2013年5月12日日曜日

さっぱりサプリポペット (クロチルドふたたび)

5月7日記事の追加です。

 そもそも、20世紀末から21世紀の今日まで、一部の(とは言っても世界中にいるらしい。特にUSAに多いらしい)フレンチ・シクスティーズマニア(この場合9割9分がフレンチ・シクスティーズ”ガールズ”マニアなんですが)がこのクロチルドに異様に高い関心を示したのはどうしてなのでしょう? 2枚のEPシングルしか発表せずに、1967年当時の人気や評価も取り立てて良いわけではなかったこの小柄な18歳(当時)の少女が、今日のこのマニアたちに "Queen of the French Swinging Mademoiselle"とまで賞賛されるようになったのはどうしてなのでしょう? 
 おおむね外国のリスナーの飛びつき方というのは、(英米にない)とびきりカッコいいサウンドだったり、フレンチ・ラングエージの妙を外人の耳に刺激する(往々にして歌がうまくない)キュートなヴォーカルだったり、ということが要因になりましょう。歌詞が何歌ってるのかなんて結構どうでもいいことでしょう。クロチルドの現象は、まずサウンド面から飛びつかれたようなキライがあります。ヴォーグ・レコード(フランソワーズ・アルディ、ジャック・デュトロン、アントワーヌ等が当時在籍し、ヒットパレードを席巻していた)のアート・ディレクターにして作曲・編曲者であったジェルミナル・テナス(当時なんと19歳!)がつくる極めて独創的なごった煮サウンドで、私の耳で識別できる楽器だけでも、早弾きファズ・ギター(かなり縦横無尽)、チェンバロ、バスク・オーボエ、マリンバ、チューブラーベルズ、手回しオルガン、フィドル、そして私が5月7日の記事で強調した驚異の狩猟ホルン隊などが、どわどわどわっと入れ替わり立ち替わり鳴り響くのです。これはビートルズの「グッド・モーニング、グッド・モーニング」(『サージェント・ペパーズ・ロンリーハーツ・クラブバンド』=クロチルドと同じ1967年発表)やスパイク・ジョーンズやレス・バクスターなどをも想わせる、サイケデリックでエキゾティックでスラップスティックなサウンドです。この世界に類を見ないジェルミナル・テナスのオーケストレーションだけでも病みつきになるファンが世界にいてもおかしくないでしょう。
 それに加えて、この18歳の娘のハイブローでツンとしてぶっきらぼうでクールで情緒に乏しいヴォーカルです。しっかりと音程とリズムだけははずさないで歌っているという、それ以上も以下もない歌唱で、バックサウンドとの温度差はかなりのものでしょう。これはフランソワーズ・アルディの「アンニュイ」とは縁もゆかりもないものだ、ということは外人でもうすうすは感じ取るでしょうが、歌詞がわかるフランス語圏人には明白なスタイルなのです。それは "Bête et méchant"(ベート・エ・メシャン)なのです。5月7日の記事で短く紹介しましたが、これは60年代フランスのエロ・グロ・ナンセンス月刊誌「ハラキリ」のスローガンです。直訳すると「愚かで意地悪」ということになりますが、ニュアンスは「ナンセンスで毒がある」という感じです。
 ジェルミナル・テナスの曲とオーケストレーションがベート・エ・メシャンであり、クロチルドの歌い方がベート・エ・メシャンなのです。このベート・エ・メシャンな世界をなんと18歳の娘と19歳の若造が創っていたのです。共に当時は未成年(フランスの成人年齢は1974年から18歳で、その前は21歳でした)だったのです。
 クロチルドの最初の4曲入りEPシングルのB面1曲めが、その名もずばり「ベート・エ・メシャンな歌」(Chanson Bête et Méchante)という歌です。
あたしが12歳だった時、兄がとても好きだったの
すごくかっこ良かったんだけど、片目が義眼だった
それを一生つけていくはずだったのね
もしも私がそれを競売で売ってしまわなければね

これよりもっとバカで 
もっと意地悪な話を見つけたら
私にすぐに投書してね
賞金あげるにゃん
にゃんにゃん

姉はとっても料理がうまかった
ミルフィーユとエクレアをよく作ってくれた
ある日あたしがその中にいくつかガラスの破片を入れといたの
みんなが床にのたうち回るのを見るってとても楽しかったわ

これよりもっとバカで 
もっと意地悪な話を見つけたら
私にすぐに投書してね
賞金あげるにゃん
にゃんにゃん

あたしのいとこは墓地の番人だった
ある晩彼を驚かせようとあたしは緑のシーツで身を包んだ
彼はあたしが突然に目の前に現れるのを見たの
そしたら次の日彼が墓地に埋められちゃった

これよりもっとバカで 
もっと意地悪な話を見つけたら
私にすぐに投書してね
賞金あげるにゃん
にゃんにゃん

あたしのゴントランおじさんは億万長者だった
どう使っていいかわからないお金をあたしにどんどんくれてたの
でもあたしを満足させるにはどんなにお金をあげても足りなくて
結局今じゃおじさんは貧民救済スープをすすってるわ

これよりもっとバカで 
もっと意地悪な話を見つけたら
私にすぐに投書してね
賞金あげるにゃん
にゃんにゃん
ちょっとちょっと...。こんな歌、どうしたらいいんですか? 東西を問わず、世のティーン歌手たちが「夏の浜辺でいきなり恋に落ちてイェイイェイイェイ」みたいな歌を歌ってるのを、私たちはおバカな工場生産流行歌みたいに思ったでしょうけど、その「おバカ」はフツーじゃないですか。ところがクロチルドのこの「バカで意地悪」はフツーじゃないですよ。これって、ポップソングとして成り立たないものだったんじゃないですか。

 Born Bad Recordsからリリースされたクロチルドの全録音復刻アルバム『フレンチ・スウィンギング・マドモワゼル 1967』 に添えられたブックレットには、アレクサンドル・ユスネ(Alexandre Hussenet。この人何者なのか、ジャーナリストなのか、レコードコレクターなのか、判然としません)によるクロチルドとジェルミナル・テナスのロングインタヴューの一部が掲載されています。このインタヴューはフランス語でなされたはずなんですが、なぜかその英語翻訳のみが載っているのです。その英語訳がひどい。フランス語を公開してほしい。(インタヴュー全文の英語訳はBorn Bad RecordsのHPのここに公開されてます。)
 そのインタヴューでエリザベート・ボーヴェ(元クロチルド)は、やっぱりこんな歌は歌いたくなかった、とはっきり言ってます。曲はいい、でも詞は大嫌いだった、と。クロチルドは父も母もラジオ・テレビ界の有力者で、特に母親がテレビ歌謡番組のプロデューサーだったから、そういうつながりで芸能界と直結したような家庭環境でした。少女エリザベートには少女の頃からいろいろとオファー(子役、モデル、歌手...)があったのですが、母親の強力な後押しにも関わらず、エリザベートはすべて断ってきた。そしてある日19歳のヴォーグ・レコード社のプロデューサー、ジェルミナル・テナスが強引なプロポーズで彼女についに「ウィ」と言わせるんですね。
 このジェルミナル君は19歳にも関わらず、自分のやりたいようにしかやらない強烈な個性と創造性があり、クロチルドとは何度も喧嘩しながらも、ジェルミナルのクリエートする極めてオリジナリティーの高い「芸能人形」と化していくのです。ここですよね、長続きしない原因は。クロチルドは音楽アーチストであろうとすることには何の異議もないのだけれど、こんな風に人形にはなりたくない。歌うんだったら自分の作った歌を歌いたい、フランソワーズ・アルディのように。ところが、ジェルミナルはクロチルドをどこにも類を見ない「ベート・エ・メシャン」なポップ・アイドルとして成功させたい。
 フランス・ギャルのことは私のブログのここで長く書いてますけど、フランス・ギャルもクロチルドも芸能界に直結した家庭環境にありましたが、フランス・ギャルは「こんな歌歌いたくない」と自分の部屋で泣きながらも、プロとしてちゃんと歌ってしまう。ところがクロチルドはプロとして歌わなければならないんだけど、わがままで歌わない(プロモーションに行って、その場で「やっぱり出演しない」とダダこねて退散するということもあった)ことでこの道から去っていくのですね。

 こんな独創的な音楽を、18歳と19歳が喧嘩しながら8曲も作ったということを私は美しいとも、奇跡的とも思ってしまうのですよ。あんなにこんな詞は歌いたくないと言っていたクロチルドも、セカンドEPシングルでは、2曲("La Ballade du Bossu", "102-103")で共作詞者として数行のベート・エ・メシャンな詞を書いてしまっているのです。根がベート・エ・メシャンだったからかもしれません。

(↓「ベート・エ・メシャンな歌」)


(↓ このアルバムはぜひLPで聞いてください)


0 件のコメント: