2015年11月18日水曜日

俺はこの日、フランス人になった(マジッド・シェルフィ)

2015年11月16日(月)のリベラシオン紙に、トゥールーズのロックバンド、ゼブダのリーダー、マジッド・シェルフィが一文を投稿しました。11月13日のテロ事件の衝撃で、マジッドは自分の立ち位置がはっきりしてしまったことを吐露します。この血の大殺戮は、自分にとって血の洗礼であった、と。
 当ブログに親しくない人たちのために説明しますと、ゼブダは1985年から活動しているトゥールーズのバンドで、マジッド、ムスターファ(ムース)、ハキムというアルジェリア(カビリア)移民2世(国籍はフランス)の3人をフロントメンとして、シングルチャート1位曲もあるメジャーシーンの有名バンドです。トゥールーズの草の根市民運動とも深く連携していて、政治的・社会的なメッセージを多く含んだ歌が多く、明確に左派系の行動派です。郊外問題、移民出身者差別の問題などに言及する歌詞が多く、Beur(ブール=アラブ系移民2世)のオピニオンリーダー的な立ち回りをしますが、彼らは(ここ重要です)一貫してフランス語で歌い、アラブ語やカビリア語の歌がありません。多文化が調和的に同居する小さなユートピア作りを、地元トゥールーズの地区で長年模索していて、そのために最低のルールとしてフランス語を共通語とする、としたのです。ゲットー化しないこと。ルールは共和国のルールであること。ライシテを尊重すること。そしてレゲエ、マグレブ音楽、ヒップホップ、ロックがミクスチャーされたゴキゲンな音楽で、すでに30年もトゥールーズとフランスを踊らせてきたビートバンドです。
 
そのリーダーのマジッド(1962年生)が、"CARNAGES"(大殺戮)と題する一文を左派系日刊紙リベラシオンに投稿したのですが、そこにはこれまで口にすることがはばかれたような「フランス愛」が展開されています。文は "Il y a des jours comme ça où...”(こんな日もあるんだ)で始まり、こんなことなかったのに、突然さまざまな日が自分とフランスをつないでいることに気がついたような展開です。おそらくトリコロール旗など一度も振ったことがない、ラ・マルセイエーズを歌えと言われても小声でしか歌えない、そういう過去を理解してください。われわれ(と私も含めてしまいますが)の控えめなフランスへの思いはおおいに複雑なのです。世界の主要都市のモニュメントの夜間照明がトリコロールになったり、世界のフェイスブックユーザーのプロフィール写真がトリコロールで飾られたり、というのとは次元が違うのです。
 以下全文を日本語訳しました(多少の誤訳はご容赦を)。固有名詞で説明が必要なものありますでしょうか? ペタン(第二次大戦時の対独協力フランス国家元首)、ジャン・ムーラン(第二次大戦時の抗独レジスタンス指導者)、アラン・フィンキエルクロート(哲学者、タカ派保守論客)、エリック・ゼムール(極右寄りジャーナリスト)、ナディーヌ・モラノ(保守政治家。フランスは白色人種の国と発言)、アラン・ドロン(モラノ発言を熱烈評価する90歳の老俳優)....。この血の大殺戮によって、マジッドは晴れてフランス人になれた、と宣言します。突然に、こんなフランス(どうしようもないフランスも含めて)をためらわずに愛するようになってしまった。私は共感できる部分多いです。

大殺戮 (Carnages)

こんな日もあるのだ。フランスを心から愛して、ラ・マルセイエーズを歌いたくなって、手のつけられない応援サポーターのように全身トリコロールになりたくなったり。またこんな日には自分があまりフランス人っぽくないなと自分を責めたり。こんな日にはマジッドと名乗る男でも、デュポンという名前だったらいいな、と思ったり。俺は頭がどうかしたのか?ショックを受けたのか? そうとも。だから俺は心の痛みが散らされるままにしておくし、ガツンとぶつけられた頭を休めることにしよう。

それは大殺戮だったし、それが俺にとっての血の洗礼だった。俺はこうして本物のフランス人になったのだ。断言したぞ。俺は市役所建物の正面に向かって、富める時も貧しい時もフランスを愛すること、その末期にいたるまでフランスを保護し、いたわることを誓ったのだ。俺がいかれちまったのかって? もう惚けたかって? 俺は生まれ変わったんだ。

こんな日もあるのだ。アナーキストでさえも大混乱のあと振るべき旗がこれ1本しかなくてそれが青白赤の三色旗だったり。こんな日にはこの国が間違っていてもこの国が好きになり、間違ったことをするのはそれが心底まで俺たち自身だからなんだと思うようになる。

こんな日にはこの国の人里離れた集落や村やそこにある戦没者慰霊碑がたまらかく好きになる。こんな日には老婆を400種類のチーズでねぎらってやれないことを悔やんでしまう。

こんな日には自分自身の母親よりもこの国の正義の方が大切だと思ったり、別の日にはその逆だったり。われわれの志である自由、平等、博愛を超越する日もある。生命よりも強い日があって、それは死の日なんだ。

そうとも。こんな日にはルノーやフェレやブラッサンスがフランスばかりを愛して、祖国を愛していなかったと非難したり。またある日には外敵の危険などなくても愛国者のふりをしてみたり。血や戦火を見る前に。

危険信号が鳴る前に、死者がそのひどい匂いをまき散らす前に、人はフランスを救おうと思うようだ。さあ、武器を取ってこの共和国、この国家という宝物を救おうじゃないか。こんな日には人は左派にもなれるし、右派にもなれ、お互いに賛同しないという権利を尊重する限り、どんな党派を支持したってかまわない。こんな対立意見や、極端で吐きたくなるような思想に対しても寛容な国を人は羨む。

こんな日には、法の原則や自由や(どんなに不器用に進められているにせよ)ライシテへの闘いのあり方を見直してみるよ、国民アイデンティティーの不毛な議論に責任に持つこと、たとえどんな状態になってもフランスに対して忠誠を誓うこと。すべての責任を負うこと、ペタンであろうが、ジャン・ムーランであろうが、卑怯者でも英雄でも、最高の技能者でも馬のような奴でも、頑固者も偶像破壊論者も? もはやこんな日には、フィンキエルクロートは聖歌隊の少年のようだし、フロン・ナシオナル党はただのゲームの対戦相手にすぎない。

こんな日にはウーエルベック本は彼が書いたことではなく、彼が恐れているものもののために読まれるのだ。またある日には冷静さをまるっきり失ってしまったゼムール、モラノ、ドロンの言うことも聞くはめになるのだ。別の日にはモミの木を2本買いたくなったりする。1本は伝統のおまつりを祝うため、もう1本は3つの言葉で俺たちに正当な場所を築こうとするこの国の努力を支えるために。

マルディ・グラにはクレープを、復活祭にはチョコレートを食べたくなる日だってある。

黒人であろうがムスリムであろうが、自分たちの先祖がガリア人であってほしいと思う日だってある。

こんな日には無名戦士の墓の前で頭を下げたり、一分間の黙祷と言われても嫌な顔をしないものだ。すべての「祖国の殉死者たち」に献花したくなる。その死者たちが前線で死のうが、レストランの奥の間で死のうが。こんな日、人は自分がつくべき陣営を決断するのだ。他に選択のしようがないのだから。

割れんばかりの拍手をあらゆる制服組に、公安警察、パラシュート降下部隊、刑事たちに送りたい日だってある。そんな日にはどんなさまであろうがあらゆるフランス人を好きになってしまうのだ。そんな日には。だが、そうでない日もまたあるだろう。

マジッド・シェルフィ(ゼブダ)



ゼブダに関する爺ブログ記事:
2009年9月10日:ゼブダはヴィデオで帰ってきた

2010年5月6日:兄弟の握りこぶし
2010年11月14日:もうすぐ再始動するゼブダを垣間みる
2011年12月10日:ゼブダが帰ってきたのを目の前で見た



3 件のコメント:

かっち。 さんのコメント...

前原です。親分のおかげでマジッドのこの文章が読めて,本当に良かったとまずは感謝いたします。マジッドはまじでえらいね。僕がぼんやり考えていたことが,少し明確になりました。

Des jours où on choisit son camp parce qu’il n’y en a pas d’autres. (...) Des jours, mais il y en aura d’autres.

この最後の部分が素晴らしい。政治的とはこういうことだと悲しく納得しました。ありがとうございます。

Kumique さんのコメント...

FBでシェアしている方から拝見させていただきました。
フランスに10年ちょっと住んでいました。ユートピアだと言われるかもしれないけど移民を受け入れ、移民は自分達を受け入れてくれた国に貢献する、それが財産だという国が標的になったことがとても残酷だなと思います。両親が必死で働いて手に入れたアパートに10人の家族で生活していたり、名前がアラブ系だからと就職に不利だったり、そんな不公平もフランスに存在することも確かですが、クラスに色んな国をオリジンに持つ子供達が一緒に学びながら友達の国の文化を理解することの出来る国。マジットは言葉は正に今までアイデンティティを放棄してきた(放棄しざるを得なかった)マグレブ系フランス人の心を代弁してるのではないかと思いました。

Pere Castor さんのコメント...

かっち先生、Kumiqueさん、コメントありがとうございました。
マジッドの言葉で、私が最も共感する部分は、一体この「フランスの不完全さ」をどうするのか、ということです。私たちは日々の暮らしや政治や社会状況でこのフランスの不完全さにイライラしている。だから歌にしたり、文字にしたり、討論したり、ということになる。答えはなく、一向に良くならず、ますますイライラする。異なる意見の連中がとんでもないことを言い始める。イライラする。ということを繰り返してきている。これは不完全であるがゆえに、あの人たちに反対する、あの人たちに委せられない、新しい解決策が欲しい、とひとりひとりが探して、言いたいことを言い合うわけです。
テロ事件の3日前(11月10日)哲学者アンドレ・グリュックスマンが死んだ時に、この偉大な思想家でヒューマニストだった人間が、イラク戦争時にフランスの軍事介入を支持したり、シラクの核実験再開を支持したり、2007年大統領選挙でサルコジ候補を支持したり、ということをしているわけです。私の意見では彼はエラーを犯したと思っています。しかし、グローバルにグリュックスマンの生涯を捉えると間違いなくポジティヴな人間だったと思います。これと「不完全なるフランス」を一緒にしたらいけないかもしれません。しかしエラーはあるのです。
私たちは外にいてフランスの不完全さを批判しているのではありません。マジッドはこの日、もっと中に入らなければと思ったのかもしれません。こちら側から見れば、晴れた日も雨の日も違って見える。多くの人たちがポジションの選択を迫られた日だったと思います。