2017年12月7日木曜日

Everyday is Hallyday

マジッド・シェルフィ「このジョニーは彼自身よりはるかに大きいもの」

 2017年12月5日から6日かけての深夜、ジョニー・アリデイは74歳で亡くなりました。死因は肺ガンでした。フランスはこの国民的アーチストの逝去に、6日早朝から全メディアが追悼プログラムを展開しています。大統領府、政府、国民議会などからオフィシャルな弔事が発表され、9日(土)にはシャンゼリゼ大通りでの葬送行進を含む、国家あげての追悼セレモニーが開かれる予定です。
 この偉大さは日本からは見えづらいものでしょう。私自身、30数年の滞仏生活で、このアーチストのファンになったことはありませんし、コンサートに行ったこともありません。しかし自宅のレコード/CD棚を数えてみたら、シングル/LP/CD/DVD合わせて40枚もあり、知らず知らずのうちにジョニーと共に過ごした時間も少なくない「一般的フランス人」の仲間入りをしていたのだなあ、とびっくりしています。 
死の翌日のリベラシオン紙の第一面は、レイモン・デパルドン撮影の1967年のジョニーのライヴ写真。1面から19面までジョニーの追悼特集でした。その中にゼブダのマジッド・シェルフィの特別寄稿が1面扱いで載っていました。私にも覚えがありますが、人前で「ジョニーを評価する」というのは、われわれみたいにちょっと文化人気取りだったり、左翼っぽいポーズ取ったりする人たちにはかなり難しいことだったんです。そういうイントロでマジッドも書いてます。全文訳してみました。あらゆる下層の人たちとジョニーの声をくっつけてオマージュしようとしていますが、多数派の観点ではないと思います。マジッドらしいといえばマジッドらしい。メインのメディアでジョニーの死について語っている人たち(ジャーナリスト、芸能人、政治家、有識者...)はどうしても国民的ヒーロー像にしてしまいたいようで。

マジッド・シェルフィ「ジョニーは傷ついた魂の代理口頭弁論」

男でも女でもみんなそれぞれひとりのジョニーを持っている。私は80年代にその構文や文法や動詞活用の間違いのことでジョニーをバカにしていた若者たちのひとりだった。その頃はまだ「政治的」な時代で、人々はまだ左派を支持していた。われわれはその無教養を嘲り、その現実離れした美貌と完璧なアポロンのようないでたちを笑い、その歌の髪振り乱したロマンティスムや往々にして反動的な様相をバカにしたものだった。その学識の欠如と語彙の少なさをからかった。神というのはここまで誤りを冒すものか、と安心したりもした。人間が到達できるような偶像をめちゃくちゃにすることはたやすいことだった。
私はレオ・フェレを神格化するような、今言葉で言うなら「ボボ」(註:ブルジョワ・ボエーム=進歩派を気取る若い裕福層の蔑称)の一派だったが、最も反動的なものは見かけではわからないということを忘れていたのだ。私はそういう見かけを気にするような奴らのひとりだったが、例外的に、人に隠れてジョニーのアルバムを買っていた。私はその手作りの「美」によだれを流さんばかりだった。私はひざまづいてその歌詞よりもその声を聞き、それは私を打ちのめし、その後私は足取りを軽くさせその場を去った。たしかに、私は前衛なるものを自認していた「恥ずべき連中」のひとりだったし、あらゆる希望よりも高いところから降りてくるこの影のようなものに我慢がならなかったのだ。私はこの男が単なる声だけでないものであり、この声はどん底の人々の苦悩の化身であり、同時に担がれた十字架より高いところにある一筋の光なのだということを忘れていたのだ。それは頭痛の種を破壊するヴァイブレーションであり、傷ついた心を甲羅で包んでくれる。その声は疲労困憊した肉体を再びシャキっとさせ、朝には再び最低の職種と最低の仕事に赴かせてくれるのだ。その声はわれわれの声を救いにやってきてくれる。怒りの日にはわれわれの声を逞しくしてくれる。押しつぶされた苦悩の叫びを助けるために、その声はわれわれの声帯に乗り移ってくれる。それはすべての助けを求める叫びのメガフォンであり、下層の人々のメガフォンなのである。彼は自分ではそうとは気付かずに、すべての声なき人々、すべてのシステムから除外された人々の声を支えてきたのだ。彼は学識のない人にイロハを提供し、傷ついた魂に代わって口頭弁論をし、語彙の少ない人々の欠席答弁を買って出たのだ。
彼の楽曲の数々はバイブルとなり、居心地の悪い大多数たる無言者たちの口頭弁論と不幸な人々の光となった。自らを励ますことしか望まないこの男は、打ちのめされた者たちの自信を取り戻させ、より良い世界を説くあらゆる理想主義者たちに集中砲火を浴びせ、選挙公約や神の啓示を粉々に砕く。彼は自分自身のための約束しか守らない神であった。彼は老いて、病気を患い、酒を飲み、喫煙し、自分自身の欠陥に打ち勝ってきた。このジョニーはロックンローラーではなく、歌手でもなかったが、われわれのあらゆるフラストレーションに効く膏薬であり、あらゆる人生の不幸に効く絆創膏であった。悲嘆に暮れた日々の心を縫いつくろってくれる修繕装置だった。このジョニーは彼自身よりもはるかに大きなものであり、慰安の化身であり、プロレタリアの苦しみの穴を塞いでくれた。彼は最悪の不幸を生き抜いた人々、あらゆる格下げ被害者たちを慰めてくれた。これらのすべての人々が不幸に打ち勝つ勝利の可能性を説くこの男に自分の姿を見ようとした。彼はいつしか大きな不在者、失われた指導者、あまりに早く死んでしまった母親、傷ついた子供の代役となったのである。貧困者、のけ者、ホームレス、失業者、暴力にさらされた女、黒人、アラブ人、ロマ、一言のフランス語も解さない者の苦しみを和らげてくれた。彼の歌声はその歌詞や歌そのものをはるかに上回った。常に彼はその態よりも、彼自身よりも強いものだった。天使のような顔をした男、その彼が「俺のツラがどうしたってんだ? qu’est-ce qu’elle a ma gueule ?」と歌う時、あらゆる醜男たちはそこに自分を投影し、そのまさに真実味ある抑揚と勇ましさに自分の姿を見るのである。彼の声はまぶたの中にあらゆる悲しみの涙をせき止めるダムを建設してくれた。その堰の内側にわれわれは身を避難させていたものだが、この喪の悲しみの時に際して、私はそのダムが大量に作られたとは思えないのだ。今日、私は私の家族でない者の死のために泣いている。だが、彼は家族だったのではないのか?

マジッド・シェルフィ
(歌手、作家、俳優、ゼブダのメンバー)

(↓)文中に出てくる「マ・グール(俺の顔)」2006年パレ・デ・スポールでのライヴ映像 ("Ma Gueule" 1979年初録音。作詞:ジル・チボー、作曲:フィリップ・ブルトニエール。ちょっとピンク・フロイド「豚」っぽい。)


(↓)死の5ヶ月前、2017年7月1日「ヴィエイユ・カナイユ・ツアー」(ジョニー・アリデイ+エディー・ミッチェル+ジャック・デュトロン)ボルドーでの映像(YouTube投稿動画)。"La musique que j'aime"(作詞ミッシェル・マロリー/作曲ジョニー・アリデイ。オリジナルシングル1973年)

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