2020年7月17日金曜日

コ禍の時代 93歳のジュリエット・グレコが切れ切れに語る

レラマ誌2020年715日号、おお、ヴェロニク・モルテーニュ(ex ル・モンド)テレラマにグレコのインタヴュー記事を書いている。とは言ってもちゃんとしたインタヴューにならなかったんだろうな。93歳、グレコのとぎれとぎれの言葉を拾った感じ。しばらくニュースのなかったサン・ジェルマン・デ・プレの歌姫はコート・ダジュール地方ラマチュエルの高地の楽園的環境で暮らしている。

 2016
312日(2015年に始まった引退”MERCI”ツアーのさなか)グレコはAVC(英語ではStroke、日本語では脳卒中)に襲われた。その結果しばらく言葉を発語できなくなった。同じ年8月、ひとり娘のローランス(俳優フィリップ・ルメール2004年没との間の子供)がガンのため62歳で亡くなった。2018年、夫でジャック・ブレルとグレコのピアニスト/作曲家だったジェラール・ジュアネスト(グレコと40年間連れ添っていた)も亡くなった。そして20205月、66年から76年、夫だった名男優ミッシェル・ピコリも亡くなった。

「あなたは強い方だから」とモルテーニュが言うと、第二次大戦中、レジスタンス運動に身を投じ、母と姉が逮捕されラーフェンスブリュック収容所に送られたのに、一緒にいたジュリエットが歳が幼いことで釈放されたことを引き合いに出して「それは強いからじゃないわ。それは力に関係したことに違いないけれど、それだけじゃない。私はレジスタントよ。私はいやな性格(sale caractère)の持ち主よ。それはひとつのりっぱな価値よ」と。

それからブレル作”J’arrive”(“今行くよ”、日本語題は孤独への道“)によせて、2015年の「ブールジュの春」(”MERCI”ツアーの皮切り)のステージでの最後の最後に歌った”J’arrive”について「誰でもみんな到着(arriver)するのよ、良かれ悪しかれ。私は決してあきらめなかった。私は戦ったし、ノンとはっきりと言うことができた。私は生涯ずっと言い続けてきたわ、ノンと言ったらノンなの」と言い、一転して優しく「でもウイの時はウイなのよ」と。
 
 部屋の飾り物には日本の折り紙細工があり、木や鳥やミニチュア・サーカス...1979年から彼女の日本公演をプロデュースしている中村敬子氏が定期的に送ってくれるのだそうだ。グレコは色紙のコレクションもあり「私は紙が大好き、そこに何でも好きなことを書けるの、自由空間ね。日本では紙の色が見事なの。この上なく鮮やか、黒は黒、白は白、赤は申し分ない赤」。モルテーニュが「あなたは今日はどんな色ですか?」と尋ねる。「私は黒と白、楽譜みたい」。

 そして今日のグレコには残酷な(だが避けられない)質問:「歌うことなくどうやって生きているのですか?」。「私はそれがなくて狂おしく寂しい思いをしている。私の存在理由、それは歌うこと。歌うこと、それはすべてよ、それには肉体もあれば、直感もあれば、頭もある。それは常に、私と私の間の問題だった。私は沈黙のうちに技を磨いてきた。私は自分の中で反復練習してきたし、私は歌の作者の役に立とうと努めてきた、歌がみんなに理解されるために。そのためには理に適った奉公女にならねばならないのよ。」
 モルテーニュ「もしできるのだったら、どこへ行って歌いますか?」
 グレコ「どこへでも、人がたくさんいるところ」

そう、これがコロナウィルス時代によって彼女が悲しんでいる最大のことなのだ。人と人とのコンタクトが禁止される時代が来るとは...。「接吻しあえない、抱擁しあえない、なんて残酷なことなの」
 今やグレコにとって食事することは試練になった。食欲は戻ってこない。「死ぬことは怖いですか?」―「おお、ノン」
「あなたは怖いものなど何もありませんね」―「ああ、シ。とても怖いものがあるわ。」―「何ですか?」 ― 「人に好かれないこと、これは私がとても小さな時から怖かったことなの。今も続いているわ。」

      (テレラマ 2020年7月15日号 p24
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(↓)2013年、アルバム『ジュリエット・グレコ、ブレルを歌う』から "J'arrive"

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