2024年4月28日日曜日

町の小さなお風呂屋さん

Matia Bazar "Ti Sento"(1985)
マティア・バザール「ティ・セント」(1985年)


詞曲:Carlo Marrale - Aldo Stellita - Sergio Cossu

の朝市という意味ではない。マティア・バザールは1975年地中海の港町ジェノヴァで結成されたイタロ・ポップバンドである。オリジナルメンバーは、ピエロ・カッサーノ(kbd)、カルロ・マッラーレ(g,vo)、アルド・ステリータ(b)、ジアンカルロ・ゴルツィ(dms)、そして紅一点ヴォーカルのアントネッラ・ルッジエロであった。1979年にはイタリアを代表してユーロヴィジョン・ソングコンテストに出場し、"Raggio di luna(月の光)"という曲を披露したが、エントリー19曲中、15位という結果に終わっている。イタリアでは70年代からずっと第一線のポップバンドであったろうが、私はずっとフランスにいるのでその活躍のほどはよく知らない。マティア・バザールがフランスで”ヒット”したのは2曲しかない。ひとつは1978年の"Solo Tu(あなただけ)"、そしてもうひとつが1985年の”Ti sento"である。「ティ・セント」はイタリアでシングルチャートNO.1だっただけでなく、ベルギーで1位、オランダで2位、その他西ドイツ(当時)や北欧圏でチャートインし、1985年と86年を通してヨーロッパ中でヒットしたことになっている。そのヒットの国際化に対応してマティア・バザールは「ティ・セント」の英語ヴァージョン"I feel you"も録音している。
 フランスは1981年(ミッテラン当選の年)にFM電波が解放され、一般視聴者(特に若いジェネレーション)への音楽情報量が飛躍的に増加し、音楽の”聞かれ方”が革命的に変化した。1984年、フランスはSNEP(全国音楽出版協会)が統計する公式のナショナル・チャート”TOP 50”がスタートし、テレビ(カナル・プリュス)で発表される週間チャートはたいへんな視聴率を上げていたのだよ。日本からは英米ヒットや旧時代のビッグ(アリデイ、サルドゥー、ヴァルタン...)が支配的と思われがちだったフランスのチャート事情の現実はまるで違っていて、この1980年代半ば、この国のチャートやFMは欧州が元気だった。ベルギー、西ドイツ、イタリア。ユーロ・ポップ、ユーロ・ビート。欧州産シンセ・ポップはだいたい英語で歌われるのだが、ベルギーからはフランス語ものも出てくるし、イタリアからはイタリア語ものも堂々と出てくる。当時私はイタロ・ポップのシングル盤たくさん買いましたよ。Righeira "Vamos A La Playa"(1983年)、Finzi Contini "Cha cha cha"(1985年)、Gazebo "I Like Chopin"(1983年)、Ryan Paris "Dolce Vita"(1983年)、Andrea "I'm a lover"(1986年)、Tullio De Piscopo "Stop Bajon"(1984年).... 
 この当時、私は”音楽業界”に入っておらず、一介の音楽リスナーだったが、イタリアが欧州ポップの前衛であることは実感していて(当時の私の知る範囲というのはシングル盤ヒットとFMヒットの領域に限られるものの)、サウンドテクノロジーにおいてもプロダクションの繊細さにおいてもフランス”ヴァリエテ”はイタリアにかなり遅れているという印象があった。Italians do it better。あの頃の私の"遊び場"だったレ・アール地区で、"FIORUCCI"の店がひときわ面白かったのも懐かしい記憶。

 そういう1980年代半ばにあって、マティア・バザール「ティ・セント」は大変な衝撃であった。端的に”のけぞりもの”、進行するにつれて果てしなくクレッシェンドしていき、最後には絶頂がある、性的オーガズム型。どこまで上昇するんですか、というアントネッラ・ルッジエロのハイトーンパワー・ヴォーカルに圧倒されるしかない。このヴォーカルは後年、セリーヌ・ディオンやアデルなどと並んで、21世紀のテレビのど自慢/タレント発掘リアリティーショーたる「ザ・ヴォイス」その他のリファレンス・パフォーマンスとなり、挑戦者の定番レパートリーとなっていく。だが、誰もアントネッラに比肩できる歌唱などできはしないのですよ。


La parola non ha 言葉には
Né sapore, né idea 
香りも想いもない
Ma due occhi invadenti ただ迫りくる二つの眼か
Petali d'orchidea 蘭の花びらのようなもの
Se non hai その言葉に
Anima, ah 魂がなければ

Ti sento わたしはあなたを感じる
La musica si muove appena 音楽はかすかに動いている
Mi accorgo che mi scoppia dentro 私はそれが私の中で爆発するのがわかる

Ti sento わたしはあなたを感じる
Un brivido lungo la schiena 背中に走る戦慄
Un colpo che fa pieno centro 真ん中から突いてくる一撃

Mi ami o no? あなたはわたしを愛しているの?そうじゃないの?
Mi ami o no? 
あなたはわたしを愛しているの?そうじゃないの?
Mi ami あなたはわたしを愛しているの?

Che mi resta di te あなたにはわたしの何が残っているの?
Della mia poesia わたしのポエジー?
Mentre l'ombra del sonno その愛の影が忍び寄り
Lenta scivola via ゆっくりと去っていく
Se non hai もしもわたしのポエジーに
Anima, ah 魂がなければ

Ti sento わたしはあなたを感じる
Bellissima statua sommersa 水に沈んだ世にも美しい彫像
Seduti, sdraiati, impacciati 座り、横たわり、身動きがとれない

Ti sento わたしはあなたを感じる
A tratti mia isola persa 時には私の失われた島のように
Amanti soltanto accennati 何も見えないまま愛し合うこと

Mi ami o no? あなたはわたしを愛しているの?そうじゃないの?
Mi ami o no? 
あなたはわたしを愛しているの?そうじゃないの?
Mi ami o no? 
あなたはわたしを愛しているの?そうじゃないの?

Ti sento わたしはあなたを感じる
Deserto, lontano miraggio 砂漠のはるかな蜃気楼
La sabbia che vuole accecarmi 砂嵐がわたしの目をふさぐ

Ti sento わたしはあなたを感じる
Nell'aria un amore selvaggio 大気に舞う野生の愛
Vorrei, vorrei incontrarti 会いたい、あなたに巡り合いたい

Mi ami o no? あなたはわたしを愛しているの?そうじゃないの?
Mi ami o no? 
あなたはわたしを愛しているの?そうじゃないの?
Mi ami o no? 
あなたはわたしを愛しているの?そうじゃないの?

Ti sento わたしはあなたを感じている
Vorrei incontrarti! あなたと出会いたい!


なんとも20世紀的なまだ見ぬ恋人への激しい恋歌でした。

(↓)1987年西ドイツ、ミュンヘンでのライヴ。たいへんな実力のシンセテクノ・ポップバンドだったことがわかる。アントネッラの超絶ヴォーカルも。



(↓)1986年、スウェーデンのレーナ・フィリプソン(Lena Philipsson)によるカヴァー"Jag Känner"。なんか歌謡曲になっちゃいましたね。


(↓)2009年、ドイツの”ハッピーハードコア”バンド SCOOTERによるカヴァー。ここでフィーチャリング・ヴォーカリストとして歌っているのは、なんとアントネッラ・ルッジエロご本人。


(↓)2023年、フランスのスターDJ、ボブ・サンクラールによるリミックス、もと音源はマティア・バザール&アントネッラ・ルッジエロ(vo)のオリジナルヴァージョン。


(↓)2024年、イタ車アルファ・ロメオ・トナーレのコマーシャル・クリップ。

2 件のコメント:

かっち。 さんのコメント...

前原です。この曲大好き。この時代はフランスやイギリスのシングルの新譜は、コンピレーションLPで入手するのがメインだったので、ヒット曲はみんな聴いたものです。そしてマティア・バザールは日本でもCMによく使われていました。この曲は「失われた島」ですね。大量のコマーシャルを主に深夜に流していたノエビア化粧品のひとつでした。僕が持っていたアルバム『メランコリア』はこの曲は英語ヴァージョンだったので、Do you love me ? という超わかりやすいサビで覚えています。タイトルを読んで、文章に「どんぐりを辿っても着きません」が出てくるのを待ち構えたひとも多いと思います

Pere Castor さんのコメント...

前原さん、コメントありがとうございます。
日本でCM音楽になっていたことなど全く知りませんでした。いろいろ教えていただき、博識に敬服するばかりです。