2022年12月23日金曜日

2022年のアルバム 胎児よ胎児よなぜ踊る

Mylène Farmer "L'Emprise"
ミレーヌ・ファルメール『支配』

"emprise"(アンプリーズ)とは手元のスタンダード仏和辞典では
(精神的な)支配、権威、影響力
という訳語が出てくる。観念を縛り付けるもの、強い威力で心を捉えてしまうもの、なのである。ウクライナはロシアの安全を脅かす危険勢力であり、平定せねばならぬ、という号令で戦っている兵士たちはプーチンに"emprise”されているという例でおわかりいただけるかな。非常に暴力的な意味合いを含んだアルバムタイトルである。
 ミレーヌ・ファルメール(当年61歳)の通算12枚目のアルバムであり、前作『不服従(Désobéissance)』(2018年、ソニー移籍後初アルバム)から4年後の新作である。この人の常で、アルバムは発売週にチャート1位になり、桁外れのスタジアムツアーの日程が発表になり、ほどなくして完売になる。今回のツアーは「ネヴァーモア(Nevermore)2023」(出典は言うまでもなくエドガー・ポー「大鴉」)と名付けられ、パリ・スタッド・ド・フランス2回とブリュッセル、ジュネーヴを含む9都市13回が組まれていたが、当初はサンクトペテルブルクとモスクワの予定も公表されていたのだけれどプーチンの戦争のせいで...。ロシアの地には2000年、2009年、2013年(この時はベラルーシのミンスクまで行ってる)とツアーで訪れていて、その人気の高さはものすごいらしい。寒い国に響く「イナモラメント〜」さぞ、ぞくぞくものでしょうね。
 さて新アルバムの最大の注目点はウッドキッドの起用ということになろう。ウッドキッドに関しては私も2013年にそのデビューアルバムにかなり興奮して当ブログに記事『大伽藍ポップ』を書いた。あれから世界的「大物」になったウッドキッド公は、2021年にパリ2024オリンピックの公式「プレリュード」(↓)を発表して、この並外れた「大物感」をますます見せつけているご様子。

奇態なヴィジュアルの趣味、並外れた仕掛けもの、「聖」なるものへのこだわり.... 等々、ファルメールとウッドキッドは似たもの同士であるが、年齢のこと言うたらいかんけど、二人の違いはというと’新旧世代’ということなのだよ。39歳と61歳。フェアな地位関係ではなく、マルグリット・デュラスやアニー・アルノーのように、絶対的にファルメール主導の制作現場であったと想像できるが。
 音楽的にはアルバム全12曲(+ヴァージョン違い2トラックで14トラック)中、7曲がウッドキッド作編曲。そしてヴィジュアル(→)の作者はヨアン・ルモワーヌ、すなわちウッドキッドがグラフィスト/映像作家として名乗る時の名前(本名)。これはミレーヌ・ファルメールのアバターであり、アンドロイドであり、メタル状だったり透明液状だったりする包皮に包まれた年齢のない(死を知らない)女性のお姿である。アルバムジャケットになっているのは、そのファルメール・アバターが母胎内の胎児のポーズをとっている。生も死も知らないアバターがない記憶を取り戻そうとしているような虚しさが漂っている。将来「名作ジャケ」として記憶されるであろう秀作グラフィックである。
 そしてそのグラフィック・チームが制作したアルバムのファーストシングル "A tout jamais"(アルバム2曲め、詞ファルメール/作編曲ウッドキッド)のヴィデオ・クリップ(↓)である。


すべては仮面遊戯
炭疽菌の飛末が
われらの傷口に
すばやく入り込む
熱と寒さを吹き出して
われらの命を焼き尽くす悪魔を
私以外の誰が見れるの?

そいつに言うのよ
"Fuck you too"
永遠に消え去れ、と
すべてを最初からやり直すための鎮魂歌
もう、Sorry sorry なんか通用しない
私の肉体の中に入らせない
おまえとおまえの分身、わが友よ
地獄に還るがいい

ごらん
支配は凶暴で
限りがない
心を失った恋人
すべては虚偽で
私を傷つけ苛む
そこで私は疑い、血を流す
でも大丈夫、命は教えてくれる

そいつに言うのよ
"Fuck you too"
永遠に消え去れ、と
すべてを最初からやり直すための鎮魂歌
もう、Sorry sorry なんか通用しない
私の肉体の中に入らせない
おまえとおまえの分身、わが友よ
地獄に還るがいい

世界でひとりぼっちという感情
それはあなたの心に入り込むすべを知っている
ほんの数秒ですべては倒れてしまう
私はもう怖くない
あとに嫌悪感が残るだけ

そいつに言うのよ
"Fuck you too"
永遠に消え去れ、と
すべてを最初からやり直すための鎮魂歌
もう、Sorry sorry なんか通用しない
私の肉体の中に入らせない
おまえとおまえの分身、わが友よ
地獄に還るがいい
(A tout jamais)

"A tout jamais"  ー 英語に言い換えると Nevermore。これが新しいツアーのテーマとなったわけだが、"A tout jamais"はエドガー・ポー詩級のメタファーや含蓄があるわけではない。私は「ミレーヌ・ファルメール詩集」というのが出版されたとしても、本屋の売り場で言えば、タレント本のコーナーには置かれても文学の棚には並ばないはずだと思う。その辺がパティー・スミスなどとの違いなのね。デビュー以来、それなりに重い主題ばかり(死、病気、障害、生きづらさ、愛の不毛、快楽の罪、少数派ジェンダー、政治不信、薬物ほかの依存症、逃避願望、諸行無常、老い、美への偏愛... )を歌にして、それでトップクラスのポップシンガーでいられる稀有なアーチストではある。この宗教に近い人身吸引力はどのようにしてファルメールの身に備わったのか? 意見は多々あれど、私はこれはその「音楽」でもその「声」でもその「詞(ことば)」でもないものだと思っている。人々を”emprise"するなにかが彼女にはあり、このアルバムは自覚的にその問題を自分に問うているのではないかな? そう思ってこの歌、この詞を聞くと、"emprise(支配)"をするのは自分自身であり、それに向かって "fuck you”と言い、永遠に消え去れと呪い、自分とその分身(アバターとしての音楽アーチスト)は地獄に戻れ、と最後通告をしようとしているのではないか。だけどファンたちはしっかりついてきて、莫大な金銭が流通することになるのですがね。底無しの"emprise"。

 この主題をアルバムタイトル曲「支配 L'Emprise」(アルバム4曲め、詞ファルメール/作編曲ウッドキッド)はエアリアルなメロディーでこう展開している。(ウッドキッドよ、さびメロパターンが"A tout jamais"とほぼ同じなのは、私、許しますよ。アルバムでこの曲が一等賞だと思う)。 

夜、その支配力は強大で
多量のアンフェタミン
その力はあらゆる休息を無視して
私の精神を侵す
それは狂おしい妄想よりも強い
ひとつの音波
私は人生の幾多の傷痕を数え
正気に戻る

愛は何よりも強いものでありますように
それが赤でも黒でも
愛は何よりも強いものでありますように
セックスや絶望と同じほどに
支配は聖なる祈祷師
チェックメート、降参よ

でも冒険は金色と光の混じり合った
もうひとつの支配
でも冒険は束の間のこと
この地球では時は限られている

夜、その支配力は強大で
多量のアドレナリン
その力は私の倦怠に立ち向かい
私の精神を侵す
それは狂おしい妄想よりも強い
ひとつの音波
私は魂の悪を結びつけた鎖を
断ち切る

愛は何よりも強いものでありますように
それが赤でも黒でも
愛は何よりも強いものでありますように
セックスや絶望と同じほどに
支配は聖なる祈祷師
チェックメート、降参よ

でも冒険は金色と光の混じり合った
もうひとつの支配
でも冒険は束の間のこと
この地球では時は限られている
(L'Emprise)

ここで私が同じように「支配」と訳したが、ファルメール詞はふたつの言葉を使っている。ひとつはこのアルバムのテーマであり、何度も繰り返される "emprise”という言葉、もうひとつは"régne"である。後者は「支配」だけでなく「治世」「君臨」「王国」「風潮」といった日本語も当てられる。どちらもわれわれの頭の上から覆いかぶさってくるものであるが、"emprise"はそれに”強制”のニュアンスが付加される。冒険=aventure は違う王国の支配、とファルメールは誘うわけだが、そこでは愛は何よりも強いもの、と...。これ、ファンたちにはとてつもなく説得力あるんだろうなぁ、と想像する私です。いつか私も連れてってくれないかな、と思ってしまうかもしれません。

 ウッドキッドが関わった7曲はどれも粒揃いで、このウッドキッド起用の成功を(普段はミレーヌ・ファルメールなどまるで問題にしない)リベラシオン紙やテレラマ誌が高く評価するレヴューを書いている。私もそれに騙されてアルバム買ったのだけど。
 そしてウッドキッドのほかにこのアルバムに作曲陣として参加したのが、米国のモビー(2曲。2006年以来何度か共演/共作あり)、フランスのエレクトロ・デュオ AaRONの作詞作曲&デュエット(アルバム中唯一ファルメール詞ではない)の"Rayon vert"(7曲め)、そして英国のトリップホップ/プログレッシヴ・ロックバンド、アーカイヴ(2曲。2010年ミレーヌアルバム”Bleu Noir"で3曲提供)である。アーカイヴは2011年わが家の対岸のロックフェス”ROCK EN SEINE"でのライヴを見てから大好きになったのだけど、まあよくできた”プログレ”だという印象がある。さてこのミレーヌ新作の2曲のうち、10曲めに収められた"Ne plus renaître (2度と再生しない)”(詞ファルメール/曲ダリウス・キーラー)はこのアルバムで最も異彩を放つトラックである。

一条の火花
私は生まれ変わりたい
たとえどんな苦難の道でも
休息

すべてが繰り返されるなら
マッチを取り出し
”自我”を滅し
火を点けて
自らを火刑に処す

私には見える

(リフレイン)
再生
あるいは解放
二度と生まれ変わらないこと
そして私は
空に向かって
目を見開く
レプラとはかくのごとく
哀れな人類は
バラバラに

一条の火花
私は知りたい
このように
すべてはひとつの選択しかない
ひとつの熱

(アヴェ・マリア)

一条の火花
一条の火花
一条の火花
一条の火花

再生
あるいは解放
二度と生まれ変わらないこと
そして私は
空に向かって
目を見開く
レプラとはかくのごとく
哀れな人類は
バラバラに

一条の火花
一条の火花
一条の火花
一条の火花
("Ne plus renaître")

これは音楽も詞も違うディメンションですよ。終末を見てしまったこのアーチストはそのあまりの惨状に二度と生まれ変わらないことを唱える。ネヴァーモア。もう生き返るのをやめなさい。こういうポップミュージックを、ありがたく聴いてしまう何百万というファンの人たちのことを思う。ミレーヌ・ファルメールの”愛”はなにものにも邪魔されず伝道されてしまうのですね。

<<< トラックリスト >>>

1. Invisibles
2. A tout jamais
3. Que l'aube est belle
4. L'Emprise
5. Do you know who I am
6. Rallumer les étoiles
7. Rayon vert (with AaRON)
8. Ode à l'apesanteur
9. Que je devienne
10. Ne plus renaître
11. D'un autre part
12. Bouteille à la mer
13. Rayon vert (piano/voix)
14. Invisible (piano/voix)

Mylène Farmer "L'Emprise"
2LP/CD/Digital STUFFED MONKEY
フランスでのリリース:2022年11月25日

カストール爺の採点:★★★☆☆


(↓)アルバム"L'Emprise"の35秒プロモーションクリップ。

 


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