2019年10月30日水曜日

どれだけ泣かせるトレダノ&ナカッシュ

『規格はずれ』
"Hors Normes"

2019年フランス映画
監督:エリック・トレダノ&オリヴィエ・ナカッシュ
主演:ヴァンサン・カセル、レダ・カテブ
フランスでの公開:2019年10月23日

上映は2019年5月のカンヌ映画祭の閉幕上映で、その時から大反響を呼んでました。私たち家族は一般上映よりも1ヶ月半前の9月3日にわが町のパテ・ブーローニュ座でプレミア特別上映(両監督との懇談会つき)を観ることができ、満席の観客と共にエンドロールでの大喝采に参加し、両監督の登壇をスタンディングオベーションで迎えたのでした。
これは勇気ある映画です。これ、笑っていいんですか? ー という戸惑いはトレダノ&ナカッシュ映画には無用。"Hors Normes"(規格はずれ)とはこの映画ではダブル、トリプル、クアドループル...  ミーニングであり、規格にそった世の中を正常とするならば、それから外れたものを異常として排除しようとする「正常」側の圧力を跳ね返すには、並外れた、言わば規格はずれのパワーを要するわけです。この映画のヒーローふたりは基準に従っていたら絶対にやれっこないことをしているがゆえの「普通人」ヒーローであるのです。
 対象は "autisme"(オティスム、自閉症)と言われる障害を持った子供たちです。この障害は軽度から重度までいろいろのレベルがあります。普通の学校でも受け入れられる程度、専門施設でケアできる程度、いろいろです。しかし、どの公共施設でも受け入れてもらえない"基準外”のケースも多くあり、その場合に(人道的にあとに引けない)民間のNGOが面倒みることになります。普通は公の機関がやるべきことと思うのですが、病人が病院で収容しきれないケースと同じ現象がここにあります。ブルーノ(演ヴァンサン・カセル)は、そういう民間NGOでしかも一般の住宅建物の中に設けられた収容施設を切り盛りする代表者で、彼のスマホはひっきりなしに入所可能かどうかの問い合わせで鳴りっぱなし。いろんなところで断られ、なんとかなりませんか、という悲痛な願いばかり。それに対してブルーノは、こっちもいっぱいいっぱいです、と断りたい気持ちは山々なのに、断れない性分。すべてが"特殊なケース"であり、おのおのの障害に合わせた特殊なケアが必要なのに、その特殊さに合わせてひとりの子供の場所を作ってやり、施設の一員としてひとり、またひとりと加えていくのです。問題や事故は常に一触即発。映画の冒頭は、通りに脱兎の如く逃げていく少女、それを何人も手分けして全速力で追いかけ、地面に倒して取り押さえる、というシーン。周りにいる一般市民は、一体何事か、少女に対する虐待か暴行か、という厳しい視線と反応、それに対して「いえいえ、何でもないんです、えへへへ...」とごまかして、少女をなだめすかしてその場を立ち去るブルーノたち。映画を観る者は、これはフツー人にはなかなか理解されない、という現場を最初から具体的に見せつけられるわけです。
 ところが、この規格に収まらない子供たちの世界をも、規格の縛りの中に閉じ込めようとする権力があります。このようなNGOも国からの援助金がなければ機能しない。その援助金を得るためには、建物の広さやその環境、衛生管理、ケアヘルパーの数やその資格などさまざまな条件をクリアーしていなければなりません。ブルーノのセンターは何度か役所の抜き打ち検査を受け、改善を命令されていることばかり。そしてこの映画では、検査官が最終通告(つまりNGOの認可を取り下げる)も辞さない態度で追求してきます。予算がない、収容人員オーバー、ケアヘルパーに給料が払えない、それでもブルーノはひっきりなしにかかってくる電話に、いやと言えないのです。
 一方、そのケアヘルパーたちを養成して、ブルーノの施設に送り込んだりしているのが、ソーシャルワーカーのマリック(演レダ・カテブ)。十代半ばで全く将来の希望がないルーザーとして世に投げ出される"郊外”の難しい子たちを集めて、人の身を預かる重大でヒューマンな仕事のやりがいを教える熱血教官。問題児たちが自分たちと違う問題を抱えた子供たちと触れ合っていくボディー・トゥー・ボディーの実地教育。無責任な子らがどんどん「兄貴・姉貴」分に変わっていきます。その総兄貴分がマリックというわけですが、強靭な肉体と睨みの利く目線が欠かせません。
このブルーノというお人好し+自閉症 A to Zを知り尽くしたケア魔術師と、現場の修羅場を(出来の悪い)ヘルパーたちと丸く収める行動人のマリック、このコンビが解決していくさまざまな"規格はずれ”な無理難題を描いた映画です。特にクローズアップされるのが2件のケース。ひとつは年齢が成人になったので(比較的軽度の自閉症と言っていいのだろうか)、施設を卒業して社会人デビューを試みるジョゼフ(演バンジャマン・ルシユー。現・自閉症者です。 素晴らしい演技)。何度言い聞かせても地下鉄に乗ると非常停止レバーを引いてしまう常習犯。工場の単純労働に研修で入るのですが....。
 もうひとつは"重度”の少年ヴァランタン(演マルコ・ロカテリ。これはプロの子役役者が演じてますが、実はマルコの弟がやはり重度の自閉症で、このヴァランタンのことが本当に理解できるんだ、という本人の弁でこの役に抜擢。こちらも素晴らしい演技)で、凶暴性があり、自暴自棄になると自分の頭をあたり構わず打ち付けてしまうので、24時間ヘッドギアを装着していないといけない。どこも受け入れ先のないヴァランタンを引き受けたブルーノは、とりあえず入れる個室がないので、ホテルの一室を(ホテルに内緒で)即席に閉鎖保護室に変え、マリックの教え子で問題児のディラン(演ブライアン・ミアルーンダマ。一応断っておくとアフリカ系ブラックの子です)を見張りにつけて一夜を過ごすはずでした。ところがディランがタバコを吸いに外に出たすきに、ヴァランタンは逃亡し... マリックとブルーノの配下の若者たち全員でパリ中を探し回り、ついに見つけたのが、ペリフェリック(パリをぐるりと囲む環状自動車道路)の上をヘッドギアをつけながら、車のクラクションの怒号を浴びながらとぼとぼ歩いているヴァランタン...。
 このようなスキャンダルが公になれば、ブルーノのセンターは認可を取り上げられ閉鎖させられるのは当然のこと。ブルーノとマリックの必死の奮戦はどこまで続けられるのか。
映画はこの超人的ヒューマンな二人とその仲間たち、そして障害のあるなしにかかわらず人間として生きる権利を認め合う人たち、この世で生きる自閉症者たち、そういう生命たちへのオードです。それを "規格”で推し測ろうとする人々へのおおきなバッテンです。
 ディテールですが、ブルーノは誇り高いユダヤ人でキッパーをかぶっています。その下で働く事務の女の人はヒジャブで髪を覆っています。マリックは北アフリカ系アラブ人で、教え子の郊外の子たちはブラックもアジアも"白人”もいます。さらにディテールですが、映画中の自閉症の子たちは(前述のヴァランタン役を除いて)すべて生身ですし、施設のケアヘルパーさんたちもそうです。そんなものにこだわっていたら、自閉症の子たちに笑われる、という含みかもしれません。それらもさまざまな"規格"にすぎないのです。私たちは"規格”を超えてみなければ、見えないものがたくさんあります。多くのガチガチ"規格”尊守にんげんたちに見て欲しい作品です。
 蛇足ながら、これでトレダノ&ナカッシュ映画に出演するの3回めですけど、エレーヌ・ヴァンサン(前述の成人自閉症児ジョゼフの非常に"感じやすい”優しい母親エレーヌの役で登場)毎回本当に素晴らしいです。

カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓) "Hors Normes"予告編


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