2021年4月11日日曜日

ヴェンデッタ in フロリダ

Olivier Bourdeaut "Florida"

オリヴィエ・ブールドー『フロリダ』

2016年の快著にして爺ブログでも大絶賛した『ボージャングルスを待ちながら(En attendant Bojangles)』の作者オリヴィエ・ブールドーの新作(第3作め)。『ボージャングルス』の独創的な寓話性から想像して、今回もファンタジー絡みの狂気譚か、と思いきや...。母を「皇太后(reine-mère)」、自分を「王女」、父を「執事(valet)」という役名で呼んだりするのだが、お伽噺の世界ではない。時は21世紀、ところは合衆国の富裕州フロリダ。少女の名前はエリザベス(舞台はアメリカなので"エリザベート”ではなく"エリザベス"とカナ表記しておく)、 かの女王と同じ名前であり、その母はこの少女を女王にしようという野望を持っている。絵に描いたようなデスパレートな妻(Desperate housewife)であった母は、この一人娘をお人形ごっこのように溺愛してきたのだが、それに飽きて、エリザベス7歳の誕生日にお伽噺の王女の衣装を着せ、プロの美容師に厚化粧させ、「ミニ・ミスコン」(12歳未満ミスコン)にエントリーして優勝してしまう。
 これは合衆国では地方スポンサー地方メディアがバックアップして、各地のけばいシャトーホテルのような会場でひんぱんに開催されているものらしい。ミニとは言えコンテストは高度にエンターテインメント化していて、勝てば賞金は出るし、モデルや子役のオファーも来る。しろうとの"思い出作り”でエントリーする者は少なく、"プロ化”して衣装や化粧や整形手術やショー演技のコーチなどに巨額の投資をする親たちもいる。親たち、特にこの場合は母親たちが日本語で言う「ステージママ」化し、自分が果たせなかった夢を娘に託し、権謀術数のかぎりを使って娘を優勝に導こうとする。スポーツ種目ならば、トレーニング鍛錬でその頂点に近づくことができるかもしれない。ところがミスコンは鍛錬で優勝できるものではない。また生まれついての造形美だけでも優勝できるものでもない。どれほど金をかけたかによっても優勝が決まるわけでもない。
 エリザベスの母(皇太后と文中で呼ばれているので、以下皇太后と呼ぶ)は娘の7歳のミニ・ミスコン優勝に心身ともに陶酔し、ドラッグ的にこの快楽の延長を欲し、毎週末州のどこかで開かれているミニ・ミスコンのすべてに応募するようになる。週日は学校と母によるコンテストトレーニング、週末は父(文中で執事と呼ばれているので以下執事)の運転する車に乗ってコンテスト会場(けばいシャトーホテル)へ、という月日が始まる。この3人家族は生活のすべてを娘のミニ・ミスコンに賭けており、皇太后に全く頭の上がらない執事はいとも従順にすべて容認し後方支援する。この自我の没したダメ男かげんは小説中一貫していて、皇太后への忠誠だけが生きている証のようだ。(と書いている途中で、英国エディンバラ公フィリップ・マウントバッテンが99歳で亡くなった。この小説と重なるものがあり、感慨深い。合掌)
 ところが皇太后の高ぶる熱意にも関わらず、2回目以降エリザベスはミニ・ミスコンに優勝することはない。最悪なことに常に"準ミス”(2位)という結果なのである。皇太后の入念な準備とトレーニングで無敵であるはずのエリザベスが負ける。理由はさまざま理不尽なものがあるが、例えば聴覚が不自由な候補者がそれを跳ね返す演技でエモーション票を一挙に集めエリザベスを破る、など皇太后にしてみれば果てしない悔しさをエスカレートさせるものばかり。この悔しさが次のミスコンも、また次のミスコンも、と皇太后を掻き立て、再び勝つまでやめられないこのコンペティションは5年も続くのである。当然の帰結としてエリザベスは心身共に壊れ、最後のコンペティションのステージ上で放尿し、すべては水(尿)に流れてしまう。
 失われた少女時代をかえせ。エリザベスの復讐と自己奪還の闘いは精神科医のお墨付きで得られた両親との別居/寄宿学校生活から始まる。性格が破綻してしまったためにクラスに馴染めず、真四角で頑強なチョコバー自動販売機を心の恋人にし、小遣いをすべてそこに注ぎ込んだ結果どんどん肥満していく。ミニ・ミスコン時代の完璧なロリータボディーを破壊する。ある時は糖分過剰摂取で膨れ上がり、またある時は拒食症で骨と皮になる。母親から強いられた”型”から逸脱することは肉体という牢屋から自分を解放することであった。
 復讐と自己奪回の鍛錬で少女は自分の肉体を好きなように変容させることができ、男たちを手玉に取れるようになり、ラテンアメリカ出身の成金一家のボンボンと恋仲になり、一時的に絵に描いたようなフロリダ天国ライフを満喫するが長続きしない。破綻の原因はその完璧にセクシーになった肉体であり、それは不本意ながらもボンボンの父親まで魅惑してしまうことになり...。
 成金ラティーノの家を追い出され、ホームレスとなって露頭を迷っていたエリザベスが出会ったのは、白人のラスタでジャンキーで売れない写真家で共和党支持でホモセクシュアルで筋肉マン(ボディービルダー)のアレック。言わばフロリダの戯画的キャラのすべてを背負っているような若者で、この人物の登場以来、小説はテンポが良くなり、ディメンションもフロリダのアート・カルチャー全体を背景に持つようになる。
 クールでフロリダ・アンダーグラウンドを知り尽くしている一廉の人物であるアレックは、エリザベスのそれまでのいきさつとその両親への復讐の念を理解し、屋根を提供し、バイトをあてがい、生活のやり直しを後押しする。ここでエリザベスはボディービルディングに開眼する。ミニ・ミスコンのために虐め尽くされた心体の復讐として、少女は世界一頑強な筋肉で覆われた肉体を獲得して、ミス・ボディービルコンテストに優勝して、皇太后に見せつけてやろうと考える。アレックはその閃きに同調し、世界一みすぼらしい状態で路上に落ちていた少女が世界一頑強な肉体の少女に変遷していくさまを写真に撮りつづけ、連作作品として発表する(売る)企画を出し、ギャラリーからの引きも上々である。1年間かけて誰も見たことのない筋肉ボディーを作り上げようとするエリザベス、そのメタモルフォーズを写真に記録していくアレック、二人の共闘は必ずしも調和的なことばかりではない。根っこのところで「俺が世話してやった」と思っているアレックは、ギャラのことでもフェアーではない。だいたいこの共闘はフェアーではない。なぜならつまるところこの闘いはエリザベスひとりの闘いであるのだから。極端な肉体鍛錬と極端な食餌法、それに加えて筋肉増強剤の注射...。心体を虐め尽くすことにおいては、皇太后が強いたことと変わりがない。これは自分自身のために勝利することだと少女は自分を言いくるめるのだが、肉体にはやんぬるかな限界があるのだ....。
 
 果たして19歳のエリザベスは、7年がかりの両親復讐の夢を実現し、ミス・ボディービルの覇者になることができるか、それともその前に自爆してしまうか。両親を殺害するまでの狂気に昇華してしまうか。それとも...。
 ほんわかしたお人形ごっこのように始まるこの小説、われわれがテレビ連ドラなどで親しんでしまった狂ったアメリカ(の縮図としてのフロリダ)、少女の手記のかたちで語られるこの物語の文体は残酷で凄惨でゴアなファンタジーのようなところがある。ところが、オリヴィエ・ブールドーはこれを一切合切救済してしまうすごいエンディングを用意している。肉体の牢屋から解放されたくて肉体を極限まで虐め尽くした少女が生き延びることができたのは、それをノートにずっと書き留めてきたから。エクリチュールによる生き残り、文学による救済、私たちは最後まで思ってもみなかった(稀な)文学の瞬間を味わうことになるのですよ。侮れないやつ。

Olivier Bourdeaut "Florida"
Finitude刊 2021年2月 254ページ 19ユーロ

カストール爺の採点:★★★★☆


(↓)ボルドーの書店リブレリー・モラのYouTubeチャンネルで自作『フロリダ』を語るオリヴィエ・ブールドー。

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