2022年4月6日水曜日

A star is reborn

"En corps"

2022年フランス映画
監督:セドリック・クラピッシュ
主演:マリオン・バルボー、ミュリエル・ロバン、ドニ・ポダリデス、ピオ・マルマイ、フランソワ・シヴィル、ホフェッシュ・シェクター
音楽:ホフェッシュ・シェクター+トマ・バンガルテール
フランスでの公開:2022年3月30日

画題"En corps"(アン・コール)はどう日本語にしていいのかわからないのでそのままにしています。(外国上映用の英語題は"Rise(ライズ)"ということだそうです)。無理して訳すと「からだで」「肉体の中で」「実体として」... また corps が軍隊の隊、バレエ団などの団の意味もあるので「集団で」「まとまって」という含みも考えられます。このヒロインがひとりのプリマドンナとして傷つき、集団的創造の中で自分を取り戻していくというストーリー性からもこの意味は大切だと思います。それから再生の物語なので、encore(アンコール、再び)という語との語呂合わせになっていることは間違いないと思います。
 主演のマリオン・バルボーはこれが映画初登場ですが、実生活でも現役のパリ・オペラ座バレエ団のプリマバレリーナ(danseuse étoile)でクラシックバレエとコンテンポラリーダンスの両フィールドで国際的な舞台で活躍しています。今年30歳。一方この映画のヒロインに重要な影響を与えるコンテンポラリー・ダンス・カンパニーの主宰者でコレオグラファーの役を演じるホフェッシュ・シェクター(実名出演)は、実生活でその人であり、イスラエル出身46歳、現在英国を拠点に世界的に評価の高い(日本公演も)先駆的コレオグラファーです。この世界第一線の二人が主軸となっている"ダンス”の映画ということなので、そのダンス芸術をありがたく拝見する2時間となったって、別にそれはそれですごいことになるはずなんです。ところが、そこはクラピッシュですから...。 
 ストーリーはいたってシンプルです。まず映画オープニングは(これが本当に美しい)パリ・オペラ座(パレ・ガルニエ)、当夜の上演作品は「ラ・バヤデール」、幕が上がる前、楽屋と舞台裏で緊張する出演者たち、ウォームアップを繰り返し、お互いを励ましあったり、チュチュのバレリーナたちの”生”の姿は、エドガール・ドガ描く「踊り子たち」をリアルで見る感じ。その緊張の頂点にあるのが主役寺院の舞姫を舞うプリマバレリーナのエリーズ(演マリオン・バルボー)、幕が上がり、ひとたび一座が巨大な工場機械のように動き始めると、制作に携わるすべての人たちが走り出す。美しい。その舞台助監督のひとりとしてセドリック・クラピッシュ自身がカメオ出演していて、ダンサーたちに無言の指示を与えている。舞台袖に退き次の出番を待つエリーズは、同じ一座のダンサーである恋人が、これまた同じ一座のバレリーナで親友と幕間時間に濃厚な接触をしているところを目撃してしまう。心千々に乱れてしまうエリーズ。出番がやってきて、乱れる心で舞台に躍り出て、大見せ場の連続スピン、そして大跳躍... が、なんたることか着地失敗、大転倒、オペラ座に鳴り響く悲鳴。ここまでの十数分間、セリフ一切なしで進行するのです。最初に聞こえる人の声が、このエリーズの悲鳴。
 救急車で病院に搬入され、左足の腱を損傷しており、全治には時間がかかるが、最悪の場合は二度とバレリーナとして復帰できない可能性も、と診断される。二つのショック、失恋とダンサーの命たる足の負傷、前者は全然たいしたことはないのだが、後者は人生が崩れるほどの衝撃なのです。26歳のエリーズはそれとどう向き合うか。クラシックバレエの特殊性、それは早く始まり早く終わるキャリアです。幼くしてお母さんに手を引かれてバレエ学校に通ったことから始まり、毎日数時間練習を続け、選別があり振り落とされ、地方から出て「オペラ座の子ネズミ」と呼ばれるオペラ座付属バレエ校で猛稽古を積み、その完成期は20代にやってくる。引力に逆らい宙に舞うことの頂点を迎え、やがて飛べなくなる。エリーズはその挫きがあまりにも早くやってきたことに、なんとか抵抗しようとします。
 片足をギブスで固められても、毎日の鍛錬を怠らない。なんとか再生の道を見つけたい ー と、この方向で映画が進むとスポ根ドラマと同じになってしまうんです。中には「第二の人生」探しを勧める者もいて、その代表が父親アンリ(演ドニ・ポダリデス)で、職業は地方(有能)弁護士、妻に早く私に別れやもめ暮らし、三人の娘(そのうちひとりがエリーズ)との付き合い方も下手(娘に"je t'aime"と言えない)、不器用な堅物男は「プロサッカー選手と一緒だよ、カタギの第二の人生を用意しなければならない」と説くのです。ドニ・ポダリデスに当たりの役です。どうしようもないなあと思いながらこの父親を愛しているエリーズですが、絶対にダンスの道は諦めたくない。ポダリデスを筆頭として、クラピッシュ映画なので脇を固める人物たちが、一癖も二癖もある”味”のある人たちばかり。キネ(スポーツ整体師)のヤン(演フランソワ・シヴィル、クラピッシュ前作"Deux moi"の主役)は医学(つまりエリーズを診断した外科医の半ネガティヴな経過判断)を信ぜず、ニューエイジっぽい精神論でエリーズを激励し、心の内でエリーズを熱愛する(が結果的にあっけなく振られる)道化師型キャラ。サブリナ(演スーエイラ・ヤクーブ、スイス人女優)はエリーズと同じオペラ座バレエ団に属していたが、同じように足の怪我で第一線を退き、今は女優を目指して修行中、竹を割ったようにものをズバズバ言いしかもフェミニスト、事故後にエリーズが最も意気投合し、頼れる姉御となっている。そのサブリナとカップルを組んでいるのがさすらいの料理シェフのロイック(演ピオ・マルマイ)で、店を持たずフード・トラックとキャンピングカーでイヴェントやセミナーのあるところに出張して料理を提供する。サブリナとロイックは口論のタネがつきない口喧嘩カップルですが、単純なことで和解ができ、夜にはキャンピングカーをゆさゆさ揺らしながらセックスをするという豪快さ。しかしロイックの独創的な料理探求の熱心さと腕は誰もが認めるところで、エリーズは(事故後の気分転換、ひょっとして第二の人生の手がかりかも、と)このカップルに付いて料理修行をしてみようか、という話に。
 ロイックの次の仕事先はブルターニュ地方モルビアン県の人里からちょっと離れた古い大屋敷。舞台芸術全般(音楽、演劇、ダンス etc)をこよなく愛する屋敷所有者ジョジアンヌ(演ミュリエル・ロバン、元国民的スタンダップ芸人、素晴らしい)が、ここをセミナー、アトリエ、スタジオ、ワークショップ、稽古合宿場としてアーチストたちを迎え入れているのです。ジョジアンヌ自身30年前に足を痛め、舞台を断念したという過去があって、今も杖の生活。しかし舞台芸術全般に通じたお世話おばさんのようなキャラで、アーチストの子たちが可愛くて可愛くて、という立ち回り。スネに傷持つエリーズもすぐにわが子のように。こういうおばさんのいる合宿所で創造活動ができるアーチストたちは幸せだと思いますよ。
 そんなところへ集団でやってきたのが、ホフェッシュ・シェクター・ダンスカンパニー!その場では料理人見習いでしかないエリーズですが、ついこの間までオペラ座プリマバレリーナだった彼女をホフェッシュが見逃すわけがない。「いつでも稽古の輪に入って」とホフェッシュが誘うのですが...。両者の波長はバッチリ噛み合っているのはわかっているのですが、やみにやまれぬ”踊りたい”衝動と、今動かしたら一生踊れなくなるかもしれない足の様子をうかがって葛藤するエリーズ。ええい、ままよ、見る前に跳べ。(↑写真:セドリック・クラピッシュ+マリオン・バルボー+ホフェッシュ・シェクター)
 踊りのシーンはすべて素晴らしい。門外漢の私でもふるえるほどヴァイブレーションが伝わってきますよ。私がね、この映画で最も美しいと思ったシーンは、ダンスカンパニーの全員が遠足にやってきた海の絶壁の高地、それだけでも美しいのに、夕暮れ近くになると強烈な風が吹きつけるのですよ、体が風で飛ばされそうになるほど、そこでこのダンスの仲間たちはめいめい立って足をふんばって糸につながれた凧のように風に身をまかせて右へ左へと揺れるのですよ。風と遊ぶ自由なからだ、風にしたがって動くコレグラフィー、これがみんなこの上なく楽しそうで、それを地面から撮ったり、空から撮ったりするカメラワーク。(それでぼくも)風をあつめて、風をあつめて。このシーン結構長く続くのですよ。どれだけしあわせか。
 そこで生まれる恋もあるのですよ。カンパニーのダンサーのひとりで、(既に映画前半で超絶ヒップホップダンサーとして皆を仰天させた)メーディ(演メーディ・バキ、現役のヒップホップダンサー)と恋仲になって笑顔がもどるエリーズ。映画的に見れば、この恋は完全に第二義。それが証拠にメーディはこの映画で極端にセリフが少ないが、いいやつ、存在感あり。

 ダンスカンパニーの合宿は終わり、ホフェッシュはエリーズに正式にパリで団員として参加してほしいとプロポーズ。エリーズの第二のダンス人生が始まる、というストーリー。だがしかし、クラシック・バレエのスターが、コンテンポラリー・ダンスで復活する、というだけの話ではないのを、どうやって説明しましょうか。クラピッシュが与えたエリーズという娘のキャラクターは、"étoile"(エトワール=スター)と呼ばれるバレエの頂点の(厳しい修行の末の鬼のような)硬質なイメージを剥ぎ取り、フツーの悩める20代の女性のような他愛なさが目立ち、素顔(化粧なしスッピン)の不安がよく読み取れるのですよ。この迷える娘は同世代の友情や世代違いの人々(ミュリエル・ロバン、ドニ・ポダリデス)にかなり支えられて再生に向かう。これが多種の迷える若者像を描くことにおいて独創的な映画を撮り続けてきたセドリック・クラピッシュの本領だと言えるのでは。だから父親アンリとの(どこにでもあるような頑固不器用な父親と勝気な娘のぎくしゃくした関係による)成り立たない会話と、最後にホフェッシュ・ダンスカンパニーの一員としてエリーズが踊り終わった時(なじみのない前衛的なダンスであっても)、おいおいおいおい泣いてしまう父親(ああ、ポダリデス、いい役者だ)がとっても生きてくるのです。わかりやすい。わかりやすいのがクラピッシュ。映画でクラシックもコンテンポラリーもすべてのダンスはみなすばらしいのに、これはダンスの映画ではなくクラピッシュの"迷える若者”映画だと思うんですよ、映画館を出ながら。おわかりかな?

カストール爺の採点 : ★★★★☆

(↓)"En corps"予告編 



(↓)テレビTV5 Mondeのインタヴューで"En corps"について語るセドリック・クラピッシュとマリオン・バルボー


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