2023年1月6日金曜日

せ(ね)がれを救う父

"Tirailleurs"
『セネガル歩兵連隊』

2022年フランス映画
監督:マチュー・ヴァドピエ
主演:オマール・スィ、アラサン・ジョング、ジョナス・ブロケ
音楽:アレクサンドル・デプラ
フランスでの公開:2023年1月4日


"tirailleur"とは私のスタンダード仏和辞典では
1,【軍】(本隊に先立って進む)狙撃兵、散兵、斥候兵
2. (昔の植民地の)現地人歩兵

という訳語が出てくる。この2番目の意味で使われる時、19世紀半ばからフランスがアフリカ大陸の植民地で組織した現地人(indigènes)兵連隊は、北アフリカ(マグレブ)の "Tirailleurs algériens(ティライユール・ザルジェリアン、アルジェリア歩兵団、アルジェリア人という意味ではない、現在のマグレグ3国に当たる地域の出身者による徴集兵団)"とサハラ砂漠以南の"Tirailleurs sénégalais(ティライユール・セネガレ、セネガル歩兵団、セネガル人という意味ではない、当時のアフリカ西部フランス領土の出身者による徴集兵団)"に大別され、後者は当時「黒の軍団」とも呼ばれたりした。この現地人兵団はフランス”正規”軍の指揮の下でフランスの軍事作戦の最前線に置かれ、最も危険な前衛、将棋の"歩”となる。1895年マダガスカル平定、そして第一次大戦(1914〜18年)、第二次大戦(1939〜45年)とフランス軍の最前衛として”祖国フランス”のために戦う。この映画は第一次大戦にヨーロッパ大陸(特にフランス東部)の戦場に送られたティライユール・セネガレの物語である。仏語ウィキペディアの記述によると、第一次大戦に参戦したセネガル歩兵団の兵士の数は20万人、そのうち13万5千人がヨーロッパ大陸に送られ、3万人が戦死している。
 フランスの歴史読み物や戦争映画などでは、このティライユール・セネガレをナイーヴに美談化し、フランスのために義勇で戦ってくれた英雄たちのように描くケースが多い。ところがこの映画は違う。冒頭シーンは強烈である。1917年、セネガルのサバンナで牛を放牧して育てている一家、父バカリ(演オマール・スィ)と17歳の息子チェルノ(演アラサン・ジョング)、そこへ「フランス人がやってくる」の報せ、バカリは息子に逃げるよう命じるが、多数の騎馬憲兵隊は逃走するチェルノを暴力的に捕らえ、強制連行する。これが当時の現地における”新兵狩り”であった。この若者たちが”祖国フランス”のために志願してヨーロッパ戦場に行くことなどあるわけがない。大戦後半、苦戦の続く最前線で盾となって死んでくれる”捨て駒”探しが急務だったのである。この映画はフランスの植民地主義的蛮行を糾弾するのが主眼ではないが、そういう視点はちゃんと示している。
 一家を支えてきたバカリは、頼りの男児チェルノがいなくなったら、一家の現在も未来もないことを見越している。そして戦場に連れて行かれた者は二度と帰ってこないことも現実として知っている。絶対にチェルノを戦地に送ってはならない。バカリは強制徴兵されたチェルノを追って、年齢を30歳と偽り(チェルノの父親という身分も隠し)ティライユールに志願して合格し、チェルノと同じ部隊の一兵卒として東部フランスの戦線に送られる。

 最初に重要なことを書くのを忘れていた。この作品はフランス映画としては初めてほとんどPeul(プール)語(フラニ語/ブラール語)だけで進行する映画である(もちろんフランスではフランス語字幕がつく)。西アフリカで広く話される言語で、バカリはプール語しか理解できないという設定で、オマール・スィは最初から最後までプール語セリフで通している。実生活で父親がセネガル出身、母親がモーリタニア出身で、幼少の頃は家の中でプール語が話されていたと言うから、オマール・スィにとってはある種”母語”のようなものではある。映画の中で、他の言語を解さないバカリは軍隊の中でしょっちゅう「プール語を話すやつはいないか」と探し回っていて、ひとり通訳を買って出た男の言葉に「俺はソンニケ語はしゃべらん、一緒にすな」と怒るシーンあり。これがバカリの大きなハンディキャップとなっている。
 それに対して息子のチェルノはフランス語がよく出来て、隊友たちのウケも良く、そしてフランス白人の部隊長のシャンブロー中尉(演ジョナス・ブロケ)にも気に入られ評価されている。このシャンブロー中尉というのが重要な役どころで、白人ひとりでこのティライユール歩兵隊をしっかりまとめあげるリーダーシップがあり、アフリカ兵たちと同じメシを一緒に食べ「生きるも死ぬも一緒だぞ」と檄を飛ばす熱血上官であり、絵に描いたような武勇の人なのである。この中尉とチェルノの間にある種のフィーリングが通じ合う。おお、そういう方向に行くのか、と観る者はうがってしまうのだが、最終的にそういう方向には行かない。しかし中尉はチェルノを高く評価し、大抜擢で伍長に昇格させ隊長補佐の地位を与えるのだった。
 一方バカリは隊の中で息子を前線に送らせない方法ばかり探している。給食班に配属されれば戦闘員にならなくてすむと、ワイロを使ってみたり。どこの世界も金でなんとかなるのであり、軍の中にも悪いやつはおって、巨額の謝礼金で脱走を手引きしてやるという話はあるのだが、バカリは十分な金を持っておらず... しかし、ある日戦場で、戦死した白人兵のポケットの中に丸めてあった札束を...。
 父と子の確執。子チェルノはこの部隊の中で重要人物になっていくにつれて、自分が子供ではなく大人になり、自己を実現していく充足感を増していく。バカな考えを捨てて、脱走してセネガルに帰ろうと迫る父バカリに対して、チェルノは愛する父の前で、自分は今やあなたの”上官”だ、あなたは僕の命令を聞かなければならない、と...。父親はおまえは俺の子であり、俺の言うことを聞く義務がある、と...。

 シャンブローは内密にチェルノとバカリが親子であることを見抜いていて、隊の士気を乱すバカリを別隊に移す考えもあることをチェルノに告げる。父と子はここで決別するかもしれない...。バカリはバカリで、シャンブローが敵陣の丘を制圧するために突撃先兵隊となる作戦を立てたのを知り、それが自殺行為に等しいことを察知して、なんとかチェルノを連れ出さなければと...。
 バカリの脱走計画とシャンブローの突撃作戦は同じ日。嫌がるチェルノを力ずくで脱走の偽装馬車に乗せ、別の脱走手配師の待つ中継地点まで来た時、バカリはチェルノが馬車から逃げ出し、シャンブローの部隊が突撃する戦場へ向かったことを知る。バカリは後を追って戦場に赴き、突撃隊は出撃した後の塹壕から、武器も持たず丸腰で敵陣の丘に向かっていく。そして傷ついた息子チェルノを見つけ、抱き抱えて塹壕に引き返そうとするのだが....。

 息子と家族のことだけを考える一途な父親、純朴で頭が悪く何が何でもやり通すことだけを考える頑固頑強な父親、これが今回のオマール・スィである。えへらえへら笑うオマール・スィに慣れた私たちはおおいに驚く。戦争はシリアスであり、冗談など何もない。植民地原住民というポジション、アフリカ黒人というポジション、これらに冗談などあるはずがない。そういう映画だから、フランス人には感動だけでなく(知らなかったことを)教えられることもたくさんあるだろう。映画にはそういうことを伝えるパワーもあるのだから。そして大俳優誕生の瞬間でもある。この映画の主演だけでなく、監督脚本のマチュー・ヴァドピエとの共同発案者でもあり、出資プロデューサーでもあるオマール・スィ、ありがとう。

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)"Tirailleurs"予告編


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