2022年7月28日木曜日

お祝いの言葉に代えさせていただきます

Fabrice Caro "Le Discours"
ファブリス・カロ『祝辞』

(単行本 Gallimard刊 2018年10月)
(Folio文庫刊 2020年1月)


ルトBD『ザイザイザイザイ』(2015年)の3年後に発表されたファブリス・カロガリマール書店からの2作目の小説。14万部のベストセラー、2020年に映画化(ローラン・ティラール監督/バンジャマン・ラヴェルニュ主演)もされている。
 208ページという長からず短からずの小説であるが、小説で展開される時間はおよそ3時間という短さである。ある家族の夕食の間に流れる時間。場所は父母の家、つまり実家と言っていい。集まってきたのは話者「私」アドリアンという名の息子40歳独身男、その妹のソフィー、そしていつの間にか家族の一員になったような顔で食卓についているのがソフィーのフィアンセのリュドヴィック(通称リュド)。老いた父母を囲んでの5人の家庭料理会食という, 言わば”義務的”リユニオンの場である。何度聞かされたかわからない親父の人生経験エピソード、母親の子供たち幼少時の思い出話、博識な義弟の超雑学ひけらかし(それに称賛の相槌を欠かさない妹)... これが母親の自慢料理であり何度食べさせられたかわからないジゴ・ダニョー(仔牛のもも肉)のロースト、つけあわせはポム・ドーフィノワ(ジャガイモのグラタン)、絵に描いたようなオールドフランスの庶民家庭晩餐メニューの香りに包まれて、ママンのジゴは天下一品... な時間の中で進行するのである。話者アドリアンはこの儀礼的な家族愛ごっこがおおいに苦手なのだが、それを壊すわけにはいかない慮りをわきまえた良い長男を演じようとするのだが...。

 その夜アドリアンには家族会食などどうでもよくなるほどの事件が起こっていたのだが、それを押し殺す最大限の努力をしながら、食卓のいつもの席についている。発端はその38日前に遡り、その夜最愛の女性ソニアが唐突にこう言う:
J'ai besoin d'une pause
私には小休止が必要なの
この一言を残して、ソニアはアドリアンの前から姿を消す。この不可解な別れをアドリアンは受け入れることができず、何日も悶々としていたのだが、不可解とは書いたものの、よ〜く思い起こせば、思い当たることがないではない。「私、コーヒーを音立てて飲む人ってがまんがならないの」ー 僕はそんな理由で最愛の女性から捨てられたのか。そうは思いたくなくても、いろいろな心当たり(特に、あのロマンとかいう男に惹かれたのかもしれない、などなど)がアドリアンを苦しめる。本当にこれは終わったことなのか。38日の煩悶の末、アドリアンは思い切ってコンタクトを試みるのである。この日17時24分、アドリアンのスマホはソニアのスマホに向けてこんなメッセージを発信する:
Coucou Sonia, j'espère que tu vas bien, bisous !
やあソニア、元気かい、ビズー!
熟慮の末とはとても思えない"歳なんぼ?"のメッセージであるが、これを発信したあとアドリアンの胸ドキドキは止まらない。そして両親との約束の夕食のために家を出る直前、17時56分、ソニアのスマホが受信/メッセージ読了が確認されたのである。ソニアが読んだ。読んだら必ず返事をくれるはずだ。いらいらじりじり...。
 こんな状態でアドリアンは家族会食の席についたのであるが、気もそぞろの態のところに、何の抑揚も重さもない無機質な声でリュドヴィックが、ソフィーとの結婚式の時に祝辞スピーチをお願いできたらうれしいんだけど、と。小説はこの「それどころではない」時の(あまり気を許していない)未来の義弟からの申し出と、最愛の女性からの返事が来るか来ないかの内心の激しい煩悶と、退屈極まりない毎度の家族会食という三つのファクターのごちゃごちゃの絡み合いの進行となる。5分に一度でも席を立ってトイレに駆け込み、スマホのメッセージ受信を確認したい、極度のいらいらじりじり状態のアドリアンであるが、じっと我慢で着席したままの話者は、会食の虚空の会話を茫然と聞き流しながら、さまざまな思念(9割はソニアへの思念)を心中に大暴れさせるのである。ドラマはすべて話者の心中で起こっていて、それを必死に制御しようとするのもまた話者なのだ。そしてそれは食事の時間の進行と共にいろいろと変容もしていく。例えばこの「祝辞」の依頼であるが、最初はリュドヴィックにていよく断るつもりだったのに、しだいにさまざまなスピーチ案(これがすべて傑作)を考えだすほどに変わっていく。しかし(主菜が済み、デザートが済み)待てど暮らせどソニアからの返信は来ない...。
 これはおそらく誰にも書けなかった類の恋愛小説である。スマホのメッセージを待つことに、どれほどの焦燥とロマンティスムを込められるか、という恋愛の苦悶のクレッシェンドを笑いで包んだ物語である。話者の心中で縦横無尽に放射される幾多のエピソードは、スタンダップ芸人の名人話芸のテンポの良さで、(理解と無理解に支えられた)家族とは何か、運命の出会いとは何か、偶然とは何か、結婚式とは何か、などさまざまなテーマで笑わせてくれる。ファブリス・カロの引き出しの多さは驚愕に値する。
 そして、食事も終わって、(話者の秘めたる内なる苦悶の時間の末に)退屈な儀式と思われていたこの時間が、何かかけがえのない貴重な時間に思えてきた頃に、21時16分、ソニアからの返信はやってくる...。そして、極上の祝辞スピーチもできあがってしまうのですよ。
 ああ、なんて良い小説の時間の流れであること。

Fabrice Caro "Le Discours"
Collection Folio版 2020年1月刊  210ページ  7,60ユーロ


カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)2020年に映画化された"Le Discours"予告編 


(↓)脈絡がないわけではない、パトリック・ジュヴェ「ソニア」(1973年)

3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

Atsuko Barouh

匿名 さんのコメント...

面白そう、夏の読書に良さそうですね。読んでみます。。

Pere Castor さんのコメント...

アツコさん、コメントありがとうございます。
BD出身の作家です。ライト感覚ですが、不条理/シュルレアリスム系のユーモアで人気を博し、ほぼ全作ベストセラー(+戯曲化+映画化)の売れっ子です。
次回は2020年発表の小説『ブロードウェイ』を紹介する予定です。またお越しください。