2022年3月20日日曜日

ヒッピーの波、テロの波

Leïla Slimani "Regardez-nous danser"
レイラ・スリマニ『踊る私たちをごらん』

三部作『他人の国(Le pays des autres)』第ニ巻

イラ・スリマニ自身の家族をモデルにした20→21世紀にわたる三代(祖父母・父母・自身)の(大河)物語。第一部に関しては当ブログのここに詳説しているので参照してください。  
 フランス保護領だったモロッコの成人男子として第二次大戦のヨーロッパ戦線に招集され、英雄的な功績のあったアミンと恋に落ちたアルザス地方ミュルーズの女マチルドがその未来をかけて1947年妻としてモロッコ、メクネスに移住、アミンの父から受け継いだ痩せた土地を苦闘の末なんとか果樹園として改造することに成功、しかしモロッコは怒涛の独立闘争へ...。
 第二部の時は1968年。独立/植民者追放を激しい銃火と流血の混沌の中で敢行したモロッコが、その激しさを急激に失い、フランス保護領時代のシステムをそのまま踏襲する形で平静を取り戻し、フランス人をはじめとする旧外国人植民者たちがそのまま土地の新ブルジョワとなって経済を支える。アミンの果樹園は柑橘類の輸出が好調で、アミンはモロッコ人としては例外的な新興の土地の名士に成り上がる。マチルドは敷地内に簡易無料診療所を開設し、主に土地の女性たちの健康管理や医薬品支給を。土地のナイチンゲールとして尊敬される身であるが、同時にしっかりとブルジョワ化もしている。元アルザス地方の競泳選手だったマチルドは、最初猛反対していたアミン(泳げない)を執拗に説得し、屋敷の庭にプールを掘らせることに成功する。欧風ブルジョワ化を嫌いながらも、アミンは成り上がり名士としてその種のブルジョワ(つきあい)交流もしなければならない。そうなるとヨーロッパ人マチルドは俄然要領がよく、そつなくアミンを立て、場を華やかにする。アミンはそれを快く思っていない。根が封建的家父長権威主義的モロッコ(農民)男性であるのだから。そして一応”隠れて”ということになっているが、アミンは外で(金を払ってか払わないでか)さまざまな性関係を持っていることをマチルドは知っていて目をつぶっている。その暗黙の見返りか、マチルドの希望通り、ゲストを多数招いてプールサイドパーティーが可能なほどの豪華プールが出来上がるのである。
 二人の子供のうち長女アイシャは堅物だが抜群の学業成績で、ストラスブール大学に留学して医学を学ぶ。浅黒い肌、縮れた髪、フランスの地方都市で人種差別をまともに受けながらも、勉学への没頭で乗り越え、68年フランスのあの大規模な政治動乱や学生運動にもほとんど感化されることなく、堅物のままモロッコに帰ってくる(離仏直前にストラスブールで、生まれて初めて入った美容院で、”フランソワーズ・アルディーのような髪型に”と頼んで散々な目に遭う悲しくも滑稽なエピソードあり)。
 それにひきかえその弟セリムは、母親ゆずりの水泳の名手でヨーロッパ型の好男子に育つのだが、リセを留年するほどの成績の悪さでバカロレア合格は難しそうな状態。母親には甘やかされているが、「男は男たれ」という伝統盲信のある父親アミンからは役立たずの息子のように疎まれている。第一部でそのアミンの家父長的男性社会原理のために人生を無理やり変えられたのがアミンの美貌の妹セルマ(フランス人飛行士との間に子を宿し、そのスキャンダルを隠蔽するためにアミンの戦時中の部下でアミンの農場主任となっているムーラドと強制的に結婚させ、愛のない夫婦生活と子育てに辟易している)だが、この第二部で同じようにアミンの強権に打ちひしがれているセリムと同じ傷を舐め合う仲になり、やがて情熱的な恋愛へと変貌していくのである... が...。
 そして68年のフランスにも揺さぶられることのなかったアイシャも、ゆるやかにモロッコ新世代とシンクロしていく。メクネスで親友だったモネットに誘われて、その恋人アンリ(経済学の大学教授)の住むカサブランカでのヴァカンス、教授と学生たちの自由討議の中に入っていくアイシャ、そこに現れたアンリの愛弟子で”カール・マルクス”というあだ名で呼ばれるメエディ。この風采の上がらないメガネの青年は、思想のないブルジョワ娘のようにアイシャをあしらうのだが、その毒舌と無礼なさまもアイシャには未体験の衝撃であった。小説はこのメイディがいかにロマネスクな人間であるかをその生い立ちから描写していくのだが、この人物のモデルこそ作者の父親オトマン・スリマニ(1941 - 2007)であり、筆致にひときわ力がこもっているのがわかる。貧しい家庭から身を起こし、独学でフランス語とフランスの歴史文化を学び、マラケッシュでフランス語でその博識の名調子で観光ガイドとしてフランス人たちから絶大な人気を博し、援助を申し出るフランス人のつてでフランスの大学で経済の勉強もした。アンリと出会い、首都ラバトの大学で教鞭を取る可能性も出てきた。そういう展望よりも、自由な人間でありたいメイディは、最もやりたいことは「書くこと」だとアイシャに告白する。文学とは特定されていない。だが、それは壮大な書になるであろうことはアイシャには了解でき、その決意に心動かされるのである。この第二部ではそこまでは明かされないが、このメイディの大いなる野望(書くこと)は(オトマン・スリマニと同じだとすると)果たされないことになる。いきさつは省略するが、このメイディはアイシャを熱愛するやその勢いが止まらなくなり、まだ教授代用員という貧乏身分でありながら、今や大富豪となったベラージ家(当主アミン)の大邸宅の門を叩き、直接アミンの前に現れ「ご令嬢との結婚を許可していただきたい」と申し出る ー このパッセージがこの第二部の名シーン。
 そして弟のセリムもこの1969年夏に大きく運命を変えてしまう。バカロレアなどとうに諦め、叔母セルマとの恋慕/肉欲関係はセルマの夫ムーラドの事故死でいよいよ出口なしとなり、圧死から逃れるべく19歳の繊細な若者は母親マチルドの現金を盗み出し、誰にも告げず西に向かって旅立つ。その道中で出会うのは、あの頃数十万単位でモロッコに押し寄せていたと言われる欧米からのヒッピーたちなのである。イビサ、カトマンズと並んでヒッピーたちの巡礼地とされたのが、モロッコ西部の港町エッサウィラだった。
 あの頃みんなモロッコに行っていた。ローリング・ストーンズ、ドノヴァン、レッド・ゼッペリン、キャット・スティーヴンス、ジム・モリソン、フランク・ザッパ、ジャニス・ジョプリン、ミッシェル・ポルナレフ... 。そしてこのレイラ・スリマニの小説にはジミ・ヘンドリックスが登場する。
(カリム)”俺の親父の名に賭けて言うが、今朝、俺見ちまったんだ。オテル・デ・ジル(hôtel des Iles)の前に高級車が一台停まって、ひとりの男が出てきた。髪の毛の縮れた大柄の黒人で、皮のパンタロンでカウボーイブーツを履いてた、おまえには全く誰だかわからないだろうなぁ!”
セリムは肩をすぼめて「誰なんだい?」
ー ジミ・ヘンドリックスさ!
ー 知らないなぁ
ー なんだって?おまえは本物の田舎者だなぁ。ジミ・ヘンドリックスを知らないって?大スターなんだぞ。今晩そのパーティーに行くからな。おまえ一生忘れないだろうさ。
(p186)

インターネットから拾った情報によると、伝説のギタリスト氏は1969年7月28日(あるいは29日)にカサブランカに逗留し、マラケッシュで一泊するも、海辺の涼気を求めてエッサウィラに至っている。エッサウィア(とその5キロ先のディアバット)でのヘンドリックスの行状についてはさまざまな証言があるが、証拠写真はない。この小説では192ページめでカリムとセリムを含む群衆を前にジミはギターを掻き鳴らすのである。セリムの長い放浪の果て、ヒッピーたちに混じってあらゆるドラッグによるトリップを体験して肉体をボロボロにし、人工の楽園を越えたあとに再び囚われてしまった至上のトランスがこのヘンドリックスのギターによるものだった。セリムは生きて還れるか...。
 モロッコの村人たちはヒッピーたちの大挙移住に寛容だった。動物や子供たちを愛するこの風変わりな西洋人たちは平和的で友好的で、家屋や農園を買ったり借りたりして共同生活をしていた。貧しい人々には仲間のような異邦人たちだった。大量の麻薬消費に政府が目をつぶることができなくなるまでは。短いヒッピー天国だった時期が終わり、モロッコは反動の時代がやってくる。国王ハッサン二世による強権的な政策が始まり、警察による強い監視体制が敷かれる。第一部でモロッコ独立運動の民族派系過激派の前衛として武装闘争していたオマール(アミンの弟)は、今や国王権力の先鋒たる警察幹部になっていて、民主化勢力や反王権勢力を弾圧している。折しも反王権勢力は国王暗殺テロを繰り返し企て、モロッコ版「鉛の時代」(1960年代後半から80年代にかけて極左の武装グループによるテロリズムがヨーロッパや日本で発生した時代)を引き起こした。最も大規模な王政転覆未遂事件は1971年7月10日、首都ラバト郊外のスキラット王宮で開かれた国王42歳誕生日の祝宴を襲撃した軍部によるクーデターで、招待客100人余りが死亡、200人を越す負傷者を出したが、国王は無事だった。(この国王祝宴にメエディも上級公務員として招待されていたのだが、王宮への道中に立ち寄ったカサブランカでアイシャと再会し、その恋の復活という幸運な"足止め”のおかげでクーデターに遭遇しなかった、という劇的展開)。この事件のあと、クーデターを首謀したとされる軍上層部の10人が、国王の令によって、テレビ生中継で公開処刑されるのである(国民は国王命令でこの処刑生中継を見る義務を課せられた ー そのテレビを静観するアミン、その隣で野蛮なむごさに涙が止まらないマチルド、という象徴的なシーンあり)。 
 独立して不安定なまま揺れ動くモロッコが、国王による強権圧政で落ち着こうとする頃、メエディは上級公務員として地位を高め、国の税務責任者となっている。周囲のお都合主義風潮に背を向け、金の力に惑わされず脱税を許さない実直でクリーンな仕事の鬼の高官として鳴らしている。一方アイシャも医師として一人前に成長した。アミンが当初身分が違うとまるで取り合わなかった二人の結婚の件も、ここまできたら認めざるを得ない。マチルドはアイシャを"三国一の花嫁”にすべく、メクネスのベラージ邸での大豪華婚礼祝宴を準備する。アイシャに最高級ドレスを仕立て、ふんだんのシャンパーニュ/牡蠣と甲殻類(モロッコでのガーデンパーティーでは難しいはず)/仕出料理/生演奏楽団/花々の装飾 etc をすべてマチルドの采配で整え、モロッコのハイソサエティをまるごと招待する。故郷アルザスを出てモロッコの荒地に始まったこの冒険はついにこんなところまでたどり着いた、という感慨であろう、マチルドは祝宴前夜眠れない。同じように眠れない当主アミンは、その夜数年ぶりにマチルドの寝室のベッドに潜り込み、二人は無言のうちに性交する。マチルドはこの不義の夫を許している。
 宴はひときわ華やかな大柄西欧美人のマチルドのリードですべてスムーズに進行し、誰もが大満足の態なのだが、アミンは宴の外側に遠巻きにたたずんでいる農園の使用人たちや貧しい人々がこちらを羨んで見ているたくさんの目を認めて、恐怖を感じてしまう。彼らはいつでも私を襲ってこれる、そう命の危険を感じてしまったのだ。それと対照的にマチルドはその人々たちにも宴の食べ物を分けてやり、踊りの輪に入ってらっしゃいと誘うのである...。
 若い国であり、国王が何度も殺されかける不穏な国でもある。それは豪農として成功しながらも明日をも知れぬという不安を持つアミンにも似ている。結婚後首都ラバトの新居に暮らし始めたメエディとアイシャの夫婦生活は愛し合いながらもややぎくしゃくしている。政府高官として日々実直な仕事を履行するメエディにもアミンと同じような不安がある。母親に似ず要領悪く融通も効かないアイシャも医療現場での男尊女卑と格闘している。 モロッコの予期できぬ変化はこの二人に平穏無事な日々を約束しない。終盤323ページめから、来る第三部のイントロのように、それから30年後に監獄の中で「卑怯者として生きるにはどうすればいいのか」と自問するメエディの姿が描かれる。
 しかしこの第二部はその未来を知らぬメクネスの豪農べラージの館で、嬉々としたマチルドが「孫娘誕生」の報せをアミンに伝えるシーンで幕を閉じる。

 盛り沢山の60-70年代物語である。第一部でマチルドがいやというほどぶつかったこの国の"女性の立場”の問題は、第二部でもアイシャがさまざまな現場で打ちのめされていくのだが、"変化”はあまりにもゆるやかにしかやってこない。場末のコールガールにまで身を落としていくセルマ(アミンの妹)は、アイシャやマチルドとは違う現場の証言者としてこの小説に別のディメンションを与えている。そしてセルマが産んだ女児サバーは、発達障害のハンディキャップのため施設に預けられ、マチルドひとりが時々訪問してやるのだが、その施設の待遇は(やんぬるかな万国共通で)人間性を疑いたくなるほどの酷さなのだ。権力に阿る人々、金で動く社会、世の腐敗に目を閉ざさないメエディのたったひとりの闘い。未成年のセリムが飛び込んでいったヒッピーの世界観とドラッグの陶酔、人工の天国...。
 複数の主人公たちが生きた体験をパラレルに語っていくこの370ページの中で、ひときわ興味を引くのは最もロマネスクなキャラクターで描かれるメエディである。その人となり、その理想、その恋愛、その仕事、その葛藤...。ラバトの大学客員教授となったロラン・バルトとの邂逅シーンはこの小説の白眉であろう。それはレイラ・スリマニの父への想いから来るものだろうが、この魅力ある人物はスタンダールが描くそれのように読める。本当にこの人物は「書くこと」の夢を果たせなかったのだろうか。第三部を心待ちにしよう。

Leïla Slimani "Regardez-nous danser" (Le pays des autres, 2)
Gallimard刊 2022年2月3日 370ページ 21ユーロ

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)2022年2月、国営TVフランス5のトーク番組”C à Vous”で『踊る私たちをごらん』(『他人の国』第二部)について語るレイラ・スリマニ


(↓)ジミ・ヘンドリックス「砂の城 Castles made of sand」。モロッコにインスパイアされた曲ということになっているが、録音が1967年、ヘンドリックスのモロッコ滞在が1969年、ということなので...。

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