2022年4月14日木曜日

Poupée qui fait NOM

Constance Debré "Nom"
コンスタンス・ドブレ『名前』

 ンスタンス・ドブレは1972年2月生れ、この小説が出版された時期に50歳になった。これが3作目の小説で、第1作目の『プレイボーイ(Play Boy)』は2018年、すなわち46歳の時。遅くして"オートフィクション”小説を書き始めた。遅くしてのラジカルな変貌を、いやいや私は一貫してこんなだった、とパラレルな別人格を描いているのだ、というのが私の読む前の先入観であった。
 まずこの新作の題となって彼女が忌々しく毒づいている「名前」「姓」とは"ドブレ家”である。フランスの政界と医学界で名を馳せたドブレ家は源流がアルザスのユダヤ系であったが、医学では近代小児科医学と"CHU"(大学病院)の創始者であるロベール・ドブレ(1882-1978)が、そして政界ではロベールの息子で第五共和政(ド・ゴール大統領)初の首相となったミッシェル・ドブレ(1912-1996)が特に有名。そのロベール→ミッシェルというドブレ家正系の流れで、ミッシェルの4人の息子がいる。ヴァンサン(1939 - 、上院議員)、フランソワ(1942 - 2020、ジャーナリスト)、ベルナール(1944 - 2020、外科医、国会議員)、ジャン=ルイ(1944 - 、国会議員、憲法評議会議長)。
 ドブレ家正系に泥を塗らないはずの4人だったが、次男のフランソワだけが道を外している。特派ジャーナリストとして60年代から70年代末まで世界の紛争地を飛び回り、ビアフラ、ヴェトナム、カンボジア、チャドなどの取材で第一線の戦争リポーターとして、アルベール・ロンドル賞(仏語圏で最も権威ある報道リポーター賞)も獲得している。そのフランソワが妻としたのが、これも仏政界の要人ジャン・イヴァルネガレー(1883 - 1956、第三共和制の国務大臣)の娘でマヌカン/女優のマイリス・イヴァルネガレー(1942 - 1988)。この小説の中でマイリスはピレネー地方の城の中で生れ、使用人たちに理解されないように家族同士では英語で話すという環境で育ったとされる。そのフランソワとマイリスの間に生まれたのが長女コンスタンス(herself, 1972生)と次女のオンディーヌ(1980生)。
 小説はフランソワの死の床から始まる。病院からモンルイ・シュル・ロワールのフランソワ宅に移送され、長かったガン闘病の最末期を自宅で過ごす数日間を看ていたのがコンスタンス。自宅に移送された医療用ベッドと各種医療機械、酸素、薬剤点滴装置などを指示された時間に指示通りに(機械的に)セットするだけで、ほとんど会話のない父と娘。関係は複雑であることが読み取れるが、それでいいとする最後の数日間。この最後の"汚い仕事”をするために私は生まれてきた、とさえ書いてしまう娘だった。
 この50歳の作家は、48歳の時にこの死と立ち合い、その区切りのために自分は生まれてきたと思うのだが、区切りの達成に至らずに苛立っている。その苛立ちの文体は直接的でラップライム的でマシンガン的で、十代の反抗そのままのように読める。
私は自分が興味を抱くことにしか興味を示さない。それは私が5年前にとった決断だ。それはとても簡単だ。バカバカしいほどに簡単だ。とりわけそれが利点であり、単純化の効果だ。私が興味を抱いているもの、それは存在そのものであり、存在の諸条件などではない。たとえば私がモンパルナス界隈の女中部屋に住んでいること、あるいはコントルスカルプ広場に面した9平米の部屋にいること、シャポン通りのダチのところに居候すること、クリシー大通りの二間アパートにいること、アルルの古い高層住宅のてっぺんの一間アパートに住むこと、あるいは何年か前はあちらこちらを転々としていたこと、ある時期は一文なしだったこと、今は少しだけましになったこと、そういったことはすべて全く重要性がないのだ。私は大きなアパルトマンに住んで家具調度や装飾や衣服や金銭を持つことだっておおいに可能なのだが、そんなこと重要でもなんでもない。私がどこで生きようが、私が話しかける人たちが私の好きな女でなくても、私の読むもの、私がよく眠ろうが眠るまいが、私の食べるもの、そんなもの一切重要ではないのだ。何があろうが私は仕事し、私は泳ぎ、私は好きな女に会う、あるいは誰にも会わない。それは決まりに沿っている。ごく軽い決まりごとだが。もしも新しく私の興味を引くものがあれば、私はそれを簡単に私の決まりごとの中に引き入れてやる。私がこのようなやり方で生きるようになってから、私はたくさんの興味深いことと出会っている。(p43-44)

 コンスタンス・ドブレは難しい子供時代/青春期にもかかわらず、この種の血筋の子のように成績は優秀で、グランゼコールを出て弁護士になる。しかもその有能さが評価され、パリ法定弁護士会の副書記にまで推挙されている。21歳で結婚、36歳で男児出産。それが夫も子供も弁護士職も捨てて、上に書いたような勝手気ままなその日暮らしのノマードのような生活スタイルに変わったのは、同性愛転向がきっかけと言われ、そのラジカルな変貌の記録を記したのが第一小説『プレイボーイ』(2018年)だった。
 この小説『名前』は、生まれて以来彼女に重くのしかかっていたドブレの姓への嫌悪が第一の軸である。祖父(ミッシェル・ドブレ、首相)を頂点に、その権力に追従し、あやかりを頂戴したいと懸命になってエリートブルジョワであろうとする親族親戚を嫌悪侮辱する彼女にとって、父フランソワが一風変わっていたのは少し救いだったかもしれない。私立エリート校で教育される親族の子女と違い、コンスタンスは共学の公立学校(つまり大衆市民異邦人異教徒の子たちに混じって)に通った。しかし一風変わった父親の最大の問題は”阿片”であった。世界的な戦場レポーターとして活躍していたフランソワは、カンボジア紛争で現地に長期滞在中に阿片の密売ルートをつかみ、それ以来(フランスでも)常用者になっていて、妻のマイリスもしかり。派手な美貌のマヌカンだったマイリスとフランソワはしょっちゅう激しい口論をしていて暴力沙汰になることも珍しくなく、二人は別々の自室で暮らしていたが、この阿片喫煙の時だけは同じ床で平和に陶酔するのだった。第一線のジャーナリストだったフランソワも収入のほとんどがこの阿片購入でなくなり、家賃を払えずアパルトマンから追い出されることも何度かあった(この名門ブルジョワ一族にあって、このような困窮は援助し合わないものなのか、不思議)。阿片が買えなくなってマイリスは極度のアルコール中毒へ。この依存症地獄を少女コンスタンスはすべて見ている。そして16歳の時、母マイリスは死んだ。
私は母の死を見ていない、私はそれを読んだ、父が書いた本の中で。母はあるカフェの中で倒れ、父が迎えに行った。車の中で彼女はこわばり、後ろに体をひきつらせ、私はもう何も見えない、と言った。父は彼女を救急病院に運び込み、妻が死につつある、と言った。彼は正しかった、彼女は死につつあった。このことを父は私に一度も話したことがないし、私はそれを父に聞き出そうともしなかった。私はその一節を一度だけ読んだにすぎない。(p97)

最初から引き裂かれていたかのように、この娘には母の死の悲しみがない。妹オンディーヌは母の時もその30年後の父の時も、わめき泣きドラマティックに反応するのだが、姉コンスタンスにはそれがない。この情緒の欠落は、父親、母親、ドブレ一族との確執から起こって、アプリオリに家族を基盤単位として成り立つ社会を拒否したい欲求へと転化していく。この本の裏表紙に転載され、このフランス大統領選挙の年の春に呼応して「選挙公約」のように読まれるようこの本のプロモーションパンフにも転載されて、この本をベストセラーに導くきっかけとなった「私には政治プログラムがある」というパッセージがある。
私には政治プログラムがある。私は相続制度の廃止、家族間の扶養義務の廃止を目指す。私は親権の撤廃、結婚制度の撤廃を目指す。私は子供はごく幼い時期に親から引き離されるべきだと考える。私は親子関係の廃止、家族姓の廃止を目指す。私は未成年後見に反対する、未成年規定に反対する、私は世襲財産を無くしたい、住所を無くしたい、国籍を無くしたい、私は戸籍の廃止を目指す、家庭の廃止を目指す、私は可能ならば子供時代というものも無くしてしまいたいと望んでいる。(p107)

 家族に対する徹底したノン。私もそう思う、私はこの女性の味方だ、と思う人たちは、ぜひこの本を読んで欲しい。有能な弁護士として名を馳せたこともある。この本の中で、独り住まいの老婆に可愛がられていたロマ系の若者がなぜかその老婆をナイフで滅多突きにして殺してしまうという事件を回想するパッセージがある。弁護士はここで弁護する多くの言葉が出なくなってしまう。そして刑法(および法律全般)は、それに直接関与する者(すなわち被告と原告)のためにあるのではなく、法律をこねくり回し解釈しうまくあやつる者たちのためにしか機能しない、という虚無的な覚醒にいたってしまう。
 おのおのの孤独のうちにすべてが機能する"社会”、そんな世界を泳いで生きようとする作家。実際この本では主人公はどんなことがあっても(父の臨終が近いと分かっている時でも)欠かさずに公営のスウィミングプールに行って泳いでいる。プールの空いた時間を選んで(昼食時が一番いい)。競泳レーンを何往復もクロールで泳ぐことで、この人はバランスをとっているのだろう。たしかに水泳はバランスを要求される。唐突に萩原朔太郎の「およぐひと」という詩を想う。

およぐひとのからだはななめにのびる、
二本の手はながくそろへてひきのばされる、
およぐひとの心臓はくらげのやうにすきとほる、
およぐひとの瞳はつりがねのひびきをききつつ、
およぐひとのたましひは水のうへの月をみる。
(萩原朔太郎『月に吠える』1917年)

 そしてこの本が絶対に発語したがらない「愛」という言葉がある。父・母・家族(息子も含めて)に発せられないだけではない。同性愛者となった主人公は、パートナーが寄ってくるものだと認識している。長続きする場合も短く別れる場合もある、なしですませる時期もあるが、出会いはやってくる。ところがそれは「愛」ではないのだ。小説の最後の方で明かされるカミーユという名の女性、空気のようにそこにあってほしい存在で、いつでもそこに行けばなにかが救われる、今依存できるたくさんものを持ち、たくさんのものを与えてくれるのに、それは「愛」と呼ばないのだ。このところに、「愛餓え」(これは松本隆か)がほのめかされているように読める。
 頭をバリカンで刈りあげ、スポーツバッグに身の回り品とノートパソコンを突っ込み、アパルトマンの鍵を貸してくれる知人たちをたよって、右から左、あの町この町、お金のある日、お金のない日、私はこれで簡単に機能している、という作家の魂の記録。それでもドブレという姓は捨てていない。

Constance Debré "Nom"
Flammarion刊 2022年2月2日、170ページ 19ユーロ


カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)ボルドーの独立系書店リブレリー・モラ制作の動画:『名前』について語るコンスタンス・ドブレ(インタヴュアー:シルヴァン・アレスティエ)

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