2017年9月10日日曜日

Oh 嫉妬 !

アメリー・ノトンブ『己が心臓を叩きたまへ』
Amélie Nothomb "Frappe-toi le coeur"

 の終わりのノトンブ。1992年から毎年8月末に小説を発表してきたベルギー女流作家、2017年新作は通算26作め。私はすべてを読んでいるわけでもないし、ファンでもない。しかしこのブログでも5つも記事を載せているし、好き嫌いを別として、私にしてはちゃんと「おつきあい」を続けている稀な作家である。
 このところ寓話的な作品(『青ヒゲ』2012年、『巻き毛のリケ』2016年)が続いていたノトンブの新作はなんと古典的心理小説です。最大のキーワードは嫉妬(jalousie)です。 それも100%女と女の嫉妬です。時代は1970年代から2000年代までの30数年。携帯電話もインターネットもなかった時代から始まりますが、それだけではなく女性の地位やライフスタイルも今とはかなり違っていました。そういう意味では男っていうのは何十年経ってもさほど変わっていないのです。ノトンブの小説では男はほとんど問題になりません。一様につまらない人種のように描かれます。一理も二理もありますが。
 舞台は地方都市。サイズとしては大学に有名な医学部があり、無理して中央に出なくても中央に遜色なく暮らせるパワーのある都市。しかし十分に小さく、町の噂はすぐに津々浦々まで 伝わるような。若くして町一番の美女の評判が立ち、言い寄る男たちを蹴散らして尊大に生きているマリーという娘がいます。しかし理想の男は簡単に現れます。オリヴィエは優男で代々の自営業(薬局)のあととりで、マリーに絶対的に尽くすタイプの男です。二人は恋に落ち、結ばれ、早くも第一子が誕生します。この長女ディアーヌが生まれた時にマリーは20歳、彼女はその誕生の喜びよりも「私の青春はこれで終わった」という憂いの方がずっと強かったのです。そして周囲の人々がその新生児の美しさを天使のようだと賞賛する時、マリーはその美において「私はこの子に勝てない」と直感します。この子の誕生によって私の人生は既に終わってしまったかのような。若い母の娘に対する嫉妬はスタートラインから始まっていたのです。
 その母の直感に呼応するようにディアーヌは見る見る美しくなり、おまけに並外れて頭が良いのです。この後者の要素が母親マリーには欠けていましたが、本人にはその自覚がありません。母親は幼いディアーヌに対して一貫して冷淡な態度で接しますが、その女神(作者は時折マリーを”déesse”と呼び換えます)のような尊大さは根っこのところでディアーヌを愛しているに違いない、というかすかな期待をディアーヌは長い間持ち続けます。マリーに二人目の子供ニコラ(男児)が生まれます。するとどうでしょう?マリーはこの男児を非常に可愛がって育てるのです。ディアーヌに対する態度は変わりません。ここでディアーヌはこの母親は女児に対する生理的嫌悪感があるのではないか、と想像します。しかし時が経ち、3人目の子供を宿すのですが、生まれてきたのは女児(名前はセリア)。この女児をマリーはニコラの時に数倍輪をかけて溺愛するのです。この時になってやっとディアーヌは自分だけが母親に嫌われていることを悟るのです。
 この結論に至るまで、聡明な子供のディアーヌは逡巡(ゴメンなさいね難しい言葉。シュンジュン)があり、子供なりにさまざまな推論を立てて、ありえない仮定(=母親が子供を愛さない)を避けてきた。この辺が優れた心理小説の筆です。う〜む。
 しかしこのこの結論が出るや、黒々とした理不尽な思いから救われるために、ディアーヌは代理の母親、代理の家庭を探します。その最初の避難所が母方の祖父母の家庭で、実家族と別居してそこで平穏を取り戻します。しかし長続きせず、祖父母が事故死してしまいます。次の避難所がリセの親友のエリザベートです。心の打ち明けられる友だちというものを持ったことがなかったディアーヌの大転機ですが、この歳頃の親友関係にありがちな擬似同性愛的で何かあれば嫉妬が顔を出してしまいます。ここも一流の心理小説。う〜む。祖父母の死で実家に帰らなければならなかったところを、エリザベートの家庭がディアーヌの引き取りを申し出て、その後も実母との軋轢を避けて平穏に暮らせることになります。
 超秀才美少女のディアーヌは、エリザベートと異なり、歳頃の言い寄ってくる男たちに何の興味もなく、あらゆるノトンブの小説の男たちのように、この小説でも男たちは魅力に乏しいのです。そして大学の医学部(心臓医学科)に入学したディアーヌは、つまらない男社会とぶつかります。学会や教授会における圧倒的男性優位です。それと果敢に闘いながら、男教授たちよりも数倍明晰な講義をするオリヴィアという女性講師と出会います。自分の倍ほどの歳、つまり実母マリーと同じほどの歳の聡明な女性に、ディアーヌは強烈に惹かれていき、親密な師妹関係ができていきます。小説の後半はもっぱらこの関係に割かれます。なぜならこれがディアーヌにとって最重要な「代理の母探し」となるからです。
 二人の関係は学術的な興味も含めて、刺激的に両者を向上させていきます。多分ディアーヌはオリヴィアよりも頭脳において勝るということを知っていたはず。いつしか教え子が教師をリードする関係になり、ディアーヌはオリヴィアに男共に負けないために教授資格を取るよう仕向け、2年間の資格取得準備(論文作成)を365日体制で手伝うのです。寝食を忘れるほどディアーヌはオリヴィアに尽くします。そしてオリヴィアの家庭の中に入っていくのです。
 オリヴィアには夫スタニスラス(数学者。フィールズ賞受賞者!)と娘のマリエルがいます。ノトンブの小説ですから、夫は数学オタクのような変わり者で、男の魅力が著しく欠落しています。問題は娘です。オリヴィアの大学での研究と講義準備のために時間がないという言い訳で、マリエルの学校の送り迎えや食事準備などは全部スタニスラスがしています。母の愛の乏しい子。さらに、大数学者と俊才医学部講師の間に生まれた子なのに、学校の成績が驚くほど悪いのです。この点でもうオリヴィアはさじを投げている感じなのです。母親に愛されていない娘 ー マリエルにディアーヌは自分の幼い頃を見る思いがするのです。そこで論文作成でヘトヘトになりながらも、時間を作ってディアーヌはマリエルの遊び相手になり勉強も教えてやります。マリエルはディアーヌを慕うようになります。つまりここからはディアーヌ自身が代理の母親になるんです。この小説の構造の巧みさ、おわかりかな、お立会い?
 ある日突然大学にディアーヌの母マリーがやってきます。私生児を出産した末娘のセリアが赤ん坊を残して失踪したので、一緒に探して欲しいと。セリアの置き手紙には、ママンが私をダメにしたように、私もシュザンヌ(赤ん坊の名)を溺愛してダメにしてしまいそうなので、ママンに託す、と。20歳になったセリアは母の役を放棄することで新しい出発をしようというわけです。ディアーヌはセリアの決断を祝福し、涙で嘆願するマリーを哀れみます。なぜならマリーには母親としてディアーヌにしたことの罪深さ、セリアにしたことの罪深さについての自覚が全くないからなのです。
 学業、病院のインターン、オリヴィアの論文手伝い、マリエルの世話、これらのことすべてをこなし、ガリガリに痩せてしまったディアーヌ。その甲斐あって、オリヴィアは見事教授資格を取得するのですが、その途端にオリヴィアはかつて自分が軽蔑していた男の教授連と同じように、社交サロンに出没する虚飾に満ちた俗物に変わっていくのです...。

 小説題となった「自らの心臓を叩きなさい」という言葉はアルフレッド・ド・ミュッセの詩の断片です。
 Frappe-toi le coeur, c'est là qu'est le génie.
   自分の心臓を叩きなさい、そこにこそ天才は宿っている
こんな訳でいいかな?問題は二つの言葉、"le coeur"(心臓、心)と"le génie"(守護神、天才、真髄...)で、人によっては「心の扉を叩きなさい、そこに真髄はある」みたいな私の訳とはちょっと違ったニュアンスで考えるかもしれません。それはそれ。しかし問題はミュッセの時代19世紀でも、人間が思考する器官は心臓ではなく頭脳である、ということはもうずっと前から分かっていたということです。人間は心ではなく頭で考える。心は臓器としては喜怒哀楽情緒や思考とは何の関係もない。ところが古今東西、人間は心が最も大切な臓器で、人間らしさのすべての源がそこにあると思ってきたのです。科学的には誤りでも、人間はずっとハートを人間の中心としているのです。小説の中でこの詩句は、オリヴィアがディアーヌにどうして心臓医学を勉強する気になったのか、と質問し、その答えとして引用されます。
「それには2回のきっかけがありました。11歳の時、私は将来医学を学ぶという決心をしました。それはひとりの素晴らしい医者と出会ったからです。なぜ心臓医学を選んだかについては、前もって言っておきますが、私の動機はあなたには愚かしいことに思えるはずですよ」
「言ってごらんなさい」
「アルフレッド・ミュッセのある詩の断片に感銘を受けたのです : Frappe-toi le coeur, c'est là qu'est le génie.」 
これを聞いて、オリヴィアはあっけに取られます。心臓の神秘をこれほどまでにズバリと言い当てた言葉はあろうか。
 これには後日談があって、ディアーヌの身を粉にしての努力援助の甲斐あって、オリヴィアが見事教授資格を取得し、その記念パーティーを開くのです。そしてオリヴィアは壇上に立ってスピーチを始めます。そこでオリヴィアはなんと「私が心臓医学を学ぼうと思ったきっかけは、アルフレッド・ド・ミュッセの詩に出会ったことです...」とディアーヌのそれを100%パクったのです! サイテーっしょ? どサイテーっしょ? ー 私はこのサイテーの箇所を読んだ時、この小説はアメリー・ノトンブ最高の作品であると確信したのです。

Amélie Nothomb "Frappe-toi le coeur"
Albin Michel刊 2017年8月26日 170ページ 16,90ユーロ 

カストール爺の採点:⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️


(↓)国営テレビFRANCE 5文学番組「ラ・グランド・リブレリー」(2017年9月7日)で最新作 "FRAPPE-TOI LE COEUR"について語るアメリー・ノトンブ。



 

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