マッシリア・サウンド・システム『マッシリア』
Massilia Sound System "Massilia"
マッシリア・サウンド・システム結成30周年記念盤です。ジャケットはブルーの地に浮き彫りレリーフで "MASSILIA"とだけ。
このブルーは「マルセイユの色」ということにしておきましょう。マルセイユの紋章(→)は十字軍時代(11-13世紀)から使われているそうで、銀地にアジュール(紺碧)ブルー。現在の市章も、フットボール・チームのオランピック・ド・マルセイユ(OM)のチームカラーもこの色。それからマッシリア・サウンド・システムの親衛隊組織であるマッシリア・チュールモのロゴもこの色です。ま、政治的なコンテクストでは青は一般的に「右派」「保守」の色であり、サルコジやUMP党の集会には青旗だらけになってしまいますが、それはそれ。
2014年10月21日に発表されました。「10・21」はわしらの世代的には国際反戦デーですが、関係はありまっせん。前作『ワイと自由』 は7年前。3人のMC(故リュックス・ボテを入れると4人)が、それぞれのソロ・プロジェクトで忙しくしていた頃で、『ワイと自由』はまた3人寄ればすごいんだぞ、ということを示したかったんだと思いますよ。まだCDも少しは売れていた時代だから、ソロ・プロジェクトだってちゃんとした表現行為・作品として生きるはずと思っていたんでしょうが、あにはからんや、機能したのはタトゥーのレイ・ジューヴェンだけでした。厳しい時代になったものです。別な見方をすれば、1年に1枚のアルバムを出せるようなタトゥーの豊穣な創作力と尽きぬインスピレーションがものを言っているわけです。常にシーンのフロントにいることはね、尋常ならぬものですね。分野も世界も違いますけど、ジョニー・アリディを想ったりしますよ。言わずもがなのことでしょうけど、タトゥー、ジャリ、ガリの3人の個性の違いが問題なのではなく、キャパシティー/クオリティー/クオンティティーにおいてタトゥーは世にも稀なるものがあるっていうことなんですよ。ラ・シオタの怠惰な風流中年みたいな態をしていながら、実際の中身は探求型の音楽人だし、古典にまで博識な文学人だし、詩人だし、批評家だし、イデオローグだし、とにかく多弁の論客だし。この人を並みの人だと思っちゃあいけませんよ。
『ワイと自由』 のツアーのあとで、また3人別々になってみたら、本当に差ができてしまった。ジャリとガリがよくないとか弱いということではなくて、タトゥーがすごすぎるんだと思います。2013年のマルセイユの年間イヴェント『マルセイユ/プロヴァンス欧州文化首都2013』をめぐって、この3人は大げんかをしたんです。数百年におよぶ中央支配および中央による搾取の歴史の延長で、こういう押しつけのイヴェント開催でマルセイユ人を手懐けようとしている、とタトゥーは激しく批判したのですが、他の二人は同じ考えではなかった。これは2013年の6月にタトゥーにレイ・ジューヴェンのアルバム『アルテミス』についてインタヴューした時に聞いたことで、その怒りようがあまりにも激しかったので、マッシリアはもうおしまいか、と思ったほどでした。
その1年後2014年6月に、同じようにタトゥーにアルバム『オペレット』(レイ・ジューヴェン7枚目 )の話を聞きに行ったら、 うれしそうにマッシリアの新アルバムと30周年記念ツアーのことを話すタトゥーがいたのです。やはりマッシリアはこの人を中心に動いているのだ、と確信しましたね。俺が動けば3人になれるんだ、みたいな自信でしょうかね。
『ワイと自由』 では3人ではなくて「1+1」の歌もあったのですが、新アルバムは全曲3MCですからね。この3人へのこだわりがマニフェスト的に表現されたのが3曲め「ひとつのヴァージョンに3人のMC "TROIS MCS SUR LA VERSION"」でしょう。
(↑)この部分はジャリが歌ってます。こういう戦闘性がモロに出ているアルバムです。3人集まったら、全然パワーが違うんだぞ、というデモンストレーションのような。この歌のリフレインはこうです。
ナンバーワン、ザ・ベスト、ザ・チャンピオン。世界最強のおっさんたちとして世界に君臨するのです。インド人もびっくり。インド人たちが「マッシリア・ナマステ!」と敬礼するくだりには笑ってしまいますが。こういう大ボラ話が、(われわれフランスに住む人間たちにしてみれば)、極めて極めて「マルセイユ的」なのです。ホラとペタンクとパスティスがマルセイユの三大フォークロアであり、それをマッシリアはマジに誇りに思ってますよ。
そしてそのマルセイユに関して、1年前の「 マルセイユ/プロヴァンス欧州文化首都2013」をめぐる3人の衝突に決着をつけるように、このイヴェントを14曲め「マルセイユに告ぐ "A Marseille"」という歌で総括します。
こういうところで3人は意見の一致を見いだして、闘うマッシリアとしてマルセイユにものを言っているのです。同じテーマで、Wake Up わが町、と歌っているのが6曲め「わが町、目を覚ませ! "Ma ville, réveille-toi !"」で、このリフレインは美しいオック語です。(オック語訳してみました。知ってる人は間違いを指摘してください)
わが町は「混じり合い」の国なのです。中央政府が青写真で描いたような町ではない。混じり合って輝いていく開かれた町。さまざまな人々の共存する町として目覚めよ、マルセイユ。
ところがマッシリアが30年も同じようなことを言い続けているにも関わらず、マルセイユも世の中も一向に良くならない。良くならないどころか、2000年代以降、どんどん悪くなってしまっている。これは最近この9月に会ったクロード・シクル(マッシリアと共にオクシタニスム運動の代表的な推進者のひとり。トゥールーズの人。ファビュルス・トロバドールのリーダー)も同じことを言っていて、同じトゥールーズのゼブダや、マルセイユのマッシリアや、コルドのラ・タルヴェーロや、ニースのニュックス・ヴォミカや、いろいろな人たちがさまざまな地方の問題に同じような力強い声を上げているのに、一向にこの社会は良くなっていない。貧富格差は急速に増大し、マスの大衆は仕事も収入も激減して、政治は何もしないのが当たり前、招かれざる者・有益でない者・文化の違う者を排除して自分たちの利権を保持しようとする拝外思想が急伸する、という現実が私たちの目の前にあります。町は目に見えて悪くなっているのです。(こんなこと言いたくありませんが、日本だって同じでしょうに)
タトゥーが最近のインタヴューで、サイレント・ムーヴィーを例えに出して、俺たちはその音楽伴奏者みたいなものである、なんて面白いことを言ったのですよ。それがなければ無声映画は面白さにも説明にも欠けるのだ、と。音楽によって観る者はその映像を劇的に想像して作品を把握するのです。タトゥーたちはまずマルセイユの日常を無声映画的に映し出し、それを映画館つきのピアニストのように音楽で表情をつけ、歌詞でもって活弁士のようにその映像世界を具体化する。映画発祥の地ラ・シオタを地盤として、世界に音楽を発しているタトゥーならではの発言だと思いますよ。
このアルバムでもマッシリアは政治腐敗を糾弾する歌(10曲め "L'ELIGIT")、巨大ファイナンスによる世界支配を暴く歌(4曲め"ES TOT PAGAT")、インターネットとSNSの善悪を説く歌(11曲め"QUAND ON VIT CONNECTE")など、世相に対する批評の目は常に鋭いのです。先達か同業者か、おそらくマッシリアもリスペクトしていたと思われるフランソワ・ベランジェの「これらのひどい言葉 "TOUS CES MOTS TERRIBLES"」 、アラン・ルプレストの「おぞましいものはすべてきれいな名前を持っている"TOUT C'QU'EST DEGUEULASSE PORTE UN JOLI NOM"」と多くの共通点を持つ13曲め「これらすべての言葉 "TOUS CES MOTS"」も最近の世相語を激しく嫌悪していたり。しかしボブ・ディランの有名な歌をなぞったと思われる7曲め「答は風の中に舞っている "LA RESPONSA ES DINS LO VENT"」だけはもうちょっと説明が欲しいところではありましたが。
おしまいに、これだけは特記しておきたいことを書きますと、上にちょっと紹介したインターネット現象に言及する歌で、極右フロン・ナシオナル党への敵愾心をむき出しにしている11曲め 「オンラインで生活してると "QUAND ON VIT CONNECTE" 」 の中で、タトゥーが歌う詞の中にこんな数行が現れます。
お立ち会い、これは言うまでもなく、われらが友にして世界一のマッシリア・グルーピーである「おきよし」(→写真)さんのことです。日本で最もマッシリア・サウンド・システム、およびオクシタニア・ムーヴメントに関して愛情を注いで追いかけている女性です。こういう形でタトゥーからリスペクトのオマージュがあったりすると、本当にうれしくなります。オクシタニアの奥に流れる「女性崇拝 L'amour courtois」のひとつの具体例とも解釈しておきましょう。
<<< トラックリスト >>>
1) Li siam リ・シアム(俺たちはここにいる)
2) Si leva mai la cançon (俺から歌を取り去ったら)
3) Trois MCs sur la version (3人のMCがひとつのヴァージョンで)
4) Es tot pagat (支払い済み)
5) Je marche avec (俺と一緒に歩く人たち)
6) Ma ville réveille-toi ! (わが町よ、目を覚ませ!)
7) La responsa es dins lo vent (答えは風の中に舞っている)
8) Massilia no 1 (マッシリア・ナンバーワン)
9) Pourquoi je morfile ? (なぜ俺だけが罰を受ける?)
10) L'eligit (選ばれた者)
11) Quand on vit connecté (オンラインの生活をしていると)
12) Parlar fort (大声で言え)
13) Tous ces mots (これらすべての言葉)
14) A Marseille (マルセイユに告ぐ)
15) Libres jusqu'à lundi (月曜日までの自由)(※)
16) Ils sont loin (テレビは遠い世界)(※)
(※ LPのみに収録)
MASSILIA SOUND SYSTEM "MASSILIA"
CD/LP Manivette Records MR10
カストール爺の採点:★★★★☆(↓)マッシリア・サウンド・システム30周年盤ティーザー"Si leva mai la cançon "
Massilia Sound System "Massilia"
マッシリア・サウンド・システム結成30周年記念盤です。ジャケットはブルーの地に浮き彫りレリーフで "MASSILIA"とだけ。
このブルーは「マルセイユの色」ということにしておきましょう。マルセイユの紋章(→)は十字軍時代(11-13世紀)から使われているそうで、銀地にアジュール(紺碧)ブルー。現在の市章も、フットボール・チームのオランピック・ド・マルセイユ(OM)のチームカラーもこの色。それからマッシリア・サウンド・システムの親衛隊組織であるマッシリア・チュールモのロゴもこの色です。ま、政治的なコンテクストでは青は一般的に「右派」「保守」の色であり、サルコジやUMP党の集会には青旗だらけになってしまいますが、それはそれ。
2014年10月21日に発表されました。「10・21」はわしらの世代的には国際反戦デーですが、関係はありまっせん。前作『ワイと自由』 は7年前。3人のMC(故リュックス・ボテを入れると4人)が、それぞれのソロ・プロジェクトで忙しくしていた頃で、『ワイと自由』はまた3人寄ればすごいんだぞ、ということを示したかったんだと思いますよ。まだCDも少しは売れていた時代だから、ソロ・プロジェクトだってちゃんとした表現行為・作品として生きるはずと思っていたんでしょうが、あにはからんや、機能したのはタトゥーのレイ・ジューヴェンだけでした。厳しい時代になったものです。別な見方をすれば、1年に1枚のアルバムを出せるようなタトゥーの豊穣な創作力と尽きぬインスピレーションがものを言っているわけです。常にシーンのフロントにいることはね、尋常ならぬものですね。分野も世界も違いますけど、ジョニー・アリディを想ったりしますよ。言わずもがなのことでしょうけど、タトゥー、ジャリ、ガリの3人の個性の違いが問題なのではなく、キャパシティー/クオリティー/クオンティティーにおいてタトゥーは世にも稀なるものがあるっていうことなんですよ。ラ・シオタの怠惰な風流中年みたいな態をしていながら、実際の中身は探求型の音楽人だし、古典にまで博識な文学人だし、詩人だし、批評家だし、イデオローグだし、とにかく多弁の論客だし。この人を並みの人だと思っちゃあいけませんよ。
『ワイと自由』 のツアーのあとで、また3人別々になってみたら、本当に差ができてしまった。ジャリとガリがよくないとか弱いということではなくて、タトゥーがすごすぎるんだと思います。2013年のマルセイユの年間イヴェント『マルセイユ/プロヴァンス欧州文化首都2013』をめぐって、この3人は大げんかをしたんです。数百年におよぶ中央支配および中央による搾取の歴史の延長で、こういう押しつけのイヴェント開催でマルセイユ人を手懐けようとしている、とタトゥーは激しく批判したのですが、他の二人は同じ考えではなかった。これは2013年の6月にタトゥーにレイ・ジューヴェンのアルバム『アルテミス』についてインタヴューした時に聞いたことで、その怒りようがあまりにも激しかったので、マッシリアはもうおしまいか、と思ったほどでした。
その1年後2014年6月に、同じようにタトゥーにアルバム『オペレット』(レイ・ジューヴェン7枚目 )の話を聞きに行ったら、 うれしそうにマッシリアの新アルバムと30周年記念ツアーのことを話すタトゥーがいたのです。やはりマッシリアはこの人を中心に動いているのだ、と確信しましたね。俺が動けば3人になれるんだ、みたいな自信でしょうかね。
『ワイと自由』 では3人ではなくて「1+1」の歌もあったのですが、新アルバムは全曲3MCですからね。この3人へのこだわりがマニフェスト的に表現されたのが3曲め「ひとつのヴァージョンに3人のMC "TROIS MCS SUR LA VERSION"」でしょう。
バラバラになっている場合じゃない。今こそ大変動のために集結する時だ。
マッシリアのMCたちはポジションについた。野郎たち、子供たち、親たちに物申すぞ。カマドよりも熱く、コミック・ヒーローたちより強く、マイクを持つポーズを決め、ファッショどもと戦争をし、アホどもに苛立ち、ボボどもに怒り、コノどもに対しては容赦ゼロだ。
(↑)この部分はジャリが歌ってます。こういう戦闘性がモロに出ているアルバムです。3人集まったら、全然パワーが違うんだぞ、というデモンストレーションのような。この歌のリフレインはこうです。
ひとつのヴァージョンに3人のMCだぞ、緊張が高鳴るぞ30年間これをやってきたマッシリアは偉大なんだ、という大風呂敷自画自賛が8曲め、その名も「マッシリア・ナンバーワン "Massilia No.1"」という歌です。
冷血人間ども気をつけろよ、熱いぞ、これがマッシリアだ、炸裂するぞ!
30年間に3百万リットルのパスティス酒
ポール・リカールだってしまいにはオランジーナになっちまった
MCたちが俺たちの頭を支えてくれようとしたんだが
やつらもバーカウンターの裏で、ぶよぶよのフライドポテトになっちまった
コペンハーゲンでは二度とこんなことにはならないぞ
やつらは水で薄めるってことを知らなかったのさ
ムンバイでもやつらは俺たちに挑もうとしたんだが
倒れる前にやつらは叫んだ「マッシリア・ナマステ!」
ブルトン(ブルターニュ人)だって、シュティ(北フランス人)だって
みんな真っ赤になってのびた
ブラジル人でさえ、四つん這いで逃げ出した
ある日アリエージュの山ん中でひとりのラスタが俺たちに言った
「マッシリアにリスペクト、あんたたちは俺の分別をぶちこわしてくれた」
俺たちに悪さをすることができたのはコルシカ人だけだ
それでもやつらは朝になるとみんな声を揃えてプロヴァンサル語で歌うんだ
マルセイユからハンブルクまで、そしてモンゴルでも
おまえが「やあ」とあいさつすると、みんなが「アヨーリ!」と叫ぶんだ
マッシリア・ナンバーワン、チタン鋼より堅く
マッシリア・ナンバーワン、サヴァンナより熱く
マッシリア・ナンバーワン、ジタンよりも強烈で
マッシリア・ナンバーワン、税関よりも狡猾で....
ナンバーワン、ザ・ベスト、ザ・チャンピオン。世界最強のおっさんたちとして世界に君臨するのです。インド人もびっくり。インド人たちが「マッシリア・ナマステ!」と敬礼するくだりには笑ってしまいますが。こういう大ボラ話が、(われわれフランスに住む人間たちにしてみれば)、極めて極めて「マルセイユ的」なのです。ホラとペタンクとパスティスがマルセイユの三大フォークロアであり、それをマッシリアはマジに誇りに思ってますよ。
そしてそのマルセイユに関して、1年前の「 マルセイユ/プロヴァンス欧州文化首都2013」をめぐる3人の衝突に決着をつけるように、このイヴェントを14曲め「マルセイユに告ぐ "A Marseille"」という歌で総括します。
機会は逸し、約束は守られない
再考された都市は、なにかのコピーの焼き直し
人々は海岸を歩きながら空しく思った
人々は自分たちのアイデンティティーを奪われたように思った
彼らはすべてを変えたかったのだが、一体どんな計画でそうしたかったのか?
俺たちは何も求められなかったのに、俺たちはそれを強いられた
多くの人たちはそれを忍従したし、多くの人たちは気を悪くした
もうこんなものに関わるのはごめんだと逃げ出した人たちもいた
もう一度立て直そう、そうともこれはあんまりだ
戦士の精神をもう一度目覚めさせよう
マルセイユ人たちはどこへ行ってしまったのだ?
やつらのポリティックはただひとつ
俺たちは這いつくばって生きさせることだけ
俺たちを嘲笑う権力者たちは
何も変えようとなどしていない
やつらの企みを見抜くには
虫眼鏡など必要ないんだ
俺たちのスープをまかなうのは俺たちなんだ
誰の許可など求めなくていいんだ
こういうところで3人は意見の一致を見いだして、闘うマッシリアとしてマルセイユにものを言っているのです。同じテーマで、Wake Up わが町、と歌っているのが6曲め「わが町、目を覚ませ! "Ma ville, réveille-toi !"」で、このリフレインは美しいオック語です。(オック語訳してみました。知ってる人は間違いを指摘してください)
O ma Provença おお、私のプロヴァンサ
siás nacion de convivéncia おまえは愛と暮らしの
De l'amor, la residéncia, 共存する国
L'ostau de la libertat. 自由の庇護者
Terra polida, 美しい大地
monte lo soleu presida, 太陽が昇り
Monte la calor convida 輝き混じり合いながら
A un mesclum mirgalhat 歓迎の熱も上がる
わが町は「混じり合い」の国なのです。中央政府が青写真で描いたような町ではない。混じり合って輝いていく開かれた町。さまざまな人々の共存する町として目覚めよ、マルセイユ。
ところがマッシリアが30年も同じようなことを言い続けているにも関わらず、マルセイユも世の中も一向に良くならない。良くならないどころか、2000年代以降、どんどん悪くなってしまっている。これは最近この9月に会ったクロード・シクル(マッシリアと共にオクシタニスム運動の代表的な推進者のひとり。トゥールーズの人。ファビュルス・トロバドールのリーダー)も同じことを言っていて、同じトゥールーズのゼブダや、マルセイユのマッシリアや、コルドのラ・タルヴェーロや、ニースのニュックス・ヴォミカや、いろいろな人たちがさまざまな地方の問題に同じような力強い声を上げているのに、一向にこの社会は良くなっていない。貧富格差は急速に増大し、マスの大衆は仕事も収入も激減して、政治は何もしないのが当たり前、招かれざる者・有益でない者・文化の違う者を排除して自分たちの利権を保持しようとする拝外思想が急伸する、という現実が私たちの目の前にあります。町は目に見えて悪くなっているのです。(こんなこと言いたくありませんが、日本だって同じでしょうに)
タトゥーが最近のインタヴューで、サイレント・ムーヴィーを例えに出して、俺たちはその音楽伴奏者みたいなものである、なんて面白いことを言ったのですよ。それがなければ無声映画は面白さにも説明にも欠けるのだ、と。音楽によって観る者はその映像を劇的に想像して作品を把握するのです。タトゥーたちはまずマルセイユの日常を無声映画的に映し出し、それを映画館つきのピアニストのように音楽で表情をつけ、歌詞でもって活弁士のようにその映像世界を具体化する。映画発祥の地ラ・シオタを地盤として、世界に音楽を発しているタトゥーならではの発言だと思いますよ。
このアルバムでもマッシリアは政治腐敗を糾弾する歌(10曲め "L'ELIGIT")、巨大ファイナンスによる世界支配を暴く歌(4曲め"ES TOT PAGAT")、インターネットとSNSの善悪を説く歌(11曲め"QUAND ON VIT CONNECTE")など、世相に対する批評の目は常に鋭いのです。先達か同業者か、おそらくマッシリアもリスペクトしていたと思われるフランソワ・ベランジェの「これらのひどい言葉 "TOUS CES MOTS TERRIBLES"」 、アラン・ルプレストの「おぞましいものはすべてきれいな名前を持っている"TOUT C'QU'EST DEGUEULASSE PORTE UN JOLI NOM"」と多くの共通点を持つ13曲め「これらすべての言葉 "TOUS CES MOTS"」も最近の世相語を激しく嫌悪していたり。しかしボブ・ディランの有名な歌をなぞったと思われる7曲め「答は風の中に舞っている "LA RESPONSA ES DINS LO VENT"」だけはもうちょっと説明が欲しいところではありましたが。
おしまいに、これだけは特記しておきたいことを書きますと、上にちょっと紹介したインターネット現象に言及する歌で、極右フロン・ナシオナル党への敵愾心をむき出しにしている11曲め 「オンラインで生活してると "QUAND ON VIT CONNECTE" 」 の中で、タトゥーが歌う詞の中にこんな数行が現れます。
俺はバンジョーが好き、俺はピカソが好き
俺はフェメンが好き、俺はアペロが好き
俺はアヨーリが好き、俺はドゥルッティが好き
俺はブルースとYoshi Oki が好き
お立ち会い、これは言うまでもなく、われらが友にして世界一のマッシリア・グルーピーである「おきよし」(→写真)さんのことです。日本で最もマッシリア・サウンド・システム、およびオクシタニア・ムーヴメントに関して愛情を注いで追いかけている女性です。こういう形でタトゥーからリスペクトのオマージュがあったりすると、本当にうれしくなります。オクシタニアの奥に流れる「女性崇拝 L'amour courtois」のひとつの具体例とも解釈しておきましょう。
<<< トラックリスト >>>
1) Li siam リ・シアム(俺たちはここにいる)
2) Si leva mai la cançon (俺から歌を取り去ったら)
3) Trois MCs sur la version (3人のMCがひとつのヴァージョンで)
4) Es tot pagat (支払い済み)
5) Je marche avec (俺と一緒に歩く人たち)
6) Ma ville réveille-toi ! (わが町よ、目を覚ませ!)
7) La responsa es dins lo vent (答えは風の中に舞っている)
8) Massilia no 1 (マッシリア・ナンバーワン)
9) Pourquoi je morfile ? (なぜ俺だけが罰を受ける?)
10) L'eligit (選ばれた者)
11) Quand on vit connecté (オンラインの生活をしていると)
12) Parlar fort (大声で言え)
13) Tous ces mots (これらすべての言葉)
14) A Marseille (マルセイユに告ぐ)
15) Libres jusqu'à lundi (月曜日までの自由)(※)
16) Ils sont loin (テレビは遠い世界)(※)
(※ LPのみに収録)
MASSILIA SOUND SYSTEM "MASSILIA"
CD/LP Manivette Records MR10
フランスでのリリース : 2014年10月21日
カストール爺の採点:★★★★☆(↓)マッシリア・サウンド・システム30周年盤ティーザー"Si leva mai la cançon "
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