2008年6月1日日曜日

今朝の爺の窓(2008年6月)



 いよいよセーヌが見えなくなりました。マロニエもプラタナスもしなの木もポプラも濃い緑色です。
 6月と7月の毎日曜日は向かいのサン・クルー城址の広大な庭園にたくさんある噴水が一時間おきに一斉に噴き出します。
 左側手前にあるのはわがベランダのゼラニウムとラベンダーで、たったこれだけのラベンダーでわがベランダは夏中よい香りがただよいます。
 美しい5月が昨日で終わってしまいました。
 68年5月革命の40周年ということで、さまざまなイヴェントがあったり、雑誌TVラジオの特集があったり、爺もいっぱい言いたいことがあったはずなんですが、機会を失ってしまいました。ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール誌のジャーナリスト、クロード・アスコロヴィッチがラジオ番組で「"68年5月”のあとに"68年6月”があったことを忘れるな」と言ってました。5月のあとには6月が、これは当り前のことなんですが、68年に関しては、フランス全土を大激動させた月のあとに、すべてが沈静化して「正常化」してしまった6月がありました。この急激なしぼみ方は信じがたいほどで、この6月は誰も思い出したくない敗北と挫折の月であったのです。むしろ68年6月はどうして可能だったのか、ということが問い直されてしかるべきではないか、というのがアスコロヴィッチの意見でした。
 6月というのは「正常化」の月のようです。学校は年度末で、バカロレアなど種々の試験はすべてこの月にあります。追い込みに必死になって、脇目も振らずに勉強や仕事をして、7月にはヴァカンスに入ります。浮かれ騒ぐ月があって、そのあととてつもない過酷な月があって、その後に休息がある。フランスの5月6月7月は、極端な3ヶ月です。

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