2020年6月30日火曜日

彼のカーレーサー


バンジャマン・ビオレー『グランプリ』
Benjamin Biolay "Grand Prix"


後の火ダルマの男で、やはり1975年ピンク・フロイド『ウィッシュ・ユー・ワー・ヒア』のジャケ(ヒプノシス)を想う人多いでしょうね。置いてあるフォーミュラ・カーの形も60/70年代風ですし。パイロットのガールフレンド風な女性が左にいますね。1966年ジョン・フランケンハイマー監督映画『グランプリ』(主演ジェームズ・ガーナー、イヴ・モンタン)ではそんなガールフレンド役でフランソワーズ・アルディが出演していた。その映画と無関係であるわけがないバンジャマン・ビオレーの10枚目のアルバム『グランプリ』は、メカニックで命知らずでメランコリックで疾走するのに疲れた男の"情”を描くコンセプトアルバムのように聞くことができる。非常にポップに装われた曲がほとんどで、9曲めのインストルメンタルナンバー「バーチャル・セーフティー・カー」を除けば、全曲シングルで切れるのではないだろうか。もっともこの「シングルを切る」というのはもはや前時代の習慣でしょうけど、時間かければラジオのプレイリストには全曲載せられるはず。だいたいが快感ビート、疾走型、アタックの効いたジャコネリのギター(みんないい音)、後半盛り上がり展開、ピコピコ打ち込みシンセの雨あられ、そしてビオレーがロックスターの貫禄で歌い込んでる。こんなビオレー聞いたことない、という必殺技の数々。
 リリース前からテレラマ(表紙)、レ・ザンロキュプティーブル(表紙+編集長)だけでなく、日刊経済紙レ・ゼコー、保守系日刊紙ル・フィガロにまで高く評価され、満場一致の絶賛の中発表されたバンジャマン・ビオレー(現在47歳)のアルバム『グランプリ』には、私も褒め言葉しかない。この人は”映画俳優”としては今ひとつ説得力に欠けるものがあると思うが、音楽家としては文句のつけようがない。音楽に関して、この男は何でもひとりでできる。強力な協力者を必要としない。その世界はほとんど彼ひとりで構築できる。プリンスに近いタイプ。だから新アルバム毎に"変わる”のが大変なのだ。
 ゴシップねたには興味がないが、ビオレーの歌はかなり正直にその恋多き男に"寄り添って”くれた女性たちへの想いが投影されている。そう、このアルバムは正直だ。難しいところがない。若い頃にやってみたかったこと(例えば、F1レーサーになること、スターロックバンドのヴォーカリストとして歌うこと)を臆面もなく、ミドル(47歳)になってやってみているのだ。”カッコよさ”の追求。もちろん照れ笑いつき。
 このアルバムは(サウンドそのものは全く違うものの)ダフト・パンク『ランダム・アクセス・メモリーズ』(2013年)に"文法上”とても似ているものがあると思った。ポップロックの修辞法ではこのベース(土台)にあれとこれとそれを積みあげたら、周りにあの音、次にこの音があれば快感がやってくる、というお決まりに、一味も二味も足したり引いたりで4分間の楽曲が構成される。電気の武者ダフト・パンクは驚異的に正しい修辞法の集積として隙間ない音楽快感空間を作り上げる。人間じゃねえっ!と言いたくなるような。ビオレーはそういう音楽に近い快感空間を構成しながら、その声と詞で、快感に「メランコリー」「アンニュイ」を加えられるのだよ。デビュー当時、その声質とボソボソの歌唱で、ヴォーカリストとしてはどんなもんだろうか、と思われていたビオレーは、その黒々とした表現力を琢磨し、ビオレーにしかできない”太い抑揚の”メランコリー歌唱をものにした。古い日本の芸能用語では「マダム・キラー」な憂愁さ。
 アルバムの先行のシングルとして発表された1曲め"Comment est ta peine ?(きみの苦しみはどんな感じかい?)は、別れた男女のその後の悲しみ/苦しみくらべみたいな、どっちかというと「男の勝手なリクツ」系の哀愁ソング。俺はこんなふうに苦しんでいるけれど、きみは今どんな感じで苦しんでいるの?俺の苦しみは現れたり消えたり、でもこの苦しみと共に生きなければならない、みたいな展開。同じほどに苦しんでほしいという身勝手さが見える。「二人の共通の友だちだった人たちのうち、何人をきみの友だちとして残したかい?」なんて"あるある"のすごい歌詞が出てくる。
 2つめの先行シングルは、アントニオーニ映画の常連女優モニカ・ヴィッティの2篇の映画の断片をモンタージュしたアンニュイあふれる美しいヴィデオ・クリップで飾られた曲"Vendredi 12(12日の金曜日)"。これは理由もわからず捨てられた男の嘆き節。13日の金曜日という不吉な日でもない、12日の金曜日に女に捨てられた男。
ただの12日の金曜日なのに
おまえは静かに逃げていった
バミューダ・トライアングルの彼方へ
南半球のどこかへ
ただの12日の金曜日なのに
俺は黒海で溺れ死にそうになった
おまえはこの金曜日の夜
どこに行ったのか
 そして作者が予期もしなかったこのコロナウイルス時代の到来、もうそれ以前の世界へは戻れないけれども世界(この場合"車輪”)は回り続けるという、すぐれて状況的な歌が11曲目"La roue tourne (車輪は回る)"である。このコロナ時代的"諸行無常"感はただものではない。
私はますます考えるということをしなくなっている
私はもう何もわからなくなっている
年月が経つにつれて
真実はどんどん少なくなっていく
私は叫ぶことがほとんどなくなった
それは何の役にも立たないから
私はお祈りをする回数が増えている
隠れてひとりで祈っている

価値のない者であることを自覚しよう
ほとんど何の役にも立たないということを
運河の上の三つの綿ごみ、
敷石の上の雪
コード番号を知らなければ
最初から負け
それに過度に従えば
チャンスなどひとつもない
そう、おまえはよく知っているはず

車輪はまわる、車輪はまわる
車輪はちゃんとまわっているし
車輪は止まることなくまわっている
どんな道の上でも、どんな車両でも
車輪はまわり、私たちの向きを変えさせる
往々にして私たちを良い方向に向かわせる
車輪はまわり、年齢は増していく
それに従って私たちは知っていく、何も知らないということを知っていく
ほとんど何も知らないことを
車輪は早すぎる速度で回るが、ちゃんと回っている
絵で説明する必要なないよね

他人たちは多くなればなるほど
稀で誠実な人たちは少なくなる
犬をなでるきみの両手のように
きみはどんどん小さくなる
きみにとって都合がいいかもしれない
たくさんの人工衛星に気をつけろ
それらはまわり、まわり、虚しくまわる

私がどんどんものわかりが悪くなっていることを自覚しよう
きのうの夜よりもものを知らなくなっていることを
腰の運動を3回したら
もうダンシングピストには誰もいなくなり真っ暗だ
きまりごとに従わなければ
最初から負け
だがそれに全部従っても
チャンスはひとつもない

車輪はまわる、車輪はまわる
車輪はちゃんとまわっているし
車輪は止まることなくまわっている
どんな道の上でも、どんな車両でも
車輪はまわり、私たちの向きを変えさせる
往々にして私たちを良い方向に向かわせる
車輪はまわり、年齢は増していく
それに従って私たちは知っていく、何も知らないということを知っていく
ほとんど何も知らないことを
車輪は早すぎる速度で回るが、ちゃんと回っている
絵で説明する必要なないよね
でも歌だったらいいじゃないか、おお おお おお おお おお

車輪はまわる、車輪はまわる
車輪はちゃんとまわっているし
車輪はまわり、私たちの向きを変えさせる
往々にして私たちを良い方向に向かわせる

ナ ナ ナ ...   (キアラ・マストロヤンニのヴォカリーズ)
ナ ナ ナ ...
ナ ナ ナ ...
ナ ナ ナ ...


 まさに正直にビオレーの" 心根”を吐露して "うぉ うぉ うぉ うぉ”とヴォカリーズしてしまったこのアルバムの白眉の一曲だろう。ここで寄り添ってしまうキアラ・マストロヤンニ(2曲めとこの曲)のエモーショナルな声の他に、このアルバムではケレン・アン・ゼイデル(12曲め)、アナイス・ドムースティエ(1曲めと7曲め)というビオレーの過去の女性たちがヴォーカルで(本当にいい感じで)支えている。こいつ、本当にいい奴なんじゃないかな、と思わせるものがある。

<<< トラックリスト >>>
1. Comment est ta peine ?
2. Visage pâle
3. Idéogrammes
4. Comme une voiture volée
5. Vendredi 12
6. Grand Prix
7. Papillon Noir
8. Ma route
9. Virtual Safety Car (instrumental)
10. Où est passée la tendresse ?
11. La roue tourne
12. Souviens-toi l'été dernier
13. Interlagos (Saudade)

Benjamin Biolay "Grand Prix"
Polydor/Universal CD/LP/Digital
フランスでのリリース:2020年6月26日

カストール爺の採点:★★★★★ 2020年のアルバム

(↓)国営テレビFrance 2の音楽短信番組Basique でのアルバム『グランプリ』紹介


0 件のコメント: