Bronski Beat "Smalltown boy"(1984)
ブロンスキー・ビート「スモールタウン・ボーイ」(1984年)
2017年カンヌ映画祭審査員グランプリの映画『120 BPM (120 battements par minute)』(ロバン・カンピーヨ監督)に関する原稿を雑誌ラティーナに送ったので、問題なければ9月20日発売号に載りますから読んでみてください。この映画フランスでは8月23日封切で、1週で23万人の観客を動員しました。現在ボックスオフィス上で第5位ですけど、こういう社会派問題作では異例のヒットと言えましょう。
その映画のサントラの中で、最も効果的で印象的に使われているのが、このブロンスキー・ビートの「スモールタウン・ボーイ」です。それはあのエイズ禍時代の雰囲気を空気ごと再現させるという効果だけでなく、ゲイの少年たちがずっと持っていた苦悩をこれほどまでにストレートに表現した最初の世界的ヒットだったという歴史的事実の重さがものを言っているのだと思います。ゲイ、ホモ、おかま、同性愛はそれまで普通に(社会的に)虐められる対象だっただけではありません。1981年になってWHO(世界保健機構)はやっとのこと同性愛を「精神病」の項目から削除したのです。それまで同性愛はオフィシャルに病気だったのです。フランスでは同じ年1981年に左翼の大統領フランソワ・ミッテランが当選し、死刑を廃止したことで有名な法務大臣ロベール・バダンテールが、それまで刑法上で軽犯罪として罰則の対象となっていた同性愛の条項をやっとのこと削除したのです。いいですか?それまで同性愛は犯罪だったのですよ! 81年、同性愛者たちはやっと解放され、以来ゲイ・カルチャーは日陰からオーヴァーグラウンドに出て、大手を振ってその文化を露出させていったのです。その虹色文化は音楽・演劇・絵画・映画・デザインその他あらゆる分野で急激に隆盛し、短い間にその頂点に達するのです。その頂点の時期に、申し合わせたようにエイズ禍が突然現れたのです。
「エイズは同性愛という自然の摂理に逆らう現象への天罰である」とキリスト教原理主義者などは冷笑しました。多くの人たちは「これは同性愛者間だけの災禍だろう」と無関心を決め込みました。どんなに多くの死者が出ようが、これは「普通人」には関係がないと思っていたのです。「沈黙=死」とアクトアップはスローガンにして訴えました。市民の無関心はエイズ死を大きく助長していたのです。
100%ゲイのトリオ、ブロンスキー・ビート(右写真)の「スモールタウン・ボーイ」はエイズ禍直前のゲイ・コミュニティーの最大の希望の歌でした。イギリスの保守的で閉鎖的な小さな町で生まれ育ったゲイの少年が、それを理由に虐められ、両親に理解されず、小さな町を出て都会に移住することで解放を見出していく歌で、状況説明的なヴィデオクリップも勇気ある作品でした。「スモールタウン・ボーイ」はそのマイノリティー的社会性にもかかわらず。全英チャート最高位3位の大ヒットになりました。それから超絶ファルセットヴォイスのヴォーカリスト、ジミー・ソマーヴィルはゲイ・コミュニティーのカリスマ的アーチストになりました。映画『120 BPM』 の監督ロバン・カンピーヨのインタヴューによると、ジミー・ソマーヴィルは1989年のアクトアップ・パリ発足時の重要な資金援助者だったそうです。その縁でロバン・カンピーヨはジミーにこの曲の使用許諾とリミックス許可をお願いしたのですが、快諾してくれたそうです。映画サントラはロバン・カンピーヨの映画の音楽をずっと担当してきたアルノー・ルボティニによる2017年リミックスのヴァージョンを採用していますが、これが素晴らしい。
(↓)ブロンスキー・ビート「スモールタウン・ボーイ」1984年ヴァージョンのクリップ。
(↓)ロバン・カンピーヨ映画『120 BPM』サントラのアルノー・ルボティニ・リミックスヴァージョン。2017年10月13日アップのオフィシャルクリップ。
(↓)ロバン・カンピーヨ映画『120 BPM』 の予告編。
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