2014年11月10日、パリを歌ったシャンソンをカヴァーしたザーズのジャズ・アルバム『パリ』(←写真。プロデュース:クインシー・ジョーンズ)はフランスでリリースされました。このプロモーションで、フランスの音楽チャートのサイトである "CHARTS IN FRANCE"にザーズのインタヴューが掲載されました。カヴァー曲でアルバムを作ったきっかけ、クインシー・ジョーンズとの出会い、パリで鍛えられ(ストリート・ミュージシャンだったこと)パリで頭角を表したことの回想、国内よりも外国で有名で売上高の多いことに関する考察、セレブであることのメリット・デメリットなど、たくさんのことを喋っています。
絶賛する人もいれば酷評する人もいる。これはいたしかたのないことです。しかしけなす人の理由が、この人がストリート出身である、という侮蔑観に由来する場合、彼女は黙っているわけにはいかない。音楽学校も出ているし、プロとしてバンドにもいたし、ピアノ・バーなどでも歌ったし、一通りの下積みをした上で、ストリートに出ている。これをなにかSDF(ホームレス)で物乞いをしながら歌っていたように書かれてしまう。ま、エディット・ピアフ神話とオーヴァーラップさせようとする、レコード会社プロモと物書きたちの脚色もあるんでしょうが。程度こそ違え、ラ・リュー・ケタヌー、アメリー・レ・クレヨン、ラ・マノ・ネグラ(マニュ・チャオ)、レ・ギャルソン・ブッシェ(フランソワ・アジ=ラザロ)、ケジア・ジョーンズ... みんなストリートで歌っていましたけれど、SDFだったわけではない。それでもオランダ出身元歌手(ギンザレッドレッド)現テレビ司会者のデイヴに至っては、2014年9月のピープル誌VOICIのインタヴューで「この女は毎日脇の下を洗ってないような印象がある」などととんでもないことを言ってしまうんですね。それに対してはこのインタヴューで「わたしは自分の体を洗っているかどうかなんて証明する必要なんかないわ」と軽くいなしていますが、ほんと度を超えた侮蔑だと思いますよ。
さて このザーズのインタヴューの中の発言に関して、11月14日付けのリベラシオン紙(フランソワ=グザヴィエ・ゴメスの記事)が苦言を呈しました。問題の箇所を訳します。
(問い:この新アルバムであなたが歌っているパリは、まさに現実と一致するものなのでしょうか? それとも単なる幻想にすぎないのでしょうか?)リベラシオン紙がひっかかったのは、(私がわざと訳さなかった)"légéreté" という言葉です。手元の大修館スタンダード仏和辞典では
ザーズ「わたしはこれらすべての歌が現在においてもとても今日的だと思ったの。わたしは喜びを養分にして生きているの。歌うっていうことはわたしの喜びにわたしをコネクトさせること。フランスではネガティブなことばかりに人の関心が集中しすぎてるんじゃないかってわたしは思うの。ネガティブなことの一方で多くの人たちが社会を作り直しているし、別のことを提案してくれている。そういう人たちにはなかなか注目が集まらない。わたしはそれがとても残念なの。パリでは、占領下の時代でも、ある種の "légèreté"があった。 人々はたとえ全的に自由の状態じゃなくても、自由を歌っていた。わたしにとってそれこそがパリなのよ。すべてが可能なところ、そこだから人々は新しいことができる」。
1. 軽いこと、軽さ 2.(動作の)軽やかさ、敏捷 3. (布などの)薄さ、(罰・誤り・傷などの)軽さ、(酒の味の)さわやかさ 4.(形の)優美 5. (口調・文体などの)軽妙といった訳語が並んでいます。要は軽さです。ミラン・クンデラの1984年の小説『存在の耐えられない軽さ』のフランス語題も" l'Insoutenable légèreté de l'être"なのです。ザーズが言ったのは、第二次大戦中のナチ占領下のパリにも「ある種の軽さ」があったということなのですね。リベラシオン紙はこれを "Des propos déplacés et faux"(不適切で間違った表現)と言います。その記事の一部を以下に訳します。
ドイツ軍に占領されていた首都にもしも「軽さ」があったとすれば、それは黄色い星をつけられていた人々の側ではない。また当時支配的だった密告と相互不信の雰囲気を定義するのに「軽さ」は適切な言葉ではない。食糧不足・エネルギー不足・配給割当制・戒厳令というコンテクストの中で、ほんのひとにぎりのパリ市民が「軽く」不自由のない生活を送っていた。(中略)これを「軽さ」と言ってはいけない、ということなのです。1980年生れですから、ナチス占領時代から30数年後の世代でしょうが、人々の記録と記憶の中では、それは「ある種の自由」や「ある種の軽さ」ではありえないのです。ザーズさん、わかってください。
この「軽さ」はパリ解放の時に糾弾されたのだ。とりわけ占領下パリで仕事を続けていたアーチストたちの「軽さ」は。エディット・ピアフ、シェルル・トレネ、レオ・マルジャーヌその他たくさんのアーチストたちは、観客最前列にいる緑灰色の軍服(註:ナチス)の将校たちの前で歌っていたのだ...
(↓)ザーズの新アルバム『パリ』 のオフィシャル・ティーザー。
PS : 11月16日、ザーズさんが公式Facebookページで、この「軽さ」の件で言及しています。
わたしが歴史家ではなくても、わたしたちの歴史のこの暗い時代が、自由の時代でも軽さの時代でもなかったことは知っている。例外は占領軍と対独協力者たちにとってだけで、これらの人々にわたしはいかなる親愛感も抱いていない。
あのような言葉を連ねたことはたしかに不器用であった。わたしが単に表現したかったのは、あのような状況に置かれながらも人々の生活は続いていた、ということ。わたしの頭にあったのは、あの素晴らしい映画『人生は美しい(La vita è bella)』(1997年ロベルト・ベニーニ監督イタリア映画)のこと。
幾人かの論争好きな人々がこのことを悪意あるやり方で紹介することをよしとしているのをわたしは残念に思う。その筆の才能を、(わたしが全く信用していない)疑わしい政治観を持つ人々やあらゆる過激思想の信奉者たちと対決することに使うこともせずに。
この最後のパラグラフですけど、
Je regrette que certains esprits polémistes aient cru bon les relayer de manière malsaine, plutôt que d'affûter leur talent de plumitif à l'encontre de prises de position plus douteuses, ou de sympathisants extrémistes de tous bords dont je ne fais pas "Paris". (赤字は引用者)赤字にしたところは「わたしが全く信用していない」と訳しましたが、直訳的には「わたしが賭けない」「わたしが選択しない」という意味と、ギユメつきで「Paris(パリ)」としたことで「わたしがパリ的とは思わない」というような意味と掛けてあるのです。
いいじゃないですか。良い反論だと思います。
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