2007年9月10日月曜日
ジャン=フランソワ・ビゾーの死
フランスのカウンター・カルチャーを代表する雑誌『アクチュエル』と自由FM局のパイオニア RADIO NOVA(ラジオ・ノヴァ)の創始者,ジャン=フランソワ・ビゾーが9月9日にガンで亡くなりました。63歳。
富裕な家庭の出で,厳格なカトリックの教育を受けたそうです。67年にエクスプレス誌のジャーナリストになった後,68年5月革命に大きく揺さぶられ,第三世界(特に中南米)の革命とアメリカのカウンターカルチャー,そしてフリー・ジャズとプログレッシヴ・ロックで,ビゾー自身の言葉では「アンダーグラウンド」化してしまったわけです。
70年に雑誌『アクチュエル』が創刊されます。エコロジー,女性解放,アンダーグラウンド・ポップ,ゲイ解放,ポルノグラフィー,ニューエイジ...その他,前衛でオールタナティヴなものがすべてあった「危険雑誌」でした。一度廃刊宣言をして,79年に再開し,最終的に94年に終刊した時にはブランシェ(最先端)ながらも目立たない雑誌となっていました。
81年にサン・タントワーヌ通りの『アクチュエル』編集部の一室から自由FM局RADIO NOVAが産声を上げます。ジャズ,パンクロック,ヒップホップをいち早くバックアップし,彼らが「ソノ・モンディアル」と名付けた新しい世界のビート音楽が,世界的な「ワールド・ミュージック」現象の先駆となります。こうしてジャン=フランソワ・ビゾーもオーバーグラウンド化していったのですが。
ビゾーとは一度だけ10年ほど前に,NOVAの社屋でレミー・コルパ・コプール(音楽評論家,RADIO NOVAジャーナリスト)と話していた時に,レミーに紹介されて挨拶を交わしたことがあります。アンダーグラウンドのドンは私に深くおじぎしたので,私も深くおじぎして返しました。今日,もう一度深くおじぎして合掌します。
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2 件のコメント:
ビゾが死んだニュースを知って、自分のサイトのニュース欄でどう紹介したものかと考えあぐねていました。おそらく、こちらのブログの記事が一番早い日本語の反応だと思います。そして、唯一になってしまうのだろうなと考えています。昨日の新刊紹介にしても、大変貴重な内容のブログになのは確かです。ありがとうございます。
かっち。さん,コメントありがとうございます。HPご盛況のようでおめでとうございます。こちらはHPをやめたので,ずいぶん楽になりました。1ヶ月に何枚CDを聞いて,1ヶ月に何冊本を読んで,みたいな義務がなくなりましたから。
ジャン=フランソワは一時期ガンを克服しそうになったのに,根が不摂生なので... ということらしいです。風貌と言い,しゃがれ低音の声と言い,ヘビースモーカーなところと言い,エチエンヌ・ロダ=ジルと重なるところがずいぶんあります。
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