2019年7月12日金曜日

待てど暮らせどコンヌ人

2019年7月10日号のテレラマ誌の表紙はブリジット・フォンテーヌ。80歳。その前週 封切のフランスの女性たちによるロックを追ったドキュメンタリー映画”HAUT LES FILLES”(上映館が少なすぎて観に行けないので DVD化あるいはストリーミング化されたらブログで紹介します)や、自身の復活コンサートツアー(9月から)でいろいろ露出度が高くなっています。テレラマの記事は、シャンソン欄主筆のヴァレリー・ルウーによるインタヴュー込みで “J’AI DECIDE DE ME VENGER MOI ET MON SEXE”(私は私と私のセックスの復讐を果たすと決めた)という題。インタヴューの中で(おそらく)初めてフォンテーヌ自身の(非合法時代の)妊娠中絶体験と強姦被害について告白しています。問題の部分、ちょっと硬い日本語でごめんなさい、翻訳してみました。
(翻訳はじめ)
ブリジット・フォンテーヌ:私は女たちのために、女性の誇りの回復に貢献するためにものを書いてきた。おろかで独りよがりなとこに見られようが、それは最初からそうだったのだ。まず私はずっと前からもの書きになるだろうということと演劇をやるだろうということは知っていた。子供時代、両親を教師とする家庭にいながら、そのことは確信していた。16歳の時、ある劇団の座長が私の演技に注目して、私の両親に私を劇団員として迎え公演に同行させたいと申し出たが、両親は断った。このことを母親はずいぶん後に私に告白したが、私はそのことで母親をずいぶん恨んだ。結局私は劇団と同行せずに、ブレストに行った。そこで私はあわれな怪物のような作家アンリ・ド・モンテルラン(訳註:1896-1972 貴族的男性像を理想とし、極端な女性蔑視観で知られる)を読んだ。その時私は『危険な関係』(訳註;1792年ラクロ作小説)のメルトイユ侯爵夫人(彼女が自分のために他の女たちを死に追いやることをためらわない唯一の女であるとして)が言ったように、私は私と私のセックスの復讐を果たす、と心に決めたのよ。私はその復讐の武器は私にとってはエクリチュールであると悟った。この願望は私の少女時代から私の心に根付いていた。私がその後に自ら体験した非合法の妊娠中絶や強姦といった様々なおぞましいことは、この願望を否応なく強固なものにしていった。
(中略)
私はバカロレアに合格した後、演劇をするためにパリに出てきたが、私は幾度も妊娠するはめになった。私はその度に中絶手術に耐えなければならなかったが、そのコンディションはあまりにひどく敗血症で死にかけたこともあった。最後の回は手術は完璧なものだったが、その医者は私を強姦した。おぞましい!少なくとも2ヶ月の間、私は眠ることができなかった。うとうと眠りそうになると、体に放電が走り、目が覚めてしまった。妊娠中絶は非合法だったから、私は告訴することもできなかった。でもなぜ私はこの医者の鼻をへし折るために男たちを遣わせなかったのだろう?私は悔しいことに女たちはコンヌ(まぬけ)であると認めざるをえなかった。いずれにしても私はコンヌよ。私は既にそれを宣言してしまったし。(訳注:”Conne” 1995年ブリジット・フォンテーヌの曲)
(翻訳おわり)
(↓)"CONNE" 1999年TVカナル・プリュスでのライヴ。

0 件のコメント: