2015年7月11日土曜日

ヴァンドーム、ヴァンドームと鳴る鐘

デヴィッド・クロスビー「オルレアン」(1971年)
David Crosby "Orléans"
   
 今日まで歌い継がれているフランス最古のシャンソンと呼ばれている歌で、その発祥は1420年と言われています。この歌は Le Carillon de Vendôme ル・カリヨン・デ・ヴァンドーム = ヴァンドームの鐘の音 と呼ばれ、カリヨン(音色の違う数個の鐘を組み合わせた組鐘)の4つの音階(ラ・シ・ソ、ラ・シ・ソ、ラ・シ・ド・シ・ラ・シ・ソ....)が旋律になっていて、歌詞は4つの地名「オルレアン」、「ボージャンシー」、「ノートル・ダム・ド・クレリー」、「ヴァンドーム」。わらべ歌となって今日の子供たちまで歌われているこの歌は、フランス王シャルル7世(1403-1461、王在位 1422-1461)が、前王シャルル6世(1368-1422、王在位1380-1422)から受け継いだものが、この4つの土地しかなかったという内容なのです。
 国破れて山河あり。歴史の本をひもとけば、百年戦争の時代、精神疾患説のあったヴァロワ朝フランス王シャルル6世治世下のフランスは、殿ご乱心に乗じた側近たちやイングランド勢に翻弄され、あれも失い、これも失い、相次ぐ兄の死でまさか自分に王位が回ってくるとは思いもしなかった四男坊は、首都パリを逃れてブールジュで父(先王)の死を知ります。正式に戴冠することもできず、フランス王ではなく屈辱的に「ブールジュの王」と呼ばれ、その居城ブールジュから見ると、新王に残されたのは近隣のロワール地方の4つの町、オルレアンボージャンシー、クレリー・サン・タンドレ(ノートルダム聖堂がある)、ヴァンドームしかない極小国になってしまったのです。

 Orléans, Beaugency
 Notre-Dame-de-Cléry
 Vendôme, Vendôme

 フランスの中高生向け仏文学教本「ラガルド・エ・ミシャール」では、この3行を「純粋詩」の見本として講釈し、その類を見ない音と韻律の美しさを称賛します。しかし私たちはむしろ、漢詩的な嘆情を想い、目の前に拡がるこの極小国の荒涼たる風景に新王の無念いかばかりか、と心を震わせるものです。オルレアン、ボージャンシー、ノートル・ダム・ド・クレリー、ヴァンドーム、ヴァンドーム。最後に二度繰り返されるヴァンドームの未練たらしさったら...。もう他にないから二度繰り返して韻律を揃えました、という悲しさ。諸行無常の鐘の音のように響きます。
 しかし歴史はこの新王シャルル7世のために、オルレアンに救国の聖女ジャンヌ・ダルクを登場させ、失地をどんどん回復させ、フランスは救われていくのです。その歴史的結果論のせいで、この3行詩は「フランスは国土を最小にまで失なう苦汁をなめても必ず蘇る」という国策神話に利用されるきらいがあります。 今日知られているこの歌の歌詞には、4つの地名の前に2行の文句
Mes amis que reste-il (わが友だちよ、一体何が残っているのだ)
A ce dauphin si gentil ? (このいと善良な王太子さまに?)
 が加えられていますが、これは19世紀に作られたものです。こういう説明的2行が加わると、わらべ歌も王党派や国粋主義者のプロパガンダになりうることがあります。下に貼付けたYouTubeの説明では「16世紀から歌い継がれているわらべ歌」のように書かれていますが、正しくはないのです。
Mes amis que reste-t-il
A ce dauphin si gentil?
Orléans, Beaugency
Notre-Dame-de-Cléry
Vendôme, Vendôme


 これは日本の「かえるの歌がきこえてくるよ」と同じように、フランスの超古典的なカノン(輪唱曲)となり、児童合唱、ママさん合唱、ボーイスカウトなどで、いやんなってもいやんなっても続けさせられるエンドレス輪唱として親しまれるようになります。


 デヴィッド・クロスビー(1941 -  )は米国加州出身のロック・アーチストです。バーズ、クロスビー・スティルス・アンド・ナッシュなどで活躍したのち、1971年に発表した初のソロアルバムイフ・アイ・クッド・オンリー・リメンバー・マイ・ネーム』(If I Could Only Remember My NameのB面3曲めにこの「オルレアン」が収録されています。

 東北北部の高校生だった私は、初歩的なフランスかぶれだった頃で、この加州から仰ぎ見たフランス中世の百年戦争風景を思い、「千代に八千代に」よりもさらに短いこの歌詞をすぐに暗記したものでした。それが数十年後に、娘がフランスの幼稚園でわらべ歌として歌うなど皆目想像できるわけがないじゃないですか。と言うよりも、それを聞いても、それが同じ歌と長い間気がつかないでいたのでしょうねぇ。

 他の国ではどう捉えられたのかは知りませんが、フランスではこのクロスビー・ヴァージョンの「ヴァンドームの鐘の音」は非常に好意的に迎えられたのでしょうねぇ。クロスビー&ナッシュあるいはクロスビー・スティルス&ナッシュでフランスでコンサートをする時は、必ずレパートリーに入れてますから。1972年にポルナレフのバックバンドのメンバーが中心になって結成されたイレテ・チュヌ・フォワ(Il était une fois) はヒット曲も多くあった優れたソフトロックのバンドでしたが、その1975年のセカンドアルバムに、彼らの出身のパリ郊外タウン「コロンブ」を歌った歌が入っています。

Courbevoie, Gennevilliers, Asnières, Bezons, La Garenne, Colombes, Colombes!
Levallois, Argenteuil, Saint Ouen, Clichy, Saint Denis, Colombes, Colombes!
Malakoff, Charenton, Nanterre, Surennes, La Courneuve, Colombes, Colombes !

地名だけ言われてもこの時代のフランスにいなければわからないでしょう。これはですねえ、70年代(まだ経済成長期)に急激なパリの人口集中に対応するために、パリを環状に包む郊外に労働者たちを住まわせるいわゆるシテ(高層社会住宅)を林立させた地帯の地名なのです。労働者たちが多かったために、地方選挙では共産党がめっぽう強く、地方自治体の首長が軒並み共産党市長という勢いがあり、「バンリュー・ルージュ(赤い郊外)」やパリを包んでいるので「サンチュール・ルージュ(赤いベルト地帯)」と呼ばれたりしました。この郊外が経済成長が止まり、不況&失業時代に入ったとたんにドラマチックに荒廃していくことを、この歌は想像に入れていたでしょうか?


 さらに時は移り、2011年、フランスのエレクトロ・デュオ、ジャスティスは「オハイオ」というタイトルでこの曲を発表しています。
Ohio Tennessee California endlessly, right on, right on
ずいぶん遠いところまで来たなぁと口をぽかんと開けてしまいますが、ヴァンドーム、ヴァンドームと鳴る鐘の音の悲しみはどこにもありまっせん。


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