2009年1月12日月曜日
Ya Basta!
テレビニュース映像は一方からのプロパガンダであると言う人たちがいます。私には全世界のテレビや新聞を見て総合的に判断するということができるわけがありません。ニュースは家で見るフランスのテレビ(FRANCE 2, FRANCE 3, CANAL PLUS, LCI, BFMTV, I-TELE...)と新聞のインターネットサイト(LIBERATION, LE MONDE, FIGARO, PARISIEN,朝日,読売...)で知ろうとしている一介の地球市民です。偏りはあるかもしれません。しかしこの2週間で今日死者が900人を越したとこれらのメディアが報じる時,私が知ろうが知るまいが,これらの人たちは死んだのです。私がこれらのメディアで知るのは,これらの人々は誰からも守られずに殺されたということです。国連もアメリカも欧州も誰もこれを止めることをしなかったということです。
おとといフランス全土で親パレスチナ系反戦デモがあり,昨日はやや規模は限定的ですが親イスラエル系反戦デモがありました。私たち家族はどちらにも参加していません。
フランス政府はこの悪化した中東情勢が国内に飛び火してくる可能性を懸念していると言います。国内のシナゴーグに火炎瓶が投げ込まれたり,ユダヤ人排斥の落書きがされたりということが起こっています。フランスのあるユダヤ人団体の代表が「フランスのユダヤ人社会は脅かされている」と発言しました。どうしてこの人は自分たちだけが被害者と主張できるのでしょうか。
今朝,民放ラジオRMCのジャン=ジャック・ブールダンはこのことを"Victimisation"(ヴィクティミザシオン)という言葉で説明しました。文字通り訳すならば「被害者化」です。これは災害や事件や社会異変(政変や大恐慌)や冤罪や人種差別などで被害を被った人々が,過度にその被害を強調することによって,被害者を神聖化してしまうことの意味に使います。言い換えれば,われわれは被害者であるから,われわれの主張は正当である,という神聖化です。
イスラエル人たちもパレスチナ人たちも同じように「ヴィクティミザシオン」を盾にして,それぞれの主張と行為(戦闘行為)を世界に認めてもらおうとします。われわれは被害者であるがゆえに,正当に復讐する権利を有する,と言っているわけです。この双方のヴィクティミザシオンが終止しない限り,パレスチナ/イスラエル(これを読まれる方でこの書き方が気に喰わないという向きがありましたら「イスラエル/パレスチナ」と書き換えてもいいです。私にとっては同じです)問題の解決はない,とブールダンは言います。
Ya Basta !
子供たちが血まみれの死体となっているニュース映像を私たちはもう何日も見せつけられています。一体何が起こっているのか,一体これは誰にも止められないのか,私は一介の地球市民として考えます。娘と議論します。娘は学校で友だちや先生と議論します。私はカフェのカウンターで議論します。誰が悪く,誰が被害者か,という段になると私はうんざりします。しかしそういう話にしかならないのです。銃を置け,砲撃をやめよ,爆撃をやめよ。ひとりでも多くそう言う市民たちが増えなければならないのです。
Ya Basta !
迫害され虐げられた民は報復する権利を持つ - この考え方を超克せよとブールダンは言います。今日明日の食糧もなく,子供たち老人たちが銃弾の的にさらされている時,罪のない市民の生きる権利が蹂躙されている時,何の議論が必要でしょうか。銃を置け,砲撃をやめよ,爆撃をやめよ。口に出し,文字にして,即時停戦を訴えてください。
平和,Peace, Pace, Shalom, Salaam ... La paix, nom de dieu!
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