アンドレ・ポップと彼の楽団「透明人間」
1964年EPシングル(Vogue)
作詞:ピエール・クール
作編曲:アンドレ・ポップ
まさかと思っているのでしょうが。”透明人間”とは「フィクションに登場する、肉体が透明で、姿を見ることができない人間のこと。一見似ている幽霊やゴーストとは多くの場合全く別の存在である」と日本語ウィキで定義されている。英語は"Invisible man" 、フランス語は"
Homme invisible" 、厳密には”不可視人間”であり透明ではない。
アンドレ・ポップ(1924 - 2016 )の下積みは1945年パリのピアノバーのピアニストから始まる。ポップの4歳年下のセルジュ・ゲンズブール(1928 - 1991)も1954年からピアノバーのピアニストとして小銭を稼ぎ始めている。時期は違うがこの両者を同じようにピアノバーの暗がりからレコード界に引っ張り上げたのが(ピアフ、ブラッサンス、ブレル、ボリズ・ヴィアンなどの発掘者だった)ジャック・カネティ(1909 - 1997)であった。カネティは1947年パリ9区ピガール地区にレ・トロワ・ボーデというホールを開業していて、レコード会社ポリドール(フィリップス)のディレクターでもあったカネティが、このホールを新人登竜門として、ここで頭角を現した歌手/ミュージシャンをレコードデビューさせてきた。ゲンズブールがレ・トロワ・ボーデで「リラの門の切符切り」を歌うようになったのが1957年のこと。ポップがレ・トロワ・ボーデに雇われたのはそれより10年も前のことで、このホールの出し物で人気の高かった(不条理漫談コンビ)ピエール・ダックとフランシス・ブランシュのコミックショーの伴奏ピアニストとしてだった。ここ大切。アンドレ・ポップにとってユーモアと不条理はそのアートの不可欠な重大要素となるのだが、それは持って生まれたものであることは間違いないにしても、この下積み時代に培われた部分もかなりありそう。1950年代のその道の旗手的な存在だったボリズ・ヴィアン(1920 - 1959)とその周辺にいたその道のアーチストたち(レ・フレール・ジャック、アンリ・サルヴァドール...)とも交流/共作/共演があったのも影響しているはず。1957年にジュリエット・グレコが録音した「ミュジック・メカニーク(機械音楽)」はヴィアン作詞/ポップ作編曲のちょっと奇怪なユーモアが利いた佳曲。また1955年にレ・フレール・ジャックが録音した「ラ・パンデュール(ふりこ時計)」は、『地下鉄のザジ』などの実験的ユーモア小説で知られるレイモン・クノーの作詞/ポップ作編曲で、ちょっとハイブローなヒネリとズレが。
年代的に前後するが、ピアノバー→劇場ピアニストの次にポップはラウール・ブルトン(シャルル・トレネとシャルル・アズナヴールの音楽エディター)の紹介で1949年に公共放送公社RTF (Radiodiffution-télévision française)の放送番組制作工房の”Club d'essai"(座長は詩人・”不条理演劇”劇作家のジャン・タルデュー)で音楽担当者として仕事するようになる。かなり実験的なラジオドラマ制作アトリエだったろう。この"Club d'essai"の前身が"Studio d'essai"という名の工房で、座長がピエール・シェフェール(電子音楽/ミュージック・コンクレートの創始者)だったことから、この”Club d'essai"でもポップはかなり前衛的で実験的な音が創れる環境だったことは間違いないだろう。当時ポップが最も敬愛していた音楽家がフランス現代音楽の祖オリヴィエ・メシアン(1908 - 1992)だったというのもポップ理解には重要なポイントである。この工房で番組テーマやバック音楽を作編曲し、出演する歌手たちの伴奏編曲指揮などを7年間、かなり多忙にこなしていた。テルミン、オンド・マルトノ、磁気テープなどもここで使いこなせるようになった。
このラジオ(と初期テレビ)での数々の作編曲に注目し高く評価したジャック・カネティが、そのレコード会社フィリップスの専属楽団編曲指揮者に、さらに”軽音楽”楽団としてレコードデビューさせたのであった。1955年「アンドレ・ポップとその楽団 André Popp et son grand orchestre」は4曲入り45回転シングル盤”ANDRE POPP JOUE ANDRE POPP"(アンドレ・ポップ プレイズ アンドレ・ポップ)というデビュー盤は、その名に反して4曲のうちアンドレ・ポップ作曲の曲は1曲("Mon Coeur Attend")のみであった。オンド・マルトノがフィーチャーされたセンチメンタルな”ムード音楽”、さすが。
それ以降ポップは幾多の”軽音楽オケ”のレコードを録音することになるが、かなり好き勝手やってるのですよ。折り目正しく流麗な音色が売りの諸楽団(フランク・プールセル、パーシー・フェイス、マントヴァーニ...)とはかなり違う。不思議な楽器が混入したり、曲が不協和音でねじれたり、スパイク・ジョーンズ流の冗談音楽になったりして、ユーモアと不条理と前衛が時々顔を出してしまう。この辺はまたこの『華麗なるアンドレ・ポップの世界』の次回以降の記事で触れていきましょう。
さて本題の「透明人間」の4曲入りシングル盤は1964年に発表された。一種のゴージャスなお笑い音楽シングルと言えよう。一応”ダンス音楽”利用を見越して、各曲の指定ダンス名が記されていて、1曲め”Chasseurs Sachez Danser"はハリー・ガリー(Hully Gully)、2曲め "Military Dance"はボレロ・サーフ(Bolero Surf、こんなダンスあるんかいな?)、3曲め "Embouteillages"はサーフ(Surf)、4曲め"L'homme invisible"はスロー(Slow)となっているが、かなり無理すじ。
"Chasseurs Sachez Danser(シャスール・サシェ・ダンセ=狩人たちよ、ダンスを覚えなさい)"は、フランスの子供たちが覚える有名な早口言葉のひとつ
Un chasseur sachant chasser doit savoir chasser sans son chien.のもじり。3度読んでみてください。狩猟ホルンのアンサンブルと銃声と狩猟犬の吠え声と複数の狩人のやり取りを大胆にフィーチャーした狩猟情景音楽。最後に間違って自分の狩猟犬を撃ってしまうというオチ。犬かわいそう。
アン・シャスール・サシャン・シャセ・ドワ・サヴォワール・シャセ・サン・ソン・シアン。(訳:狩りを知る狩人ならば犬なしでも狩れるはずだ)
"Military Dance"は喜劇映画風おとぼけ軍隊マーチであるが、この年1964年に大ヒットした映画『サン・トロペの憲兵隊(日本題:大混戦)』(ジャン・ジロー監督、ルイ・ド・フュネス主演)の音楽を担当した僚友レイモン・ルフェーヴル(仏イージーリスニング四天王のひとり)作曲の「憲兵隊のマーチ」(サントラ大ヒット)のもじりなのかもしれない。
"Embouteillages"(交通渋滞)は、ジャック・タチ映画を数倍速度アップさせたようなモータートラフィックムーヴメント描写音楽。ブラス隊とオルガンの絡みがたまらない。シンプソンズのテーマに似ているようにも。
さていよいよ「透明人間 l'homme invisible」である。これは上に書いたように、下積み時代に国営ラジオでラジオドラマを制作していた経験が大きくものを言っている。これはりっぱな短編ラジオドラマである。なおこの曲に作詞者としてクレジットされているのが、ピエール・クール(1916 - 1995)。1960年、ピエール・クール作詞/アンドレ・ポップ作曲のコンビは「トム・ピリビ」(ジャクリーヌ・ボワイエ歌)でユーロヴィジョン・コンテストで優勝し、日本でもかなり親しまれる歌になったが、それよりも何よりも、この「透明人間」の3年後の1967年、「恋はみずいろ L'amour est bleu」という地球規模メガヒット曲を放つのである。では、そのピエール・クールがこの「透明人間」でどんな作詞(?)をしたか?まあ、超短編ラジオドラマの脚本のようなものであるが、たったこれだけなのですよ。
(女)Qui est là ?
キエラ?
(女)Qui est là ?
キエラ?
(女)Qui est là ?
キエラ?
(男)L’homme invisible.
透明人間
(女)Qu’est-ce que vous voulez ?
何が欲しいの?
(男)You. Vous.
ユー
(女)Non, non...
ノン、ノン....
ハイ、怖いですね、怖いですね。オンド・マルトノの不気味な調べ、ビッグバンド・ジャジーな官能ブラスアンサンブル(ちょっとヘンリー・マンシーニ風)、声優さんの迫真の演技... これはラジオ名人芸。透明人間あらわる、あらわる。アンドレ・ポップの諧謔と不条理とドラマチックなセンスがあらわる、あらわる。文句なしに天才の仕事です。
『華麗なるアンドレ・ポップの世界』次回を刮目して待て。
(↓)「透明人間」(1933年)I will show you who I am.



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