2022年7月6日水曜日

(ちょっくら)クララ天狗

千代に八千代に
クララ・ルチアニ

レラマ修司です。
2022年7月6日号の表紙はクララ・ルチアニ。今から1年前(正確には2021年6月11日)にリリースされたセカンドアルバム"Coeur"は今日まで20万枚(ダブル・プラチナ・ディスク)を売る、2021〜2022年的現在のフランスでほぼ満場一致で愛されるアイテムとなった。このリリース以来、2年ほど続いたコロナ禍”コンサート規制”が解かれるやいなや、クララは水を得た魚のようにツアーに全精力を注ぎ込み突っ走っている。ステージ/ライヴが本当に好きなのだ。成功で頭でっかちにならず、この幸福の1年を振り返るインタヴューの一部を以下に翻訳してみる。聞き手はテレラマ誌音楽ジャーナリスト(シャンソン)のオディル・ド・プラ。

テレラマ:1年前に発表されたあなたのセカンドアルバム"Coeur"について、その時の心境はどんなものでしたか?
CL「私はアルバムにとても自信があったのだけど、同時にそのダンスミュージック仕立ての軽さがスープの上に落ちる髪の毛みたいになるのではないかと少々不安だった。その当時の世の中の全体的な暗さの中で目障りになってしまうのではないかって。世界は変わってしまって、私たちはもとの習慣を取り戻せるのだろうか? マスクを外すことはできるのだろうか? 誰も知らなかった。私の新曲は自分を取り戻す喜びへのいざないになってくれればと望んでいたのだけれど、私はそれが理解されないことを恐れていた。私が何も患いごとがなく、「パンがなければブリオーシュを食べればいい」と言ったマリー=アントワネットのように次元の違う世界に生きていると想像されることを恐れていた。でも幸いにして人々はアルバムを手にしてくれた。アルバムからのセカンドシングル"Respire encore"(直訳すると”もう一度深呼吸を”)は、マスク着用義務解除の4時間前に発表されたのよ、すばらしい惑星直列よ!」

テレラマ
:この成功はあなたのファーストアルバム"Sainte-Victoire”(2018年)を上回るものになり、賞を次々と獲得しました。陶然となってしまうのでは?
CL 「二枚のアルバムは状況がかなり異なっていた。ファーストアルバムは売れ始めるまで1年近くの期間を要したし、私はいつか無名の新人という状態から抜け出せるのだろうかと不安だった。セカンドアルバムはとりわけ人々が示してくれた受け入れの反応にとても心動かされた。人々が私を待っていてくれていたこと、世界が何ヶ月もストレスを抱えていた時期のあと、私が準備していたものを聞いて人々が満足してくれたこと、このことこそ私がうっとりしてしまうことなのよ。このアルバム発表後の最初の一連のコンサートでは涙が出てきたわ。まず、私たちは3年間も演奏活動できなかったからなのよ、その上観客たちはみんな歌詞をソラで覚えていた!これらの歌は、毎日が決して容易ではなかったこの(コ禍の)年月の生活のサウンドトラックになったのよ。私は生まれて初めて、自分が以前より少し有益な人間になったというセンセーションを覚えた。私は労働者階級の家庭の出で、私の母は介護ヘルパーだった。彼女が毎晩家に帰って、今日も人の手助けをし世話をすることができたことに満足だったと言っていた。それに比べれば、私の仕事は空疎なものに思えるし、つまるところ自己満足のようなものだと思っていた。今回のステージ活動再開で、私は何がエッセンシャルなものなのかを理解した。アーチストはアーチストなりのやり方で、人々と共に歩み、介護をするものだ、と。このことにも私はうっとりしてしまったのよ。」

テレラマ:パンデミックの時期、あなたは幾度かカルチャー関連の感染対策規制への怒りを表明していましたね。
CL 「いくつかのことが私には全く整合性がないように思われたの。飛行機の中でポテトチップスを食べている人たちと乗り合わせているのに、コンサートに行くことは許されていない。私は科学者でも政治家でもないけれど、政府がかなり恣意的なやり方である種の活動を他よりも優先させてしまう理由が私には理解できない。この不公正が私を揺り動かし、この意味の欠如が私を狂わせ、私はこれを侮辱として受け止めた。多くの人たちと同じように、私は二度と自分の職業を営むことができなくなることを恐れていたのよ。」


テレラマ:"Coeur”(↑)は政治的メッセージを持った歌ですが、どのように生まれたのですか?
CL 「ある女性に対する暴力撲滅を目指す市民団体のために、私はたくさんスローガンを作ったのだけど、そのひとつが:”L'amour ne cogne que le coeur"(愛は心しか打たない ー 訳注、つまり体を打つ/暴力で傷つけるのは愛などではない、という含意)。私はこれはいつか使えるなと思っていた。私は千種類もの"Coeur"のヴァージョンを作ったけれど、この難しさは巧妙なニュアンスを用いながら強いメッセージを伝えるということ。私はこの問題を軽く扱っているとは思われたくなかった。私は他にもエコロジーのような重要な問題について歌いたいのだけれど、まだ私が満足できるような表現形式を見つけていない。このようなテーマを詩的に表現して常套的なやり方を避けることが重要なことだと私は思う。」

(←アルバム "Coeur"  2021年)
テレラマ:あなたの名声はあなた自身を通り越してしまって、今やカリカチュアの対象となっていますね...
CL「私は有名になりたいと思ったことは一度もない。けれども、私は人に知られるようになったことはとても嬉しいし、私の音楽が評価され、コンサート会場を満杯にできるのはとても幸福なことよ。ふたつのことはかなり違っていると私には思える。無名性を失うことは往々にして生きるのが難しくなったりするし、私の性格はそれに適合していない。私は私自身のイメージにしっくりきていないのよ。ずっと前から私は写真を撮られるのが苦手だった、家族と一緒の写真でも。調子がよくない時、街頭でセルフィーをせがまれて撮られることがあると、苦痛に思うことがあるわ。それでも私はそれを拒否できないの、私はファンたちに負うところが大すぎるのだから。私はそれよりもファンとちょっと時間を取って話し合ったり、デッサンを描いてあげたり、サインをしてあげる方が好きなのだけど、今はとにかくあらゆるクールな瞬間を写真に収めておかないと気が済まない人たちばかり。一編のYouTube動画を載せただけで電撃的な名声を得たアンジェル のような現象に耐えられるような体力を私は持てないと思う。私は自宅を出るときもおだやかで、道で誰も私を煩わす人はいない。私はもっと遠くを目指して、国際舞台みたいなことを考えてもいいんだけど、今はしない。それは野心がないからじゃなくて、私は今ここにいるのがとてもいいからなの。私は"栄光”とかそういう夢がないの。」

テレラマ:年齢の問題は男性歌手よりも女性歌手に重くのしかかってきますが、あなたにも気がかりなことですか?
CL 「もちろん私はこの社会的圧力に苦しめられている。バンジャマン・ビオレーやベルトラン・ブランが歳を重ねる時、人はこれをセクシーと見る。それに対して女が白髪まじりになるとこれは問題になる。ジャーナリストで著述家のソフィー・フォンタネルはその著作でこの問題を見事に解説している。ここには恐ろしいほどの不公正が存在する。女たちは嫉妬深く常に競争状態にさらされていることには驚くばかり。そうよ、愚かなことだけど、三十路を越すというのは取るに足らないことじゃない。現代社会は若さ偏重主義を推奨するし、とりわけ女性において顕著なの。まるで失効期日があるかのような。なぜ女性たちは50歳を過ぎると見えなくなってしまうのか?そのことは音楽でも映画でももっと語らなければならない。このタブーを打ち破ることこそ、前に進むための唯一の解決策なのよ。」
 
テレラマ:ストリーミングの登場以来、音楽アーチストたちの収入は最主要の問題となっています。アーチストたちはどのように行動できるでしょうか?
CL 「この件では自分は無力だと感じている。今日私は収入で快適な生活を営むことができていて、それを不満に思っているという印象は与えたくはないけれど、今日音楽をほぼ無償で聴けるということは音楽を豊かにすることには貢献していない。私の両親は買ったレコードアルバムを暗記するほど聴き込んでいる。音楽は貴重なもの。たしかに音楽は大衆的普及を果たし、配信プラットフォームはあらゆる音楽的好奇心を満足させることに役立ってはいる。しかし財源の欠乏はレコード制作のクオリティーに影響し、制作レーベルの独創性の欠如と売れやすいものを最優先する傾向を生み出している。私たちは調和のとれたバランスというのを見出していない。音楽業界がどこまで変わってしまったのかは想像を絶する。その中でとりわけひとつのことが私を不安にさせている。それは”アルバム”というフォーマットの消滅の可能性であり、私の目からすればそれは本の消滅と同じようなことなのよ。私は長い絵巻物の中に入り込み、気をもみながら、その流れをたどっていくのが大好き。ジョージ・ハリソンの『オール・シングス・マスト・パス』(1970年)、あるいはバンジャマン・ビオレーの『ラ・シュペルブ』(2009年)のようなアルバムは私にとっては完璧なものよ。私がそれらを聴き直す時、いつも同じ質問が頭をよぎる:どうやってここまでできたのだろう?」


(↓)今から1年前、2021年最高のアルバム"Coeur”より "Le Reste"


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