2020年9月25日金曜日

カリンか、カリンか、ま、いぃや。

"Les Apparences"

『うわべ』

2020年フランス+ベルギー合作映画
監督:マルク・フィトゥーシ
主演:カリン・ヴィアール、バンジャマン・ビオレー、ルカス・エングランダー、レティシア・ドッシュ
原作:カリン・アルヴテーゲン小説『裏切り』(2003年)
音楽:ベルトラン・ビュルガラ
フランスでの公開:2020年9月23日


 一度しか行っていないが私も大好きな町、ウィーンが舞台である。その音楽の都でクラシック音楽オケ指揮者として成功しているアンリ(演バンジャマン・ビオレー。コンサートでオケ指揮のシーンあり。当たり前だが堂に入ったものだ)、その妻エヴリーヌ(これを今風シックに”エーヴ”と呼ばせようとする。演カリン・ヴィアール)はウィーンのフランス語メディアテーク図書館の館長をつとめている。二人にはマロという名の養子の男の子がいて、ウィーンのフランス語学校に通学している。在ウィーンのフランス人ブルジョワ家庭というわけだが、世界のどの大都市にもある在留フランス人ハイソサエティーの中におさまって、上流同士のおつきあいをそつなくこなしている。毎週のように集まって会食する小さなサークルは、上流の成功自慢、うまい話、スキャンダル(かつてのサークル成員であってもひとたび醜聞あれば、徹底的にこき下ろす)といった話題で盛り上がる虚飾に満ちた世界。在ウィーンのフレンチハイソサエティーの最高位にあるこの一握りの人たちは、口では「私たちは何があっても助け合って行きましょうね」と"絆”を強調するのだが、内心は反目と嫉妬が渦巻き、願っているのは他人の転落ばかり。ま、よくあるブルジョワジー社会の構図である。
 最初の映像からこのアンリ/エーヴ夫妻の間には"倦怠”ムードが漂うが、名誉も地位もある40代、エーヴはこのウィーンの"おやまの大将”ポジションを愛し、なんとしてでもこれを保持しようと努め、ソワレやパーティーの華としてふるまう。アンリは全くそれには冷めていて、夕食会でまったく口を開かないこともある。ここでこの二人の俳優の技量について述べると、バンジャマン・ビオレーがブスっと気難しい顔をして、周囲に対して無愛想なさまは、演技ではないそのまんまビオレーであるの対して、カリン・ヴィアールはそつのなさ、世渡りのうまさ、インテリジェンス、狡猾さ、嫉妬深さ、単純さ、複雑さが混在する多面的な役どころをこなす類稀な芸達者ぶりを発揮している。狂気/殺気をはらんだ底意地の悪いこの人の顔の表情は、2019年の映画『やさしい歌(Chanson Douce)』(リュシー・ボルルトー監督、レイラ・スリマニ原作)のベビーシッター役以来、ヴィアールの「顔」になりつつある。
 さて、2020年的現在を設定した映画なので、この映画でもスマホ、SNSなどがおおいに幅をきかす。発端はアンリが無造作に置き忘れたスマホの画面に現れたティナという名の女からのメッセージをエーヴが見てしまったこと。彼女はアンリが浮気していると直感する。
 この映画のシナリオの弱さは、不倫という当人にしてみれば最大の隠し事であり漏れを警戒しているもののはずなのに、いとも無造作にスマホは放置してあるし、メールは簡単に傍受されるし、パスワードは寸時に解読される、というありえなさ。これが妻の過度の嫉妬と執念深さによるマジカルなパワーと言わんがばかりのイージーさ。
 異国のフランス人社会という狭い世界でのことなので、その浮気相手は簡単に見つかる。息子マロが通っているフランス人小学校の教師(演レティシア・ドッシュ)。これは常日頃エーヴが自分の(地位も名誉もある)仕事を最優先するがために、学校の送り迎えという子育てのつとめを(時間に余裕あるアーチストたる)アンリに任せきりだった、という"言い訳”をアンリに与えることになる。そして女教師ティナがアンリとのお熱い交信につかっているメアドをつかみ、エーヴはこの不倫を潰しにかかる。ここが重要で、エーヴはこのことで夫を責め立てたり、情婦と諍いを起こしたりということを避け、外面上何もなかったように元の鞘に収まる(不倫相手が自然消滅する)よう画策するのである。エーヴはティナのメーラーに使用者パスワードで侵入し、彼女のアンリ宛ての熱烈で下品ですらあるラヴメールを、フランス人学校の父兄連絡メールに混ぜ、全教師全父兄CCで配信してしまう。この時の「してやったり」と勝ち誇るカリン・ヴィアールの顔を想像されたし。不気味。
 これによってフランス人学校および在ウィーンフランス人社会全体に大スキャンダルが起こり、不倫女教師ティナは学校だけでなくウィーンからも姿を消さねばならないことになるはずであった。屈折心理ドラマのルーチンながら映画は父兄たちの非難の矢面に立たされ窮地にあった女教師ティナをエーヴが庇うふりをする、というシーンすら見せる。余裕余裕。
 しかし敵もさるもの、ティナはこの絶体絶命のピンチをなんとか乗り切り(この手紙の一節は、自分が書きかけ中の小説の一部であり、メール添付は過労ストレスによる単純ミスである ー こんな説明でやりこめるのは某国内閣のようだ)、ウィーンに居残りアンリとの密会情事を繰り返す。妻エーヴにはライプツィヒに出張と偽り、アンリとティナは難局突破記念のドナウ川クルーズ旅行、勝ち誇って嬉々としてクラブで踊り狂うティナのバックで流れる音楽が


ウィーンが生んだロック・アーチスト、ファルコ(1957 - 1998)の"Der Kommissar"(1982年全欧州で大ヒット、日本題「秘密警察」)なのだよ。必殺ですね。
 騒動と前後して、エーヴはアンリの浮気という確たる事実を知ったショックで、ある夜、一文無しで見知らぬバーに入り、初対面の青年ヨナス(自ら"ヨナス”と名乗ったのにカリン・ヴィアールはずっとフランス読みで"ジョナス”と呼び続けている。演ルカス・エングランダー)を相手に自暴自棄気味にアルコールを煽り、乱れに乱れ(この夜の写真が後日インターネット投稿されるとも知らず)、安ホテルでの一夜を過ごす。酔い潰れ”関係”も持たず寝入っている青年を残して未明にエーヴはホテルから去っていくが、シンデレラの靴よろしく、彼女の高級スカーフ(おそらくエルメス)を置き忘れてしまう。その夜のことを「純愛」と信じて疑わないヨナスは、このスカーフの主を求めてウィーン中を探し回る。思い込みの純愛を追い求めるストーカーの様相で。実際このヨナスはストーカー犯の前科があり、電子足枷受刑中の身であった。せまいフランス人社会のゆえに、フランス語メディアテーク館長であるエーヴの居場所はストーカーに簡単に見つかってしまい、一夜の過ちと逃げ回るエーヴに、執拗なストーカーのあの手この手が始まる。
 このエーヴとヨナスの乱れたあの夜の写真をインターネットで発見したティナは逆襲に転じ...。そしてインターネット(この映画、本当にインターネット様様、なんでも話のタネが出てくる)で、ティナのフランスでの前歴と本名を知ったエーヴも応酬に出て...。ヨナスとエーヴの"関係”を知らされたアンリもこの二人の現場を抑えるべく...。

 いろんな方向にあっちゃこっちゃ行ってしまう(あげくには殺人事件に発展する)映画だが、収拾はつく。教訓(モラリテ):これはアンリがエーヴに投げ捨てる言葉「おまえにとって重要なのはうわべ(les apparences)だけだ」とね。映画もそういうタイトルだしね。クロード・シャブロル流儀の本格心理スリラー映画、という評価もあり。
 天国から地獄までのカリン・ヴィアール、天使(であったことはほとんどないが)から悪魔までのカリン・ヴィアール。この人はうわべだけじゃないすごい女優。

カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)"Les Apparences" 予告編

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