2013年5月1日水曜日

永遠でさえも長続きしない

 5月2日、ケントにインタヴューできることになりました。熱心なファンだったわけではないけれど、やはりカッコいい人だな、という目でずっと見ていました。アルバムはリヨンのパンクバンドだったスターシューターの時代を含めて6枚ほど持っているのだけど、あまり聞いていないですね。インタヴューの準備のために聞き直して、へえぇ、こんなだったんだ、と再発見があったりして。1988年のヒット曲"J'aime un pays"(↓)
Kent - J'Aime Un Pays par Kent
みたいなフランス愛の曲がアルバムに必ず1曲ぐらいありますが、保守的な祖国愛ではなくて、混じり合っていろんな文化が共存しているこの国の風景を讃えている、言わば左翼的ポジションの愛国歌です。そういうところもあって、このアーチストは「善玉」で、「心優し」くて、優男で、というイメージがありました。逆に言うと、刺激や毒がないわけですね。男性ファンよりもずっとずっと女性ファンが多そうな...。とは言ってもヴァリエテの歌手ではないし、テレビなどで露出することもほとんどない...。
 なぜ会いたくなったのか、と言えば、やはり最新アルバム "Le temps des âmes"が本当に好きで、この春最も聞いた1枚になってしまったからなんですね。このブログでも"Jeune con"と"Face à la lumière"の2曲を全歌詞訳して紹介するほど、聞き込んでいたんですが、ソングライターとしてなにかぐ〜っと熟してしまったような、私たち世代をうなずかせてしまうような説得力ある詞に惹かれてしまったのですよ。
 同じようなことをもう一度してしまいますが、この「永遠 l'eternité」という歌です。
石段に座りこみ
ふさぎ込んだ心を思う存分ぶちまける少年
それが僕だった
ランボーやモリソンやイエス・キリストになることを夢見て
声にならない愛の言葉を繰り返していた
それが僕だった

空色の視線をなげかけ、拳銃のような確かさで
いかにも無造作に僕の横に座っている
それがきみだった
きみが微笑むだけで、町はその扉を開き
娘たちは歓喜し、僕はきみの影に
消えていった

賭けはなされ、僕たちはこう思うことができた
人生なんて永遠の中のこのわずかなひと時だろう、と

だが何もなされていないんだ
何ものも持続するようにできていない
喜びも苦悩も運命も
何もなされていない、何も長続きしない
幸運も後悔も
永遠でさえも長続きしない

いいや、人生は全然書かれていないもの、あるいはほんの少ししか書かれていないもの
宿命なんて嘘っぱちさ、石碑に書かれたものじゃない
きみにはわかるかい?

きみの運命は手相の運命線になんか従っていなかった
何が悪かったのか、誰が悪かったのか、どっちにしても
そんなこと全く重要なことじゃない

賭けはなされ、僕たちはこう思うこともできるだろう
人生なんて永遠の中のこのわずかなひと時だろう、と

だが何もなされていないんだ
何ものも持続するようにできていない
喜びも苦悩も運命も
何もなされていない、何も長続きしない
幸運も後悔も
永遠でさえも長続きしない
永遠でさえも
永遠でさえも
永遠でさえも

僕たちは今石段の上にいる
幸福が呪われてしまったと、ありったけの涙を流している
この座っている男、
それがきみだ

僕はきみの鏡に移った姿そのものだった
僕はきみをまっすぐ立たせるように支えるよ
きみにはわかるかい

賭けはなされ、きみはこう考えることもできるだろう
人生なんてこの永遠の中にぽっかり開いた穴だろう、と

だが何もなされていないんだ
何ものも持続するようにできていない
喜びも苦悩も運命も
何もなされていない、何も長続きしない
幸運も後悔も
永遠でさえも長続きしない

 「永遠でさえも長続きしない」すごいこと言いますね。なんて美しい歌なんでしょうか。

(↓ L'Eternité )


 

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