パトリック・モディアノ『不可視インク』
モディアノの真骨頂である「五里霧中」感に始まり、プルースト風「見出された時」で書を閉じる137ページ体験。好きな人にはたまらないでしょうね。
たった137ページで50年の時が流れます。(会ったこともない←ここがミソですが)消えたひとりの女を追う長い年月です。初ページから109ページめまでの主人公にして話者のジャンは、1960年代にパリの興信所(私立探偵事務所)に雇われていて、所長からパリ15区で失踪したノエル・ルフェーヴルという名の女性の行方の手がかりを探す任をまかされます。渡されたファイルは薄く、名前と住所とおおよその出身地(サヴォワ地方アヌシー周辺)、そして局留め郵便の代理人受け取りを許可する委任状(輪郭識別も難しい彼女の顔写真つき)。ジャンはこの委任状を持ってパリ15区コンヴァンシオン地区の郵便局へ、彼女あての局留め郵便がないかと尋ねに行きます。住所のアパルトマンのコンシエルジュに様子を尋ね、彼女の立ち寄りそうなカフェに張り込みをしたりしますが、会ったことがないのでそこに居ても見つけられないかもしれないほどの曖昧な手がかりしかありません。
興信所はこれを早々と脈のない&うまみのない一件としてサジを投げます。ところがジャンは執拗にこだわり、興信所を辞めたあともこの未解決の事件ファイルを持ち去り、調査を続けていきます。ある種モディアノ自伝的なモチーフですが、時系列的に作家としてデビューするずっと前でありながら、ジャンはこの事件について本を書くだろうということを直感的に知っていた、というのです。つまり、これは一編の小説の誕生・制作・完成に立ち会うストーリーでもあるわけです。しかしそれが50年もの歳月を要し、ひとつひとつ手がかりを得るために途方もない時間がかかったということにも読者はつきあうことになります。
カフェで張り込みをしていた時期に接近してきたジェラール・ムーラードという人物、「私」がノエル・ルフェーヴルを探していると聞いて訝しげな態度で理由を尋ねます。興信所の調査と言えばすべてがご破算になる気配があり、「私」はでまかせの嘘(医者の待合室で知り合い、同じアヌシー出身ということで話が合い、勤めの後にカフェで会う仲になった)を交えて、この男を安心させ、情報を引出そうとします。すると「私」の知らなかったことが芋づる式に出てきて、駆け出しの俳優であるムーラードが取り持ってノエルがロジェという男と結婚していて、二人でヴォージュラ通りのアパルトマンに住んでいたこと、ノエルのあとロジェも失踪していたこと、ノエルはオペラ座前の高級鞄店ランセルで働いていたこと、ロジェとノエルは15区グルネル河岸のダンスホール「ラ・マリーヌ」の常連だったこと... etc etc。ムーラードはロジェのアパルトマンの合鍵を持っていて、そこへ行くというので「私」もついていき、ムーラードの見ぬ隙にまんまとロジェとノエルの寝室に侵入し、本能的直感で、そのナイトテーブルの引き出しからノエルのアジェンダ帖を盗み出します。
この行為を私は夢遊病者のように現実から遊離した状態でしたのだが、それは正確で自発的なもので、あたかも私が前もってこのナイトテーブルの引き出しには二重の底がありその中に何かが隠されていたことを知っていたかのような行動だった。ユット(註:興信所のボス)はこの職業をする上で必須の資質のひとつは "l'intuition"(直感)であると私に言っていた。この夜の私の行動を理解するために、私は辞書を開いて調べてみる。"Intuition アンチュイシオン:理性のはたらきに頼らない即座の認識のあり方”この小説は、手がかりのほとんどない状態に始まり、そのパズルのピースをひとつひとつ見つけていく過程を描くのですが、遅々として進まないその作業をある時突然スピードアップされるきっかけとなるのはこの説明のしようがない「理性のはたらきに頼らない」アンチュイシオン(直感)というものです。そして最初にこの薄い事件ファイルに「私」が運命的なものを感じ取ったのもアンチュイシオンでしょう。それは出会う前から愛してしまっている恋人のようなものとも言えますが、モディアノに限ってそんな含みはないでしょうと思っていると....。
さて最重要の手がかりであり、多くの情報を含んでいるはずだったこのノエル・ルフェーヴルのアジェンダ帖ですが、きちんとした(「私」にも似た筆跡の)文字で書かれているものの、途切れ途切れの暗号のような名前の羅列、予定、場所、金額、電話番号、ヴェルレーヌの詩断片4行
Le ciel est, par-dessus le toit, 空は 屋根のむこうに あんなにもといったものだけで、大部分のページは何も書かれていないのでした。この極端に限定的な、ほぼ絶望的にわけのわからない情報から、「私」は長い時間をかけて、執拗な推理を進めていくのです。そしてウソから出たまことのように、ノエルと「私」の同じ出身地と言っていたアヌシー(実際は「私」は少年期数年間をかの地の全寮制寄宿学校で過ごしていた)の記憶も重要な断片として蘇ってきます。
Si bleu, si calme ! 青く、しずかです
Un arbre, par-dessus le toit, 一本の木が 屋根のむこうに てのひらを
Berce sa palme ゆすっています (訳:橋本一明)
”警察”と聞くと本能的に警戒してしまう不透明な人々、映画の端役や日雇い運送業といった職業的に不安定な人々、住所や"名前"を二つも三つも持つ人々、そういった人々を通して得られた情報は確かなものなのか、といったすべてが曖昧なモディアノの小説宇宙。時は経ち、建物も街並みも住んでいた人々も変わって、鍵を握っていると思われた人物たちもこの世にいなかったりします。五里霧中は果てしなく続きます。
小説のおよそ3分の2地点にあたる91ページめに至って、「私=ジャン」は奇妙な印象に襲われる。それはすべては前もって"encre sympathique(アンクル・サンパティック)"によって書かれていたように「私」には思われたというのです。ここで話者はまた辞書を援用して "encre sympathique"を説明します。
「使用する時は無色だが、ある特定の物質の作用によって黒く変化するインク」”サンパティック(感じのよい、好意的な)なインク”と綴って、暗号文に用いられる不可視インク(わがスタンダード仏和辞典では "あぶり出しインク"と訳語)を意味します。なぜこの印象に至ったかというと、何度も何度も読み返したはずのかのノエル・ルフェーヴルのアジェンダ帖に、今まで一度も見たことがなかった記載が忽然と青いインク文字で現れたからなのです。一体どういう触媒によってこの文字は現れるのか、それとも長い年月が経てば現れるようになっているのか。もしも後者ならば、待っていれば多くの白紙ページに文字が浮かび上がり、重要な手がかり/情報が次々に明らかになっていくのではないか。
お立ち会い、ここがモディアノ文学のマジックなのですよ。
ノエルと名乗る女性の記録/記憶の遺物であったこの白紙だらけのアジェンダ帖、それに書かれた文字は「私」の筆跡に似ている、その白紙部分が少しずつ記録/記憶として蘇ってくるということは、実は「私」の記録/記憶と重なってきてだんだんかたちになってきたということのメタファーなんです。一度も会ったことがなかったと思われていたこの女性(実はノエルという名前ではない。この小説は重要な人物たちがどんどん名前を変えていく、という複雑さ!)は、遠い遠い過去に出会っている(そのことをまだこの91ページ段階の「私」は知らない。 読者だけが知っているという構図)、だから「私」の記録/記録を掘り下げていけば彼女のそれと合わさるはずなのです。
パリ、アヌシー、何人もの証言(正確・不正確あり、虚偽もあり)で続いてきたジャンの調査は30年過ぎ(100ページ時点)、そして50年を過ぎた頃、110ページめから、話者は「私」ではなくなります。小説最終部に登場する男はたぶんジャンであろうし、女はたぶんノエルと呼ばれていた女でありましょうが、二人とも「三人称体」で客観的に記述されています。現象としては神の手を持ったような作家が書いているような印象です。場所はローマ。ナヴォナ広場に近いアーケード街スクローファ通りにある写真ギャラリー、店名はフランス語で「Gaspard de la nuit (夜のガスパール)」 、フランスからやってきたその男は最初ためらい、ついで「水に飛び込むような決意」で店内に入っていきます。ギャラリーの店番の女性に
「あなたはフランス人ですか?」これが二人の最初の会話です。歳も似通った老人二人。モディアノはここで「ローマは過去を捨てる町である」と詩的なことを書きます。過去のことなどすべて捨て去ってフランス語も時々発語するのが難しくなっている女性。かつての興信所探偵だった男かもしれないこの男は柔らかく女性に近づいていき、このギャラリー主である写真家の展示作品(20世紀のローマの写真)にとても興味がある、と。その中の一枚に60年代のローマの街と3人の男が写っているものがあり、キャプションに真ん中の男の名前が「サンショ・ルフェーヴル(Sancho Lefevbre)」となっているが、彼はフランス人ですか? 彼のことをご存知ですか?、と。 ---- ここで詳しくは述べませんが、サンショ(=これも偽名)はノエルと呼ばれた女をアヌシーからパリに連れ出し、さらにローマに至らせた人物と目され、ノエルを妻として従えていた、と「私」の調査でわかってきた... ----
ー ええそうです。
ー ローマにはずっと前から住んでいますか?
ー ずっと住んでいますよ」
ほとんどのことを忘却のかなたへ押しやっていたこの女に、フランスからやってきたひとりの男は少しずつ記憶の蘇りを誘発させます。家出をし、名前を変え、パリで素性のはっきりしない男たちと行動を共にしていたことなど。そして彼女の記憶は(かの「私=ジャン」の記憶を超越して)このフランスからやってきた男の横顔に激しく反応するのです。この横顔が喚起したもの、それはアヌシーの少女時代。いつも満員の路線バスで、寄宿学校前の停留所から乗り降りしていた少年、決まってバスの最後列の座席に二人で隣り合わせて座っていた。ローマの老女はその少年の横顔を記憶していたのです!
小説最終の137ページめ、翌日に再会することを約束した男と女、最後の2行はこう締めるのです。
明日、最初に口を開くのは彼女だろう。彼女は彼にすべてを説明するだろう。わおっ! モディアノでこんなエモーショナルな終わり方ありますかいな!
モヤモヤだらけで、モヤモヤが残るのがモディアノ・タッチでしたでしょうに。こんな明日は快晴、のエンディング、どうしたらいんでしょうか。
カストール爺の採点:★★★★★
Patrick Modiano "Encre Sympathique"
Gallimard刊 2019年10月 140ページ 16ユーロ(↓)民放ラジオRTL 2019年10月、新作『不可視インク(Encre Sympathique)』について自宅インタヴューに答えるパトリック・モディアノ
2 件のコメント:
とても丁寧なあらすじ、ありがとうございます。今夜から早速原書を読みます。自分の仏語のレベルはまだまだなのでこういう記事はありがたいです。
仏語の小説大好き君さん、コメントありがとうございました。極端にコメントの少ない(年に数度のみ)ブログでありますから、本当に励みになります。ありがとうございます。
モディアノはクセになりますから、どんどん入り込んでください。応援しています。
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