2026年4月19日日曜日

Love kills

”Romería"
『ロメリア』

2025年スペイン映画
監督:カルラ・シモン
主演:リュシア・ガルシア、ミッチ、トリスタン・ウリョア
フランス公開:2026年4月8日


ペインのことは私はよく知らない。1976年夏、私は初めて土を踏んだフランスのノルマンディーの地で、カーン大学夏季講座にスペイン/バレンシアから来ていた3人の娘と知り合いになった。私はちょっとした文学小僧だったので、彼女たちとロルカの詩について話したりしたのだけど、フランコ独裁下のスペインでロルカは禁書だったそうだ。その前年の1975年11月にフランコが死に、スペインの人々は急激に自由を回復させていくのだが、今思えば、あの時の彼女たちはその輝かしい高揚期にいたのだろうな。奇しくもその夏カーンの映画館(満員だった)でカルロス・サウラ監督の『カラスの飼育(Cria Cuervos)』(1976年カンヌ映画祭審査員特別賞)を観たのも強烈な印象が残っているが、ポスト・フランコ映画の始まりだったのだろう。
 『ロメリア』は1980年代のポスト・フランコ期の激烈な自由化のダークサイドと言うべきドラッグ禍、それに続くエイズ禍が背景にある映画である。映画の現在は2004年、場所はスペインの大西洋岸ガリシアの港町ビーゴ、18歳の学生マリナ(演リュシア・ガルシア)は初めてこの地を訪れる。スペインの地中海側カタロニア(おそらくバルセロナ)で大学の映画科に進もうとしているマリナは、その奨学金を申請する書類に親権者の一筆が必要となる。乳児の時に両親をエイズで失い、里親に育てられて今日に至るが、件の書類の必要に迫られ、ガリシアに居る父方の親族に(初めて)会いに来たという次第。映画科志望の学生らしくハンドヴィデオカメラで撮影しながらこの旅は進行する。そのヴィデオカメラ映像が時折映画に挿入されるのだが、その手ブレで震える映像が、この娘の自分探し映画を形成していくという含みもある。つまりひとつの映画を誕生させる映画でもあるような。
 映画題「ロメリア」とは”巡礼”という意味。自分には全く記憶のない父母のゆかりの地であり、母(ネウスという名)はここで自分を身籠り、自分を産んだ。そのルーツ探しの巡礼の旅というわけである。マリナの手元には母ネウスが記した1983年からの日記がある。それはネウスが初めてガリシアの港町を訪れた時に始まり、この町に一目惚れして、この町に住むことを決めた瞬間であった。その母のこの地を愛した直感と同じエモーションをマリナは感じる。
 父方の実家は言わば土地の名門であり、大きな館と大きな船を持ち、子沢山大家族で、当主(マリナの祖父)の誕生日のような機会には数十人の親族が集まる。初めて訪れたマリナはこの大家族に概ね歓迎されるのだが、祖母だけは冷ややかである。叔父叔母にあたる人々が口々に言うのはマリナがネウスの生き写しのようにそっくりだと。そして小さな頃から里親から聞かされていた父母の話とはいろいろと食い違い(とりわけ父の死んだ年が3年違う)が露呈していく。この家の総領息子となるはずだったアルフォンソ(マリナの父)とその伴侶だったネウスのことは、この家ではタブーとまでは言わないが、ある種避けたい話題ではあった。当主の館の中には二人の映った写真はいくつか飾られていて、マリナは見知らぬ父と母の姿に出会う...。
 マリナと同世代のいとこでヌーノと名乗る若者(演ミッチ)にマリナは波長の一致を感じ、気になる存在になる。ヌーノとそのダチたちに付き合ってマリナはビーゴの夜の街に繰り出すようになるが、若者たちがアルコールやタバコやマリワナなどをマリナに勧めるのをマリナは頑なに断る(←これは話が進むにつれて重要な意味があることをわかってくる)。
 祖父の館での大誕生会のさなか、祖父はマリナに学費に使ってくれと厚い札束の入った封筒を手渡す。奨学金の必要書類のためにここまで来たのだが、祖父はこれでもうそれは必要ないだろう、と。マリナは一旦この封筒を受け取るのだが、日本式に考えると”手切金”を渡されたような自尊心の傷つきを覚える。たぶん母ナウスはこの一族に受け入れられていない。ヌーノの助けを借りてマリナは夜中に館に忍び込み、封筒をおいていく。その夜はビーゴの伝統的な(海で死んだ船乗りたちを鎮魂するお盆のような)祭りの夜で、若者たちはドラッグをキメて踊り興じている。ヌーノたちのグループにも合成ドラッグの錠剤が回されてきて、マリナは例によって拒むのだけど(私にはこのシーンよく見えなかったのだが)、拒んだ錠剤がコロコロ落ちてどこかに消え、そこに1匹の猫が現れる。マリナはこの猫に呼ばれていると直感し、猫を追いかけていく。ここからが映画のマジック。猫に誘われるまま、港に繋がれた小舟に乗り込み、小舟を漕いで沖まで、そして対岸の小島の岸まで、そして岸に建つ白い高層高級ホテルに近づいていくと、屋上から縄梯子が降りてくる。マリナはそれを登って屋上まで辿り着くと、そこには猫と20年前のアルフォンソ(ヌーノを演じたミッチによる二役)とナウス(マリナを演じたリュシア・ガルシアによる二役)がいる...。
 そこから母ナウスが日記に書いてあったことの実写再現のような映画内映画になる。ナウスとアルフォンソは激烈に愛し合っていた。二人はこの小島に楽園を見ていた。その夢はヘロインによって増幅され、二人はその夢の中で音楽家・詩人・踊り手・造形作家・泳ぎ手・探検家など無限の夢追い人となっていた。この”楽園”描写はこの映画のハイライトだと見た。幸福なジャンキーを一生続けたいと思っていた。そう思っていた若者たちは少なくなかった。金持ちのボンであったアルフォンソにはそれはある程度可能なことであった。だが周りを見たら、すでにオーバードーズやエイズで命を落とす者の数は急速に増えていったのである...。
 1987年に死んだと里親から聞かされていたアルフォンソは実は1992年までこの館に匿われて死んだと知らされた。最後までジャンキーだったとも。この総領息子は名門家の恥ずべき秘密となっていったのだろう。しかしアルフォンソとナウスは愛し合い、愛を知り、夢を見たゆえに死んだ。Love kills

 マリナのルーツ探しの巡礼の旅は、こうして映画の誕生劇/映画作家の誕生劇として収束していくことになる。
 映画の冒頭で母ナウスが日記でこのガリシアの海と港に魅せられるくだりが読まれるのだが、同じセンセーションを抱いたマリナであり、この夏のガリシアの風景は多くを語っている。マリナの滞在場所として一族の持つ古く大きなヨット船の船室を与えられる。この船で洋上に停泊して、いとこたちと一緒に海で泳ぐシーンあり。大西洋を知らないマリナに「カタロニアの(地中海の)生ぬるい海水に慣れていると、ガリシアの海は凍るほど冷たいぞ」と脅かし冷やかす声あり。大丈夫よ、とドボンと海に飛び込んだマリナ、確かに信じられないほど冷たい。これが大人になること、知らない世界に飛び込むこと、見えなかった自分のバックボーンを発見すること... さまざまな未体験へのプロローグだったのだね。
 私は80年代の生き残りではないが、ジャンキーもエイズで死んだ人も周りにはいた。だが、楽園願望は私も多くの友人たちも共通して持っていたような時代だったようには思う。スペインの沖の島々にはそういうストーリーがいっぱいあったはずだし。美談化してはいけないものではあるが。女優リュシア・ガルシア、監督カルラ・シモン、素晴らしい、注目し続けなければ。

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)『ロメリア』予告編

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