"Vivre Mourir Renaître"
『生き、死に、再び生まれる』
2024年フランス映画
監督:ガエル・モレル
主演:ヴィクトール・ベルモンド、ルー・ランプロ、テオ・クリスティーヌ
フランス公開:2024年9月25日
2018年に(↑と同じように)動詞が3つ並んだタイトルの映画があった。クリストフ・オノレの”Plaire, aimer et courir vite”(拙訳では『愛され愛し速く走れ』、爺ブログ紹介記事あり)。1990年代エイズを背景とした緊急(でポジティヴ)なラヴストーリーで、死にゆく作家ジャック(演ピエール・ドラドンシャン)のモデルはエルヴェ・ギベール(1955 - 1991)とされている。エルヴェ・ギベールと同じほどあのエイズ禍に生き急いだ若いアーチストの象徴となっているのが、歌手/作家/俳優/映画監督だったシリル・コラール(1957 - 1993)である。コラールがエイズ発症中に自作小説を自ら監督&主演して映画化したのが『野生の夜に(Les Nuits Fauves)』(1992年)であり、劇場入場者数3百万人の大話題作となった。
このガエル・モレルの新作映画はコラール『野生の夜に』との関連を仄めかすものがいくつかあり、まず映画ポスターが同じグラフィックデザイナーによって制作され、色調とタッチを『野生の夜に』(→ポスター)とほぼ同じにしてある。また主役のゲイの売れっ子写真家の名前が"シリル” となっていて、32年前の映画へのオマージュ加減が窺える。
映画はそのエイズ禍真っ只中の1990年代パリが舞台である。最初は男と女であり、サミー(演テオ・クリスティーヌ)とエマ(演ルー・ランプロ)が出会い、強く愛し合い、男の子ナタンが生まれ、大きなアパルトマンに移って”確かな家庭”を築こうとしている。その二人の出会いの時、サミーは自分がかつて刹那的に男と性交したことがあるこをエマに告白したが、エマはそんなこと何でもないわで済ませた。サミーが新居のアパルトマンを自力で改装工事していると、騒音のクレーム。下の階のアパルトマンを仕事場(暗室ワーク)にしているフォトグラファーのシリル(演ヴィクトール・ベルモンド)が、この音では仕事ができないので、自分の仕事の時間とそっちの工事の時間を調整できないか、と。この最初のコンタクトからサミーとシリルの間に電流ビシビシ。その工事時間調整の謝礼としてシリルはサミー&ナタン親子のポートレート写真を、と。ここでサミーとエマはシリルが世界的に有名なフォトグラファーであることを知り、その写真世界にも惹かれていく。このシリルの写真を世界に売り出しているギャラリー/写真エディターの女主人アルバーヌの役でエリ・メディロス(失礼ながら当年68歳)が出ていて、えっと驚いた(同時にうれしかった)。
ほどなくこのサミーとシリルの関係はエマに察知される。激昂するエマだったが、サミーもエマもお互いに別れることなど考えられないほどお互いを愛し求めている。おまけにシリルは二人にとって例外的に”いいヤツ”なのだ。こうしてゲイ(シリル)+サミー(バイ)+エマ(ヘテロ)というサミーを軸とした三角関係が、(構図は違えど)トリュフォー『突然炎のごとく』(1962年)のように(戦争/病禍に背を向けて)疾走する三人となっていく。これに子供のナタンが加わり、この4人が一緒に過ごす絵(→写真 ↓動画)は蜃気楼のようなユートピアの出現を思わずにはいられない。そしてエマは2人めの子を妊娠し、この関係が5人に拡大する展望すら見えてくる。ポジティヴ。
しかし、映画ですから、そんな瞬間は長続きしない。サミーは仕事中(RATP地下鉄運転手)に倒れ、病院の精密検査の結果HIV陽性/エイズ進行中が告げられる。まだトリテラピー(trithérapie : 3種類の抗レトロウイルス剤を組み合わせたエイズ治療法)がなかった頃、これは死の宣告に等しかった。そしてエマもHIV陽性が判明する。エマは未来を閉ざされ生まれてくる子にも生きる望みはないと、サミーの意見も聞かず、妊娠中絶してしまう。 HIV陽性者ふたり、エイズ進行者ひとり、このトリオの影でひとりだけ未来が展望できるのはナタンだけである。シリルは未来を閉ざされた3人はナタンの未来を守らなければならない、とある提案を持ちかける。それはシリルとエマが正式に結婚することで、世界的フォトグラファーであるシリルの財産及び未来における印税収入が、シリルの遺産としてナタンが相続できるようになるのである。アルバーヌ(エリ・メデイロス)とサミーを結婚立会人とする4人だけの区役所結婚式、そのあと、シリル+エマ+サミー+ナタンは”ハネムーン”で陽光さんさんのソレントへ飛ぶ。このソレントでのシーンの美しいことったら....。最後の旅と知ってのことだろう、歩くことも難しい時があるほど病いの進行しているサミーをシリルは海辺の険しい岩場や波打つ入江などに連れて行き、シャッターを押し続ける。これは緊急な写真である。たぶん命懸けのショットの連続だったのだろう。エマも美しい、ナタンも喜びに満ちている。永遠に続いてほしいこの夢のようなイタリア海浜の日々も残酷にも終わってしまうのだよ。
時は経ち、映画終盤はその4年後。サミーはもうこの世にいない。シリルとエマとナタンはまだ家族同然の行き来をしているが、ナタンはどんどんサミーの面影を濃くしていき、シリルはその追憶で新しい愛人たちともしっくりいかない。そしてあのソレントの日々のあと、シリルは写真が撮れなくなってしまう。そして医学の進歩はトリテラピーをもたらし、その効果はHIV陽性者に再び”未来”の可能性を与えてくれたのだ。エマは医師から未来を考えなさい、子供を作ってもほぼ100%大丈夫と言われ耳を疑う。トリテラピーの恩恵はシリルにも事情は同じ。あの頃、シリルにとってすべてが緊急だったから写真はその緊急性が創造の源になっていたのだろう、命がぐ〜っと延びてしまった分、シリルのクリエーティヴィティーは枯渇してしまう。エマとシリルにとってそれぞれの「再生」は同じ道の上にはない。サミー/エマ/シリル3人の死を仮想前提としていたシリルとエマの結婚(そして遺産をナタンに与える話)はもう理由を失ってしまった。エマはシリルに離婚を提案する。ナタンにとってもそれが一番いい。かつてのユートピアはこうして解体する。
最後にエマは、4年前シリルがソレントで撮ったきり、シリル自身が手をつけられないでいた夥しい枚数の現像ネガを抱え込み、何日も何夜もかけて整理セレクトし、アルバーヌのギャラリーでシリルの写真個展を開いてやるのである。このエマの”別れの贈り物”をシリルはギャラリーの外から見ていて、これが自分の最後の個展になることを悟るのである...。
3人の素晴らしい俳優(ヴィクトール・ベルモンド、ルー・ランプロ、テオ・クリスティーヌ)の全編ポジティヴな演技にどれほど心動かされることか。エイズ禍をめぐるドラマティックな映画では、ロバン・カンピーヨ『120BPM』(2017年)、上述のクリストフ・オノレ『愛され愛し速く走れ』(2018年)と同じほどのインパクト&エモーションがある。テレラマ誌が「新ベルモンド誕生 Un nouveau Belmondo est né」と銘打つ記事を出すほど、この映画のシリル/ヴィクトール・ベルモンドは観る者の目を射るものがある。ゲイのハイプなフォトグラファーという役どころで、憂いも孤独感も無常観もありながらアクティヴで”いい奴”でもある、この魅力には抗しがたいものがありますよ。名優になっていきますよ、黙ってても。
カストール爺の採点:★★★★☆
(↓)『生き、死に、再び生まれる(Vivre Mourir Renaître)』予告編
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