2022年6月13日月曜日

セート文化の革命

 Benjamin Biolay
 "Rends l'amour"

 バンジャマン・ビオレー「愛を返せ」

 大ヒットアルバム『グランプリ』に続いて、2022年9月9日リリース予定のベン・ビオレー11枚目のアルバム『サン・クレール(Saint Clair)』からの先行第一弾シングル。サン・クレール山は南西フランス、ラングドック地方の古い港町セートを見下ろす標高175メートルの丘。リヨン郊外ヴィルフランシュ・シュル・ソーヌ出身のビオレーであるが、親族の一部がセートに住んでいて子供時代のヴァカンスと言えばセートに滞在していたという、言わば第二の故郷。その生い立ちで重要なのは、ローヌ地方リヨン周辺で非常に有力な実業家/事業者の血筋にありながら、親族間の諍いがもとでビオレー家はかなり倹しい生活で、頼れる身内と言えばこのセートの縁者しかなかった。セートはおぼっちゃんヴァカンスの地ではなかった。貧乏ワルガキの思いっきりのワンダーワールドだった。少年ベン公はこうして"南”の訛りを口にし、ジタンたちと遊び、地中海に身を浸した。
 "ラングドックのヴェネツィア”とも呼ばれるセートは地中海と潟湖トー(Etang de Thau)に挟まれた水上の町で、マルセイユに次ぐフランス地中海岸の重要な港町(17世紀開港)。19世紀からイタリア移民がもたらした料理文化が今日そのままガストロノミック・セートを代表する"お国料理"になっていて、タコをパイ皮で包んで焼いたラ・ティエル・セトワーズ、種々の肉のトマトソース煮込みマカロニ添えのラ・マカロナード、う〜ん、デリッツィオーゾ!現地行ったらぜひ御賞味ください。そして水上槍決闘競技、ラ・ジュートが観光地セートの華である。
 そして文学と音楽の分野ではセートは20世紀フランスを代表する詩人ポール・ヴァレリー(1871 - 1945)、反骨のアナーキスト歌手ジョルジュ・ブラッサンス(1921 - 1981)という二大巨星を世に送っている。また"フラメンコ・ギターのピカソ"と呼ばれたヒターノのギタリスト、マニタス・デ・プラータ(1921 - 2014)もセートの生まれであった。
 そうしたセートの風土と文化はベン公にとってある種血肉化したようなものであり、11枚目のアルバムに、このセートの町へのトリビュートを、と考えたのだった。その事情は9月にアルバム全体像がはっきりした時に、爺ブログで再び深く掘り下げてみましょう。

 で、先行第一弾シングルの「愛を返せ」である。かなり大掛かりなプロダクションであるプロモーション・クリップは全編セート港で撮影され、エキストラ出演はすべてセートの人々らしい。撮影は2022年3月に行われた。すなわちロシアによるウクライナ侵攻が始まったあとのものであり、軍用ヘリ、戦闘機編隊、戦車、正装軍人、消防隊、ジュート槍手、司祭、ジタンなどが登場するのは、それぞれの寓意があってのことである。「愛を返せ」は読み方によってはおおいなる反戦・反権力の歌であろう。
俺からすべてを持ち去って行け
命も尊厳も、俺の港の突端も

たいへんな苦労をして貯めておいてわずかな金も
座り心地のいいソファも持って行くの忘れるな

何も残すな
樹齢100年の杉、広告看板
何ひとつ忘れるな
そのあと全部廃棄するのであっても


でも愛は返してくれ
俺がおまえに貸しておいた愛だ
それを持っていくのは泥棒だぞ
俺はおまえにあげたものなど何もない
何も与えていない
お願いだから愛は返してくれ
そしたら俺は絶壁から身を投げて
おまえのために
苺を摘み取りに行ってやるから
おまえが望むなら
ファックしてやったっていい

俺からすべて持ち去って行け
俺の情熱、俺の欲望、俺の錫のトーテム像
全部持って行け
何も忘れていないか確かめろ
俺を無一物にしてくれ
回りくどいことせずに
全部焼いてくれてもいい
テニスコートでの激しい応酬も
二人が黙りこくった街角も
みんなペンキで塗りつぶしてもいい

でも愛は返してくれ
俺がおまえに貸しておいた愛だ
それを持っていくのは泥棒だぞ
俺はおまえにあげたものなど何もない
何も与えていない
お願いだから愛は返してくれ
そしたら俺は絶壁から身を投げて
おまえのために
苺を摘み取りに行ってやるから
おまえが望むなら
ファックしてやったっていい

お願いだから愛は返してくれ
それはおまえのものじゃない
第一俺はおまえに投票さえしなかった
神様とやらがおまえに愛をくれるだろうよ
だがお願いだから俺に愛を返してくれ
そしたら俺は絶壁から身を投げて
おまえのために
苺を摘み取りに行ってやるから
おまえが望むなら
ファックしてやったっていい

まあ、ゲンズブール流儀の下品表現と言えるだろうが、"je te baise"は一般社会向きではないけれど、言うかな...。読んでの通り、ありがちな"愛の破局”の歌ではない。「望むならおまんこしてやるから、愛は返してくれ」と歌っているのだから。「別れる前にお金をちょうだい」より事情はロックンロールだと思う。お立ち合い、この歌では愛とファックは別物である。私もそう思う。愛はまったく別物なのだ。戦争に走ってしまった国、戦争に加担することを良しと決めてしまった国、もしもその国を愛していたなら、その愛を返してほしい、と歌う歌だったら。2022年4月、大統領に再選されたマクロンに、(極右を落とすためだけに)おまえに投票した票を返してくれ、と歌っているのだったら。性は別ものであり、愛は俺だけのもの、というエゴイストな男のミゾジンな歌にすぎないのか、女性たちからは言いたいことあると思うよ。そしてこの文脈の中でセートはどう位置するのか。アルバムがとても楽しみである。ではまた9月に再考しましょう。

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)バンジャマン・ビオレー「愛を返せ」、ラジオRFMでのギター弾き語りライヴ。


(↓)岡林信康&はっぴいえんど「セート文化の革命」(1970年)


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