2022年12月20日火曜日

ライフ・オブ・ブライアン

Simon Liberati "Performance"
シモン・リベラティ『パフォーマンス』

2022年ルノードー

シモン・リベラティ(1960年パリ生れ、現在62歳)は、あえて 評すればダンディー無頼派オールラウンド碩学の作家で、フロール賞("Hyper Justine" 2009年 )、フェミナ賞("Jayne Mansfield 1967” 2011年)など重要な文学賞は取っても、本が売れないせいで出版社とのトラブルが絶えず、書物の記述をめぐっても訴訟沙汰が少なからず起こり、自らの本意ではなくても敵の多い追われ者的な面を持っている。本作『パフォーマンス』の話者「私」は一応71歳の老作家ということで、著者自身とは違うことを装っているが、リベラティの姿をかなり投影したものと読める。末期のルーザー作家という設定なのである。
 この老作家は先ごろ脳梗塞(AVC)で死にかけたという大事件を経たばかりで、まだその後遺症は残っていて、体はボロボロの態である。種々のトラブルのためどんどん溜まっていく請求書/督促状は開封されずに郵便受けの中にある。再び1行も書くことなく、このまま朽ちていくであろうと諦念していたところに、世界的ストリーミング配信会社のコンテンツ制作部から、初期ローリング・ストーンズの一連のスキャンダル事件(1967年キース・リチャーズ宅でのドラッグ使用現行犯逮捕から1969年ブライアン・ジョーンズのプールでの変死)の実写連続ドラマ化のシナリオ執筆を依頼される。連ドラのストリーミングとか見たこともないし、シナリオなど一本も書いたことがないのに、なぜ俺が指名されたのか、といぶかしみながらも、背に腹は替えられない台所状態でもあり、60年代のことなどヴァーチャルな知識しかない自分の子供ほどの年齢の若造である二人の担当プロデューサー(パリにオフィスあり)のシナリオガイドラインを次々と壊しながら、本腰を入れていく。
 何度か結婚と離婚を繰り返しその外でも女性関係の多かった元ダンディーの老作家は、現在はイル・ド・フランスの小さな村の一軒家に独居しているが、パリでモデル/マヌカン/女優をしているエステールという稀に見る美貌の23歳の娘と交際関係にあり、老作家はこれが最後の恋だということも、この娘が遠からず自分の元から離れていくだろうということも悟っている。この関係は71歳と23歳という年齢差だけでなく、この老作家の文学造詣の深さを敬い、娘が老人から文学講義/文献講釈を受けることを習慣としている、という特異さもある。聡明な子であり、かなり文学に精通するところまで来ていて、自分の審美眼もはっきりあり、これから始まるローリング・ストーンズドラマのシナリオについても老人は彼女の意見を必ず求めている。それでも一日の多くの時間をスマホのSNS(特にインスタグラム)チェックに費やすフツーのお嬢さんでもある。そして彼女は老作家の元妻クララとその前の夫(スイス人ブルジョワ)の間にできた娘であり、言わば老人の側から見れば「義理の娘」なのである。
 件の依頼連ドラは「サタニック・マジェスティーズ」と題され、3回完結のミニ連ドラで、ストーンズが世界で最もビッグなロックバンドとして変身していく時期、1967年から70年までにフォーカスを絞り、バンド変貌に大きな影響を与えたマリアンヌ・フェイスフルとアニタ・パレンバーグという二人の女性、そしてブライアン・ジョーンズの変調とリーダーシップの喪失、バンドからの放逐、さらにプールでの変死、ジャガー/リチャーズ体制の天下取りからオルタモントの悲劇まで、という大風呂敷なプログラム。
 小説はもちろんこのような一連の事件の真実を暴くということを主眼としていない。2022年、「ストーンズ60周年」を機に数多く発表されたバンドのドキュメンタリー出版物とは全く種類を異にするものである。老作家はストーンズ研究家でもロックライターでもない。文学の側の人間である。ここで老作家がシナリオによって最も浮き彫りにしようとしたのが、二人の破滅型の若者のドラマだった。ひとりはマリアンヌ・フェイスフル(老作家自身が1980年代に親しく交流していた過去がある)、もうひとりはブライアン・ジョーンズだった。
 1967年2月12日日曜日、夜8時を少し過ぎた頃、イングランド、サセックス州チチェスター市近郊のある田舎家に、18人の警官(うち女性警官2人)がなだれ込んだ。
 サロンの内部では、ハシシュと香の煙にひたされた9人の人物が互いに身を寄せ合っていた。8人の男とひとりの毛皮のブランケットに裸身を包んだ20歳の若い娘だった。
 男たちの名はキース・リチャーズ、ミック・ジャガー、マイケル・クーパー、ニッキー・クレイマー、デヴィッド・シュナイダーマン、クリストファー・ギブス、ロバート・フレイザー、そして毛皮を羽織ったヴィーナスがマリアンヌ・フェイスフルだった。(p7)
 これがこの小説の冒頭である。”レッドランズ(Redlands)"と呼ばれたキース・リチャーズ所有の田舎屋敷で起こった抜き打ち逮捕劇であったことから「レッドランズのガサ入れ(Redlands bust)」という事件名で後世まで伝えられている。この時ジャガーとリチャーズは23歳、フェイスフルは20歳だった。メディアに前もって通報されていた一種の仕掛け逮捕劇で、芸能界のドラッグ禍への公権力の見せしめ効果を狙ったものだったが、当初の見せしめ逮捕の対象としていたのは(ストーンズで最もドラッグに浸っていた)ブライアン・ジョーンズだったと言われている。しかし67年当時、ストーンズ(および英ポップミュージック界)での重要度はジャガー/リチャーズがジョーンズをはるかに上回ってしまっていたので、見せしめならばこちら、と捜査変更されたようだ。バンドを結成し、ローリング・ストーンズと名付け、軌道に乗せた男ブライアン・ジョーンズは落ち目であり、誰もがそう遠からぬ時期に死ぬだろうということを知っていた。
 『毛皮を着たヴィーナス』(1871年)のオーストリア人作家マゾッホを曽祖父に持つマリアンヌ・フェイスフル、というリファレンスだけで、この裸身+毛皮の逮捕シーンを脚色しようとする制作側に老作家は逆らい、違うフェイスフル像を提案しようとする。オーストリアの貴族家の血を引き、カトリック教育を受け聖歌隊で歌い、円卓の騎士伝説と神秘主義(+悪魔主義)に精通した「19世紀のデカダンス期に生きていた」娘だ、と老作家は言う。あの頃のストーンズにもたらされた重要な要素のうち、ドラッグはブライアンとアニタ・パレンバーグが、神秘主義や悪魔崇拝(加えてナチス傾倒)はマリアンヌ・フェイスフルとアニタ・パレンバーグが、「音楽」はミックとキースが主な提供者だった。ブライアン、ミック、キース、マリアンヌ、アニタ、この5人の共同体からブライアンとマリアンヌが脱落していく。ドラマ制作側はこれを「ユートピアの崩壊」として描く意図で始めたのだが、脚本家(老作家)と小説中盤から現れる韓国人監督(小説中"Le Coréen = 韓国人”とだけ呼ばれる)はもっと鮮明で破滅的で悲劇的なマリアンヌとブライアンを描き出す方向で一致していく。
プルーストに登場する若い娘たちと同じで、ローリング・ストーンズの3人の主要メンバーたるキースとブライアンとミックは真に固定された本質というものを持っておらず、常にその役目を変えることに終始していた。アニタとその悪魔主義的分身であるマリアンヌは、3人の恋人だった。この女ふたりと男3人の混成の中で、中心となるのは当然バイセクシュアル(ミック)なのだが、月並みなロックバンドを普遍的な魅惑力を持ったオブジェへと(化学的意味における)変態を遂げる道を急ぐのである。バンドを”ローリン・ストーン Rollin'Stone"(そのしばらく後に "ローリング・ストーンズ Rolling Stones"と改称)と命名した男、ブライアン・ジョーンズの死は”ストーンズ”誕生のための人身御供となり、”ストーンズ”の名こそそれに続く10年で確固たるバンド名になる。ミックとキースはマリアンヌとアニタに合流して、ピグレット(*)の嘲笑的な視線に見守られながら、象徴的にブライアンをプールの中へと突き落としたのだった。(p20-21)
(*ブライアンは『クマのプーさん』版権保持者から権利を買い取り、自宅プールの装飾物として「プー」と「ピグレット」の像を置いていた)
”ブライアンをプールに突き落とす”はメタファー表現であるが、のちに老作家が書くシナリオでは事故死説と他殺説の両方をほのめかすものとなる。
 マリアンヌの脱落は1969年夏シドニーのホテルでの自殺未遂である。ツイナールを150錠飲み込み、6日間昏睡状態に陥った(その昏睡中に、既にあの世の人となっていたブライアン・ジョーンズと長い間話し合っていた、というマリアンヌ本人の証言があるが、この小説では触れられていない)。アルコールとドラッグと自殺未遂はこの老作家の人生にもずっとつきまとっていた。たぶん向こう側に行ってしまっていて3日間の昏睡の後に自分は戻ってきたが、どこに戻ってきたのか覚えていない、と冗談めく。生き残った/生き残っているマリアンヌは自分と最も近い種類の人間と思っているようなところがある。
 老作家の愛人のエステールも若くしてジャンキーになり、現在脱依存症セラピー中であるが、いつまた”再転落”するかわからないことを老作家は恐れている。しかし何よりも恐れているのはエステールが自分のもとを去って行くことであるが、それは抗うことができない”近い将来”なのであると悟っている。自分の死とエステールとの別れ、それは同じものであるが、後者が先に来ることは耐えがたい。
 近いうちに死ぬことも、近いうちに生涯の恋人に去られることも知っていて、そして死んでしまったのがブライアン・ジョーンズである。この小説はそれが自殺なのか事故死なのか他殺なのかは全く問題にしない。これは自ら悟っていた世にも悲しい死である。

 1967年2月、キース・リチャーズは愛車ベントレー・ブルー・レナ(→写真)でフランス/スペインを経てジブラルタル海峡を渡りモロッコに到る旅行を企てる。運転手はリチャーズのお抱えで元軍人(第二次大戦)のトム・キーロック(のちにブライアンの相談役にもなる)、前部座席にキースが座り、車に備え付けのレコードプレイヤーでレコードをかけ旅のジョッキー役を買って出た。後部座席にはすでに病気がちで始終咳込んでいるブライアン・ジョーンズ、その両脇にアニタ・パレンバーグとデボラ・ディクソン(ジェームス・フォックス/ミック・ジャガー/アニタ・パレンバーグ主演映画『パフォーマンス』でニコラス・ローグと共同監督し脚本も書いたスコットランド人ドナルド・キャメルの妻でアメリカ人。当時キャメルとディクソンの夫妻はパリのモンパルナスに住んでいて、そのアパルトマンが英ロックスターたちの溜まり場になっていた → と爺ブログのこの記事に書いてある)。この旅の道程でブライアンの恋人アニタがキースに鞍替えするということになるのだ。一行はパリのホテルジョルジュ・サンクを出発して、フランスを南西方向に下って行き、第一夜をタルヌ県アルビの小さなホテルで過ごすことになるのだが、ブライアンの病状が悪化し、発熱がひどく肺炎も心配されたため、夜間アルビの町医者を叩き起こしトム・キーロックが連れて行くことになる。翌朝ブライアンはひとり、最寄りの大都市トゥールーズの病院に入院することになる。そして非情にも他の4人の旅は予定通り続いていくのだった...。
 老作家はシナリオ執筆に必須、とこの旅を検証するために、自分の住む地方の奥深くにある知る人ぞ知るのクラシックスポーツカーのガレージから(困窮する身でありながら)大枚を叩いて80年代製造のBMW(時速200キロまで出る)を買い上げ、エステールとふたりでキースのベントレーの道程をなぞってフランスを南下していく。小説はこの50年を隔てた二つの南下の旅が一番の読ませどころなのですよ。残り少ない命を悟り、最愛の恋人を失うこと悟る旅。老作家がブライアンと現在の自身をパラレルに書いていく痛々しさ、ここが「文学」体験であるわけで、連ドラシナリオが当初の企図とは全く違うディメンションを得ていく過程に読者は立ち会っているのですよ。
 BMWはやがてスペイン、アンダルシアに入っていき、人里から離れたところに建てられた「コーリアン・シティー」と呼ばれる映画/ドラマ撮影セット村にたどり着く。連ドラ「サタニック・マジェスティー」はここで撮影されていて、スタッフは老作家のシナリオの上がりを今か今かと待っている。現実はここにあり、老作家がこの旅に過度に感情移入するひまなどない。そしてこの旅の最中、現実は老作家の溜まった督促状の取り立て人が、この連ドラ制作会社からのシナリオ報酬を天引きする手続きを取る、という老作家をさらに窮地に追い込むことになっている。そして最愛の若い恋人エステールが、ひそかにスマホ通信で若い男に誘惑されかけている気配も察している。老作家はいよいよこの時が来たか、と覚悟を決めようとするのだが、その若い男とは.... この連ドラに出演するブライアン・ジョーンズ男優であると知るや...。
 撮影セット村には、ブライアン・ジョーンズ邸のプールも作られていて、そのかたわらには『クマのプーさん』のプーとピグレットの像が立っている。ピグレットに見守られながら、老作家はプールの端に腰掛け、ブライアン・ジョーンズのように死を想うのであるが...。

 くれぐれも、”ローリング・ストーンズの隠された事実の暴露”本だと思って読まないように。そんなものは文学ではない。破滅型ダンディーの"自身”を曝け出した痛々しさこそ読まれるべきであり、全体に散りばめられた古今東西の文学や20世紀カルチャーの博識/雑学/碩学にも驚嘆されたし。キース自伝、マリアンヌ自伝はもとより、この小説に登場する史実は膨大な資料に拠っているものだが、老作家はそれが全部頭の中に入っているような書き方なのも無頼派のハッタリのようで許せる。だが、ローリング・ストーンズという(エンタメ)話題性だけで読むな、と言われても、読者は先にそれを探してしまう、というのがこの本の弱点でしょう。私は十分に魅了されましたよ。

Simon Liberati "Performance"
Grasset刊 2022年8月 250ページ 20ユーロ

カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)出版社グラッセ制作のプロモーションヴィデオで自作『パフォーマンス』を語るシモン・リベラティ


(↓)ブライアン・ジョーンズ : 1967年 西ドイツ映画(フォルカー・シュレンドルフ監督、アニタ・パレンバーグ主演)"Mord Und Totschlag"(英題”A degree of murder"/仏題”Vivre à tout prix")のテーマ曲。


(↓)小説に全く関係ありませんが、「葬式にかけたい音楽」アンケートで毎回上位に登場する曲、映画『ライフ・オブ・ブライアン』(1979年モンティ・パイソン)のエンディング曲 "Always look on the bright side of life"。これ(↓)はロイヤル・アルバート・ホールでの壮大なるライヴ。

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