RATPバス80番で帰宅途中、同じコンサートから帰る途中の黒マントの初老の紳士と遭遇する。ミズネを今宵のソリストと認めるや当夜の演目のひとつショスタコーヴィチ(その夜は交響曲11番)についての談義があり、降り際にある本を読むように勧められる。書名は『耳は見る、目は聴く L'Oreille voit, l'oeil écoute』、著者名はオットー・タコッシュ(Otto Takosch)。読んでみるとそこには、(名前は伏せられているが)第二次大戦で引き裂かれた日本人ヴィオラ奏者とフランス人女学生の悲恋が...。ミズネはこれは祖母と祖父に起こったことと一致することに衝撃を受け、この著者と会うことを決心する。
 時間は前後し、1993年東京で高校生だったミズカミ・オトヒコは、祖母アヤコの葬儀のあと父タカシからその遺品の中にあった戦時中から書き綴られていた日記と祖父ジュンの満州出征中の日記を託される。パリでのジュンとアンナ、満州、戦争末期のジュンとアヤコの一部始終を知ったオトヒコは、(東京の大学でフランス語を習得し、フランスに渡り、著述家となり)十数年をかけてそのストーリーを小説化し、フランスで発表して文学賞を得るほどの高い評価を受けた。筆名のオットー・タクッシュは自分のニックネームの"Oto"をゲルマン系風に"t”を二つ重ねて"Otto”に、"タコッシュTakosch”は愛する音楽家ショスタコーヴィチ(Chostakovitch)の部分的アナグラムだ、と。(あとで述べるが、この小説はこのように名前に多くの意味が付与されていて...)
 オットー・タコッシュの小説『耳は見る、目は聴く』が引き合わせることになったミズカミ・ジュンの二人の孫、ミズネとオトヒコ。この出会いは作家オトヒコが描いたミズカミ・ジュン像に、さまざまな新しいファクターを加えることになる。ミズネの母アニエスの家の屋根裏にあったアンナの日記、アンナに宛てられたジュンの書簡、写真...。二人はおたがいが収集した遺品を読み直し、吟味し直し、ミズカミ・ジュンがいかに生き、いかに生き延び、いかに死んだかを再構成する。満州で極限の残虐性の淵に立ったジュンを人間として踏みとどまらせたもの、それは音楽家の脳内(あるいは見る耳と聴く目)が奏でたショスタコーヴィチだったという...  。人間性の最後の一片を救済する音楽の力、それを水林章はショスタコーヴィチ交響曲第8番の交響楽団演奏(パリ交響楽団、指揮アンドリス・レンソンス=架空の人物、ヴィオラソリスト:ミズネ)を実況解説する11ページ(p201〜211)の怒涛の筆致で描こうとするのである。ここがこの小説のクライマックスである。ここの部分はCDあるいはストリーミングで件の交響曲全曲1時間聴き通しながら読むというのが、この小説作品に対する礼儀だと思う。
 ショスタコーヴィチは往々にして”ソヴィエト(公式)の作曲家 ”というレッテルが災いして、政治的フィルターで正当な評価がさまたげられていると言われる。この交響曲8番は1942/43年のソ連赤軍とナチスドイツ(+枢軸国)軍の戦闘、いわゆるスターリングラードの戦いにインスパイアされた大曲であるが、1943年の発表に際してはソ連赤軍の英雄的勝利よりも悲惨な戦争の現実が強調された暗い作品とされ評価は低く、さらに社会主義リアリズム路線にそわない前衛芸術をパージする「ジダーノフ批判」政策の標的となって1960年まで上演禁止の処分を受けている。ショスタコーヴィチは政治プロパガンダよりも戦争とその中の人間の悲劇を描くことを選んだ。それがミズカミ・ジュンの脳内で鳴って、人間性は最後の一皮で救済された、という....。小説はショスタコーヴィチ交響楽のパワーを取り込み、その音楽の大波の潮頭を奏でるのがミズネの赤いヴィオラである、という...。
 ミズネは通常愛用の16世紀由来の名器ガスパロ・ダ・サロのヴィオラを弾くのであるが、このショスタコーヴィチ交響曲8番の舞台で、ミズカミ・ジュンが持っていた鈴木政吉製作の赤いヴィオラに持ち替えた、という...。戦争で悲惨の極みを体験したが、こうして音楽の精髄を繋いでくれた三人の祖父母、ジュン、アンナ、アヤコを鎮魂するミズネとオトヒコによる交響楽、という...。これは水林章の小説世界のエモーショナルな劇的構成のベスト・オブみたいなもので 、敬服するしかないではないか。

 さて、いろいろ気にかかるところがあった。まず題名の"Reine de coeur”であるが、私は最初はトランプカードの「ハートのクイーン」を想像したので、なにかこれが"切り札”になるのかな、と思い読み進めて行った。しかし小説にトランプやカードゲームは登場しない。前述のように1939年マルセイユ港でのジュンのアンナへの別れ際の言葉「きみは僕の女王だ、アンナ、僕の心の女王だ...」でしかこの"reine de coeur"は登場しない。フランスではトランプの「ハートのクイーン」は"Dame de coeur"であり"reine"ではない。で、ネットで"Reine de coeur"と検索すると、一番に出てくるのが、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』に出てくるトランプ王国の「ハートの女王」なのである。この女王は気に喰わない人物をすべて斬首刑に処する暴君であり、口をひらけば「首を刎ねろ!」を連発している。この「首を刎ねろ!」は満州でミズカミ・ジュンが上官から命令される言葉と同じである。こういうつながりは考えられるが、この小説に関しては、まさか、と思う。しかしこの"reine"は全く違うものだということが、小説の終わりの方がわかるのだが...。
 日本語ではなくフランス語で書かれた小説ということで、非日本語人読者のために日本がらみのことに説明的にならざるをえない部分があるのはしかたない。これはケベックのフランス語作家アキ・シマザキもよくやることだが、人名や漢字の音読み/訓読みの違いなどに非常に重要な意味を持たせてしまうことがある。シマザキの例で言えば『ホオズキ』(2015年)の中でほおずきを漢字で「鬼灯」と書いて、それを「きとう」と音読みにするというのが小説の核心になっちゃってる、これは非日本語人にしてみれば「へええ、そうなんですか」で日本語の深さに感嘆するハメになる。推理小説の"鍵”みたいな。水林のこの最新小説では、アンナの伯父フェルナンがアンナの死後アニエス(アンナとミズカミの娘)を親代わりで育て、退職後かなりがんばって日本語を習得する。そしてアニエスの娘が生まれた時にファーストネームの半分を日本語で、フェルナンが名付けたのが "Mizuné"という名前。すでにこの時点でフェルナンは「水音(みずね)」という漢字で考えている。水の音、水の音楽、水上(ミズカミ)の音楽... もうこれだけで、この娘の運命が見えてくる名前で、その宿命を引き受けて世界的ヴィオラ奏者に成長する。一方のオトヒコ、漢字で「音彦」は、自殺したミズカミ・ジュンの妻アヤコが、息子タカシの子(すなわち孫)に命名したもの。”音”+”彦”、音の男児、音楽の王子、そうオトヒコはミズネに説明する。するとミズネは激しく反応して「あなたはある意味オルフェ(オルペウス)なのね、竪琴の王子、あなたはオルフェのようにあなたのおじいさんを冥界から連れ戻そうとしているのね」(かなり意訳)と。ここで音彦という名前は全く違うディメンションを獲得してしまうのであるが...。「水」と「彦」、音/音楽で運命的に結ばれている二人は、最終部で実生活でも結ばれてしまう。名前は重要だけど、これでいいのかなぁ。
 昭和後期からの現象だろうか、伝統的な名前にさからってかなり独創的で奇をてらったようなファーストネームが増え、漢字の当て字も法則なく許容されて、字面だけでは読めないような名前がかなり多くなった。芸能人だけではないようで、私の甥の子供たちの漢字名前などはまったく読めない("誓"=ちから、"奈花"=なのは、"燈"=あかし)。二文字三文字で複雑でマルチな意味を持つ名前とか外国起源名当て字とか。話を「ハートの女王」に戻すと、1930年代からミズカミ・ジュンが愛用していたヴィオラは日本の名匠鈴木政吉が作ったものである。その名器は時を超えて、21世紀にフランスのパリ交響楽団の第一ヴィオラ奏者マリー=ミズネ・クレマン=メルシオニによっても奏でられるようになったのだ。お立ち会い、よろしいですか、この赤いヴィオラには実は鈴木政吉によって名前がつけられていた。「麗音」。何と読むと思いますか? ー 「れいね」。2000年代ならまだしも(2000年代では"れおん”と読むかな)、1930年代昭和初期の日本でこれを「れいね」と読める可能性、私はちょっと疑っている。では、これをローマ字表記に転記してみましょう: " r e i n e " となります。フランス式に表音記号的にアクサンをつけて " r é i n é ”と小説の中では書かれてはいるが、元のところは R E I N E 。つまりこの赤いヴィオラは "reine"(女王)という名前がついていた。"Tu es ma reine de coeur"というミズカミ・ジュンのささやきは、わが心の赤いヴィオラとも読めるわけですね ー これは実にきまり悪く思うのですよ、私は。

Akira Mizubayashi "Reine de coeur"
Gallimard刊 2022年3月10日 240ページ 19ユーロ


カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)ショスタコーヴィチ交響曲第8番(一部)


(↓)小説とは何の関係もないが、フランシス・プーランク歌曲「ハートの女王 Reine de coeur」


 

2022年3月20日日曜日

ヒッピーの波、テロの波

Leïla Slimani "Regardez-nous danser"
レイラ・スリマニ『踊る私たちをごらん』

三部作『他人の国(Le pays des autres)』第ニ巻

イラ・スリマニ自身の家族をモデルにした20→21世紀にわたる三代(祖父母・父母・自身)の(大河)物語。第一部に関しては当ブログのここに詳説しているので参照してください。  
 フランス保護領だったモロッコの成人男子として第二次大戦のヨーロッパ戦線に招集され、英雄的な功績のあったアミンと恋に落ちたアルザス地方ミュルーズの女マチルドがその未来をかけて1947年妻としてモロッコ、メクネスに移住、アミンの父から受け継いだ痩せた土地を苦闘の末なんとか果樹園として改造することに成功、しかしモロッコは怒涛の独立闘争へ...。
 第二部の時は1968年。独立/植民者追放を激しい銃火と流血の混沌の中で敢行したモロッコが、その激しさを急激に失い、フランス保護領時代のシステムをそのまま踏襲する形で平静を取り戻し、フランス人をはじめとする旧外国人植民者たちがそのまま土地の新ブルジョワとなって経済を支える。アミンの果樹園は柑橘類の輸出が好調で、アミンはモロッコ人としては例外的な新興の土地の名士に成り上がる。マチルドは敷地内に簡易無料診療所を開設し、主に土地の女性たちの健康管理や医薬品支給を。土地のナイチンゲールとして尊敬される身であるが、同時にしっかりとブルジョワ化もしている。元アルザス地方の競泳選手だったマチルドは、最初猛反対していたアミン(泳げない)を執拗に説得し、屋敷の庭にプールを掘らせることに成功する。欧風ブルジョワ化を嫌いながらも、アミンは成り上がり名士としてその種のブルジョワ(つきあい)交流もしなければならない。そうなるとヨーロッパ人マチルドは俄然要領がよく、そつなくアミンを立て、場を華やかにする。アミンはそれを快く思っていない。根が封建的家父長権威主義的モロッコ(農民)男性であるのだから。そして一応”隠れて”ということになっているが、アミンは外で(金を払ってか払わないでか)さまざまな性関係を持っていることをマチルドは知っていて目をつぶっている。その暗黙の見返りか、マチルドの希望通り、ゲストを多数招いてプールサイドパーティーが可能なほどの豪華プールが出来上がるのである。
 二人の子供のうち長女アイシャは堅物だが抜群の学業成績で、ストラスブール大学に留学して医学を学ぶ。浅黒い肌、縮れた髪、フランスの地方都市で人種差別をまともに受けながらも、勉学への没頭で乗り越え、68年フランスのあの大規模な政治動乱や学生運動にもほとんど感化されることなく、堅物のままモロッコに帰ってくる(離仏直前にストラスブールで、生まれて初めて入った美容院で、”フランソワーズ・アルディーのような髪型に”と頼んで散々な目に遭う悲しくも滑稽なエピソードあり)。
 それにひきかえその弟セリムは、母親ゆずりの水泳の名手でヨーロッパ型の好男子に育つのだが、リセを留年するほどの成績の悪さでバカロレア合格は難しそうな状態。母親には甘やかされているが、「男は男たれ」という伝統盲信のある父親アミンからは役立たずの息子のように疎まれている。第一部でそのアミンの家父長的男性社会原理のために人生を無理やり変えられたのがアミンの美貌の妹セルマ(フランス人飛行士との間に子を宿し、そのスキャンダルを隠蔽するためにアミンの戦時中の部下でアミンの農場主任となっているムーラドと強制的に結婚させ、愛のない夫婦生活と子育てに辟易している)だが、この第二部で同じようにアミンの強権に打ちひしがれているセリムと同じ傷を舐め合う仲になり、やがて情熱的な恋愛へと変貌していくのである... が...。
 そして68年のフランスにも揺さぶられることのなかったアイシャも、ゆるやかにモロッコ新世代とシンクロしていく。メクネスで親友だったモネットに誘われて、その恋人アンリ(経済学の大学教授)の住むカサブランカでのヴァカンス、教授と学生たちの自由討議の中に入っていくアイシャ、そこに現れたアンリの愛弟子で”カール・マルクス”というあだ名で呼ばれるメエディ。この風采の上がらないメガネの青年は、思想のないブルジョワ娘のようにアイシャをあしらうのだが、その毒舌と無礼なさまもアイシャには未体験の衝撃であった。小説はこのメイディがいかにロマネスクな人間であるかをその生い立ちから描写していくのだが、この人物のモデルこそ作者の父親オトマン・スリマニ(1941 - 2007)であり、筆致にひときわ力がこもっているのがわかる。貧しい家庭から身を起こし、独学でフランス語とフランスの歴史文化を学び、マラケッシュでフランス語でその博識の名調子で観光ガイドとしてフランス人たちから絶大な人気を博し、援助を申し出るフランス人のつてでフランスの大学で経済の勉強もした。アンリと出会い、首都ラバトの大学で教鞭を取る可能性も出てきた。そういう展望よりも、自由な人間でありたいメイディは、最もやりたいことは「書くこと」だとアイシャに告白する。文学とは特定されていない。だが、それは壮大な書になるであろうことはアイシャには了解でき、その決意に心動かされるのである。この第二部ではそこまでは明かされないが、このメイディの大いなる野望(書くこと)は(オトマン・スリマニと同じだとすると)果たされないことになる。いきさつは省略するが、このメイディはアイシャを熱愛するやその勢いが止まらなくなり、まだ教授代用員という貧乏身分でありながら、今や大富豪となったベラージ家(当主アミン)の大邸宅の門を叩き、直接アミンの前に現れ「ご令嬢との結婚を許可していただきたい」と申し出る ー このパッセージがこの第二部の名シーン。
 そして弟のセリムもこの1969年夏に大きく運命を変えてしまう。バカロレアなどとうに諦め、叔母セルマとの恋慕/肉欲関係はセルマの夫ムーラドの事故死でいよいよ出口なしとなり、圧死から逃れるべく19歳の繊細な若者は母親マチルドの現金を盗み出し、誰にも告げず西に向かって旅立つ。その道中で出会うのは、あの頃数十万単位でモロッコに押し寄せていたと言われる欧米からのヒッピーたちなのである。イビサ、カトマンズと並んでヒッピーたちの巡礼地とされたのが、モロッコ西部の港町エッサウィラだった。
 あの頃みんなモロッコに行っていた。ローリング・ストーンズ、ドノヴァン、レッド・ゼッペリン、キャット・スティーヴンス、ジム・モリソン、フランク・ザッパ、ジャニス・ジョプリン、ミッシェル・ポルナレフ... 。そしてこのレイラ・スリマニの小説にはジミ・ヘンドリックスが登場する。
(カリム)”俺の親父の名に賭けて言うが、今朝、俺見ちまったんだ。オテル・デ・ジル(hôtel des Iles)の前に高級車が一台停まって、ひとりの男が出てきた。髪の毛の縮れた大柄の黒人で、皮のパンタロンでカウボーイブーツを履いてた、おまえには全く誰だかわからないだろうなぁ!”
セリムは肩をすぼめて「誰なんだい?」
ー ジミ・ヘンドリックスさ!
ー 知らないなぁ
ー なんだって?おまえは本物の田舎者だなぁ。ジミ・ヘンドリックスを知らないって?大スターなんだぞ。今晩そのパーティーに行くからな。おまえ一生忘れないだろうさ。
(p186)

インターネットから拾った情報によると、伝説のギタリスト氏は1969年7月28日(あるいは29日)にカサブランカに逗留し、マラケッシュで一泊するも、海辺の涼気を求めてエッサウィラに至っている。エッサウィア(とその5キロ先のディアバット)でのヘンドリックスの行状についてはさまざまな証言があるが、証拠写真はない。この小説では192ページめでカリムとセリムを含む群衆を前にジミはギターを掻き鳴らすのである。セリムの長い放浪の果て、ヒッピーたちに混じってあらゆるドラッグによるトリップを体験して肉体をボロボロにし、人工の楽園を越えたあとに再び囚われてしまった至上のトランスがこのヘンドリックスのギターによるものだった。セリムは生きて還れるか...。
 モロッコの村人たちはヒッピーたちの大挙移住に寛容だった。動物や子供たちを愛するこの風変わりな西洋人たちは平和的で友好的で、家屋や農園を買ったり借りたりして共同生活をしていた。貧しい人々には仲間のような異邦人たちだった。大量の麻薬消費に政府が目をつぶることができなくなるまでは。短いヒッピー天国だった時期が終わり、モロッコは反動の時代がやってくる。国王ハッサン二世による強権的な政策が始まり、警察による強い監視体制が敷かれる。第一部でモロッコ独立運動の民族派系過激派の前衛として武装闘争していたオマール(アミンの弟)は、今や国王権力の先鋒たる警察幹部になっていて、民主化勢力や反王権勢力を弾圧している。折しも反王権勢力は国王暗殺テロを繰り返し企て、モロッコ版「鉛の時代」(1960年代後半から80年代にかけて極左の武装グループによるテロリズムがヨーロッパや日本で発生した時代)を引き起こした。最も大規模な王政転覆未遂事件は1971年7月10日、首都ラバト郊外のスキラット王宮で開かれた国王42歳誕生日の祝宴を襲撃した軍部によるクーデターで、招待客100人余りが死亡、200人を越す負傷者を出したが、国王は無事だった。(この国王祝宴にメエディも上級公務員として招待されていたのだが、王宮への道中に立ち寄ったカサブランカでアイシャと再会し、その恋の復活という幸運な"足止め”のおかげでクーデターに遭遇しなかった、という劇的展開)。この事件のあと、クーデターを首謀したとされる軍上層部の10人が、国王の令によって、テレビ生中継で公開処刑されるのである(国民は国王命令でこの処刑生中継を見る義務を課せられた ー そのテレビを静観するアミン、その隣で野蛮なむごさに涙が止まらないマチルド、という象徴的なシーンあり)。 
 独立して不安定なまま揺れ動くモロッコが、国王による強権圧政で落ち着こうとする頃、メエディは上級公務員として地位を高め、国の税務責任者となっている。周囲のお都合主義風潮に背を向け、金の力に惑わされず脱税を許さない実直でクリーンな仕事の鬼の高官として鳴らしている。一方アイシャも医師として一人前に成長した。アミンが当初身分が違うとまるで取り合わなかった二人の結婚の件も、ここまできたら認めざるを得ない。マチルドはアイシャを"三国一の花嫁”にすべく、メクネスのベラージ邸での大豪華婚礼祝宴を準備する。アイシャに最高級ドレスを仕立て、ふんだんのシャンパーニュ/牡蠣と甲殻類(モロッコでのガーデンパーティーでは難しいはず)/仕出料理/生演奏楽団/花々の装飾 etc をすべてマチルドの采配で整え、モロッコのハイソサエティをまるごと招待する。故郷アルザスを出てモロッコの荒地に始まったこの冒険はついにこんなところまでたどり着いた、という感慨であろう、マチルドは祝宴前夜眠れない。同じように眠れない当主アミンは、その夜数年ぶりにマチルドの寝室のベッドに潜り込み、二人は無言のうちに性交する。マチルドはこの不義の夫を許している。
 宴はひときわ華やかな大柄西欧美人のマチルドのリードですべてスムーズに進行し、誰もが大満足の態なのだが、アミンは宴の外側に遠巻きにたたずんでいる農園の使用人たちや貧しい人々がこちらを羨んで見ているたくさんの目を認めて、恐怖を感じてしまう。彼らはいつでも私を襲ってこれる、そう命の危険を感じてしまったのだ。それと対照的にマチルドはその人々たちにも宴の食べ物を分けてやり、踊りの輪に入ってらっしゃいと誘うのである...。
 若い国であり、国王が何度も殺されかける不穏な国でもある。それは豪農として成功しながらも明日をも知れぬという不安を持つアミンにも似ている。結婚後首都ラバトの新居に暮らし始めたメエディとアイシャの夫婦生活は愛し合いながらもややぎくしゃくしている。政府高官として日々実直な仕事を履行するメエディにもアミンと同じような不安がある。母親に似ず要領悪く融通も効かないアイシャも医療現場での男尊女卑と格闘している。 モロッコの予期できぬ変化はこの二人に平穏無事な日々を約束しない。終盤323ページめから、来る第三部のイントロのように、それから30年後に監獄の中で「卑怯者として生きるにはどうすればいいのか」と自問するメエディの姿が描かれる。
 しかしこの第二部はその未来を知らぬメクネスの豪農べラージの館で、嬉々としたマチルドが「孫娘誕生」の報せをアミンに伝えるシーンで幕を閉じる。

 盛り沢山の60-70年代物語である。第一部でマチルドがいやというほどぶつかったこの国の"女性の立場”の問題は、第二部でもアイシャがさまざまな現場で打ちのめされていくのだが、"変化”はあまりにもゆるやかにしかやってこない。場末のコールガールにまで身を落としていくセルマ(アミンの妹)は、アイシャやマチルドとは違う現場の証言者としてこの小説に別のディメンションを与えている。そしてセルマが産んだ女児サバーは、発達障害のハンディキャップのため施設に預けられ、マチルドひとりが時々訪問してやるのだが、その施設の待遇は(やんぬるかな万国共通で)人間性を疑いたくなるほどの酷さなのだ。権力に阿る人々、金で動く社会、世の腐敗に目を閉ざさないメエディのたったひとりの闘い。未成年のセリムが飛び込んでいったヒッピーの世界観とドラッグの陶酔、人工の天国...。
 複数の主人公たちが生きた体験をパラレルに語っていくこの370ページの中で、ひときわ興味を引くのは最もロマネスクなキャラクターで描かれるメエディである。その人となり、その理想、その恋愛、その仕事、その葛藤...。ラバトの大学客員教授となったロラン・バルトとの邂逅シーンはこの小説の白眉であろう。それはレイラ・スリマニの父への想いから来るものだろうが、この魅力ある人物はスタンダールが描くそれのように読める。本当にこの人物は「書くこと」の夢を果たせなかったのだろうか。第三部を心待ちにしよう。

Leïla Slimani "Regardez-nous danser" (Le pays des autres, 2)
Gallimard刊 2022年2月3日 370ページ 21ユーロ

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)2022年2月、国営TVフランス5のトーク番組”C à Vous”で『踊る私たちをごらん』(『他人の国』第二部)について語るレイラ・スリマニ


(↓)ジミ・ヘンドリックス「砂の城 Castles made of sand」。モロッコにインスパイアされた曲ということになっているが、録音が1967年、ヘンドリックスのモロッコ滞在が1969年、ということなので...。

2022年3月12日土曜日

This land is your land

2022年2月2日Web版のロプスは二人の"外国人”ゴンクール賞作家、レイラ・スリマニ(モロッコ)とモアメド・ンブーガール・サール(セネガル)の対談記事(←写真)を載せ、記事タイトルを『フランス文学、それはこの二人である!(La littérature française, c'est eux !)』と打ち上げ花火を上げたのだった。

 レイラ・スリマニの三部作『他人の国(Le pays des autres)』の第二部「踊る私たちをごらん (Regardez-nous danser)」は2月3日に刊行され、以来書店ベストセラーを続けているが、私は今日やっと(興奮と共に)読み終わり、現在ブログ記事を準備中である。その第一部に関する紹介記事は、2020年「ラティーナ」誌休刊前最終号(2020年5月号)に書いた。コロナ禍第一波の外出制限令の最中に書かれていて、記事中にも初期コロナ禍に言及している部分がある。第二部の紹介記事を掲載する前に、みなさんには第一部の概略を押さえておいていただきたいので、同ラティーナ誌記事をここに転載する。壮大でプライヴェートな(誰も読んだことのない)モロッコ現代史の始まりを感じていただきたい。

★★★★  ★★★★ ★★★★ ★★★★


この記事は音楽誌ラティーナに連載されていた「それでもセーヌは流れる」(2008 - 2020)で2020年5月号に掲載されたものを、同誌の許可をいただき加筆修正再録したものです。

レイラ・スリマニ『他人の国』第一部を読む

(in ラティーナ誌2020年5月号)

 これを書いているのはフランスで新型コロナウイルス禍緊急対策の外出禁止令が発令されて20日めである。フランスでの爆発的感染拡大を引き起こした発火点と言われているのが、東部フランス、アルザス地方の都市ミュルーズで、2月中旬の1週間この町の新教福音派教会が国内外の信者2500人を動員して催された集会で集団感染が発生し、集会後全国に帰っていった保菌者たちがその土地でさらにウイルスを拡散し、現在の大規模感染となったとされている。  

 2016
年度ゴンクール賞を受賞したモロッコ人(フランスとの二重国籍)作家レイラ・スリマニ(1981年生れ、現在38歳)の待望の新作『他人の国(Le Pays des Autres)』の出発点も奇しくもこのアルザス地方の町ミュルーズである。35日に発売されたこの本はたちまち書店ベストセラーの1位になったが、318日に始まった外出禁止令のために自宅隔離を余儀なくされた市民たちに熟読されたことは間違いない。スリマニのゴンクール賞作品『優しい歌(Chanson douce)(邦訳『ヌヌ完璧なベビーシッター』)は、国内で百万部を売り、国際的には40か国語に翻訳されて特にアメリカとドイツで評価が高く、2019年には映画化(リュシー・ボルルトー監督、主演カリン・ヴィアール、↓写真)もされた。モロッコ東部内陸部の古都メクネス生まれ、父(銀行員→政府高官)と母(医師)の方針でフランス語環境で教育を受けた。18歳でパリに留学、2006年から4年間アフリカ時事週刊誌ジューヌ・アフリックのジャーナリストとして筆を奮っている。ベビー・シッターによる幼児殺人という三面記事事件から複雑な社会的心理的な悲劇を編み出し、トルーマン・カポーティ的と評された『優しい歌』のジャーナリスト的アプローチはこの時期に培われている。また2017年に発表した『セックスと嘘』(モロッコにおける女性たちの性的悲惨を告発する証言集)ではその現場取材能力が際立っている。この本で顕著なようにスリマニは行動的フェミニストであり、政治的発言も多く、特に移民難民受け入れに力を注いでいる活動家でもある。
 2017年大統領選挙でエマニュエル・マクロンを支援(スリマニは後に「相手が極右マリーヌ・ル・ペンであったが故の当然の支持であり、それ以上でも以下でもない」と弁解)した功に応えて、当選後マクロンがスリマニを文化大臣に推挙したが辞退、しかし再度請われてフランコフォニー(フランス語圏世界)特別大使に就任している。言わばマクロン政権の高官“におさまったわけだが、その後もマクロンの移民政策や排外主義的失言に対して痛烈な批判を行なっていて、自由な言論人の姿勢は一切失われていない。ここがこの作家の最も信頼できるところなのだ。

 さて三部作構成となる『他人の国』の構想は壮大である。発売された第一巻が
366ページの厚さであり、三巻では千ページを越す大河小説“になるであろう。これはスリマニの実の祖父母をモデルにした、フランス人女性とモロッコ人男性の夫婦が第二次大戦後のモロッコで開拓農家の生活を始め、その十年でフランス保護領からモロッコが独立するという大変動に巻き込まれる、というのが第一部。続く第二部はその娘の世代が体験することになるモロッコの「鉛の時代」(1970年代から99年までの国王ハッサン二世統治下の民主勢力弾圧の時代)、そして第三部はその孫(すなわちレイラ・スリマニ世代)が見ることになるイスラム原理主義台頭や「アラブの春」が起こる2010年代まで。すなわち作家に親密で身近な大衆的視点で描いたモロッコ現代史絵巻きなのである。著者の言ではこれはモロッコでは本当に少ないらしい。隣国アルジェリアは悲劇的に激烈だった独立戦争のゆえに多くの文学作品や映画が証言として残された。スリマニはモロッコでその現代史を証言するおそらく最初の文学者となるかもしれない。

 『他人の国』第一巻は「戦争、戦争、戦争」と副題されている。戦争の中で出会った二人が、新たな土地で実りある生活を建てていくつもりが、そこでの生活も戦争、さらに「独立」という自分たちが敵なのか味方なのかわからない戦争に巻き込まれていく。戦争しか知らない大人たち。この第一巻の主人公の名はマチルドと言う。ドイツとスイスと国境を分かつフランス東部アルザス地方ミュルーズの豪傑実業家の娘。大柄で水泳が得意で自立心の強い(当時の)先進女性。しかしその若い日々は第二次大戦によってあらゆる可能性が閉ざされていた。
1944年、ドイツ占領からその町を解放した連合軍兵士の中に、“自由フランス”に召集され参戦したモロッコ人兵士アミンがいた。“フランス”兵として欧州戦線に送られ、捕虜になるも集団脱走して再び解放の最前線に出て、英雄としてフランスの町々で迎えられたこの小柄な男は、ミュルーズ市民たちの感謝歓迎の食事宴で給仕していたマチルドと出会う。二人は恋に落ち結婚する。浅黒い肌の解放の英雄は、マチルドの未来も解放するはずだった。アルザス女はその希望に賭け、1947年モロッコ、メクネスへ移住する。

 夫アミンがその亡き父親から譲り受けた石だらけの荒地を開墾し、果樹園とオリーヴ農園に改造すること。難題を山積みにしたこのプロジェクトにもっぱらアミンは情熱を集中し、マチルドはそれを
土地の女“のように支えなければならない。アミンは妻がこの土地で生きる女として同化することを望むが、それは叶うわけがない。アミンの老母ムイラナの家族との同居がマチルドの土地同化の最初の訓練期間であったが、なんとかアラブ語を覚えその家庭内で女たちと調和的に振る舞うことには慣れても、新聞や書物を読む欧州女はどうしても浮いてしまう。またその地のフランス人植民者社会は、この原住民(= indigèneアンディジェーヌ。スリマニはこの小説でこの植民地主義的な呼称をあえて使っている)に嫁いだ奇妙なアルザス娘を訝しげに見る。それはフランス人の男が現地の女を娶る場合(大部分がそうであるが)には、植民地的征服のロジックに適ってごく当たり前のことと見られるが、その逆、すなわち現地の男がフランス女を妻にするのは異常なことであり、白人欧州人の人種的優越心を逆撫でするものなのだ。マチルドはこうしてモロッコ人からもフランス人からもよそ者としてはじかれる境遇を生きなければならなかった。

 イスラム伝統の家父長制度/男性原理社会の圧力ともマチルドは戦わなければならなかったが、夫アミンは口癖のように
“Ici c’est comme ça(ここの流儀だから)とマチルドを諭すのだった。それでも時代は20世紀の半ばを過ぎる頃で、女性はこれまで敷かれてきたレールに沿うことなく自立開花しようとしていた。ムイラナの末娘(アミンの妹)のセルマはフランス語も話せる聡明で美しいティーンネイジャーであり、高圧的で暴力的な兄オマール(アミンの弟)によるさまざまな禁止強制(女に学問は要らないから学校へ行くな、肌を晒すな、ひとりで街を歩くな)にも関わらず、反抗的で封建的道徳から解放されたいと望んでいる。マチルドはこの少女に加担したいが、そうすれば老いたムイラナの家族は崩壊してしまうと感づいている。

 アミンの弟オマールも職のない不良であり、戦争中フランス軍の中で功を成した兄への負い目と敵愾心から、植民国フランスを憎んでモロッコ民族主義に感化され、独立運動の地下組織に合流し、フランス統治施設や植民者たちを襲撃する前衛隊員となって行方不明になる。老母ムイラナはこの出来の悪い息子の安否が気がかりで病弱化し、アミンに必ずオマールを連れ戻すよう嘆願する。

 アミンの農園はアミンの涙ぐましい努力にも関わらず、土質の悪さのせいで開墾が思うように行かず、機械化も進まず、詐欺師にかかって大損をしたり、彼が夢見たカリフォルニア型農園とは程遠い。だがその情熱は懲りることなく保たれていて、夫婦の口論は絶えないが、きつきつの生活に耐えてマチルドも彼を支援するしかなかった。

 しかしマチルドが絶対に譲らないのは子供の教育のことであり、長女アイシャはどんな困難があってもメクネスのカトリック系寄宿学校でフランス語教育を受けさせる、と。このアイシャが大河小説『他人の国』の第二部の中心人物となるはずであるが、この第一部では
6歳から8歳の年端のいかぬ“時期での登場である。このアイシャが幼少時から一身に背負うのは混血の問題である。混血の特性として今日私たちが安易に考えるような「いいとこ取り」などないとスリマニは断言する。混血の負性に関してこの小説はこういう象徴的な挿話を持ってくる。アミンがアイシャのために特別にオレンジの木にレモンの木を接木して新しい品種をつくる。アイシャはこれをシトランジェ(citronnier + oranger = citrangerと名付け、実の成るのを楽しみにしていたが、何年か後出来た実は苦くて食べられたものではない。欧州白人(美人)と北アフリカ人(美男)の間に生まれたアイシャは、手足が長く縮れ髪の女の子で、家計のせいで身なりが貧しく、植民者ブルジョワ子女ばかりのカトリック寄宿学校で、馬鹿にされ苛められる。そのアイシャが苦境に打ち勝っていくには、二つのことが救いとなっている。ひとつは誰よりも成績優秀な頭脳があったこと、もうひとつはキリスト教信仰に篤く神秘的な体験も訪れたこと。この少女がこの三部作で最もロマネスクな登場人物となるであろうことは容易に予想できる。

 だがこの第一部の核はアルザス女マチルドがいかに
土地の女“に変貌していくか、なのである。カレン・ブリクセンやパール・バックを熱読してエキゾティックな新天地での冒険を夢想していた彼女は、1947年に夫の待つアフリカ大陸のモロッコに降り立った時から、その土地が自分に露骨な敵意を向けていることを理解する。気候風土や宗教習俗の違いだけではない。悪戦苦闘の連続でこの土地に馴染もうとする彼女がどこまで行ってもつきまとう「よそ者」感の元は、フランス保護領という名の”植民地モロッコ“なのである。モロッコに移住してからの10年間、それは世界的には第二次大戦後の多くの列強植民地が独立の蠕動を見ていた時期である。1954年フランスはディエン・ビエン・フーの戦いに敗れインドシナ半島を失った。アミンの第二次大戦時の戦友(部下)で、のちにアミンの農場の作業主任となるムラードは、フランス兵としてこのインドシナ戦争に動員され、戦場トラウマを抱えてモロッコに帰ってくる。アミンは第二次大戦での功績を称えられてフランスから勲章をもらっているが、そのことはこの情勢では負い目に見られる。そしてこの男の妻はフランス人である。親しい交流などなかったフランス人植民者たちは、迫りくる独立派の武装闘争を恐れて「内地」へと逃げていく。

 マチルドは農家主婦の仕事のかたわら、ヨーロッパでの基礎的な保健知識を生かして、封建的なしきたりによって医者にかかれないでいる土地の女たちのために、家の片隅に小さな看護診療所を開設する。最初は魔女扱いを受けるのだが、衛生保健の問題に多々直面する女たちに信頼を勝ち得て、簡易診療所には長い列ができるようになる。アミンの訝しげな視線にも関わらず、マチルドはこの村里で小さな存在感を獲得していく。

 しかしナショナリズム(独立派)は急速に勢力を伸ばして過激さを増し、白人社会への無差別攻撃は村里にまで近づいてくる。ここでアミンとマチルドが問うのは「どちら側につくのか」ということではない。少年時にルワンダ虐殺を体験したガエル・ファイユの小説『小さな国』
(2016)で「ツチ族につくのかフツ族につくのか」という問いが迫り来る殺戮の前で何の意味もない、という状況と同じだ。どちらからも排除されているアミンとマチルドにとって、これは「他人の国」の出来事なのである。

 先に書いたようにアミンの弟のオマールは独立運動の地下組織に入り、武装闘争を展開している。これはオマールにとってモロッコを他人の国から自分の国に取り戻すための闘いだった。そのオマールから暴力的に行動の自由を制限されていた妹のセルマにとって、イスラム伝統で女性たちを縛り付けているモロッコ社会に自分の居場所はなく、他人の国であった。恋をし、女として開花する逃走の旅を寸前で止めたのは兄のアミンだった。マチルドはそれをどうすることもできない。夫婦も家族も共同体も国もバラバラに崩壊しようとしていたのを、この小説はその
322ページめで、アミンの采配で、イスラム法学士の前でマチルドをイスラムに改宗させ、セルマをムーラド(かつての部下、農園の作業班長)と結婚させることで、崩壊を食い止めるのである。この苦渋のアレンジメントを記憶に固く刻印するのが少女アイシャだった。
  
終盤は誰が味方で誰が敵かなどお構いなく、周りの農園は次々に焼き討ちに遭い、火の手はいよいよアミンとマチルドの農園に迫ってくる


 女であること、よそ者であること、異教徒であること、奇妙な国際結婚をした妻であること、乾いた太陽の下の土と汗の匂いを感じさせる女性の波乱の半生。兵士、農民、植民者、山師、旧奴隷、カトリック修道女、娼婦、性転換手術の腕で財を成した医師、村里の子たちのために貸本をする老フランス女性
生き生きとした多彩な登場人物の数々によってバルザック人間喜劇を思わせる庶民目線の物語。第二次大戦から植民地独立までのクロノロジーであるが、この小説では「独立」「自由」「勝利」といったポジティヴな熱狂がない。フランスのために動員されたモロッコの若者たちは、解放の英雄と褒め称えられるが、ひとたびその戦争が終わればまたただの“原住民”に戻る。植民地の学校は自由と進歩を教えるが、ひとたび“原住民”がそれを得ようとすると徹底的に弾圧する。スリマニの小説は、この歴史的事件の当事者でありながら、当事者であることを予め拒否されているような複雑な「よそ者」群像を描く。そして凡百の歴史絵巻ものにありがちな“男がつくる歴史”とは全く縁がない。植民地支配に従属された社会では、女たちは二重に従属させられている。アミンを支え、アミンを立て、アミンに概ね従うマチルドにも、そこは絶対に譲らないという局面が少なからずある。アミンの“Ici c’est comme ça(ここの流儀だから)という無説明のリクツを拒否する場合がある。この反抗こそがこの女性の傑物たるところであり、この小説の宝である。そしてレイラ・スリマニも現代文学の宝である。

 近い将来にこの第二部、第三部を紹介することができずに、この連載の幕を閉じるのは残念至極であるが、
“Ici c’est comme ça(ここの流儀だから)と言い訳して終わろう。


(ラティーナ誌2020年5月号・向風三郎「それでもセーヌは流れる」)


(↓)フランス国営TVフランス5の「ラ・グランド・リブレーリー」(2020年2月)で『他人の国』を語るレイラ・スリマニ


2022年3月6日日曜日

柔よく剛を制す

"Robuste"
『頑強』


2021年フランス映画
監督:コンスタンス・メイエール
主演:ジェラール・ドパルデュー、デボラ・リュクムエナ
音楽;バビックス(Babx)
フランスでの公開:2022年3月2日


イトルとポスターにまどわされて、笑いとペーソス込みの巨体同士ふたりの友情物語を想像するかもしれないが、全然そんな簡単なものではない。がっしりした手応え、という想像は当たっているかもしれない。しかし簡単なものではない。
 ジョルジュ(演ジェラール・ドパルデュー)は往年の大映画スターであるが、黄昏れて、すべてに嫌気がさし、一片の熱意もない状態で俳優業を続けている。四六時中ものを食べていて、周囲に不平ばかりこぼし、打ち合わせを勝手にすっぽかし、監督はじめ撮影スタッフとのコミュニケーションが難しく、セリフをよく覚えられない...。ジェラール・ドパルデューそのものではないか。若い女流監督コンスタンス・メイエールがその初監督長編映画に、ジェラール・ドパルデューにこんや役どころをぶつけた。それを受けたドパルデューが、地のままのような気難しい斜陽大スターを演じる。ここでものを言うのはその体躯のような「器の大きさ」なのだ。言わずもがなだが、ただものではない。
 そのジョルジュの暮らしぶりの描写がなかなか興味深い。あのクラスのスターなので奥まったヴィラのような一軒家に住み、池坊(系)の前衛庭師がしょっちゅう手を入れてるポストモダンな幾何学的仙水と庭園があり、屋内ジムとプール、光の入らない一室に巨大な水槽があり深海魚チョウチンアンコウを4尾飼っている。ジョルジュはこの深海魚との対話の時間が無上に心が落ち着くようだ。お抱えのスタイリスト、お抱えのフェイス/ヘアーメイク、お抱えのリラクゼーション師... (表立って画面に出ないが、性欲処理役もあるようなほのめかしが...)。そんな中にジャーマネ、弁護士、映画制作スタッフなどが入れ替わり立ち替わり。そのすべてをコントロールし、ジョルジュがスケジュール通りにすべてをこなせるようはからうというたいへんな仕事を受け持っているのが、ガードマン会社から派遣されたラルー(演スティーヴ・チエンチュー)で、ボディーガード/運転手/秘書/家事采配/台本読み合わせの相手... などをひとりでこなしている。映画はそのラルーが1ヶ月のヴァカンスに出るところから始まる。ジョルジュは気が気ではない。たった一人の頼れる男ラルーなしで過ごす日々を考えただけで気が遠くなる。ラルーの出発前、深夜だろうがなんだろうがラルーに電話して「明日の朝来てくれないか?」「ヴァカンスからはいつ帰るのか?」と駄々っ子のように問い詰める。そう、まさに手のかかる駄々っ子でしかない大男なのである。

 そしてラルーの代役で送られてきたのが25歳の巨漢女性アイサ(演デボラ・リュクムエナ)だった。現役レスリング選手であり、頑強な肉体を持ったアイサだが、ジョルジュはこの女にラルーの代わりがつとまるわけがない、という冷ややかな迎え方で、ハラスメントまがいの仕打ちすらする。アイサはラルーから聞いたことの数倍難しい"ベビーシッティング"であることを思い知るが、この老スターの孤独も見抜いてしまう。
 この映画が優れているのは、"スター”の事情だけを軸に据えるのではなく、アイサ側の事情も同じように重要に扱われていることで、黒人でことと巨体であることが予め持ってしまう風当たりのほかに、"スポーツ”に賭ける人間たちの不安定さも映像化している。この地区コンペ止まりのスポーツ選手たちはその情熱だけで食べていくわけにもいかず、警備員などの不安定で時間が不規則な職業で食いつなぎながら次のコンペのためにジムでのトレーニングを続けている。25歳のアイサは将来の不安が大きな影になっている。そんな格闘技ジムで同じような不安を抱えながら、不規則な時間の合間を縫って会って友情を温め合う仲間がいる。同じレスリング選手で軽量級のコスミナ(演メガン・ノルタム)はバーテンダーとして働く"夜の女”で、この濃い友情はほぼ同性愛に見える。もうひとり、仏式キックボクシング(サヴァット)の選手エディー(演リュカ・モルティエ)はシャイな優男で、アイサとは肉体関係ありのいい感じの友だちだが、アイサはこれが恋愛ではないということを知っている。アイサも壊れやすい世界にいるということなのだ。

 そこから遥かに離れた大スターの世界をアイサは発見していく。すべてに嫌気がさし、あらゆる不平不満の言葉で周囲を呪い、逃げ出すチャンスばかり伺っている。時には追いかけごっこをしてジョルジュを捕まえなければならない。衝突も嫌がらせもあったが、この若い娘はラルーと同じほど仕事ができる、いや、ラルー以上にできる、ということがジョルジュにもわかってくる。そしてジョルジュの恒常的な問題であった不眠症、医師からは心因によるもので内部疾患はないと言われているが、長い眠れない夜に発作的に全身が硬化し呼吸困難になることがある。そのどうしようもなく苦しい状態に陥った場に居合わせたアイサは、ジョルジュの巨体を背後から抱き抱え、気合と共に柔道整復師(あるいは整体師)の技(↑写真)でジョルジュを一発で楽にさせたのである。この時からジョルジュとアイサの関係は一挙に雪解ける。
 ジョルジュは少しずつ変わる。ろくすっぽ考えたこともなかった台本のセリフを熟考してみたり、ジョルジュ邸の駐車場入り口で毎日ジョルジュの"出待ち”をしている中年女性ファン(この女性はジョルジュに捧げた自作詩をジョルジュに手渡したくて毎日毎日"出待ち”している)に声かけて”お茶”してみたり(このエピソードはちょっと感動的)...。そしてアイサのことをもっと知りたくて、アイサのレスリングの試合を見にいくのである。しかしアイサは(そのことはジョルジュが知るよしもないが)ジョルジュの”お守り”の激務のせいで練習もおろそかになりがちだったために、試合は完敗してしまう...。
 出会いがあれば別れがある。映画は二人を結びつけることなく終盤に向かうが、この巨体ふたつの繊細な接点がどう二人を変えていったのか、というのを想うのだね、観客は、映画館を出ながら。アイサには、不安定な職業環境を脱して、ジムのレスリングコーチとして後進の指導にあたる、という未来をこの映画は与えている。そしてジョルジュには、たぶん俳優としての違う可能性が見えてきたんじゃないの?たぶん。ほんと"たぶん”でしかないほのめかしの終わり方。それゆえに、この映画は大男優ジェラール・ドパルデューへの素晴らしい贈りものなのではないの?たぶん。

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)『ロビュスト(頑強)』予告編



(↓)挿入歌:ミッシェル・ベルジェ"Quelques mots d'amour"(1980年)しみじみ名曲