2019年11月16日土曜日

2019年のアルバム:ちんちん鼻の告白

Philippe Katerine "Confessions"
フィリップ・カトリーヌ『告白』

50歳。ジョアン・スファール監督の『ゲンズブール、その英雄的生涯』(2009年)に、ボリズ・ヴィアン役で出演して以来、映画俳優としての存在感をどんどん増していき、ついに2019年のセザール賞では『ル・グラン・バン』(ジル・ルルーシュ監督)の市営プール管理人ティエリーの役で「助演男優賞」に輝いた。その受賞セレモニーで、登壇開口一番カトリーヌは "C'est n'importe quoi"(こんなのデタラメだね)と言って笑いを取った。そう、カトリーヌは映画の世界では n'importe quoi なパブリック・イメージがある。ほとんど演技の必要がない、セリフをそのまましゃべればカトリーヌの不条理なキャラクターが独り立ちする、そういう俳優である。気弱でいながら自己主張があり複雑にぶよぶよしている。どの映画に出てもそのパターンは変わらず、多分"地のまま"と思われているが、実は各監督がそのイメージを利用してそう操作しているのだ。カトリーヌにとっては映画は(監督に)「されるがまま」の仕事で、それをカトリーヌ自身もおおいに楽しんでいると言う。ところが音楽はそういうわけにはいかない。その音楽の創造主は「俺なんだ」という、全く人まかせではない、俺、俺、俺の制作態度を要する。妥協のない100%カトリーヌのクリエーションでなければならない。今度のアルバムでの端的な例は、このジャケであり、どのレコード会社であれ、これを出されたらかなり難色を示すはずであり、当然別案を要求するものだろうが、カトリーヌはこれを通した。発売(公開)後、一部のストリーミング配信サイトでは鼻の部分がボカシ修正されているそうだ。
 カトリーヌのもうひとつの本業、ナイーヴ系イラストレーター(→)では、その"童心”がおおいにものを言うのであるが、その子供ごころは”ちんちん”や"うんち"や"肛門”への尽きない興味を隠さない。人前に出たがらない宅録シンガー・ソングライター風に音楽デビューしたカトリーヌが、露出狂のように裸身を曝け出すのは1999年のダブルアルバム『Les Créatures / L'Homme à 3 mains』の頃からである。なにか悩んでいたのであろうな。2000年代になって、意図的な "醜男”変身があり、頭髪を坂田利夫型にし、体をぶよぶよにして、なおかつ体毛豊富な裸身を機会あるごとに晒した。なにか悩んでいたのであろうな。しかしパブリックイメージを一変させたのは2005年の "Louxor J'adore"(そして大ヒットアルバム "Robots Après Tout")というメガチューブであり、とりわけ年端のいかぬ子供たちが大喜びだったのである。この日からカトリーヌは子供たちに愛される変なぶよぶよしたおじさんになった。2010年の"La Banane”の海浜ふりちん踊りは、またしても子供たちに愛され、「パパ、あれやってよ」とせがまれた父親たちを本当に困らせた。
 ではこのアーチストはお笑いの人なのか、と言われると...。芸術一般における前衛で先端であることを、臆病で恥ずかしがり屋で不器用な"地”を出して表現するから、「笑い」を取ることはあっても、その笑いは不条理であり、時に悪意や得体の知れない含蓄すら思わせる。ダダやシュールレアリスムの普通には笑えない諧謔のようなものも。根が高踏なのよ。
 さて今度のカトリーヌのアルバムは、そのすべてを解き放ったような大盛り多彩な作品で、怒りも嘆きも政治も身体論も音楽論もある18曲。全曲を作曲ツール Garage Bandで作ったというが、エレクトロ、ラップ/ヒップホップ、エスノ/ワールド、ジャズ、アヴァン・シャンソンなどを全く自在にコラージュして1曲に構成してしまう超多芸ポップ。これまでにない多彩さに「予算がすごかったのではないか」という質問に、驚くほどではないと謙遜するが、やり放題にはそれなりのバラマキが必要だったろう。コンプレックスから解き放たれたような"大作”である。"Robots Après Tout"(2005年)以来サウンドの要となっているルノー・ルタンチリー・ゴンザレスの二人に加えてゲスト陣(カミーユ、アンジェル、ドミニク・ア、ジェラール・ドパルデュー、ジュリー・ドパルデュー、レア・セイドゥー、オクスモ・プッチーノ、アラン・スーション、ロムパル...)が大きくものを言っているが、制作のダイレクトリーは明白で、これらの人々はカトリーヌの手足のように制作に貢献している。例えばオクスモ・プッチーノの声、フランスのラップ/ヒップホップ界できわめてユニークな仙人ヴォイス、マリ出身だけにグリオ的な老賢者の叡智を思わせる声の持ち主、カトリーヌはこのアーチストのことをよく知らないが、この歌「鍵(ラ・クレ)」に不可欠なある種の「権威」を付加するのにプッチーノの声ほど最適なものはないと考えたのだそう。その歌「鍵」のテーマは肛門である。
僕の行きたくないところへ連れていってくれ
僕が考えもしなかったところへ
そここそが鍵なんだ
鍵 鍵 鍵
肛門を開いて
僕の中に入ってきて、でも階段を通らないで
僕が考えもしなかった道を通って
そここそが鍵なんだ
鍵 鍵 鍵
肛門を開いて
こんな歌い出しでカトリーヌが展開したあと、オクスモ・プッチーノが老賢者の声でこう閉める。
幸福とはボンジュールのようなもの、それは正当で、天国みたいなもの。わしらが鍵師だ、肛門を開いて、源泉に立ち返ろう、高級なのはロウソクさ、さあ、しよう、スローにやらなきゃだめだ、野獣たちは遠ざけておいて、さもなきゃそれはにせものだ。
歓喜せよ、歓喜せよ、誰って?おまえだよ、キウィの果汁のように流れ出すんだ、お望みの人たちだけだよ、みんなさかさまになって、体内の空気の柱を貫くんだ、みんなさかさまになって。もしもそれが気に入ったら、きみは鍵を得たんだよ。
テレラマ誌2019年11月9日号は、「この歌は"ソドミー礼賛”ですよね?」とカトリーヌに尋ねた。すると作者は「そう解釈してもいいが、"肛門を開け"とはわれわれ歌手の歌唱訓練やヨガでよく使われる表現で、口から肛門までの空気の通り道をつなぐことで得られる人体にとっての"徳”のことなのだよ」と。肛門を開くことによってわれわれが得られる気功(チーコン)の流れ。なるほど。だが誰がこの歌をそんなふうに聴きますかってえの。
 オクスモ・プッチーノの威厳あふれる声よりも、もっと権威あるであろう大俳優ジェラール・ドパルデューは、2010年からフィリップ・カトリーヌが大俳優の娘、ジュリー・ドパルデューと暮らしていて、二児をもうけた関係上、カトリーヌの"義理の父”なのである。この義父の特別出演は何曲かにまたがっているが、数年前から奇行&醜聞が相次ぎパブリックイメージが奇人化したこの巨漢俳優の声は別格の存在感がある。5曲め「ブロン(Blond)」で金髪白人の優位性(絶対に身分証明書検査を受けない、テロ事件があっても絶対に疑われることはない)を自慢げに歌うカトリーヌを「卑劣漢!(salaud !)」と罵倒するドパルデュー。その中でカトリーヌの本名(フィリップ・ブランシャール)をあげつらって、義父はこう言う。
あんたは金髪白人だが、今なお多くのルイジアナ出身の黒人たちがあんたの姓ブランシャールを名乗っていることにあんた驚かないのかい? ナントの港、ボルドーの港、あんたには覚えがないってえのかい、金髪白人さんよ!
この話は勉強になる。17世紀から19世紀にかけてフランスを仲介してアフリカからアメリカ南部に送られた奴隷たち(ナント港経由がのべ50万人、ボルドー港経由がのべ15万人)の多くの子孫たちがブランシャール姓を名乗っているということは、カトリーヌの家系の先祖の中に奴隷商がいたかもしれない。これは身に覚えが(おぼろげに)ある歴史的負目を歌にしてしまったということだろう。
 そして権威ということで言うならば、2017年から突然にフランスの最高権威に上りつめてしまった若い男エマニュエル・マクロンは、第1曲めの「BB パンダ(BB Panda)」で俎上に乗せられている。なぜこんな天狗になってしまったのか。ここで挿入される(マクロンの声もサンプルされている)エピソードは、2018年6月、リセ生たちに握手ぜめにあっているマクロンに、ひとりの男子生徒が「Ca va Manu ?(マニュ公、元気か?)」。これに対してマクロンはむっと来て、「私はきみのダチではない。きみは私をムッシュー・ル・プレジダン(大統領殿)と呼ばなければならない」それに続けて「いつかきみが革命を起こしたいと思ったら、まず学位を取って、自活するようになってからだって覚えておきなさい」と説教した。カトリーヌはこの赤字部分のセリフをサンプル挿入して、その直後にバシッと平手打ちを喰らわす音。
あんたの言うことはクソばかり(しゃべるのをやめろ)
しかも信じられないスピードで(しゃべるのをやめろ)
同じことばかり言う(しゃべるのをやめろ)

会計係の顔をして(しゃべるのをやめろ)
あんたの言うことはクソばかり(しゃべるのをやめろ)
オトコを目立たせる姿勢で(しゃべるのをやめろ)
同じことばかり言う(しゃべるのをやめろ)

聞く者が低脳だと言わんばかりに(しゃべるのをやめろ)
なぜこの若い大統領はここまで尊大・横柄になったのか。カトリーヌの表現はかなり攻撃的であり、憤怒が込められている。曲名となった「ベベ・パンダ」は2017年12月、ボーヴァル動物園で生まれた赤ちゃんパンダを、大統領夫人ブリジット・マクロンが命名セレモニーを行ったという権力私物化エピソードに由来する。
 18曲で、性器や性行為を意味する語や表現が随所に出てくるが、本人の実生活はいたって控えめなのに、歌づくりになると解き放たれたように大胆になる、と言っている。しかしそれも、ちょっとませた子が母親を赤面させたくて言っちゃったみたいなところもある。平手打ちを受けたいみたいな。
 「88%の男はゲイであるが、その73%はそれを公表しない」(10曲め "88 %" feat. ロムパル)という統計は、自分を中心とした半径数十メートル内の現象かもしれないが、妙に説得力がある。 と言うか、ジェンダーの曖昧化はわれわれの時代の現実であり、「女である」とは誇らしげに言っていいけれど、「男である」はどんどん自信を失っていっていい。男たちよ、無駄な抵抗はやめろ。自殺したリセ時代のダチのことを歌った14曲め「ラファエル (Raphaël 1965-1989)」の中で、そのラファエルの言葉として「僕は男女間の平等など欲しくない、僕は下等のままでいたい」というのを引用している。そう、われわれは下等でいいじゃないか。
 鬼才カナダ人チリー・ゴンザレスと、2018年最高の新人だったベルギー人アンジェルと組んだ9曲め「デュオ(Duo)」は、おそらくこのアルバムで最も完成度の高い曲。
(↓)"Duo"(2020年2月12日にアップされたYouTube)

曲導入部から鬼才音楽家ゴンザレスがわかりやすく力強い音楽論みたいなことを言ってしまう。
(ゴンザレス)テンポは140BPM、一分間に140拍、この数値をリズムボックスに入力するとボックスはグリッドを表示する、ツツツツツツ... とね。そこからパターンを作り出すために何を取り除くかを決定するのはわれわれだ。たとえば大理石の板を前にした彫刻家がそこから彫像とならない部分をすべて削り取っていくように。それが私のパターンだ。 
(カトリーヌとアンジェル)同じテンポだけどパターンは違う
同じテンポだけどパターンは違う...
ここからこの歌はテンポとパターンの違い、メロディーは同じでもオクターヴ声部の違い、歌詞のちょっとした違いといった、音楽作りの複雑さを優しく開陳していく。ストロマエがYouTube連載"Leçons"で公開していた曲作りの現場も彷彿させるが、カトリーヌはこれを4分21秒でやってしまう。マイク・オールドフィールド「チューブラー・ベルズ」やモーリス・ラヴェル「ボレロ」のように、楽器を増やして行ったり、アンサンブルをコラージュしたり、聞く者はここで音楽の創造に立ち会うことになる。その極意は
On joue la même mélodie 同じメロディーを演奏しても
mais pas avec le même son 同じ音で演奏しない
Et ça nous rend moins con それで私たちは少しお利口になるんだよ
みんな同じ音を出さないことで音楽とわれわれはお利口になる。この音楽論は圧倒的に正しい。そして音楽を創造することはパターンを創造することである、人生を創造するのもまたパターンを創造することである、とゴンザレスは大胆に結論するのだ。
(ゴンザレス)そして人生もまたひとつのテンポがある。
この人生のテンポもまたわれわれにグリッド・グラフを示し出す。
1週間に7日、
1日に24時間
1時間に60分
そして多数の秒数
自分自身のパターンに至るために
そこから何を取り除いていくのかを決めるのは
われわれひとりひとりである
Notre pattern, qui n'est pas terne
(われわれのパターンは冴えないものであるわけがない)
Qui n'est jamais terne
(断じて、つまらないわけがない)
うわぁっ!これは音楽マニフェストではないか。

<<< トラックリスト >>>
1. BB Panda
2. Stone Avec Toi
3. KesKesséKçetruc (feat Camille)
4. La Converse Avec Vous
5. Malaise
6. Blond (feat Gérard Depardieu)
7. Bonhommes

8. Aimez-moi
9. Duo (feat Chilly Gonzales & Angèle)
10. 88% (feat Lomepal)
11. Une Journée Sans (feat Clair)

12. Point Noir Sur Feuille Blanche
13. La Clef (feat Oxmo Puccino)
14. Raphaël 1965-1989
15. Bof Génération (feat Dominique A)
16. Rêve Affreux 
17. Rêve Heureux (feat Léa Seydoux)
18. Madame de


Philippe Katerine "Confessions"
LP/CD CINQ7/Wagram

フランスでのリリース:2019年11月8日

カストール爺の採点:2019年のアルバム



(↓)クリップ "Stone Avec Toi"


(↓)クリップ "88% (feat Lomepal)" + "Blond (feat Gérard Depardieu)" + "Bonhommes"

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