2021年3月から4月、本稿の二人の主役の新作が出た。現在29歳のエディー・ド・ブレットは3月26日にセカンドアルバム『A tous les bâtards (すべての雑種たちへ)』を発表し、デビューアルバムの極私的な”変わり者”の叫びからレンジを広げ、世から白眼視されるあらゆるビザールでフリークでマージナルな人々の代弁者たらんとしているようだ。デビューアルバムほどの支持を集められんことを。次いで4月1日、現在28歳のエドゥアール・ルイは第4作めの"小説(?)"『ある女の闘争と変身』を発表、4月中旬現在、書店ベストセラー1位の好評を博している。白状して比較すると申し訳ないが、前者に比して後者に何倍もの興味を持っている私である。2014年の第1作『エディー・ベルグールにケリをつける』以来、当ブログはこの作家の動向を積極的に紹介してきた。これまでエドゥアール・ルイの"文学”作品で当ブログが書いていなかったのは2018年の『誰が僕の父を殺したか(Qui a tué mon père?)』のみだったが、ここにラティーナ誌2018年7月号に発表したエディー・ド・プレットのデビュー作とルイのこの作品を紹介した記事を再録することにした。今読み返しても、非常に重要な作品だったことが了解される。
(2021年4月19日記す)
★★★★ ★★★★ ★★★★ ★★★★
ふたりのエディー
(in ラティーナ誌2018年7月号)
2017年のブールジュの春フェスティヴァルで最高の新人と評価されて以来、エディー・ド・プレットは凄まじい勢いでその知名度を上げ、まだレコードも出ていなかったので有力レーベルが争奪合戦を繰り広げたと言う。レパートリーはすでにSNSで瞬く間に広がり、その秋には周るコンサート会場の先々でオーディエンスが全曲を声をかぎりに唱和するという現象に達した。このどこから出てきたのかわからない若者の衝撃の最初はそのルックスである。小柄(身長170センチ)な体躯に、中世フランドルの画家ヤン・ファン・エイクの肖像画から出てきたような青白く平面的な気難しい表情の顔、それは日本の俗っぽい表現では「ブサイク」な男である。そしてステージ上に現れるのは、バックトラックを詰め込んだスマホ(iPhone)、ドラムスセットを叩くドラマー、そして青白い青年(エディー)だけなのだ。この構図では観客は俺しか見ない、というしたたかな計算は、彼がリセ時代から学んだ演劇から得たものだと言う。ラップ/ヒップホップのDJによるシンプルで重みのある抒情的短調3コードのバックトラックに、驚くほど正調で明瞭な発声の歌い込みヴォーカル(クロード・ヌーガロ、ジャック・ブレルを想わせるほど)が一語一語の言葉をはっきりと聞き取らせる。約1年後の2018年3月にやっとリリースされた初アルバム『キュール(療養)』には歌詞ブックレットを故意につけていないのだが、その必要などない、という自信がはっきりと見える。 この子は愛や希望など歌わない。その歌は世の規格や慣いから外れて生きた私的体験からの恨み節でもあり、反抗の表現でもある。エディー・ド・プレットは1993年にパリの南の郊外新都市クレトゥイユで生まれ、そこで育ち、早くからその郊外的環境から抜け出さねばと目覚めたと言う。それはすでにラップ系のアーチストたちが繰り返して告発していた貧困・失業・人種差別・パラレル経済(犯罪、ドラッグ)の環境であり、子供の頃から閉ざされた未来を看破してしまう。7歳の時、両親が離婚し、彼は母親の新生活に拒否反応を示す。甘ったれで母の愛を渇望していたこの子は、満たされずに泣いてばかりいた。彼の教育に関してはほとんど不在だった父親は口を開けば「泣くんじゃない、外でボール蹴りをしろ、強い男になるんだ」と言うばかり。この父親の「雄々しき男たれ」という叱責は後述のエドゥアール・ルイに共通する重要な小児期トラウマであるが、エディー・ド・プレットは「キッド」という歌でこう表現している。
雄々しくなるのだ、キッドよ
体力と威圧する態度と大物の恰幅をもって輝くのだ
おまえの性は弱者たちを嘲り勝利する
目に花火を散らして歓喜するのだ
限度を知らぬ雄々しさ
限度を知らぬ雄々しさ
でも僕は女の子たちと遊ぶ
でも僕はペニス自慢などしない
でも僕はあんたの顔に皺を作らせ
あんたの説教なぞ消えてなくなれ
(「キッド」)
僕は完璧にノーマルだ
完璧にフツーだ
僕は完璧にノーマルだ
愚かでかなりビョーキだ
(「ノーマル」)
この叫びは、ジェンダーを問わず、ノーマルを強いる世の中に窒息しそうだった子たちに響き、コードに順応しないこともノーマルであるという新しいマニフェストになる。表面的にエディーの歌はゲイ・コミュニティー運動闘士のメッセージのように読まれるきらいがあるが、その物語はもっと具体的で個的な体験から抜け出そうという極私的な反逆である。まだアルバムも出ていないのにヴィクトワール賞にノミネートされ、そのコンサートスケジュールは2019年までソールドアウトという異常な熱狂が彼を包んでいる。ストロマエやジャック・ブレルと比較されながら、シャンソンやヒップホップのコードを破った15トラック入り極私的アルバム『キュール』は2018年3月にリリースされるや、5月現在までチャート1位を独走している。
もう一人のエディー、作家エドゥアール・ルイは本名エディー・ベルグールとして生まれたのだが、その生い立ちと縁を切りたいがために21歳の時に正式な法的手続きをとってエドゥアール・ルイに改名した。その経緯は2014年の衝撃のデビュー小説『エディー・ベルグールとケリをつける』(邦訳『エディに別れを告げて』2015年東京創元社)で展開されている。 北フランス、鉄道駅まで15キロ離れた人口数千人の村、皆が皆と顔見知りで、何十年も何百年も同じ時に生きているような村社会での鉄の掟は、女は女らしく、そしてとりわけ男は男らしく。その掟が最も徹底しているのが労働者階級の環境であり、話者エディーの家庭は父親が工場就労中に事故で背中を砕かれ、療養後の再就労も再就職も難しく、最低生活保障金に頼って生きるようになる。父のアルコール依存、兄の暴力、切り盛りする母もあらゆるゴマカシなしにはやっていけない。エディー・ド・プレットの歌と同じように「雄々しく生きろ」を小さな息子に繰り返す父親。この環境の中でホモセクシュアリティーを自覚してしまった少年は、学校と家庭で徹底的に苛め抜かれるのである。
2012年この小説の原稿を彼は複数の出版社に送りつけるのだが、読んだ編集者たちが一様にこれを拒否した理由が「地方と言えども今日のフランスにこのような旧社会があるわけがない」と描写の過度の誇張と見なしたからなのだ。パリ左岸に集中する文芸出版社各社の編集者たちには地方の現実が何も見えていなかったのだが、それはパリや大都市に住むフランス人たちが選挙の度に地方が極右政党FNに大挙して投票することが理解できないのと同じことなのだ。エドゥアール・ルイはこれはすべて真実であり、僕はフィクションを書かないし、書けないと言い張る。
幸いにして2014年スイユ社から出版されたこの小説は初版2000部を発売日に売り切り、2ヶ月後には16万部に達する大ベストセラーになった。小説は貧困とホモ差別に打ちのめされた少年エディーが、学業が優秀であるというその一点に救いを見出し、16歳で地方の中央都市(アミアン)のリセに編入移住することで村と家から脱出するストーリーである。なお、この6月に横浜で開催されるフランス映画祭で上映予定のアンヌ・フォンテーヌ監督の映画『マーヴィン、あるいは素晴らしい教育』は、この小説を原作としている(ただし原作からかなり自由翻案されている)ので、観れる方はぜひ。
第2作の『暴力の物語』は2016年1月に発表された。これも実話に基づく私小説で、第1作『エディー・ベルグール』を書き終え(まだ出版にこぎつけていない)、パリで社会学を専攻するエリート学生となっている2012年のクリスマスの夜、社会学の研究者仲間二人と共に聖夜の夕食を済ませた後、帰宅する途中の道で出会った北アフリカ(カビリア)出身の不良青年に誘惑され、フィーリングが合い自宅に引き連れ性交したのち、青年の態度が豹変して首を絞められ、絞殺寸前まで締め付けられながら強姦される、という実体験が描かれる。このあらましを複数の話者(エドゥアール自身、彼の妹のクララ、研究者仲間二人)の証言で再現するという、やや手の混んだ立体的に構築された小説世界を展開する。事件そのものの凄まじさもさることながら、第1作とは異なる文学のディメンションの大きさを思わせ、この若い作家の力量を見せつけた作品だった。
それから2年少し経った2018年5月に発表された第3作めが『誰が僕の父を殺したのか』である。この90ページ足らずの薄い作品は小説と呼ぶべきものか、私は判断できない。「誰が殺したのか」と題するも推理ものではない。ましてや「僕の父」は殺されても死んでもいない。その父とは第1作『エディー・ベルグール』で、男らしくない息子を罵り侮蔑していた人物であり、息子が憎悪しか抱いていなかった人物である。あの村社会だけでなく、この男から逃れるために少年エディーは必死に抵抗していた。あの小説を書いてから5年後、作者は再考した。父親と同居していた十数年間、物心がついて以来父親を敬遠し、その不在を願い、その侮蔑の言葉に傷ついてばかりいた。憎悪しかないと断定していたのは、それ以外のことを知らなかっただけなのではないか。
父親は息子だけでなく、妻にも見限られた。現在父親は妻に追い出された家から遠くない村に「新しい女性」と二人で暮らしている。しかしもうほとんど歩行もままならず、夜は酸素補給装置をつけて寝ている。まだ50歳である。この年齢でこれほどボロボロになったのは、十数年前に働いていた工場で重機が背中に落ちてきて背骨を砕いてしまったのが原因だった。リハビリで完治しない状態で工場復帰するが長続きせず、失業、最低生活保障金で一家はどん底で生き延びてきた。そしてアルコール依存。しかしサルコジ政権の時代、「就労可能なのに求職せず社会保護受給する者」への締め付けが始まり、健康上のハンディキャップも考慮されず父親は車で30分の距離にある自治体の清掃夫として再就職を余儀なくされ、そこでさらに体を痛めてしまうのである。この21世紀に文明国の人間を50歳で廃人にしてしまうものは何なのか。これが『誰が僕の父親を殺したか』の主題である。
問いは一方的に息子のもので、父親は問いも答えもしない。作者は憎悪の対象としてしか見ようとしなかった父親の見えなかった記憶を他者や事件の記録を通して再訪する。憎しみを消すためではなく、理解するために。どうせ16歳で工場に勤めるしかないという閉ざされた展望ゆえに、少年期の父親は勉学と学校を嫌い、皆と同じようにワルで硬派だった。この村では男として生まれたらその他に選択の余地はない。だから息子も、という一本道を作者は拒んだ。父を裏切り、男らしくならずに学問の世界に進むことを選んだのだ。
この作品の冒頭で作者はアメリカの女性知識人ルース・ギルモアの「レイシズムとはある階層の人々を早期の死の危険に晒すことである」という言葉を引用し、「この定義は男性上位、反同性愛・トランスジェンダー、階級による支配、その他あらゆる社会的政治的抑圧にも通用する」と続けている。この90ページの本は、前2作にはなかった政治的考察に満ちている。50歳にして廃人になった父親の問題は政治的なのである。再会した父親の人生を再検証したエドゥアール・ルイからは憎しみが瓦解していくものの、その50歳の惨状に激しい憤怒が立ち上ってくる。彼の第一小説を拒否した編集人たちの反応と同じで、彼が出てきた地方の労働者階級の人々(それは全国津々浦々にいるものであるが)にとって政治とは生きるか死ぬかの問題であるということを理解しない裕福階層に激しく怒っている。労働法を改悪すれば死ぬ労働者が出てくる、社会保障費を減額すれば死ぬ家族が出てくる、この現実を嘲笑するかのように歴代の政府は貧しい者たちをさらに追い込んできた。「誰が父親を殺したか」その答は政治であり、父親を殺した者たちには名前があり、シラク、サルコジ、オランド、エル・コムリ(オランド政権時の労働法改悪大臣)、マクロン…と作者は名指していく。これは一体文学か、という問いには、私はこの告発と憤激の記述のエモーションは文学の力であると断言できる。
この書物の最後に息子と父親の短い会話がある。父親は変わったし弱くなった。それまで村の周囲の大人たちと同じように極右に投票していた父親が、息子が高校の頃に左翼運動をしていたことを思い出す。
「おまえ、まだ政治のことしてるか?」
「前よりももっとしているよ」
「おまえが正しい、俺も一回いい革命があったらいいと思うよ」
68年5月革命から50年めの5月、エドゥアール・ルイと父親は革命という言葉で和解した、と読めるのではないか。
(ラティーナ誌2018年7月号・向風三郎「それでもセーヌは流れる」)
Eddy de Pretto "Cure"
CD/Digital Initial Artist Services - Universal
フランスでのリリース:2018年3月2日
Edouard Louis "Qui a tué mon père"
Seuil刊 2018年5月3日 90ページ 12ユーロ
(↓)エディー・ド・プレット「キッド」オフィシャルクリップ。
(↓)2018年5月、国営テレビFrance 5「グランド・リブレーリー」で『誰が僕の父を殺したか』について語るエドゥアール・ルイ。
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