2026年3月31日火曜日

Je n'vois jamais le matin - 『ヴァンクーヴァー』の50年・2

(前編に続く)

Véronique Sanson "Vancouver"
ヴェロニク・サンソン『ヴァンクーヴァー』
(1976年)



J'ai changé de pays soudain.
私は突然住む国を変えた。
B面1曲め「奇妙なコメディー Etrange comédie」の冒頭の1行である。実は私もこの年1976年に突然住む国を変えたのである。その春に私は大学に休学届を出して、初めてのパスポートと初めてのフランス滞在ヴィザを取得し、初めての外貨(フランスフラン)と初めての国際航空券を買った。サンソンは第5回東京音楽祭(1976年6月27日、東京帝国劇場)に出場するために6月下旬には東京にいたのだろう。アルバム『ヴァンクーヴァー』は、その来日記念盤(↑写真)として(『想い出』というどうしようもない日本タイトルになって)ワーナーパイオニアから発売されたのだが、私はこの日本盤の記憶がない。サンソンがまだ日本にいたかもしれない6月29日、私は羽田からアンカレッジ経由のエール・フランス便でパリCDGに出発している。成田空港はまだ開港しておらず、CDG空港はカマンベール型のCDG1しかなかった時代である。

J'ai changé de pays soudain. 流謫、Exil。私は22歳になったばかりだった。この「奇妙なコメディー」の第一行だけでなく、アルバム『ヴァンクーヴァー』は私の初めてのフランスにずっと鳴り続けていた。この歌だけでなくアルバムのいくつかの曲が移住のメランコリーを語っているように、私の移住もあまり明るくない部分も含んでいた。私のこの時期に関しては、また機会があったら書くとして、『ヴァンクーヴァー』楽曲の解題を続けよう。

 まずA面1曲めにしてアルバムタイトル曲「ヴァンクーヴァー」は、ジャズピアニスト/作曲家のアンドレ・マヌーキアンの国営TVフランス3の番組”La vie secrete des chansons"(2022年放送)の中で、1975年暮れのエルーヴィル城スタジオ逗留中に、曲作りが進まないサンソンに業を煮やしたプロデューサーのベルナール・サン=ポールがサンソンを48時間ピアノ室に缶詰めにして書かせた曲、というエピソードが紹介されている。切羽詰まらないとコトができない怠惰なサンソン。しかし曲の準備はある程度できていたのだが、当時のヴェロニクの心理状態を反映するメランコリックで苦悩を主題とする曲が幅を利かせていて、強烈な印象でアルバムを牽引していくような「一曲」が足りないという鬼プロデューサーの強要だったのだ。ガツンと来る一発。つまり大シングルヒット必至の、英語で言うところの "banger"が欲しい、と。そして「ヴァンクーヴァー」は生まれ、見事バンガーとなった。
Aller de ville en ville, ça je l'ai bien connu
街から街への旅暮らし、そんなの慣れてるわ
Je mène ma vie comme un radeau perdu
難破した筏みたいな私の人生
Les gens de la nuit sont toujours là quand il faut
そんな時いつも夜の仲間たちがいてくれる
Ils vous accueillent avec des rires et des bravos
笑い声と歓声でみんなを迎えてくれる

Les vapeurs d'alcool, ça je les connais bien
酒臭い空気、そんなもの慣れっこよ
Les cheveux qui collent au front des musiciens
ミュージシャンたちの額に張り付いていく髪
Et c'est difficile, le choix d'une vie
人生ひとつを選べって、それは難しいわよ
Je rêve de choses dont j'ai réellement envie
私は本当に本当に欲しいものを夢見ているんだから

Je chante dans le port de Vancouver
私はヴァンクーヴァーの港で歌う
Je chante sur des souvenirs amers
私は苦い思い出のことを歌う
Et je danse, je danse, c'est bien
それから私は踊る、踊る、それでいいの
Je n'vois jamais le matin et c'est bien
朝日を拝むことなんて一度もないわ、それでいいのよ

À midi je suis dans mon lit et je rêve de quelque chose
正午、私はまだベッドの中にいて、何かを夢見続けている
À minuit je suis dans la ville et je cherche quelque chose
真夜中、私は繁華街にいて、何かを追い求めている


この歌はマニフェストである。音楽アーチストにあってサンソンはライヴパフォーマーとして生きる道を選んだ。思い出してもみよう1970年代、大衆音楽の現場とはテレビであった。テレビで(振りをつけて)口パクで歌うふりさえできれば、ヒット芸能歌手として重宝される”ヴァリエテ・フランセーズ”というジャンルが確立された時期だった。大アーチストであることは間違いないがフランソワーズ・アルディとヴェロニク・サンソンの道を分つのはここであり、アルディはライヴを拒否してレコードアーチストとなり、サンソンはレコード+ライヴの道を選んだ。街から街への楽隊稼業を恐れない、むしろオン・ザ・ロードで生きること、ステージでオーディエンスとダイレクトに交感することがサンソンをアーチストとして生きさせるレゾン・デートルとなった。このライヴ&ツアーのもたらすオキシトニン、ドーパミン、アドレナリンを教えてくれたのはスティーヴン・スティルスのアメリカだったと言っていいと思う。これはロック的である。1970年代前半にヴェロニク・サンソンのファンになったフランスの若者たちは、サンソンにロック的なるものを見ていたし、期待していた。フランスの2大ロック誌だったBEST誌とROCK&FOLK誌の73〜76年頃の読者投票ではサンソンは不動の”ベストフィメールロックアーチスト”1位であった。それはスティルスとの関係に起因する印象と思われようが、それだけではない。74年のオランピアから始まる一連のサンソンのライヴステージは「ロックショー」であった。興奮と陶酔、ステージの魔に憑かれた女、それがヴェロニク・サンソンであり、その「ステージ命」のアティチュードは76歳になる今日でも変わらず、ダリダの歌のように「ステージで命果てたい」と思っているかのようだ。
 「ヴァンクーヴァーの港で私は歌う」と第一リフレインにあるが、当時サンソンはこのカナダの大都市に一度も行ったことがない(最初に訪れたのはこの歌の10年後だと言う)。ファーストアルバム『アムールーズ』(1972年)の中の「バイーア」と「マリヤバ」と同じように”見てきたような”イマジネーションの歌である。この時期のサンソンの北米でのコンサート活動はカナダの仏語圏ケベックに限られていた。ではなぜ「ヴァンクーヴァー」を選んだかというと、”VancouVer"という二つの”v”音に霊感を受けたからで、ゲンズブール「さよならを言うために」にも引用されたヴェルレーヌ詩「秋の歌」の"au Vent mauVais"(上田敏訳では”うらぶれて”)の二つの”v”と関係あるかもしれない。風(vent)まかせの旅芸人という関連かもしれない。この"v"音は重要だし、この歌の強さも象徴している。因みにサンソン家の二人の娘はViolène(ヴィオレーヌ)とVéronique(ヴェロニク)で、二人とも"v"で始まるが、父母(ルネとコレット・サンソン)とも第二次大戦のレジスタンスの英雄だったことから、勝利の"v"(victoire)あやかりだったようである。この "Vancouver (ヴァンクーヴェール)”と次の行の”苦い思い出 souvenirs amers(スーヴニールアメール)が韻を踏んでいる。嫌な思い出ばかり歌ってまわる旅のロックシンガー、このイメージは「渡り鳥シリーズ」的ですらある。そして狂ったように踊り、陶酔し、朝の訪れを知ることもなく、気がついたら昼までベッドでくたばっている。第二リフレイン(À midi je suis dans mon lit....)は必殺であり、ロック的生きざまを2行に凝縮した(今日びの表現で言うなら)パンチラインである。ライヴでのオーディエンスの大合唱も必至である。

 というものすごい冒頭第一曲が来てしまったから、このアルバムはそれだけでもありがたいのだが、あとの曲はその「ヴァンクーヴァー」で歌われた”souvenirs amers(苦い思い出)"
を主題とするものがトーンを暗くする。

 ここでスティルスとの関係をおさらいすると、72年マナサスを引き連れてツアーで訪れていたパリで二人は電撃恋愛、73年英国で結婚、渡米、コロラドの標高3000メートルの高地にあるスティルス屋敷に移住。隣人もなくポツンと自然の中に立つ家で、空気が薄く、時々酸素ボンベが必要になる。極寒(サンソンは零下40度まで下がると言っている)の冬が半年以上も続き、麓に買い出しに行くには雪上車が必要だった。厳しい環境と孤独、これはパリ育ちのお嬢さんにはあまりにしんどく...。それからスティルス自身の(CSNと並んで)最重要かつ最強のバンドであったマナサスのセカンドアルバム『ダウン・ザ・ロード』(1973年、ヴェロニクに捧げられた"Guaguanco de Veró"なる曲あり)の商業的失敗とそれに伴うバンド解散という音楽アーチストとして重大スランプ期に陥っており、以前から問題あったアルコール依存症(+ドラッグ)がかなり深刻なものになっている。
”Les vapeurs d'alcool, ça je les connais bien(酒臭い空気、そんなもの慣れっこよ)”と↑の「ヴァンクーヴァー」でサンソンは歌っているが、このアルコールはスティルスとサンソンの両者に共通した問題であった。二人とも強度の依存症であり、これが多分二人の関係を最悪にさせた大きな原因であるはずである。往々にしてスティルスにはこれに暴力が伴う。
  1974年4月、クリストファー誕生。二人の間に幸福/平穏が戻ってくる。そしてこの乳児を連れて二人は74年9月14日、ロンドン・ウェンブリースタジアムで(歴史的)CSN&Yコンサート(10万人)、その後フランスに渡り、パリから30キロ西方のイヴリーヌ県オルジュヴァルに屋敷を借り、サンソン+スティルス+クリストファーは(ヴェルサイユに近い)古き良きフランス田舎で良いワイン/良いキュイジーヌ・フランセーズと共に新生活を始める。赤子の世話はじいじとばあば(ルネ&コレット・サンソン)とおばん(ヴィオレーヌ・サンソン)が見てくれる。そりゃあヴェロニクはさぞ満足だったであろう。74年10月、スティルスとそのバンドメンもバックにつけてヴェロニク・サンソンはオランピアで帰還コンサート。この時サンソンは音楽誌ゴシップ誌など芸能プレスの方々で(正直にも)「もうアメリカには戻りたくない」「アメリカでの生活はおしまいよ」などと言い回っている。それはとりわけコロラドには帰りたくない、なのであるが、この子をフランスで育てない、この子と一緒にフランスに居たい(居続けたい)という理由もあった。スティルスはフランスに長く居るなど問題外であった。自分の音楽アーチストとしての重大時期(不調期)でもあったし。75年2月11日〜16日、6夜にわたるオランピアでのコンサート(スティルス不在)、2月18日〜3月9日、初のフランス全国ツアー18都市19回のコンサート、3月20日〜4月8日、 カナダ(ケベック+オタワ+モンレアル)ツアー、4月〜5月マイアミでスティルスと合流、クリストファー1歳の誕生日、6月〜7月、ハワイでヴァカンス ← このハワイ滞在が芸能誌などで大きく報道され、別居/離婚説を忘れさせるハッピーさ(この時の映像は2026年公開のトニー・ヴォルフ監督ドキュメンタリー映画『ヴェロニク』の中でもサンソンが人生で最高に幸福だったヴァカンスのように紹介される)。長続きしない幻想。75年9月、サンソンはフランスのオルジュヴァルの館に戻ってくる。11月末、(『ヴァンクーヴァー』となる)新アルバム準備で、オワーズ県エルーヴィル城スタジオ入り...。

 徐に曲解題に戻る。A面3曲めの「鬼 Redoutable」である。これは聴くのが辛くなるほど激しい悲怨(ひえん)の表現である。
Si tu me vois les toucher de mon regard
私の視線があの人たちに触れて
Leur donner le goût d'l'art
芸術の味わいを与えたり
Avoir un sale goût de larmes dans mon fou rire
私の哄笑に涙の苦みを感じさせても
M'en veux pas
私を恨まないで

Tu m'as rendue redoutable mais je suis si vulnérable
あなたが私を鬼にしたのよ、私がこんなに弱いのに
C'est si facile de faire mal, faire mal, faire mal, faire mal, faire mal
人を傷つけるのって、いとも簡単なことなのよ

Et si tu me sens avoir des idées de mort
私が死のことを考えてるって察したら
Tu sais très bien que mon cœur est mort
あなたは私の心が死んでしまったことを知ってるでしょう
Tu vois bien que je t'attends depuis longtemps
私があなたのことをずっと前から待ってるってわかってるでしょう
Ne m'oublie pas
でも私を忘れないで

Tu m'as rendue redoutable, l'enfer est insupportable
あなたが私を鬼にしたのよ、地獄は堪えられないの
C'est si facile de faire mal, faire mal, faire mal, faire mal, faire mal
人を傷つけるのって、いとも簡単なことなのよ

1970年代にフランス海軍は初の原子力弾道ミサイル潜水艦を建造した。その最初の原潜の名は「ルドゥータブル Redoutable」、あれあれこの歌と同じ、私はこの歌詞を超訳で「鬼」としたのだけれど、この原潜を解説する日本語ウィキペディアは「戦慄」という訳語を与えている。この原潜ルドゥータブルはその同型艦が4隻建造されていて、「ルドゥータブル級原潜」はそれぞれすごい名前が付いている。「テリブル(恐怖)」、「フードロワイヤン(電撃)」、「アンドンターブル(強固)」、「トナン(雷鳴)」。勇ましいですけど、笑っちゃいますよね。脱線しました、ごめんなさい。
 Tu m'as rendue redoutable あなたは私を夜叉に変えてしまった、という訳も考えた。そして歌詞3番め:
Et si je me donne
もしも私が身を捧げるなら
C'est pour leur voler leur âme
それはあの人たちの魂を奪うため
C'est pour leur voler leur femme
あの人たちの妻を奪うため
C'est pour leur donner la flamme qui dort en moi
私の中で眠っている炎をあの人たちに捧げるため
Ne m'en veux pas
そのことで私を恨まないで

Tu m'as rendue redoutable, ouais, et je suis si misérable
あなたが私を鬼にしたのよ、そうよ、私はとても惨め
C'est si facile de faire mal, faire mal, faire mal, faire mal, faire mal
人を傷つけるのって、いとも簡単なことなのよ

この"tu = あなた”をミッシェル・ベルジェと仮定する。裏切って逃げたのはサンソンであり、アーチストとして(世界的評価とか人気とか)先に進んでしまったのもサンソンである。鬼のような心のプロアーチストとして”ショービズ”を生きている現在を作ったのは、実はベルジェであった。(スティルスとの)地獄も鬼の心で生き延びている。その鬼を作ったのは... と読めるのではないかな?

 続くA面4曲め「身を捧げて Donne-toi」、これは恋愛遊戯の(ウルトラモデルヌ)ソリチュードの歌。字面読むとコミカルにも読めるのだけど、歌聞くと寒々とした癒されない孤独感が残ってしまう。バルバラ風でもあり、アラン・スーション風でもある。
Et d’un ton bizarre
おかしな口調で
Il a dit qu’il te voulait
彼はあなたが欲しいと言った
De drôles de regards
奇妙な眼差しが
Dans le vide flottaient
宙に舞っていた
Et tes yeux vont dans le vague
霧の中を通り抜けるように
Comme au travers d’un brouillard
あなたの目は遠くへさまよう
Tu as mille choses à faire
あなたはいくらでもやりようがあるのに
Sans vraiment savoir le dire
どう言っていいのかわからない

Prends une minute pour l’oublier
ちょっとの間みんな忘れて
Et laisse ton désir s’allumer
あなたの欲望に火がつくままにしなさい
Ose le faire
そうするのよ
Ose le dire
そう言うのよ
Ose aimer
愛しちゃえば
Ose aimer
愛しちゃえば
Vraiment
ほんとうに

Prends une minute pour le lui dire 
ちょっと考えてそう彼に言いなさい
Tu n’es plus libre de te taire
あなたが黙るっていう手はないわ
Ose le faire
そうするのよ
Ose le dire
そう言うのよ
Ose aimer
愛しちゃえば
Ose aimer
愛しちゃえば
Une seule fois
たった一回だから

Tu vois des mirages
あなたには蜃気楼や
Et des villes et des îles
大都会や島が見える
Tu entends sonner l’orage
あなたには雷鳴が聞こえる
Ne pars pas déjà
まだ逃げないで
Il est là il est là
彼はそこにいる
Il n’a pas peur de toi
彼はあなたを怖がっていない
Et tu es muette et lui
あなたは押し黙っているけど
Te regarde sans te voir
彼はあなたをわかろうともせず見つめている
Quand l’orage tombe
嵐が到来する

Il est lourd il est lourd
嵐は重い音を立て
Il résonne comme l’amour
それは愛の音のように響き渡る

Prends une minute pour l’oublier
ちょっとの間みんな忘れて
Et laisse ton désir s’allumer
あなたの欲望に火がつくままにしなさい
Ose le faire
そうするのよ
Ose le dire
そう言うのよ
Ose aimer
愛しちゃえば
Ose aimer
愛しちゃえば
Vraiment
ほんとうに

Prends une minute pour le lui dire 
ちょっと考えてそう彼に言いなさい
Tu n’es plus libre de te taire
あなたが黙るっていう手はないわ
Ose le faire
そうするのよ
Ose le dire
そう言うのよ
Ose aimer
愛しちゃえば
Ose aimer
愛しちゃえば
Donne-toi
身を差し出しちゃいなさい


フェミニストに聞かせたくない歌。大都会の孤独・恋愛遊戯は、マッチング・アプリが登場する随分前の時代にあっては、擬似アバンチュールは勇気が必要だったし、その後の虚しさやメランコリーはことさらのものであった(と年配の体験者のように言っておく)。

 さていよいよアルバムで最もヘヴィーな曲、B面1曲め「奇妙なコメディー Etrange comédie」である。流謫者の苦悩と孤独、これは歴史に残るエレジーである。Etrange élégie と改題してもいいと思う。
J’ai changé de pays, soudain
私は突然住む国を変えた
J’ai de nouveaux amis. bien
私には新しい友達ができた、いいことね
Mon piano rigole
私のピアノは面白がって
Et fait des gammes
ボロンボロン音を出すのだけど
Ils croient que je suis folle 
あの人たちは私を狂人と決めつける
C’est triste, tu vois
それは悲しいことね

Et j’ai des clowns pour m’amuser
私には笑わせてくれる道化師たちがいる
Des amours faciles pour exister
生き延びるためにイージーな愛人たちもいる
Et des gens habiles pour m’épauler...
私をヨイショする口の上手い人たちも
Dans les grandes villes rien n’a changé.
どこの大都会に行っても何も変わらなかった

Mais à quoi ça me sert, si toute ma vie
でも私の人生すべてが奇妙なコメディーでしかないとしたら
N’est qu’une étrange comédie
それが何の役に立つの?
A qui donner l’onde d’un regard
すべてが偶然のなせるわざだと言うのなら
Si tout s’appuie sur le hasard
誰に目配せを送ればいいの?
J’appelle un amour qui balance bien
私はバランスの取れた愛を求めている 
L’amour que je cherche en vain...
私が虚しくも探している愛
C’est le tien
それはあなたの愛
Et c’est le mien
そして私の愛

Et pour que j’aie un sourire sans limites
私が四六時中ほほえんでいられるように
On me donne d’étranges médecines
人は私にさまざまな奇妙な医薬を与えてくれる
Qui vont du jus d’orange à la cocaïne
オレンジジュースからコカインに至るまで
Dans les grandes villes rien n’a changé
どこの大都会に行っても何も変わらなかった

Mais à quoi ça me sert, si toute ma vie
でも私の人生すべてがお粗末なコメディーでしかないとしたら
N’est qu’une pauvre comédie
それが何の役に立つの?
A qui donner l’onde d’un regard
すべてが偶然のなせるわざだと言うのなら
Si tout s’appuie sur le hasard
誰に目配せを送ればいいの?
J’appelle un amour qui balance bien
私はバランスの取れた愛を求めている 
L’amour que je cherche en vain...
私が虚しくも探している愛
C’est le tien
それはあなたの愛
Et c’est le mien
そして私の愛

Je change de morale
家にたった一人でいる時
Quand je suis toute seule chez moi
私は道徳観が変わってしまう
J’peux pas louer un papa, j’peux pas louer une maman
パパひとりもママンひとりも借り出すことができない
Mais je sais aussi être immorale
運まかせの目を持ったら
Quand j’ai les yeux du hasard
私は背徳的にもなれるのよ
C’est facile oh oui
簡単なことね

Mais à quoi ça me sert, si toute ma vie
でも私の人生すべてがお粗末なコメディーでしかないとしたら
N’est qu’une pauvre comédie
それが何の役に立つの?
A qui donner l’onde d’un regard
すべてが偶然のなせるわざだと言うのなら
Si tout s’appuie sur le hasard
誰に目配せを送ればいいの?
J’appelle un amour qui balance bien
私はバランスの取れた愛を求めている 
L’amour que je cherche en vain...
私が虚しくも探している愛
C’est le tien
それはあなたの愛
Et c’est le mien
そして私の愛

Je n’aime que toi
ジュ・ネーム・ク・トワ
Je t’aime, je t’aime,
ジュテーム、ジュテーム
Et je t’aimerai toute ma vie
一生あなたを愛し続けるわ



 1976年、ひとりの女の "exil"は悲しくも奇妙な喜劇であった。クラシカルでシンフォニックに盛り上がるメロディーを数種はめ込んでクレシェンドする4分。この熱唱は「呪われ者 Le Maudit」(1974年)(4分19秒)と通底するオーケストラル・ブルースであり、国と恋人(ベルジェ)を捨てた女の悔恨・未練である。大仰オーケストレーションで展開するこの2つの曲「呪われ者 Le Maudit」と「奇妙なコメディー Etrange comédie」を分つ大きな違い、それは私の耳では後者が"ヨーロッパ”のオケ音で湿り気/抒情感がすごいように聞こえるのであるよ。ミッシェル・ベルノルクの仕事と言えるかもしれない。

 アルバム『ヴァンクーヴァー』は、A面1曲め「ヴァンクーヴァー」とB面1曲め「奇妙なコメディー」、この2曲で”傑作”と言われるに相応しい歴史的1枚なのであるが、この記事の最初の方で楽曲「ヴァンクーヴァー」はロックアーチストパフォーマーとしてのマニフェストと位置付けた。このアルバムは9曲30分という短さではあるが、コンパクトな”ロックショー”のように聞こえなくもない。ロックショーの終盤はノセノセなのである。B面3曲め「Tu sais que je t'aime bien」とアルバムを閉じるB面4曲め「フル・ティルト・フロッグ Full Tilt Frog」(本稿前編参照のこと)の2曲は(ライヴではオーディエンス総立ち踊り、ヴェロもピアノから立って踊りながらオーディエンスを煽る、というタイプの)アップテンポでエルトン・ジョン乗りの軽快ビートナンバーである。
Comme passent les nomades
滝のような音で歌いながら
Où chantent les cascades, là
ノマードたちが通り過ぎていくように
Je l'ai dans ma tête, tous les matins
毎朝、私の頭の中は同じように大騒ぎなの
Toi, tu me tournes le dos
でもあなたは私に背を向けて
Tu dis pas un mot
ひとことも言わなくなる
Pourtant, si tu m'connais bien
でもあなたは私のことよくわかってるんでしょ

Tu sais que j't'aime bien, tu sais que j't'aime
私があなたを愛してるってわかってるんでしょ
Tu sais que j't'aime bien, tu sais que j't'aime
私があなたを愛してるってわかってるんでしょ
Tu sais que j't'aime bien, tu sais que j't'aime
私があなたを愛してるってわかってるんでしょ
Tu sais que j't'aime bien, tu sais que j't'aime
私があなたを愛してるってわかってるんでしょ

Et tu tournes en rond, tu te fâches pour de bon
あなたは堂々巡り、いい加減頭に来ちゃった
Mais tu sais que j't'aime bien
でも私があなたを愛してるってわかってるんでしょ



この2曲(Tu sais que je t'aime bien + Full Tilt Frog)で締めてくれたから、このアルバムはちょっと軽くなるし、良質のピアノロックを聴き通した気分で針を上げられるのですよ。
50年前、1976年、ヴェロニク・サンソンは26歳でこのマスターピースアルバムを発表し、22歳の私が初めて見たフランスの景色のバックで鳴り響いていた。その話はとても長くなってしまうので、また別の機会に預けるが、ヴェロニク・サンソン『ヴァンクーヴァー』、私が聴くたびに立ち上がるエモーションを、この記事で少しだけ共有してください。
本稿おしまい

<<< トラックリスト >>>
A1. Vancouver
A2. When we're together
A3. Redoutable
A4. Donne-toi
A5. Une maison après la mienne
B1. Etrange comédie
B2. Sad Limousine
B3. Tu sais que je t'aime bien
B4. Full Tilt Frog

Véronique Sanson "Vancouver"
France Warner Elektra LP 52.031
1976年2月27日リリース

(↓)「ヴァンクーヴァー」1993年パリ・ゼニットでのライヴ。

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