2009年1月15日木曜日
ニコル・ルーヴィエとマリー=ジョゼ・ヌーヴィル
わが町ブーローニュにある小さな独立レコード会社ILDが去年復刻したニコル・ルーヴィエに関しては,2008年12月25日の当ブログを読んでください。今朝ILDに寄ったら,創業者のイーヴ=アンリ・ファジェ翁(今は引退していて,息子のエリック・ファジェが社長になっています)がいて,このニコル・ルーヴィエのバイオグラフィー写真集(20センチX20センチ,38頁)をくれました。19歳で自作自演歌手と小説家でデビューしたルーヴィエが,華々しい活躍をしていた50年代の写真,59年に公演先の日本で撮った写真(「さよなら奈良」という詩と共に載っています),ラジオプロデューサーとなった60年代,第一線から退き南仏,イスラエル,スペインなどに移り住んで詩と小説を書いていた70年代以降の写真... 静かながら内に秘めた強烈ななにかが感じられる顔ばかりです。この女性についてもっともっと知りたくなります。そのことをファジェ翁に言ったら「このバイオグラフィー本の作者に会ってみるかい?」という話になったのです。
というわけで,再来週,生前ニコル・ルーヴィエと生活を共にしていた女性と会えるようになったのです。こうなると向風三郎に仕事してもらわないといけないですね。
ニコル・ルーヴィエのことをいろいろ資料で見ていたら,1953年ルーヴィエ19歳デビューの2年後に,競合レコード会社のパテ・マルコーニが同じようなギターを持った自作自演少女歌手のマリー=ジョゼ・ヌーヴィルをデビューさせています。女子高校生18歳。そのトレードマークは長いお下げ髪。リセの子たちの友情や青春の悩みや恋の芽生えなどをギター弾語りで自分の言葉で歌うわけです。同世代にバカ受けします。翌年の2枚目の4曲入りシングルには大胆にも地下鉄痴漢おじさんとのやりとりを歌った「地下鉄のムッシュー」という歌が入っていて,これが放送禁止になったので(!)ますます売れてしまったのです。こうしてマリー=ジョゼ・ヌーヴィルはニコル・ルーヴィエの人気をかっさらって,新しいヤング・ジェネレーションのヒロインとなってしまいます。たぶんこのことが,ニコル・ルーヴィエに,レコード会社同士の醜い競合のために翻弄される少女歌手のことを描いた業界暴露小説「商人たち Les Marchants」を書かせたのかもしれません。
このヌーヴィルとレコード会社パテ・マルコーニの間には,トレードマークである髪型(長いお下げ髪)を変えないこと,という契約があったようです。それを1968年,20歳になり,パテとの契約を解消してバークレイと新契約したヌーヴィルは,オランピア劇場でのコンサートの際に,新しいヘアスタイルで登場し,しかもギター弾語りのスタイルをやめて楽団を引き連れての演奏に変えたのでした。このラジカルな変化にファンたちはついていきません。がっかりして,二度とヌーヴィルのレコードを買ったり舞台を見たりということをしなくなってしまうのです。ヌーヴィルはいとも簡単にスターダムから転落してしまいます。ああ芸能界。
ヌーヴィルとルーヴィエは,ギター弾語り自作自演歌手という点で共通していても,全く違ったタイプのアーチストです。ヌーヴィルは斜めから世界を見る風刺感覚とユーモアとリズミカルな言葉展開などの点でずっとブラッサンスに近いと思います。ルーヴィエは悲しみやアンニュイや渇きや旅情が前面に出て来るファドやブルースに近い音楽を展開します。ヌーヴィルの歌はコンサートでファンたちが唱和するタイプのものが多いのに対して,ルーヴィエの歌は黙して聞くにふさわしいものが多いのです。私は地がおセンチなので,圧倒的にルーヴィエに惹かれるわけですね。
(← 高校生の頃のさなえもん,と言えば信じる人もおりましょうね)
PS 1 (1月15日)
「さよなら奈良」は、「ホノルル・ルル」(ジャン&ディーン)みたいですね。
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2 件のコメント:
お下げ髪に戻そうかしら。
濃い顔のさなえもんです。光栄です。
>地下鉄痴漢おじさん
一度も痴漢に遭ったことないので、そんな
歌は歌えませんが・・・。
わかりづらい文章でごめんなさいね。(汗、汗)
このショートカットお嬢さんの方がニコル・ルーヴィエなのです。
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