2008年1月6日日曜日

バラ色の都トゥールーズ



 毎日の天気予報の最後に "Deux minutes du soleil en plus"(明日は日照時間が2分増えます)と聞くのがうれしい今日このごろです。1月6日、メテオ・フランス(フランス気象局)はパリの日の出が08時43分、日の入りが17時07分と言っています。冬至から2週間ほどなのに、ずいぶんと明るくなった気がします。さて、これが南西のトゥールーズとなると、同じ1月6日で日の出が09時25分、日の入りが18時34分。まあこの季節で午後6時半の日没ですから、こことむこうでは気分も事情も違ってあたりまえでしょうね。
 トゥールーズはオクシタニアの都です。ガロンヌ河から採れる砂が赤い色をしているので、町全体の建物の色がバラのような色をしているので、バラの都とも呼ばれます。(↑)の航空写真ではその色がよくわかると思うんですが、真ん中に見えるのがトゥールーズのランドマーク、カピトル広場で、その大きな建物がトゥールーズ市庁舎です。(写真をクリックすると拡大します)
 2001年地方選挙で、このトゥールーズの市庁舎バルコニーには、計算どおりに行けば、左翼新市長が手を振っているはずでした。しかし第一次投票で善戦した左翼やエコロジストや市民団体(ゼブダの『レ・モティヴェ』が12.38%の得票率)が、第二次投票で大同団結した統一左翼リストになったら票を大きく失い、結局保守統一候補のフィリップ・ドゥースト=ブラジーが当選して、1971年以来続いているトゥールーズの保守市政は崩せなかったのでした。
 ところが、このトゥールーズはオクシタニアの都だけあって、中央(すなわちパリ、北側、旧フランス王国、オイル語文化圏...)に対しては伝統的に批判的&不服従的な土壌です。そのせいか、国政選挙の際にはずっと左翼得票率が保守よりも上位にあったのです。これがトゥールーズのパラドックスで、国政選挙には左翼に投票し、地方選挙では保守に投票する、という現象が70年代からずっと続いているのですね。これが2001年には変わるはずの勢いがあったのに、結果として、やっぱりトゥールーズはトゥールーズ、ということになったわけです。
 あれから7年、再び地方選挙の年がやってきました。下馬評では社会党ピエール・コーエンのリストが最有力とされていて、今年こそバラの都にバラ(社会党のシンボル)の市長を、と同党は息巻いています。そのコーエンのリストの最下方に....マジッド・シェルフィの名前が見えます。比例代表リストなので、得票率で上の方から市議として当選していくわけですが、マジッド・シェルフィのリスト位置では絶対に市議当選はありえないポジションです。元ゼブダのリーダーが、2001年に地方政界に大地震を起したレ・モティヴェのリストではなく、どうして社会党系のリストに載っているのでしょう? しかも最下方のポジションというのはどうしたわけでしょう?

 1月4日の「リベ・トゥールーズ」(リベラシオン紙トゥールーズ版)は『俺はブリンブリン候補ではない Je ne suis pas un candidat bling-bling』というタイトルで、マジッド・シェルフィのインタヴューを掲載しています。この"ブリンブリンbling-bling"という言葉ですが、辞書になんか載っていない新語です。実際爺もよくニュアンスがつかめていないのですが、たぶん華美な飾り物みたいなことだと思います。もともとは米国のラッパーたちが首からいっぱい下げているでかくてギラギラのアクセサリーがぶつかり合う音の擬音語だったそうです。例えばサルコジのローレックス腕時計コレクションや、目立つためのでかめのサングラスみたいなものを、ブリンブリンと言い、目立つ新恋人の報道以降は、サルコジはブリンブリンのチャンピオンとなってしまったわけです。
 非社会党系左翼やレ・モティヴェを支持していた人たちの一部は、このマジッド・シェルフィの社党候補支持を「ブリンブリン」行為として批判しました。大きな飾りものになるためにやっているにすぎない、と。このリストの最下方にあることと、ブリンブリン批判に対してマジッドは:

 「俺は過剰に忙しい男だ。市議に当選して、そのあとすぐに辞職するなどということはしたくない。俺は前もっての取引などなしに、ピエール・コーエン候補のスタッフにコンタクトを取った。俺は彼らに、俺の存在が候補にプラスになるのであれば、俺の名前をリストに載せてほしい、と言った。俺は理想の市長などを夢見るのではなく、俺はキャピトル広場市庁舎に左翼の市長を見たいのだ。これまでの第一次投票であったようなたくさんの左翼のリストで迷うようなリスクを負わずに。この左翼の市長の誕生という喜びは俺には抗しがたい。俺の周辺の人々の幾人かはそれを批判するのだが、俺はもう誰が真正の左翼かということで論争するような遊びはしたくないのだ。俺がこのリストにあるのはひとつの象徴である。それは極左にもなりたくないし、社会党にもなりたくない多くの人たちに、勝利は果てにしかないんだ、と言うことなのだ。これは歴史的なチャンスであり、逃してはならないのだ。」

 と答えました。というわけでこれまで見たことのない、社会党系支持のマジッド・シェルフィの顔があります。ピエール・コーエン当選の時には、バラの花を手にしたマジッド・シェルフィの姿があるかもしれません。さあ、3月の地方選挙が楽しみです。


(↓)はピエール・コーエンの地方選キャンペーンサイトですが、ヴィデオ画面の上から6番目にマジッド・シェルフィがいて、そこをクリックすると、短いマジッドのコーエン支持表明(13秒)があります。「今度の選挙はトゥールーズで左翼が勝つという歴史的なチャンスがある。俺はそれを逃したくない。」と言っています。
Bonjour je suis Magyd Cherfi...

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