2007年9月10日月曜日
バラの名前(バガテルの午後)
←(左側の写真は、モザイクやぼかしを使ったわけではありまっせん。太陽光線で私の顔が溶けてしまったのです。ドラキュラみたいな爺であります)。
昨日の日曜日の午後はブーローニュの森の中のバガテル庭園のバラ園で過ごしました。バラ展が6月から開かれているのを知りながら、ずっと行けなくて、やっと昨日行った時にはバラはほとんど終わっていました。それでも娘はデジカメで咲いている花を122枚も撮影して、ひとつひとつ香りを楽しんで、落ちている花びらを集めていました。花びらは家に持ち帰って、自分がもらった賞状の額縁の中に入れて、賞状の飾りにしていました。
すぐに影響を受けやすい子なので、昨日の午後の美しさに触発されて、将来は「バラ栽培師」になって、自分の名前のバラを作るんだ、なんて言っていました。バラは毎年どんどん新しいものが出来ていますが、本当に美しいバラは品種改良によってできるのではなく、自然の条件とバラ師の愛情によってできるのだと思います。素敵な職業だと思います。
その後、家に帰って夕食の時に娘と長い議論になりました。アルカイダのニュースなどが引き金になったのだと思います。なぜ戦争はあるのか、なぜ人を殺すための武器はあるのか、ということを娘は憤っていました。イスラエルやレバノンやイラクやアルジェリアではどうして人が殺されているのか、ということを娘は「武器があるからだ」と喝破しています。武器・兵器がなければ、人間は殺し合わずに口論するだろう、と娘は言います。口論は自分たちだってするのだ、だってみんな違う意見を持っているのだから、だけど自分たちは殺し合いは絶対にしない、と13歳の少女は考えています。そしてセシル・カストールは、世の中から武器をなくすためのアソシアシオン(NGO)を創りたい、とまで言いました。私は(意地悪な心も皮肉な心もなく)娘が言ったそのことを2007年9月9日の記憶として残してやろうと思って、この数行を書いています。子供の頃や少年少女の頃はみんな戦争反対だったはずなのに、いつ頃からか「戦争もありだよね」という相対論になってしまったのか、あなたは記憶していますか?
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3 件のコメント:
爺の顔は怖いけど、Blogの内容は美しい。
自分が13歳の時、これほどまでに戦争のことを
考えもしなかったと思います。戦争は悪いこと、
でも何故?と討論した記憶はありません。
セシルちゃん、おばさんも同じ意見だよ。
もしNGOを作ったら、ボランティアとして参加したいな。
でもその頃までに、世界中から武器がなくなると
いいね。
さなえもん,コメントありがとうございます。戦争のことだけではなくて,貧困のこととか,外国人であることとか,サルコジのこととかいろいろ話しました。13歳が考えていることに,いい加減な答えは許されません。ちゃんと答えて,また一緒に考えるということをしてあげないと。納得できなくてわなわな震える場面もありました。それはきみたちの世代が変えて行くことなんだよ,と言ったら,じゃあパパたちは何もしなかったんじゃないか,と言われました。
あんたたちは何もしなかったじゃないか,ということを私は親に対して直接言ったことはないように思いますが,親の世代+先生の世代全般には何度も言った記憶があります。キャット・スティーヴンス(元ネタはプーシキンですが)「父と子」のメロディーが頭をよぎりました。
フランスの外務大臣ベルナール・クーシュネール(医師。世界の医師団Medecins du monde創始者。元左翼政治家)が、9月16日にイランの核武装を阻止するには、最悪の場合はイランとの戦争を考えなければならない、と発言しました。
一体「外交」とは何なのでしょう?戦争や関係悪化を避けるために外交官は仕事しているのだ、と子供に教えている私です。外交官は国際間の緊張を対話で解決する役目を持った人々です。軍のトップやタカ派大統領がそれを言うのならまだしも、外交のトップに立つ外務大臣が真っ先に戦争をほのめかす発言をしてしまう。どう考えてもおかしいことです。
クーシュネールには入閣以来ずいぶんと幻滅させられています。この人もジャン=フランソワ・ビゾの「アクチュエル」創刊時の協力メンバーのひとりでした。
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