2021年9月11日土曜日

恨んでも恨んでも

Christine Angot "Le Voyage dans l'Est"
クリスティーヌ・アンゴ『東への旅』

2021年晩夏、かたやアメリー・ノトンブの昨年亡くなった父への珠玉のオマージュ小説(『最初の血』)があった一方で、こちらは何度同じテーマで書いてもその父への恨みが果たされることはないクリスティーヌ・アンゴの痛みの深化を読まされる。この二つの「父」は対極にあるが、二つとも激しく"文学”であり、私たちは極端に濃厚な2021年秋のラントレ・リテレールを体験している。
 クリスティーヌ・アンゴを世に知らしめた衝撃的作品は言うまでもなく『近親相姦(L'Inceste)』(1999年)である。読んで字の如く、これは彼女が実の父ピエール・アンゴから受けた性的濫用を暴露したオート・フィクション(自伝的創作)であった。このテーマはこの『近親相姦』(1999年)より前の作品を含めて作家クリスティーヌ・アンゴに繰り返し登場し、話者が「クリスティーヌ」となっている小説のほぼすべてに父との関係が大なり小なり喚起される部分が出てくる。とりわけ2012年発表の『1週間のヴァカンス(Une semaine de vacances)』は、未成年クリスティーヌが(あこがれの)父から受けた性的濫用の暴力性を描写した小説だった。また本ブログでも詳しく作品紹介した2015年発表の『ある不可能な愛(Un amour imposiible)』では、クリスティーヌの母ラシェル・シュワルツと父ピエール・アンゴの困難な恋愛関係を軸に、父がいかに卑劣漢であったかを述べながら、母がクリスティーヌと父の近親相姦関係を知ったにも関わらず何も言うことができなかったことを長年責める、という複雑な関係を描いている。アンゴの多くの作品につきあってきた読者たちは、もはやクリスティーヌと父ピエールの関係に関しては知り尽くしている感を抱いているはずだが、2021年、62歳のアンゴはまだ言い足りない、まだ語り尽くされていないと思っているのだ。彼女の生は13歳に始まった父との関係によって長い時間をかけて破壊され、それは父の死後も破壊されたままなのである。近親相姦は一時的な事件ではなく、一生持続する破壊行為である。作家クリスティーヌ・アンゴはそれしか書けないのか、と謗られるだろう。それが彼女の続けられた生であるならば、それしか書けないアンゴを私たちは読み続けるだろう。
 たぶんそれを総括するつもりで書き始めたであろうこの『東への旅』は、客観的な時系列に忠実な事件の連続の記述であろうと努めていて、記憶を研ぎ澄まし、資料や証言に依ろうとするのだが、曖昧さ不確かさは残る。自分の生がいかにして壊されてしまったのかを検証する試みは、見るに耐えない、書くに耐えない残酷さを直視することであり、見えないこと書けないこともあって当たり前だと思う。
 小説冒頭は話者(クリスティーヌ)と父ピエール・アンゴの初対面である。娘13歳、父45歳での初対面である。事情を説明しておくと、ラシェル・シュワルツとピエール・アンゴの間に生まれたクリスティーヌは、ピエールが結婚も子の認知も承諾しなかったので、ラシェルの私生児(クリスティーヌ・シュワルツ)として育った。母の度重なる嘆願に折れて、ピエールがクリスティーヌを子として認知することになった時、娘は既に13歳であった。ストラズブールの欧州議会で翻訳委員というエリート職で働くピエールは、それが紛れもない恋であるとラシェルとの関係を言い訳していたくせに、ラシェルとは社会的地位が違う(+おそらくラシェルの東欧ユダヤ系の血筋)という理由で結婚を拒否し、クリスティーヌ誕生の二年後、ドイツの大ブルジョワ家出身の女性アストリッドと結婚してストラズブールで家庭を築いている。フランス中央部シャトールーで公務員として生計を立てていたラシェルは、パリ東北東130キロにあるシャンパーニュ地方の都市ランスに新しい職を見つける機会があり、その下見にと13歳のクリスティーヌを連れてシャトールーから短い「東への旅」に出る。そしてランスからの延長でピエールのいるストラズブールに向かった。妻と二人の子供にクリスティーヌの存在をまだ教えていないピエールは、ラシェルとクリスティーヌのためにホテルを予約しておいたのだが、母と娘にわざわざ階違いの別々の部屋を取るのである。これはクリスティーヌが数年後に母の証言で知ることになるのだが、ピエールがラシェルとセックスするためだった(この刹那的肉体復縁の幻想を追い払うのにラシェルは長い年月を要することになる)。しかしその当時は何も知らず、写真でしか知ることなかった父親との初対面に不安/期待を抱いていた少女だった。クリスティーヌにとって、その目の前に現れたのは映画やテレビでしか見たことのないような人物だった。知的で端正な身なりの壮年紳士は少女を魅了する。成功者の佇まい。少女の発する問いにすべての答えがある博識。父親の権威を思わせる進言や示唆。想像だにできなかった"理想の父”のように思われた。父とずっと一緒にいたい。翌日、ピエールは二人を湖畔の町ジェラルメに連れてくる。陽光の下での湖畔の休日を過ごしたあと、ジェラルメのホテルに母娘を残し、ピエールはストラズブールの自宅に戻っていく。その別れ際、ピエールはクリスティーヌの部屋をノックし、語学が大好きと聞いた娘に外国語辞書数冊を詰めた袋を贈り物として差し出す。そしておまえは特別だ、おまえの二人の義妹弟とはまるで違う、おまえは私に似ている、この出会いは私にとって特別なものであった、と告げ、クリスティーヌを抱きしめ、唇の上に接吻したのである。
Le mot inceste s'est immédiatement formé dans ma tête.
近親相姦という言葉が即座に私の頭に浮かんできた。(p18)

そして「東への旅」の最後の夜、ピエールはクリスティーヌの部屋に電話する。父は13歳の娘との出会いの興奮をこう電話で伝える:
ー こうやって今おまえの声を電話で聞いていると、何が起こっているのかわかるかい?
ー ノン。
ー 私の性器が硬くなっているんだ。
ー ...
ー それが何を意味するかわかるかい?
ー ノン。
ー おまえを愛しているということなんだ。ありったけの愛で。私はそれに逆らうことができないんだよ。(p22)

 たった冒頭22ページで、この小説はここまで来てしまうのである。そこからこの少女がこの男に会うたびに、どのように段階的に肉体を奪われていくか行為のディテールを包み隠さず時系列に従って描写していく。13歳から16歳まで、クリスティーヌはピエールのなすがままに性行為(肛門性交)を受け続ける。この細部の描写を自分の膿を絞り出すかのように書く作家の姿が想像できる。胸がキリキリする。これがアンゴの近親相姦第一期である。嫌悪や恥辱の感覚があるにも関わらず、この少女はなぜ男にはっきりとした拒絶を示すことができなかったのか。理想の父はまだどこかに存在していて、その思いですべてを託そうとすると、抱きしめてくるのは性的卑劣漢なのだ。そしてその父はその行為を正当化する詭弁すら弄するのだ。
 ー おまえは時間を得することになるんだ。女たちの多くは男との関係の難しさに不満を持っているのを知ってるだろう。男たちの大部分は女たちに注意を払わないし、男たちは女とセックスをすることを知らない。男たちは女が好むことを知らないんだ。おまえは経験を積むことができ、さまざまなことを比較できるようになるんだ。
 ー だけどなぜみんなはこれが危険だと言うの? なぜ禁止されているの?
 ー それは常にそうだったわけではない。ある種の進化した社会においては洗練と優越性の識しであった。ファラオンたちにその娘を嫁がせることを認めたことは特権であったし、ある種の文明においては、非常に高い階級に属することの証しであったのだよ。
 ー でも私たちはもはやそんな文明の時代にはいないわ。(p58-59)
 少女クリスティーヌは性的奴隷に貶められていく恐怖にありながら、この生物学上の父がなにかしらの感情(愛情に違いない)を自分に持っているはずだ、という躊躇に揺れる。そして自分自身もなにかしらの感情に動かされてその場にいたという可能性も。
 この卑劣漢は社会的地位も高く、教養に溢れ、言語・文才に長け、容姿にも恵まれ、最新の高級車(DS、CX、タルボ...)を乗り回し、性欲が強いプレイボーイである(愛人関係複数あり)。小説の後半で(父の禁を解かれて)クリスティーヌが出会った義理の妹ルイーズ(ピエールと妻アストリッドの娘)は、自分は父ピエールに似てものすごくセックスが好きなの、と告白する。ストラズブールのアンゴ家においてもピエールの性放蕩は周知のことらしい。この小説に現れるクリスティーヌ自身の性関係もかなりふしだらなものがある(ニースの電話会社工事技師との数回の性交など)。これはクリスティーヌの「性」が壊されてしまった結果なのか、それとも父から受け継いだ性向なのか。
 16歳でクリスティーヌは当時の恋人マルクに父から受けている性的濫用を告白し、このマルクはピエールの面前でクリスティーヌとの関係を断つことを要求するという勇ましいシーンがあるが、効果はない。マルクは(事情を知らないはずの)母ラシェルにそのことを告げる。クリスティーヌは母はずっとこのことを知っていたに違いないと思っていたが、近親相姦の事実を知らされた夜、卵管炎を起こし高熱で入院してしまう。このことは2015年の小説『ある不可能な愛』で展開されているが、ラシェルはピエールと関係を持った娘に嫉妬して不幸になっていたと読める。クリスティーヌはピエールに訣別の手紙を送り、ピエールはこのことで自分がどれほど落胆したかと恨み言の手紙を返してくる。
 しかし、ことが明らかにされたものの、ラシェルはピエールを警察に告発しないのである。何も言わない母、何もしない母 ー クリスティーヌとラシェルの関係は冷え込んでいく。

 十代の(地方都市の)少女だったクリスティーヌが母にこのことをずっと言えなかったのはなぜか。それは近親相姦のタブーの公的圧力である。当ブログの紹介記事も非常にたくさんの人たちに読まれた2021年年頭の問題の書カミーユ・クーシュネール『ラ・ファミリア・グランデ』で描かれたように、近親相姦が暴露されなければ、世界は(家族は社会は)そのままの姿で保持され、それが明るみに出されればその世界は崩壊してしまうからなのである。クリスティーヌは中学校へ行き、好きな勉強を続け、普通に友だちに会って遊ぶ、という世界を崩壊させてはならないと直感的に(恐怖をもって)知っていたからに違いない。近親相姦は被害者を破壊するだけでなく、世界も破壊してしまうのである。
 16歳で父と訣別し、勉学は曲なりにも希望する方向に進んだのだが、心身ともに状態は不安定で、不眠症や拒食症を繰り返し、小説を書き始める。23歳で結婚、小説はまだ出版される段階ではない(ル・クレジオに原稿を送りつけ、出版社メルキュール・ド・フランスを紹介されるくだりあり)。自力でやれるような気運が出始めた頃、25歳、クリスティーヌはピエールに電話をかける。母ラシェルと夫クロードにも、父ピエールとの関係を正常化したいという希望を理解してもらい、クリスティーヌは「ノーマルな父と子の関係」の復活をピエールに申し出る。二人はランスとストラズブールの中間に位置する都市ナンシーで再会する。しかしながら、彼女はそれがあまりにもナイーヴだったと即座に理解した。ナンシーのホテルでピエールは9年前と同じことを繰り返すのである...。
 28歳、クリスティーヌは意を決してニース市の警察署の門をくぐり、(当時の法律で)時効が来る前にピエール・アンゴによる未成年強姦を刑事告発する手続きを取ろうとする。しかし担当官に立件が難しい、および公訴棄却になる可能性が高い、と言われ、特に「控訴棄却(Non-lieu)」(つまり父の無罪が確定する)という言葉に尻込みし、告訴に至らない... 。
 作家として公に書物を発表するようになったクリスティーヌに、ピエールは私とおまえの関係のことを小説にするべきだ、とまで進言するのだった。ピエールはアルツハイマー病を患い、問題の小説『近親相姦』が出版された年(1999年)に他界している。

 小説『東への旅』は、13歳のあの日から今日に至るまでのクリスティーヌ・アンゴ年代記220ページである。自ら被害者の体験として未成年少女への(同意ありの)性虐待を30数年後に告発したヴァネッサ・スプリンゴラ『合意』(2020年)と、(前述の)著名政治評論家の義父による弟への性虐待を同じく30数年後に告発したカミーユ・クーシュネール『ラ・ファミリア・グランデ』(2021年)と同列の書として評される傾向もあるが、アンゴは純然たる文学作品である。正確さを極めた記述もあれば、曖昧で迷いのある不確かな表現もある。これは言えないのではないかと胸が苦しくなる切れ切れの言葉もあれば、マシンガンのように連続的に畳み掛けるラップのような箇所もある。この中でクリスティーヌ・アンゴは被害者であり、観察者であり、表現者である。自分の生がどのようにして壊れていったかを2年間かけてなぞり、文字化した。一生ものであるこのテーマを書くのは、おそらくこれが最後というわけではないだろう。これしか書けない作家クリスティーヌ・アンゴは、これしか書けないゆえにクリスティーヌ・アンゴなのである。

Christine Angot "Le Voyage dans l'Est"
Flamarion刊 2021年8月18日 220ページ 19,50€

カストール爺の採点:★★★★☆


(↓)国営ラジオFrance Inter朝ニュース番組で、レア・サラメのインタヴューに答えて『東への旅』を語るクリスティーヌ・アンゴ。 

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