2016年8月3日水曜日
帰れない放蕩息子
この記事はウェブ版『おフレンチ・ミュージック・クラブ』(1996-2007)上で2004年10月に掲載されたものの加筆修正再録です。
Philippe Besson "Les Jours Fragiles"
フィリップ・ベッソン『脆い日々』
(2004年8月刊)
『脆い日々』 は詩人アルチュール・ランボー(1854-1891)の最晩年を見届けた詩人の妹、イザベル・ランボーの日記という形式で書かれた小説である。フィリップ・ベッソンは2001年の第二作め『Son frère 彼の兄』(2001年11月のおフレンチ・ミュージック・クラブ「今月の一冊」で紹介)で注目された三十代の作家で、『彼の兄』はパトリス・シェローによって映画化もされた。この『彼の兄』は病気で死が宣告されている弟を最後まで看取る兄の日記として書かれた、透明な近親愛の悲しみに満ちた作品であったが、この新作(5作め)はそのヴァリエーションであるかのように、死にゆく兄を見つめる妹の、内に秘めながら燃えていく近親愛を押し殺しながら献身する魂の記録である。
詩人ランボーの最晩年の姿を照射するというのはこの小説の主題ではないが、一応その背景として詩人の生涯を紹介しておくと、アルチュールは北フランス、アルデンヌ地方の地主を母親とし、軍人を父として男児二人女児二人の兄弟姉妹の次男として生まれている。父親とは幼い時期に別居しており、4人の子供は母親の許で育てられるが、妹ヴィタリーは病死、兄フレデリックは別居して疎遠になっていく。アルチュールは1870年に最初の家出。パリ、次いでベルギーへ。1871年パリ、詩人ポール・ヴェルレーヌ(1844-1896) と同性愛生活。1872 - 1873年、ヴェルレーヌとイギリスとベルギーを放浪。1873年5月破局。7月10日、ヴェルレーヌがランボーに発砲、負傷させる。この1873年でランボーの詩作活動は終わってしまう。ランボー詩集(1869-1873年)、『イリュミナシオン』(1871年執筆、刊行は1886年)、『地獄の季節』(1873年)。ランボーは19歳で筆を折り、イギリス、ドイツ、イタリアを放浪、オランダの植民地軍の外人部隊兵、スカンジナヴィアのサーカス団の通訳、キプロス島の工事現場監督などを経験した後、1880年から91年初めまで東アフリカで象牙と武器の商人となる。1891年5月、片膝に腫瘍ができ、その手術のためにフランスに帰国。マルセイユの病院で片脚切断。
小説は片脚となった兄アルチュールの帰郷をアルデンヌの村で待つイザベルの日記から始まる。 言うまでもなくイザベル・ランボー(1860-1917)は実在の人物であり、またイザベルが描いた病床でのランボーの姿は、幾多のランボー評伝に必ず登場するデッサン作品である。そしてイザベルの日記というのも実際に存在し、この小説でも実際にイザベルが書いた部分はイタリック体で印刷され、原文のまま転写されている。それ以外はすべてフィリップ・ベッソンの創作である。
マルセイユに帰港したランボーに会いに行くのは母親である。その間の家ののうちのすべての管理はイザベルに任され、イザベルは疲労のために倒れてしまう。この家は男たちがみんな出て行く家だ、とイザベルは述懐する。父と二人の兄は出て行ってしまって帰ってこない。残るは二人の女である。冷徹でもあり強靭でもある母親だからこの家が管理できるのであり、それを継ぐのは私しかいない、という宿命的な自覚がある。自分は損な女である。恋も男も知らない。自分は兄のように家出することなどなく、このまま家にいて、母を継いで死んでいくだろうと、憂鬱だが受け入れなければならない未来像が見える。自分は平凡な顔立ちと貧弱な肉体をした女であるが、アルチュールは美しい容姿と射るような目を持った少年だった。その兄がどのような姿になって帰ってくるのか、とイザベルは想像してみる。
結局母親はアルチュールをマルセイユから連れ帰ることができない。この二人は決して和解することがないのである。神がアルチュールを赦したとしても、母親はこの息子を決して赦さない。その理由は小説の最後部で分かってくるのだが、母親がこの息子の何を憎んでいるのかというと、そのホモセクシュアリティーなのである。神に背く大罪を背負った息子と見なしているのである。
アルチュールはひとりでアルデンヌに帰ってくる。それを駅で迎えるのがイザベルであり、彼の部屋を用意し、彼の介護をし、彼の便宜をすべてはかるのがイザベルの仕事となる。母親はイザベルがアルチュールにかかりきりになることをよく思っていない。この小説で母親は一貫して冷酷な人間として描かれるが、イザベルはこの母親を理解し、弁護する側にも立つ。
片脚を切断しても腫瘍はすでに転移しており、アルチュールの病状は悪化する一方である。モルヒネとイザベルが調剤する煎じ薬草で痛みを抑えながら、アルチュールはイザベルに心を開いていく。母親に愛されなかったアルチュール、女性を愛することがなかったアルチュールは、なぜイザベルにだけ真の打明け話ができるのか。それは兄妹という関係だからというわけではなく、イザベルに「女性」を見ることができないからなのだ。イザベルはこのコンプレックスを超えて、兄アルチュールと初めてある種の共犯関係を築くことができ、それに異常なまでの興奮を示していくのである。
兄が死にゆくことを知っているイザベルは、アルチュールの最期の日までの献身を自分に課し、詩人の望みを叶えるためのあらゆる努力を払う。太陽に憧れたアルチュールは、その太陽によって命を縮めた、とイザベルは言う。死にゆく床にある詩人は、それでもなおアフリカに帰らなければならないと強く望んでいる。ランボーにとってアフリカはどんなことがあっても約束の地なのである。そしてそこには彼と結ばれることを待つ恋人もいる、とイザベルは告白される。アデンにいるジャミという名の若者である。この青年となんとかして結ばれたいとアルチュールはイザベルに訴える。
かくして詩人は無謀なアフリカ再渡航を妹に嘆願し、妹は不可能を知りつつアルチュールの望むままにアルデンヌの村を出て、マルセイユ経由でアフリカへという旅に立ち会うのである。しかし病状の悪化で経由地のマルセイユで足留めを喰らい、その6ヶ月前に片脚
切断手術をした同じ病院に収容されることになる。そしてそこがランボーの死の床となるのである。
幾多のランボー評伝での論議されていることのひとつに、死を直前にしてランボーが悔悛し、キリスト教に帰依し、キリスト者として死ぬことを選んだ、ということがある。反逆の少年詩人は神を呪い、キリスト教を侮辱する言葉を多く残した。それがなぜ最終的にキリスト教的来世に至ることを望むようになったのか。この小説ではイザベルが敬虔なキリスト者であり、アルチュールがキリスト者として神に召されることを強く希望していたことが描かれている。しかし死の床でランボーが和解したかったのは、神ではなく、母親ではなかったろうか。キリスト者として妹と母親の側の人間となることで、神ではなく母親の赦しを願ったのではないか。イザベルは兄のキリスト教帰依をアルデンヌに残る母親に早速手紙で書き送るのだが、母親の反応はない。母親は絶対にこの息子と和解することはないのだ。
農地と共に生きる定住者のイザベルと、自由と太陽を求めて放浪する兄アルチュール、この極端に違う二つの魂に流れるのは母親の「悪い血」である。イザベルは受け入れて生き、アルチュールは拒絶して死ぬ。生まれて初めてこの二つの魂は、たった半年間だけ強く結びつくのである。小説はイザベルの側から書かれているから、アルチュールの心情は隠されたままであるが、兄の最後に向かって振幅をいよいよ大きくしていくイザベルの心の揺れが鮮明に描かれている。その揺れは兄の死と共に跡形もなく消え去ってしまう。
詩人ランボーの最後がどうであったか、ということは文学史研究者に任せておけばいい。フィリップ・ベッソンはその罠に陥ることなくこのフィクションを書き上げた。話者イザベルが見ている悲劇的に分裂している家族のドラマを背景に、その最も強烈な二つの核である母親と兄の間にいるイザベルの最初で最後の反抗の物語である。反抗者に同伴した者の記録ではない。初めて自ら反抗した者の日記である。読む者は必ずや強烈な悲しみに身震いするであろう。
Philippe Besson "Les Jours Fragiles"
Julliard刊 2004年8月 190頁 18ユーロ
(↓)2004年10月、フランス国営テレビFRANCE 3の図書紹介番組 "1JOUR 1 LIVRE"、オリヴィエ・バロによるフィリップ・ベッソンインタヴュー。
Philippe Besson : Les jours fragiles par ina
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