2022年12月28日水曜日

2022年のアルバム 昨日は過去だ 今日こそが真実だ

Arno "Opex"
アルノー『オペックス』

ルギーの人。フランス語、英語、フランドル語で歌う訥弁のロッカー。2022年4月23日、72歳膵臓ガンで命を落とした。ウィキペディアによると、膵臓ガンと診断されたのは2019年11月。コロナ禍もぶつかって、コンサートが難しい時期だったが、それでも体調理由の連続キャンセルののち、2020年、2021年と何度かステージに立った。2021年5月、リール出身の(SCHなどラップアーチストとの共演共作で近年破竹の勢いで目立っている)ピアニスト、ソフィアン・パマールとの「ピアノ&ヴォーカル」アルバム"Vivre"(アルノー自身の40年のレパートリーから14曲を選びピアノ&ヴォーカルでカヴァー)をリリース(アルバム『オペックス』の9曲めソフィアン・パマールとの共演”Court-circuit dans mon esprit"はその時の録音)。そしてこの『オペックス』は、2021年秋から2022年春にかけての制作とされている。いよいよ死が迫っていて「声」が失われつつあるとの自覚から、スタジオでは極力話すことを控えて「声」を温存し、ヴォーカルトラックをすべてワンテイクで録った。
 アルバム第1曲めの"La Vérité (真実)"で、プログラマー/共同作曲者として初めて息子のフェリックスが録音に加わった。長年の相棒のベーシスト、ミルコ・バノヴィッチ(Mirko Banovic、本アルバムのプロデューサーでもある)が、ベルギーのインターネットメディア "7 sur 7"に語ったところによると、アルノーは息子フェリックスと仕事したくて何年も前から頼んでいたのに、フェリックスは親父の音楽を全く評価しておらず、ずっと果たせずにいた。反逆(rebel レブル)の父親から生まれた子供もまた反逆だったというわけだが、最後の録音についにつきあってくれた。アルノーは録りのあと一番最初にフェリックスに意見を求め、フェリックスがOKを出せば、制作スタッフに出来上がりを聞かせるという、自慢の息子との(最初で最後の)仕事にいたく満足だったそうだ。(家族ではフェリックスの他に、弟のピーターがサックスで参加している。)


俺は風と結婚するんだ
太陽を愛人にして
雲と一緒にフレンチ・カンカンを踊るんだ
でも金曜日にはタンゴを踊るんだ、タンゴ・サンバさ
昨日は過去だ、今日こそが真実だ
昨日は過去だ、今日こそが真実だ
過去にキスしてやろう、もうそれは存在しないんだから
今日生きてることがもっと大切なんだ
昨日は過去だ、今日こそが真実だ
昨日は過去だ、今日こそが真実だ
過去にキスしてやろう、もうそれは存在しないんだから
昨日は過去だ、今日こそが真実だ
昨日は過去だ、今日こそが真実だ
昨日は過去だ、今日こそが真実だ
昨日は過去だ、今日こそが真実だ

わおっ。最初から何という歌なのだ。昨日は過去だ、今日こそが真実だ。生きている今日がもっと大切なんだ。 ー 真実すぎて、胸が苦しくなる。アルノーはそうやって生きて、そうやって死んだのか。昨日は過去だ。
 アルバムタイトルの「オペックス」とは、アルノーが生まれた北海のリゾート地オステンドの東側にある街区の名前で、アルノーの両親もそこで育ち、母方の祖父が労働者階級の常連たちに愛され親しまれたカフェ「ルル亭」を営んでいた。その祖父の隠された愛人のことを歌ったメランコリックなバラードが6曲め”Mon grand-père"(俺の祖父)である。

彼にはもうひとりの女がいて
ミケランジェロの彫刻にもないような美しさで
ミス・アメリカよりももっときれいなんだ

あの女は身ぎれいで
イエス・キリストの母親のような佇まいだった

俺は祖父の愛人の娘と出会ったようなんだ
俺は祖父の愛人の娘と出会ったと思う

あの女は俺のことをチンケな客のように
あしらったことなど一度もない
それにあの女が濡れている時は
いつも真実を語ってくれたんだ

俺は祖父の愛人の娘と出会ったようなんだ
俺は祖父の愛人の娘と出会ったと思う

そして人生はもともとタダで始まったんだ
残りの人生を生きるために
そしてそれぞれの人生にはそれぞれの物語がある
他人に語られる分には

その肉体の美しさで
あの女は世界中どこでも
大地震を起こさせることができるさ

俺は祖父の愛人の娘と出会ったようなんだ
俺は祖父の愛人の娘と出会ったと思う

2分17秒めから、アルノーのブルースハープが鳴る。切なくも慈愛を感じる音色だ。美しい女はたとえ人目を忍ぶ出会いでも、人生のようにいつくしむ理由がある。旧時代の男の勝手なリクツと言わば言え。愛することに言い訳はいらない。C'est comme ça。

 10曲中、最も話題になり、奇異にも思われたトラックが、5曲めのミレイユ・マチューとのデュエット「ラ・パロマ (La paloma adieu)」である。原曲は1863年にスペイン(バスク)人セバスチアン・イラディエルが作曲したハバネラ曲で20世紀に地球規模のスタンダードとなって親しまれるようになった。仏語版ウィキペディアによると、ギネス記録として世界で最も録音された回数の多い曲が「イエスタデイ」(ビートルズ)の1600回となっているものの、「ラ・パロマ」は知られているものだけでも2000回を超えるとされている。ミレイユ・マチューによる録音"La paloma adieu"は1973年に発表され、フランス国内で40万枚を売り、すでに国際的スターであったマチューはドイツ語とスペイン語と英語でもレコード化している。長年のミレイユ・マチューのファンだったというアルノーが、初めてこの曲をカヴァーしたのは1991年のアルバム "Charles et les Lulus"の13曲め"La Paloma"だった。1997年のライヴ盤”En concert (A la française)"でも歌っている。
 2022年9月のインタヴューでマチューはこの録音についてこう回想している。

アルノーは私のことが大好きだと言っていた。私への恭しい称賛の言葉は私の胸を打つものがあった。彼は私とデュエットしたがっていたけれど、私は忙しくツアーに出回っていた。彼にOKの返事を出したら、今度はコロナ禍になり、私たちは出会う機会を失った。(その頃アルノーの病気はかなり進行していた) 私たちは一度だけ電話で話し合うことができて、彼の状態を知らされたけど、とても悲しかった。
423日、コロナ禍外出制限以来、長いこと足を踏み入れていなかったアヴィニョン郊外の録音スタジオに彼女は入り、アルノーが既に彼のパートを録音していた”La Paloma Adieu“のバックトラックの上に歌入れを行った)
その日はとても強い雨が降っていたのを覚えているわ。私は歌い終わり、アルノーのスタッフたちと一緒にそのテイクを聞いた。その時に知らせが入ったの。彼が亡くなったって。私は大泣きしたわ。スタッフがそのことを言わないでくれていたことが幸い。もしもそれを知っていたら私は絶対に歌うことなどできなかったはず。その日はお天気まで動転していたのね。


リフレインの歌詞にあり:
La paloma adieu, adieu c'est toi que j'aime
ラ・パロマさらば、さらば愛するきみ
Ma vie s'en va, mais n'aie pas trop de peine
私の命は尽きるけど、あまり悲しまないで
Oh mon amour adieu !
おお恋人よさらば!
私の命は尽きるけど、あまり悲しまないで。 ー このメッセージをこの声で聞く私たちのエモーションはただものではない。

ガラス越しに暗い北海を見つめるアルノー。背中を向けたジャケ写。しみじみいたわしい。

<<< トラックリスト >>>
1. La vérité
2. Take me back
3. I can't dance
4. Honnête
5. La paloma adieu (with Mireille Mathieu)
6. Mon grand-père
7. Boulettes
8. One night with you
9. Court-circuit dans mon esprit (with Sofiane Pamart)
10. I'm not gonna whistle

Arno "Opex"
LP/CD/Digital PIAS/LE LABEL
フランスでのリリース:2022年9月25日

カストール爺の採点:★★★★★

(↓)ベルギー公共仏語TV(RTBF)のドキュメンタリー"DANS LES YEUX D'ARNO"の抜粋、アルノー最後のインタヴュー。最もインスピレーションを与えてくれたのは「北海」だと語っている。最後に一言、J'ai eu une belle vie, quoi. 美しい人生だった、と。

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