2023年3月26日日曜日

マクロンの無秩序、われらの意見(リベラシオン紙)

【年金改革法に反対する】
アーチスト、研究者、活動家、作家たちの意見


マクロン政権による年金改革法(年金受給年齢64歳への引上げ)は、国民世論6割の反対および全労組による抗議行動(公営交通/運輸/電力/石油精製/学校/病院/ゴミ収集などの無期限ストライキおよび数百万人を動員する9回の全国統一行動街頭デモ)にも関わらず、3月15日議会での評決なしの政府責任による強行通過(憲法で定められた「49-3条」可決)、3月20日野党提出の内閣不信任案の不成立によって、フランスの議会法の根拠を得て成立した、ということになっている。全労組の反対運動は鎮まるどころか逆に強硬化し、街頭での抗議行動は3月23日の第9回目の全国デモで3.5百万人の参加を見せ怒りの声を最高に増大させた。大統領マクロンは全く聞く耳を持たず、強気の姿勢を崩さない。一部過激派による激しい街頭ゲリラ戦が発生し、ゴミ収集ストの続くパリは通りに堆く積まれたゴミの山で覆われている。次の統一行動日(第10回目)は3月28日火曜日。この時期に予定されていた大イヴェント英国の新王チャールズ3世のフランス訪問(シャンゼリゼ大通りパレード、ヴェルサイユ宮での大晩餐会を含む)は直前で中止を余儀なくされた。
 3月25日、週末版リベラシオン紙はこの革命前夜のような政治/社会危機と言える政府vs民衆の緊張した対峙状況を見る、文化人(作家、アーチスト、映画監督、研究者、社会活動家...)たち十数組の意見を7面にわたって掲載している。当ブログはその一部、5人の意見を(無断)全文翻訳して、(無断)再録します。

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ウェンディー・ドロルム(Wendy Delorme、作家、パフォーマンスアーチスト)

2000年代からニューバーレスク・パフォーマー、2007年小説『第四世代 Quatrième Génération』で作家デビュー、性的マイノリティーとセックスワーカーに加担した作品群を。リディア・ランチの著作”Will work for drug"(2009年)をヴィルジニー・デパントと共同でフランス語翻訳している。

「7年前から強硬姿勢を崩さない反民主主義的な政府に対抗して、どのようにしたら反対行動に希望を繋ぎ続けることができるだろうか?」(3月21日の組合共闘会議での議事録の中で見た1行)
「私は夜の抗議集会に行くのが怖い。夜のデモ行動に対して機動隊が襲いかかるヴィデオをたくさん見たから」(ある女ともだち宅での会話で聞かれた一言)

こういったことを耳にする時、私はおまえのことを思う、あらゆるデモの間中声を枯らして何時間もハンドメガホンを通して叫び続けるおまえのことを。3回逮捕されてもデモに出かけることを怖がらないおまえのことを。セックスワーカーのストライキの時、資金カンパを募って動いてくれたおまえのことを。おまえの学部を占拠し、すべての階段教室で全体集会の時刻を告知して回ったおまえのことを。賃金が低すぎて、一日の給料が引かれるとかなり厳しくてスト参加者リストに名前を連ねることを躊躇していたけれど、それでも翌日のデモには顔を出していたおまえのことを。私の家の近くの公園の芝生の上で「公的権力の濫用に対する不服従」の講習会をボランティアで開いていたおまえのことを。私はおまえたちのことを思うと気分が高揚する。私が聞く必要があるのはおまえたちの声だ。おまえたちがその具体的な行動によってその次に何があるのかを描いてくれる。そのことが私にものを書き続ける意欲を与えてくれ、私を街頭に連れ出し、私に再びもうひとつの違う世界(註;女性形で書かれている "unE autre monde")は実現可能なのだと確信させてくれるのだ。



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ベルナール・リュバ(Bernard Lubat ジャズ・ミュージシャン/社会活動家)

ガスコーニュ(オクシタニア)ユゼスト出身の伝説的ジャズマン、1977年からユゼスト・フェスティヴァル主催者。オクシタニスムの祖フェリックス・カスタンとの共同作業に発して、ファビュルス・トロバドール(クロード・シクル)、マッシリア・サウンドシステム(タトゥー/ジャリ)らと新オクシタニア音楽のムーヴメントの中心人物でもある。

人々はうんざりなのだ。それは年金法の問題だけじゃない。彼らは自分自身であろうとせずにいたことにがまんがならなくなったのだ。最初からあきらめ主義”(註;capitulanisme おそらくベルナール・リュバの造語)によって運命づけられていたことに。われわれはひとりひとり皆違うものだが、一緒に生きるということを学ばなければならない。種々の労組が戦うために共同戦線を張るように。特別なことがなければ共同することはできない。さもなくばそれは共有化である。今日、批判精神は底辺から目覚めている。すなわちただただ働くことにうんざりしてしまった人々によってである。今こそ生きる者たちの地平に立ち帰り、様々な思想を試してみるべき時だ。この生きている者たちは、われわれの“あきらめ主義”のうまい話(とても優秀だと自分では思っているある身分の高い方によって代表される社会)など屁とも思っていないのだ。だがしかし。

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マリー・ダリウーセック(Marie Darrieusseq 作家)

(日本でも紹介されている作家なので、来歴はウィキペディアを参照してください)

 
ゴミ収集労働者のストライキ率は10%以下だという。彼らはプロレタリアの高貴さそのものだ。彼らは自分たちのストライキを他者に捧げているのだ。そして私たちは喝采でもって彼らに給料を支払った。レストランでの夕食中、私はゴミ収集労働者たちに賛同すると言ったら、みんな笑った、なにか気の利いた言葉でも言ったかのように。それはたぶんあなたがたの両親や祖父母が何をしていたかによるものだろう。階級を飛び越えた人たちは右にも左にも足を持っていて、場所に相応しくないように響いたとしても誰もそれぞれの言葉を持っている。だが「49-3」は凶暴にも私がどこから出てきた人間なのかを思い出させてしまった。私の祖母はネズミイルカを調理して食卓に出したものだ。それは小型のイルカの一種で、漁網にかかったものはゴミとして捨てられていたものだ。祖母は肉を買う金などなかった。「これは魚を食べて育った仔牛みたいなものよ」と祖母は私に言った。私はこの話を金持ちの子孫たち、すなわちフランス人はもはや働くのが嫌いになってしまったと嘆く人たちにしてやったのだが、彼らはこれを「文学」だと思い込んだ。文学が無害なきれいごとであり、装飾された怒りであり、広告文句で引用されるユゴーのようなものという意味においてだが。デモ参加者がスケートボードで機動隊に殴りかかったら懲役3年の刑を喰らう。しかし教養ある悪党たちは自由の身であり、プライヴェートジェットで飛び回り、その山小屋を飾るためにデヴィッド・ホックニーの絵を買う。私はこんな人たちと会話し、交際しているが、彼らはあなたたちが想像するものよりもはるかに珍奇だ。この国民の劇的な貧困化を見ようとせず、どうやって国を導くことができるのか?しまいには人々が水の奪い合いをしかねない時に。マクロンは「あとは野となれ山となれ(Après moi le deluge わが後には洪水来れ)」であり、わが後にはル・ペン来れ(après moi Le Pen)であり、それで手を洗っておしまいにするつもりだ。それとも彼は救世主としてサルコジのカムバックを準備しているのか? カルラ・ブルーニはインスタグラムに写真註;↓添付 クリックすると拡大されます)貼って嘆くのをやめて、自分でゴミ収集をするべきた。金はタックスヘヴンに山ほどあるのだ。私は今でもヨーロッパを信じていて、ヨーロッパがその万人のための法と正義でもって脱税で隠匿された金のありかを突き止めるものだと思っているが、そういうヨーロッパを緊急に創設するよう圧力をかけなければならない。

 






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ジャン=ガブリエル・ペリオ(Jean-Gabriel Périot 映画作家)

(ジャン=ガブリエル・ペリオはあまり馴染みのない名前かもしれません。2016年公開の広島を舞台にしたペリオ作品『夏のひかり(lumières d’été』はフランスでも日本でも話題にならなかった映画ですが、私に強烈な印象を残しただけでなく、爺ブログでの紹介記事6000ビューという高い関心を集めました。)

現在進行している闘争は私たちが特性として持っている歴史の中にのみ記録されるものである。すなわち解放闘争の歴史である。より直接的には階級戦争の歴史と言っていい。そう、戦争なのである。なぜならいかなる支配者たちも、実力の行使と闘う女たち男たちの流血を見なければ何ひとつとして承認することはなかったのだから。この人民たちの支配層への永続的な闘争なしには、私たちは中世の農奴のままでい続けたであろう。この男たち女たちが20時のテレビニュース画面で振りかざしている“暴力”は、大昔から私たちが被って耐えてきた“暴力”を包み隠すものではない。公的利益に与すると称して数々の大罪を隠す何某かの者たちを上機嫌に満足させるために、私たちの側ではどれほどの声のない死者たちがあったことだろうか? なぜなら、それは至極単純なことなのだ、貧困は労働と同じように人を殺すのである、力の限りに殺すのである。そしてもしも私たちが私たちの先祖たちよりも少しばかり良い状態で生きているのは、先人たちの闘争のおかげなのである。1日の、1週間の、年間の、あるいは一生の間の労働時間が少なくなったのは彼ら先人たちのおかげなのである。私たちの社会保障システムは彼らのおかげなのである。だからこそ、私たちはバリケードを築きつづけ、私たちを抑圧するもののシンボルに火をつけて燃やしつづけ、ブルジョワたちに恐怖を与え続けるのである。
 闘争は現在置かれている条件でアップデートされているのだから、過去の闘争のロマンティスムを引き合いに出す必要はない。私たちが今日立ち会っていることでこれまでにない新しいものは何か?今回緊急とされているものは何か?私たちを闘争の勝利者として導くものは何か?単純にこういうことから始めてみよう。私たちが闘争に勝利するように。選出された議員たちは女たちも男たちも何年も抗議に無関心のままでいる。民主主義のシステムの長所を少しでも信用しているなら、このことはストップさせなければならない。その上、人権を尊重すると言われる国家において、治安維持警察が猟犬のように凶暴になってしまったことはもはや耐えられない。近年パリ、レンヌ、ナント、トゥールーズでデモに参加したことのない人にはこの治安維持隊がどれほどまでに全面的な暴力行使集団になってしまったかは理解できないことだろう。強制的な身体/持ち物検査、おまえ呼ばわり、逃げ口のない状態での催涙ガス噴射、逮捕、負傷者、そして死者まで出ている。
サルコジ以来、歴代の政府は警官にやりたい放題を許可し、市街戦とゴミ箱火事の映像だけを流すことで人々にデモ参加をそして闘争すること自体を断念させようとしている。私たちは戦い続けなければならない。なぜなら私たちが勝利しなければ、誰が勝利者として名乗りを上げるのか知っているから。それは極右「国民連合(Rassemblement National)」。もはや自分の怒りの声が誰にも届かなくなった時、保守がマクロンのような輩とつるんで自らの戯画を演ずる時、既成左派が陳腐な内部抗争に没頭し、大臣の椅子争いや人民のリーダーを僭称する輩に追従したり、そしてもっと悪いことに権力を手に入れるやいなや人民を裏切る時、女たち男たちの大多数は自分たちの声を聞いてくれる最後の希望と映るものの方にきびすを返してしまうのだ。私たちは最終的に率直に勝利するしかないのである。女たち男たちが2年多く働かなくてもいいように。そして大統領が私たちに向けて準備している次なる攻撃に苦しめられることになる女たち男たちのために、私たちは勝利しなければならない。


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スワン・アルロー(Swann Arlaud 俳優)

1981年生れの41歳。2022年フランス映画クレール・シモン監督『私しか求めないで(Vous ne désirez que moi)』での、マルグリット・デュラス最後の愛人で38歳年下のヤン・アンドレアを演じた。これが素晴らしすぎて...。当ブログでは紹介していませんが、向風三郎のフェイスブック上で書いた分、ここにリンク貼っておきます、参照してください。

僕は95歳まで働けたら仕事できたらいいなと思っている仕事をしている。だから僕がデモに行くのは他の人たちのこと、僕の子供たちのことを考えてのことと言えるが、もっとグローバルな僕の信条に従ってのことでもある。ひっきりなしに最も弱い立場にある人々を打ちのめすこと、彼らに始終もっと努力をせよと求めることはやめてほしい。その一方で最富裕層への贈り物はしょっちゅうのことだ。方向を変える時は今だ。僕はすべての年金改革法反対のデモに参加したが、「49-3」で法案通過した今、僕は再びデモに参加する必要性を強く感じている。とりわけマクロンのその支持者たちの前での最新の演説を聞いた今となっては。僕にとってそれは平手打ちだった。やつはおしまいだ.街頭の声に正当性がないなどと言う大統領。その時から大統領にもその政府にも正当性はない。何ヶ月にもわたって何百万という市民が抗議している声も聞かず、それを手の裏で払うなどということは重大なエラーだ。

整然とデモ行進する3百万人もの人々の声がその耳に届くために十分でないと言うのなら、最後の手段として暴力行為が現れても驚くにはあたらない。この男が選出されたのは極右の当選を退けるためだった。それが今や極右がそこに至るための高速道路を彼は建設している。人々は彼を許すことはできない。まさに重大な政治危機を迎えていて、僕には代議制民主主義がもはや機能していないような印象がある。現行憲法を練り直し、第六共和制に移行させるべきだ。これは目眩がしそうで一見不可能に見えそうだが、もしも今それに着手しなかったら、僕たちはますます深刻で構造的な危機に突入していくだろう。

(↓)
3月23日パリでのデモ参加者たちの声。民の声。(20minutes France制作動画)

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