2008年6月21日土曜日

今朝のフランス語「ドロール・ド・...」



 6月20日、左翼系日刊紙「リベラシオン」の社屋の中に、大統領夫人カルラ・ブルーニ=サルコジが出向いて行って、編集長ローラン・ジョフランら5人のジャーナリストのインタヴューに答えました。そのインタヴューは翌日6月21日の同紙に掲載され、第一面の見出しは "DROLE DE DAME"(ドロール・ド・ダム)ときました。Dが三つも並びました。DDDです。

 リベ :あなたのレコード会社ナイーヴは新アルバムに「その夫が嫌いでもカルラ・ブルーニを愛することはできる」というスティッカーを貼るという案を持ってきました。それについてどう考えますか?

 CBS : それが意図したことは理解できます。いつかはこの混同にまつわって足下に生えてくる雑草を刈り取らなければならないということです。私はこの分裂状況が起す障害については自覚しています。なぜならそれは私自身の中にも障害を起しているからです。私がアルバムを作るとき、私は私の内面の核心まで入り込んでいきます。そのことを保存するには、私は私自身を分裂させなければならなかったのです。これは、単に歌手として留まるためだけではなく、自分が生き残るための唯一の解決方法でした。

 リベ :「生き残る」とは大げさな!

 CBS : 外的な状況に完全に追い越されてしまったという現実に生き残ることです。

 この女性は雅子様の変種かもしれません。自分が飛び込んだ世界というのは、自分自身であり続けることに極端な圧力をかけてきます。夫(公人共和国大統領、私人ニコラ・サルコジ)は、この女性が「この場面ではカルラ・ブルーニであってほしい」「ここのところではカルラ・ブルーニではあってほしくない」という細かい決まり事を要求しているはずです。これを彼女自身 「Dédoublement 分裂」という言葉で表現しています。
 彼女のサードアルバム "Comme si de rien était"は、予定を早めて7月11日にフランスの民間独立レコード会社ナイーヴから発売されます。"Comme si de rien était"(何ごともなかったように)は、誰も何ごともなかったように手にするわけにはいかないです。リベラシオン紙はこう問いかけます「ヒロインは誰か? 歌手?あるいは夫人?」
 夫人には全く興味がない、あるいは夫人となったことに失望した人たちも、音楽アーチスト/シンガーソングライターのカルラ・ブルーニにはまだ興味があるのではないか? ー そうであって欲しいとレコード会社もアーチスト自身も考えるわけですね。爺はこれは虫が良すぎる話ではないかと思うのであります。
 
 日本でこの女性像がはっきりと見えないのは、一介の美人歌手だからでしょう。ところがこの女性のファーストアルバムを何百万枚という数字で支えたフランスのリスナーたちは、一介の美人歌手としてこの女性を見ていなかった。歌の下手なヴァンサン・ドレルムのアルバムを支えたリスナーたちと同じように、テレラマ、リベラシオン、レ・ザンロキュプティーブル、ル・モンド、ヌーヴェロプス....などを読み、テレビの歌番組(スターアカデミー、ミッシェル・ドリュッケール...)などには見向きもしなかった人たちでしょう。すなわち、音楽アーチストとしてのカルラ・ブルーニに本物の才能を感じ取った人たちであり、それはフランスの芸能アートの良質の部分を支える「気分的に」左翼の人たちであるわけです。賭けたっていいですよ。カルラ・ブルーニが超大富豪の家柄の娘であるにも関わらず、虚飾に満ちたモード/ファッション/ブランドの世界で仕事していた娘であるにも関わらず、カルラ・ブルーニのファーストアルバムを買ったのは4人に3人は左翼シンパのはずです。その声、その細やかな詩情、そのインテリジェンス、その自由な女性のアイデンティティー...それは「気分的に左翼」の世界のものなのです。カルラ・ブルーニ=サルコジはこのインタヴューで "Epidermiquement de gauche"(上っ面だけ左翼)という言葉を使っています。
 サルコジの選挙運動中、そして大統領になった日、集まった支援アーチストたちを思い出してみましょう。ミレイユ・マチュー、ジョニー・アリデイ、シルヴィー・ヴァルタン(選挙運動テーマ曲”ニコラ”)、フォーデル、エンリコ・マシアス、ディディエ・バルブリヴィアン、ジルベール・モンタニエ...。私はこの大統領の下では、こういう音楽アーチストたちがメインストリームに還ってくるのか、と青ざめたものの、反面保守反動のアーチストたちの層の薄さに安心もしたりして。 しかし、まさかこんな人たちの中にカルラ・ブルーニが入っていくことなど、誰にも考えられなかったでしょう。
 サルコジの妻になることが必ずしも保守反動のアーチストになることではない ー とたぶんレコード会社は言いたいわけですね。歌っているのはサルコジの妻ではない、カルラ・ブルーニである、と。この違いは今やまったくはっきりしていないのです。

 今朝のフランス語です。

 Drôle de dame(ドロール・ド・ダム)

 大修館新スタンダード仏和辞典では 「drôle de + 名詞」の成語の訳として
 妙な、変な;《話》非常な、ものすごい、un drôle de type 妙な(うさん臭い)やつ
 と書いてあります。したがって「妙な女、変な女、非常な女、ものすごい女、妙な(うさん臭い)女」とリベラシオン紙の第一面見出しはカルラ・ブルーニ=サルコジを評しているのです。正論です。


PS 1
リベラシオン紙のサイトに6月20日のインタヴューの時のヴィデオ断片が2編載っています。
"リベラボ「ドロール・ド・ダム」"
 第1編の方で,リベラシオン社屋の外に抗議デモ隊が出ていて,カルラ・ブルーニの来訪にヤジ怒号を上げているのが,通りから聞こえてきます。ローラン・ジョフラン(編集長)が窓を閉めて,一旦は静かになりますが,それでもインタヴュー途中で外のシュプレヒコールが聞こえます。カルラ・ブルーニは驚きと共に恐怖を感じています。これほどまでに人々は自分に反感を抱いているということに,この時初めて気づきます。ビビっています。インタヴューへの答えはとても下手です。言ってはいけないことの制約が多すぎるのでしょうか。自分でも1年前のような答えはできないのだ,と言い訳しています。
 6月23日,リベラシオンで見た調査機関Viavoiceの世論アンケートによると,大統領サルコジの支持率は5月にやや戻して41ポイントまで回復したものの,6月調査では38ポイントに再びダウンです。


PS 2
6月23日,リベラシオン紙のインターネット版やAFPのインターネット短信によると,土曜日21日のカルラ・ブルーニ特集記事(7面)に対してリベラシオン読者が轟々の批難&抗議のメールを寄せていて,同紙インターネットの投稿欄だけで1300を越す書込みがあったそうです。副編集長ディディエ・プールケイの弁では「8割が否定的な反応」です。例:読者マクサンス「長年の愛読者として私は貴紙の選択に大きな衝撃を受けた。かりそめにも左翼の新聞を自認するものが,カルラ・サルコジに7面も割いていいものか。答えは明白にノンなのである」。その他,拒絶,激怒,嫌悪,糾弾,限度を越える個人攻撃など,轟々々,goes on です。
 リベラシオン紙の編集会議は,このネガティヴな大反響にどう対処するかを討議した結果,もうこれ以上何も言わない方がいい,反応の反応の反応という雪だるまを作らない,もうこの件で紙面は割かない,という決定を下したそうです。"Comme si de rien n'était" 何ごともなかったように。


PS 3
テレラマ誌6月25日号に,同誌が「カルラ・ブルーニ vs クリスティーヌ・アンゴ」の対談を企画して両者の同意を取っていたのに,対談日2週間前にカルラ・ブルーニ側からキャンセルされたことが報じられていました。理由は「時間が取れない」だそうです。
 CBSは7月に新アルバムを,CAは9月に新作小説をそれぞれ発表するという,違いはずいぶんあれども二人とも時の人です。極私的シャンソンのシンガーソングライターと極私的小説の作家の対談です。CAは対談承諾の条件としてCBSのアルバムを前もって聞けることとCBSがCAの小説を読むことを上げていました。CBSは同じ条件とテレラマ誌が前もってCBSのアルバムを聞くこと,ということを要求しました。数ヶ月前から「漏れ」はあちらこちらであったようですが,一応(厳選された)関係者以外誰も聞いたことがないアルバムです。条件ですから,テレラマ誌スタッフ4人は,件のアルバムのプロデューサーのドミニク・ブラン=フランカールのスタジオに行って,内密の試聴会をしてもらいます。同誌ヴァレリー・ルウーは「私たちが聞いたものは傑作と言うにはほど遠いものだったし,何ら興奮させられるものはなかった。2〜3曲のきれいな歌,いくつかの良く書かれた歌詞,ネオ・イエイエ風または80年代風のアレンジ....Bref, un album de variété ordinaire。端的には凡庸なヴァリエテ・アルバムである」と,この記事でその第一印象を記しています。
 6月4週目の大統領夫妻イスラエル訪問と,7月の洞爺湖G8サミットの間,この2週間ほどの時間にカルラ・ブルーニは種々のマスコミのインタヴューを組んでいました。しかしテレラマ(つまりクリスティーヌ・アンドとの対談)はキャンセルされました。「時間がない」という理由は,アンゴの小説を読む時間がないのか,前もって傑作と賛辞することができない雑誌になど割く時間がないということなのか,と記事は続きます。これはテレラマの「硬派文化誌」流儀の思い上がりでしょうに。アーチストが最初からけちゃんけちょんにけなされるというのをわかっていて,どうしてそんな雑誌の企画にのこのこ出かけられましょうか。アンゴなんかと対談したおかげで,楽しみにしていた洞爺湖の旅の気分が台無しになってしまうかもしれせんし。

2 件のコメント:

かっち。 さんのコメント...

ドロール・ドって日本語になりにくいなと、いつも思うんですが。今回のは「(サルコジさんちの)奥様は、このごろ少うし変よ♪」って感じかなと。

おじさんのブログにはすごくいいたいことが一杯あるのですが、最近気付いたことなんですが僕は結構受けた影響が深く残ってアウトプットに時間がかかるタイプなんで反応が遅くてごめんなさい。ほら、学校教育のこととか(あの小説は流石に読んでました。どうでもいいけれども接続法半過去。もちろん僕の職場でも接続法半過去とか教えてません。単純過去の面倒くさい奴もパスしてる)、日本に於けるダニエル・コラン&ドミニクラヴィク受容とか、フランス音楽のシーンはどこにあるかとか。なんか言いたいけれども上手く言えないことが溜まっていて、それでも刺激をくれるビーバー翁のブログは素晴らしい。

今月のラティーナもちゃんと読んでます。ぐだぐだですが、以上を以てファンレターと代えさせていただきます。

匿名 さんのコメント...
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