2010年4月20日火曜日

花の都の壁の外

『輝くものはすべて』
2009年フランス映画
"TOUT CE QUI BRILLE" 

監督:ジェラルディーヌ・ナカッシュ&エルヴェ・ミムラン
主演:レイラ・ベクティ、ジェラルディーヌ・ナカッシュ
フランス封切:2010年3月24日
 

かなスタートからじわじわと噂が広がり、4週目で入場者数100万人を突破する勢いのついてしまった低予算郊外映画です。「郊外」と書くと、失業・貧困・暴力・移民・地下経済...のイメージで描かれるのがルーティンでしたが、この映画はことさらにそれを強調することなく、むしろ、そういったものが見えない代わりに「何もない」退屈な郊外が舞台です。いわゆる荒れた郊外ではないのです。位置的にはパリのシンボル的なシャンゼリゼ大通りを凱旋門を越えて西側にずっと延長させていくと、パリの元城壁マイヨ門を越えた最初の郊外がヌイイです。ここは郊外と言っても超高級住宅街で、サルコジが長年市長をつとめていたサルコジの選挙地盤で、フランスで最も地価の高い金満シティーです。そのヌイイを過ぎてセーヌ川にかかるヌイイ橋を渡ると、超高層ビルの立ち並ぶ副都心街ラ・デファンスです。このコンクリートジャングルのふもとにある郊外住宅地が、この映画の舞台で、シナリオ/監督/主演のジェラルディーヌ・ナカッシュが実際に生まれて育ったところで、地名はピュトーです。映画はラ・デファンスを東西にわける二つの郊外町ピュトーとクールヴボワで撮影されています。  
 ここは「パリから10分」と映画で何度も強調される、パリから至近距離にある郊外で、窓からはエッフェル塔がさほど遠くない距離に見え、ラ・デファンスの広場からは凱旋門/シャンゼリゼ/コンコルド広場/ルーヴル宮殿までの一直線のパースペクティヴが望めます。この目の前に見える「向こう側」ではすべてが輝いていて(映画タイトルの"TOUT CE QUI BRILLE")、こちら側には何もないのです。  
 リラ(レイラ・ベクティ)とエリー(ジェラルディーヌ・ナカッシュ)は幼なじみで,à la vie à la mort (生きるも死ぬも一緒)と誓い合った親友です。どちらも昼はラ・デファンスのショッピングセンターの中の,サンドウィッチショップと映画館売店で売り子として働いていて,昼食はそのサンドウィッチショップからまかなわれるサンドウィッチを,ショッピングセンター内のエスカレーター前のベンチに座って二人で食べる,という日常です。うんざりです。週末の夜に「パリに繰り出す」というのが二人の最大の楽しみです。しかも「本物のパリの夜」でないと楽しくないのです。ハイプでセレクトなナイトクラブやセレブリティーの集るプライヴェート・パーティーでないと刺激が満たされないのです。二人はどこでも門前払いを喰らいますが,この止むに止まれぬ本物志向と遊びへの渇望は,あらゆる障害をものともせず,二人はまんまと輝くパリの真ん中にその入場権を得てしまいます。  
 しかしその社会に入るためには,誰とも対等の関係を築くために,身分を偽る必要があります。「ニューヨークなんてどうでもいいの,私にはL.A.こそ最高の町」などと,行ったこともない町を見て来たようなコメントをすることですね。そして最も重要なウソは,自分たちがピュトーに住んでいるということを口が裂けても言ってはいけない,ということ。二人は前述の金持ちの隣町であるヌイイに住んでいると公言します。このために,パーティーの後,午前様で車で送ってくれる男に,カッコつけてヌイイまで送ってもらったあと,ヌイイからピュトーまで歩いて帰らなければならない。それでもこの秘密は絶対にバレてはいけない,と二人は確信しているのです。それがバレれば,二度のあの「本物」の世界に戻れない,と。  
 二人のうち,北アフリカ系のはっきりとした顔立ちのリラは,確かにエリーよりもセクシーであり,パリ遊びでも男たちの注目を集めるようになります。そして金持ちの優男マックスを誘惑し,二人は恋仲になります。ここでリラはそれまで将来を誓い合っていたピュトーの男エリック(サンドウィッチ・ショップの雇われ店長)を簡単に捨てる用意ができてしまいます。しかし,マックスも一時的にリラに熱を上げたものの,前の恋人が忘れられず,リラと難しくなっていきます。その時期にエリーがマックスに自分たちはヌイイではなくピュトーに住んでいることを告げます。リラの幻想も燃え上がった恋も,ここで一挙にガラガラと音を立てて崩壊してしまうのです。リラはエリーを憎み,ピュトーに住んでいるというひと言ですべてがぶちこわしになったと思い込みます。友情はここで一旦壊れてしまうわけですが...。  
 この映画のパリは,馬の目の前に吊るしたニンジンのようなものです。激情的なリラは,ここを抜け出して目の前の「10分の距離にある」パリに入城するためには手段を選びません。盗みを働き,恋人や友だちを裏切り,ウソをつき,なんとしてでも本物の,すべてが光り輝く生活をしたいわけです。それは高級ブランドで身を飾り,きれいな男たちときれいな女たちと夜を忘れて遊びまくることです。  
 パリの夜で知り合ったアジア系の売れっ子マヌカンのジョーンとその後見人にしてレズ相手の女アガット(ヴィルジニー・ルドワイヤン)のカップルに,友だちのつもりで近づいていったのに,まんまと使用人(ベビーシッター)としてあしらわれてしまったエリーは,リラとは対照的に自分が根を張って生きている郊外を徐々に再評価していきます。このリラとエリーの衝突とすれ違いの繰り返しの末,最後に訪れる和解がこの映画の大団円です。  
 映画は郊外人独特の,大音量で口角泡飛ばしてわめきまくるようなダイアローグがほとんどで,正調のフランス語にしか慣れていない人には,解読するのが難しいかもしれません。私も娘も6割程度の理解力だったと思います。しかし,この勢いには圧倒されますし,清く正しくばかりしてなどいられない「現場」の理屈があります。現場がこんな人たちのものだったら,全然捨てたもんではないのです。すがすがしい一作です。

(↓"TOUT CE QUI BRILLE"予告編)

(↓挿入歌でヴェロニク・サンソン1973年のヒット曲"MA DROLE DE VIE"のクリップ)



PS : 原題の "Tout ce qui brille"は、諺の "Tout ce qui beille n'est pas or"、「光るるもの必ずしも金ならず」、すなわち「見かけに惑わされてはいけない」という警句に由来しますが、英語の "All that glitters is not gold"(ウィリアム・シェークスピアの『ベニスの商人』)がオリジナルのようです。

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