2011年8月15日月曜日

サルコジ前夜に消されたゲイジャーナリスト



Joseph Macé-Scaron "Ticket d'entrée"
ジョゼフ・マセ=スキャロン『入場券』


 世に左翼から保守に転向した政治家、作家、文化人はごまんといます。現東京都知事でさえ若気の至りの頃は左翼でしたから。その逆で保守から左翼に転じる人は珍しいのです。フランスではフランソワ・ミッテランという大きな例外がありますが。この小説の作者、ジョゼフ・マセ=スキャロンは保守系ジャーナリストとして15年間「リベラル」論陣を張っていたのち、2007年に保守紙フィガロの別冊週刊誌フィガロ・マガジンの編集長の座を追われ、数ヶ月後に左翼系週刊誌マリアンヌのジャーナリストとして復活して現在に至っています。
 小説はこの経過を追うような自伝的フィクションで、時代背景は2005年から2007年にかけてです。現実の世界では歴史ある保守新聞フィガロの出版グループが、セルジュ・ダッソー(仏軍用機産業のドン。創業者マルセル・ダッソーの息子)に買い取られ、同紙の報道の独立性の維持が危ぶまれました。古今東西保守紙が財界/産業界におもねる紙面を作るのは当り前のことではありますが、ダッソーにはこの新聞をラジカルに変えてしまう狙いが最初から見え見えでありました。この軍需産業の巨魁にはその地元ヌイイ・シュル・セーヌで親子二代で我が子のように育ててきた若手政治家がおりまして、すくすく育ったその辣腕政治家は2005年、天下取りの一歩手前まで来ている。ニコラ・サルコジを大統領にするために、この保守紙はダッソーによってサルコジ新聞に変身を迫られるのです。第一面の扱いや見出しタイトル、記事内容に関してダッソーと内務大臣(当時のサルコジの役職)が事前チェックを入れるようになるのです。編集部や記者たちの人事はコロコロ代わり、少しでもサルコジに批判的だったり疑問を抱いたりする記事を書いたり載せたりする者は容赦なく左遷されるようになります。
 小説の話者バンジャマン・ストラーダは40代のジャーナリストで、伝統あるリベラル全国紙「ル・ゴーロワ」(読者の誰もがフィガロと見抜いてしまう)の政治部に勤め、ジム通いを欠かさない筋肉質の肉体と魅惑的な風貌を持つホモ・セクシュアル者です。それも「ボボ・ゲイ(bobos-gays)」と呼ばれるハッピー・フュー、つまり裕福で最先端のゲイカルチャーやゲイイヴェントのために世界中のゲイスポットを周れる、ごく一部にだけ許されたゲイ世界の共有者です。パリ3区のマレー地区だけでなく、バルセロナ、ベルリン、ニューヨークなどの普通の人々からは隠されたハイクラスの最先端ゲイの世界が描写されていて、私などはとても興味深く読みました。そのエロいショーやテクニックのことなども。この小説のプレス評の中には、このゲイとエロの部分をことさらに強調してスキャンダルものとして扱うむきもあります。マセ=スキャロンは、この330頁ある小説の中で、エロ描写の部分はたった14頁しかないのだ、とその批判を相対化しています。
 ストラーダが長年連れ添ってきた若い恋人ユゴーと破局するところから小説は始まります。さてどうするか。ホモであろうがヘテロであろうが、40歳代の男の危機感は変わらないのです。論語は四十不惑(しじふにしてまどはず)と教えますが、惑ってしまうのです。今までやってきたことは何だったのか、今まで寄り添っていた連合いとは何だったのか、やり直せるとしたら今しかないのではないか。40代の男はみんなそういう顔をしています。ストラーダは俺は一体今までどこにいたのか、わからなくなってしまいます。このアイデンティティーの危機的状況から脱するために、精神分析医にカウンセリングを求めたり、プルースト『失われた時を求めて』を読み直したりします。出会いは新しい恋人を探すためではなく、往々にして自問自答を他人にぶつけることのためです。
 そんな中でストラーダは初老の国際コンサルタント会社社長ルノー・ワラスと出会い、二人でバルセロナ旅行(エロいゲイスポットの旅。性関係込み)の果て、記者業に甘んじることなく大きなキャリアを狙えと進言します。そして政財界に強力なコネを持つワラスが、ル・ゴーロワ紙の新経営陣とも通じていて、その総帥シャルル・サボ(読者は誰もがセルジュ・ダッソーと見抜いてしまう)との会見までセッティングして、ストラーダをル・ゴーロワの別冊週刊誌「ル・ゴーロワ・マガジン」の新編集長に抜擢させてしまうのです。
 ニコラ・サルコジはそのままの名前で小説に登場します。内務大臣として内務省を要塞化し、内政問題に関しては大統領府を凌駕する権限を発動させていた、前例を見ない権力アニマルです。その昇り竜の勢いが最も顕著だった2005年から2007年、現職大統領シラクはもはや表舞台には立てず、難聴と噂され、記憶も薄れているとさえ言われ、引退して自叙伝でも書くことくらいしかこの人物に残されたものはない、と思われていました。
 サルコジは早くもストラーダに直接電話を入れてきます。「この前のおまえの記事よかったぞ。セシリアもすごく気に入ってた」というようなチュトワマン(おまえ、俺、で話す)で内務大臣はしゃべりますが、ストラーダはヴーヴワマン(あなた、わたくし、で話す)で答えることになります。こいつには逆らわない方がいい、という世の中の動きがあります。そうであるべきではないジャーナリズムの世界でもそうなのです。とりわけル・ゴーロワ社内では。
 保守とゲイはかつては水と油の関係でした。フランスの保守が重要視する諸価値のひとつに「家族」があるからです。それはカトリック的道徳観と強い関連があり、ローマ法王庁のように同性愛、避妊(コンドーム使用)、中絶などを禁止しようとする考えに近いものです。保守はゲイを日陰者にしてきました。同性愛は1981年まで「犯罪」として扱われてきたのです。それを撤廃したのがミッテランでした。という事情で、ゲイ・コミュニティーは概ね反保守であり、選挙には左翼やエコロジストに投票するのが常でした。ところが時代と共にオーヴァーグラウンドで活躍するようになったゲイの人々(自営業者、会社幹部、一部アーチスト...)には、保守にシンパシーを抱く傾向が増えていきます。
 ストラーダはル・ゴーロワ・マガジンの次の号の表紙と目玉記事用に、ジャック・シラク大統領のインタヴューを申込み、翌日にいざそのインタヴューという前夜真夜中に、ル・ゴーロワ幹部から電話が入り、「明朝、内務省でニコラ・サルコジにインタヴューの約束を取り付けたので、そっちに行け」と厳命されます。ル・ゴーロワ首脳陣の中では既にシラクは用のない人物であり、読者が求めているのは新時代への期待である、というリクツですが、実はそれは影からの圧力に他なりません。
 ストラーダはやむなく内務省に向かい、チュトワマンでしゃべりまくる超アクティヴな内務大臣と相対します。このパッセージがこの小説の大きな山で、おそらくジョゼフ・マセ=スキャロンの実体験の記憶で一字一句正確に記録されているものをそのまま持ってきたのでしょう。国や国益や国民のためにそこにいるのではない、まさに自分のためだけにその地位にいる人間がもろに見えてきます。この男は国を盗るでしょう。
 過去と断絶すること:Rupture(リュプチュール)。サルコジのお題目のひとつでした。「私はリュプチュールの大統領になる」。12年間のシラクのぬるま湯の中に眠るような不動/停滞政策から断絶して、サルコジはアクティヴにフランスを目覚めさせる、という期待は、一部のゲイ・コミュニティーを魅了します。それをダイナミックにサルコジ・キャンペーンの中に取り込もうと、UMP党は「ラ・ディアゴナル(対角線)」と名乗る新保守系ゲイのアソシエーションを組織し、パリ3区マレー地区を煽って、「バン・ドゥーシュ」クラブで大規模なラ・ディアゴナル・ナイトを催します。サルコジ派政治家たちも多くかけつけますが、メインスターはもちろんニコラ・サルコジです。大歓声の中で門に現れたサルコジは、その場にストラーダがいるのを見つけ、「なんだ、おまえもいたのか。あのインタヴュー記事は全くなっていない!」と不平を言います。上背のあるストラーダは体を硬直させ、この大統領候補を上から見下して、こう答えます「私はあなたのゴーストライターではありません」。すぐさまサルコジから罵りの一喝「馬鹿者!」。入口への階段を昇っていくサルコジは、ふいに振り返り、ストラーダに向かって、子供の遊びのように指鉄砲を構え「パーン!」。
 ストラーダのジャーナリスト生命はその時に絶えたのです。時を待たずにル・ゴーロワ幹部はストラーダを呼び出し、辞表提出を強制し、いとも簡単にクビになります。
 小説はおおいにジョゼフ・マセ=スキャロンの生身の部分を表出させていると思います。滑稽でもあり痛々しくもあり、コカインの作用で性の怪物と化して夜を彷徨する悲しいゲイの姿もあります。あの「バン・ドゥーシュ」ナイトのあと、夜のさまよいの果てに辿り着いたバーで知り合った、奇しくもニコラという名の男、この優しい歴史教師の男は、満身創痍の獣のようなストラーダの肩を抱きしめ、こう言うのです。

「きみは大人の人間の生の第一原則を知らずに生きているんだよ」
  − 何だい、それは?
「生きることだよ」


 この夜、バンジャマン・ストラーダはサルコジに殺され、ニコラという男に生きることを教わるのです。よくできた話じゃないですか!

JOSEPH MACE-SCARON "TICKET D'ENTREE"
(GRASSET刊 2011年5月 330頁 19ユーロ)


(↓国営テレビFRANCE 3での短い紹介ヴィデオ)


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