2018年5月12日土曜日

俺たちに明日はない

『愛され愛し速く走れ』
"Plaire, aimer et courir vite"

2017年制作フランス映画
監督:クリストフ・オノレ
主演:ピエール・ドラドンシャン、ヴァンサン・ラコスト、ドニ・ポダリデス
フランス公開:2018年5月9日


 これを書いている現時点で開催中の2018年カンヌ映画祭でコンペティション出品作です。ポスター見ると、元ボーイスカウトOB友情物語のような軽めの明るさがありますが、そんなものでは全くありません。昨年のカンヌ最良の映画の一つ 『120BPM』(ロバン・カンピーヨ監督)と同様、1990年代エイズ禍時代のホモセクシュアルを題材にした映画です。クリストフ・オノレはジャック・ドミ風ミュージカル映画『レ・シャンソン・ダムール』(2007年。アレックス・ボーパン音楽。日本上映題『愛のうた、パリ』)で名を成した1970年ブルターニュ生まれの映画監督で、他に小説家、児童文学作家、劇作家としても作品を多く発表しています。闘士肌むき出しというわけではありませんが、ゲイのアイデンティティーが作品の根幹になっている作家です。
 映画の中心人物も作家です。35歳でパリで名の知れた小説家となっているジャック(演ピエール・ドラドンシャン)は、8歳の息子ルールーと二人暮らし。彼のパリ13区コルヴィザール地区(1978年の歌で、ミッシェル・ジョナス作フランソワーズ・アルディ&ジャック・デュトロン「霧のコルヴィザール通り」という佳曲あり) のアパルトマンには、物心ついた子供の目の前でジャックの男愛人たちが出たり入ったり。ところが決して悪い父親ではなく、息子と対等な付き合いというスタンスであり、聡明なこの子は父親をわかっちゃってる風。ディテールですが、ルールーの家の中での一人遊びが「リリアン編み」なんですよ。この世界を父と楽しんでいる風な図です。この子にはちゃんと母親がいて、ジャックと一時的にパートナーとなったが恋人だったことはなく、出産後もちゃんと遠隔養育もするよくわかっている女性。参観日や息子のヴァカンス合宿の出発には「両親」揃って顔を出すのです。
 思えば、この映画に登場するのは、男も女もみんなよくわかったいい人ばかり。 ジャックの火遊びの相手たちも。そういう優しい世界の中で、ジャックは優男で遊び人でインテリでダンディーでエゴイストで良きパパで... なんですが、HIV陽性なのです。映画の進行の時間は病気の進行でもあり、エイズを発症し、(90年代なので)死を覚悟しなければなりません。その時間の中でジャックは地方(レンヌ)の21歳の大学生アルチュール(演ヴァンサン・ラコスト)と出会います。レンヌでのレクチャー会に招かれたジャックは、その主催者側が手配したホテルや会場に不満タラタラで、憤慨して打ち合わせもほどほどに会場の文化センター内の映画館に(上映途中で)入り時間つぶしをするつもりでした。そこで上映されていたのがジェーン・カンピオン監督作品『ピアノ・レッスン』 (1993年カンヌ映画祭パルム・ドール)でした。これを観ていたアルチュールが手慰み用に持っていたタバコを床に落としてしまい、拾い上げた時に後ろを振り向くと、通路を歩いてくるジャックと目が合ってしまう。このシーンの動画がYouTubeにあったので(↓)貼ります。(YouTubeで見る または Regarder sur YouTube をクリックしてください)

この未熟な大の大人と達観した若輩者のコントラストが、ず〜っと最後まで続きます。
 アルチュールは絵に描いたような「いい奴」で、綺麗なマスクをしていて、レンヌの文学部学生で、闊達な女学生ナディーヌ(演アニェス・ヴィスム)とルームシェアして(オープンなバイセクシュアル)、バイトで児童ヴァカンス村の所長(子供たちの扱いがうまく、モニターたちのトップとして人望もある)をしていて、男たちとの火遊びのスムーズさも見上げたもんです。こんな奴がいたらいっぺんに場は華やぐし、仲間たちは皆ハッピーになると思う。しかし血の気のある地方の文系学生にありがちな、地方にいたらどうしようもない、パリに出なければ欲しいものは得られない、のようなフラストレーションがあります。
 映画館の闇の中での魅惑的な数語の会話の最後に、ジャックは今夜(同じ建物の中の)講演会が終わったら出口で再会しようと言います。アルチュールはこのダンディーが誰なのかを知らないけれど、やっぱり現れるのです。それで一夜の火遊びのつもりで色々話していったら、この年上の男が作家ジャック・トンデリ(この名前はクリストフ・オノレがイタリアの作家ピエル・ヴィットリオ・トンデリ(1955-1991)から拝借したものだが、実際のモデルはエルヴェ・ギベール(1955-1991)らしい。共にエイズで亡くなったゲイ作家) と知り、まさか、と思うのです。
 映画はこの二人の恋が軸にはなっているものの、二人が一緒にいる時間は多くなく、遠距離の電話だったり、絵葉書や手紙の交換だったり。お立ち会い、インターネットや携帯電話のない時代、われわれは話すことも書くことも今よりずっと重みがあった、ということを思い出してください。留守番電話のメッセージも、電話ボックスの存在も、私たちの重要な脇役であったことをこの映画は思い出させてくれます。
 作家ジャックは病気の進行を知るにつけ、緊急に生きなければならないと悟ります。かつての恋人や友人たちがバタバタとエイズに仆れていきます。急に思い立って、アパルトマンの上の階の隣人であるマチュー(演ドニ・ポダリデス、怪演!)から車を借りて、"グラン・ウエスト(大西部、つまりブルターニュという意味なのだが、病身の彼には開拓時代の西部に身を投じるような大冒険に思えたのです)”へ行くと出発しますが、疲労によって道半ばで断念してしまうのです。悲しい。
 マチューも本当に本当に「いい奴」で、節度あるホモセクシュアルで、理解ある兄貴分かつ相談役で、気まぐれダンディーのジャックが一番頼りにしています。そしてついにジャックの恋するアルチュールがレンヌからパリに出てくるとなった日、ジャックはこの病身ではアルチュールに会えない、と判断します。コルヴィザール通りのジャックのアパルトマンをアルチュールが訪ねてきた日、そのドアではマチューが出迎え「急用でジャックは数日間不在するので、パリにいる間、このアパルトマンを使ってくれ、とジャックから伝言された」と。「ジャックと連絡を取ることは?」ー「それはできない」...。
 このやりとりの様子を上階のマチューのアパルトマンの中で、ジャックは耳をそば立たせて聞いている。落胆したアルチュールは、しかたなくパリで美術館巡りをしたりするのですが、その行く先に一つにモンマルトル墓地があり、フランソワ・トリュフォーの墓とベルナール=マリー・コルテス(1948-1989。フランスの劇作家。エイズで亡くなっている)の墓をお参りしているのです!
 パリの町を一人でしょぼしょぼ歩いているアルチュールの前に、(いてもたってもいられなくなった)ジャックが姿を現します。もうこの恋は死の恐怖などで止められない、そういう劇的なパッションを思わせるシーンですが、ジャックはこれが最後ということを知っています。いいシーンはそのあとで、マチューのアパルトマンの中で3人で宴会が始まります。歌い、踊り、飲み、この3人に恩寵が降りてくるようです。いい顔です。その延長で3人でベッドで寝よう、というのがこの屈託のない笑顔3人の映画ポスターなんです。
 しかし、と言いますか、予定通り、と言いますか、アルチュールが本気でパリ移住を決めた直後にやっている結末はジャックの死であることは言うまでもありまっせん。

 『120BPM』がエイズとの闘争(政府や製薬会社や宗教団体への告発)という歴史的社会的なテーマに重きを置いたのに対して、このクリストフ・オノレの映画で最も重要なのは恋愛です。1990年代にあっても誰にも止められない恋愛を生き通した男(たち)の物語です。文学的リファレンス(ホイットマン、エルヴェ・ギベール、シリル・コラール、ベルナール=マリー・コルテス...)と映画的リファレンス(トリュフォー『やわらかな肌』、レオス・キャラックス『ボーイ・ミーツ・ガール』、そして映画そのものが出てくるジェーン・カンピオン『ピアノ・レッスン』...)にも色々刺激されるであろう、大ロマンティック映画です。純愛もの、と言っていいです。私に不満があるとすれば、みんな本当に「いい奴」すぎるのです。

カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)『愛され愛し速く走れ』予告編

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