2019年4月27日土曜日

首尾は上々シュビュテックス

テレビ連ドラ『ヴェルノン・シュビュテックス(シーズン1)』
Série TV "Vernon Subutex - Saison 1"

制作:カナル・プリュス
監督 : カティー・ヴェルネー
主演: ロマン・デュリス、セリーヌ・サレット、フローラ・フィッシュバック
原作:ヴィルジニー・デパント『ヴェルノン・シュビュテックス 1 & 2』
テレビ放映:2019年4月9日から35分 x 9回
DVD発売:2019年4月24日 

 ヴィルジニー・デパント作の大河小説『ヴェルノン・シュビュテックス』(2015 - 2017、3巻、総ページ数1200)の第1巻と第2巻を原作としたテレビ連続ドラマで、2019年4月にカナル・プリュスで放映された35分 x 9エピソード = 315分(5時間15分)を2本のDVDにまとめたもの。ワクワクものなので一気に見れます。
 デパントの小説に関しては爺ブログではなく、ラティーナ2015年10月号(1巻と2巻)と同2017年7月号(3巻)に熱い賞賛の紹介記事を書いてますが、一向に日本語版出版の動きはないようで残念なことです。90年代パリのレピュブリック広場近くにあったレコードショップ「リヴォルヴァー」の店主ヴェルノン・シュビュテックス(演ロマン・デュリス)は、21世紀に入ってレコード/CDが売れなくなり店が倒産し、自分のアパルトマンの家賃も払えなくなって、立ち退きを余儀なくされ、路頭に迷うようになる。その追い出された夜に、「リヴォルヴァー」時代の常連で、ヴェルノンから買ったレコードで音楽に開眼してロックアーチストとして成功し、兄弟のような親友関係になっているアレックス・ブリーチ(演アタヤ・モコンジ)のバタクランでのコンサートがあり、VIPインビテとして招待されたヴェルノンは、コンサート後ひとりブリーチ宅に招かれ、二人は旧交を深めながら多量のアルコールとドラッグを摂取する。翌朝ヴェルノンが気づくとブリーチはオーヴァードーズで息絶えている。おぼろげな記憶の中でその夜ブリーチが遺言と称して、携帯ヴィデオカメラとヴェルノンに向かって長々と何かを言っていたのを覚えているが、途中で眠ってしまっている。死亡現場からヴェルノンはブリーチが録画したミニヴィデオカセット3本を持ち出す。
 小説だとここから、この遺言ヴィデオをめぐって大人数による追跡と逃走の大狂騒サスペンスとなっていくわけですが、この(編集して)5時間の完成ドラマで、どこまでそのディテールが込められているかが興味深いところです。小説評で高く評価された「バルザック人間喜劇」的な、ひと時代を共有する多種多様な人間群像(ブルジョワ、貧乏人、ヘテロ、ホモ、トランス、凡人、芸術家、映画人、大学教授、ポルノ俳優、極左、極右、成金トレーダー、ホームレス、 ロックライター、刺青師、硬派イスラム教徒...)は、このテレビ映画ではだいぶ半径が狭まれた感じがします。
複雑な人間模様を単純化して、このテレビ化作品でははっきりした「悪人」はたったひとりです。それはローラン・ドパレ(演ローラン・リュカ)という映画制作会社社長であり、芸能界の大物プロデューサーとして自らの帝国を築き、逆らう者やライヴァルを「消せる」権力がある卑劣漢です。これがブリーチの遺言の中に自分に絶対的に不利な証言が含まれているという確信があり、何が何でもそのヴィデオカセットを奪って消滅させよ、と手を尽くします。その最尖兵として雇われたのが女産業スパイのコードネーム"イエーヌ"(↑写真。ハイエナの意。演セリーヌ・サレット。こっちの方が主役じゃないかと思えるほど重要な役どころ、かつこの事件の全容を知りうる唯ひとりの人物)で、ドパレに高報酬で雇われておきながら、いつでもドパレを裏切ることができそうな不透明さ。
 時は2010年代、シュビュテックスは47歳。「リヴォルヴァー」がロックレコードファンたちの溜まり場として毎夜大盛況だった頃から15〜20年が経過しています。無宿となったヴェルノンがその夜の居候先を探す時、この時代なのでSNS(フェイスブック)が大変重宝になります。ヴェルノンの書き込みに呼応してくれるかつての「リヴォルヴァー」常連がひとり、またひとりと現れてきますが、かつて若かったこの旧友たちも今現在はそれぞれの問題を抱えていて関係の再構築は簡単ではありません。こうしてSNSを頼りに一夜の宿を探していきますが、長続きすることなくヴェルノンは21世紀的パリでホームレスに転落していきます。そこでも新しい人間関係はできていくのですが。
 小説と違って映像ではこのSNSの介在というのが画面としてリアルである分、とても邪魔くさいですね。SNSさえあれば即席に過去関係が再生されるというロジックはないと思いますよ。後半部では逃走するシュビュテックスを追う多くの人物たちが、SNSでその「捜索網」を共有してコネクト数が飛躍的に増加し、シュビュテックス追跡が共有ゲームのような態になってしまいます。
 かの遺言ヴィデオカセットの件は真剣に追っている人の数はごく少ない(ドパレとイエーヌほか)はずなのに、いつの間にか多くの人々がヴェルノンを追いかけるようになるのはどうしてなのか。ヴェルノンはなぜ追われるのか。ここがもっと魔術的なものがあるはずなんですよ。小説ではもっとはっきりしていると思う。それは、みんなヴェルノンという人物に魅せられて、惹かれてしまう、ということなのですよ。この男には何かがあるという何かなのですよ。そこがこのロマン・デュリスという俳優に出せるのか、この作品のカギはここですよね。
 そして小説では見事に文章で表現されていた音楽の力。ヴェルノンが「リヴォルヴァー」の時代に人々を惹き寄せられたのは、彼が毎夜人に聞かせる「おすすめレコード」の魅力のおかげなんです。この店に来れば絶対に素敵な音楽と出会えると思わせるセレクト/選曲/発掘力があったということなんです。ここですよ、デパントが小説で強調していたのは。レコード屋は人に素敵な音楽を与えられるから、自分にだけ「こんな音楽があるんだぜ」と一枚出してくれるから、その音楽で人生が変わることもあるから。そういうレコード屋のマジカル・パワー、ここんところが、このテレビ映画ではすっぱり抜けちゃってるんですね。小説ではこのマジカル・パワーがホームレスとなったヴェルノンに再び宿ってきて、そのミックスする音楽で人々を「ドラッグなしで」究極のトランス状態まで導いていく、それがいわば宗教的な体験として語り継がれ、いつしかヴェルノンはグールーとして崇められていく、という展開になるのです(小説では第2巻終わりから第3巻はじめ。だからこのテレビ映画ではまだその段階ではありません)。
ですから、小説を読んだ人ならば、もっともっと音楽がものを言う映像作品であることを期待したと思うのです。で、入念にセレクトされたと言われる(ヴィルジニー・デパントにもチャックしてもらったと言われる)サントラ盤があります。ジョナサン・リッチマン、ソニック・ユース、ニュー・オーダー、ジーザス&メアリー・チェイン、ドッグス、ダニエル・ダルク、ジャニス・ジョプリン...。実際に映像の中に挿入されるのは、すべて断片ですし、音楽で泣くという映像作品ではありません。ただ「フンイキ」にしちゃってるのがちょっと残念ですし、小説の「音楽の力」は望むべくもないのです。
 アレックス・ブリーチの遺言ヴィデオで聞かれる無機的な発信音のリピートで構成された断片があります。これを死ぬ前にブリーチは最良/極上の繰り返し音であると断言するのですが、即座にヴェルノンはわかりません。ところがこの音を音楽に融合させると、聞く者は奇跡的な快感を感得できるのです。このマジックをヴェルノンは偶然手に入れるのです。これは小説では文章で描写できるでしょうが、実際の音楽(つまりこの映像作品のサントラ)で再現するのは... 不可能ですわね。このテレビ映画にここまでのマジックを要求するのは酷です。しかし、音楽の力はもっともっと丁寧に扱って欲しかったな、と思っています。
 ロマン・デュリス? 掛け値なしに素晴らしい演技です。
  "SAISON 2"(ヴェルノンが聖人となっていきます)おおいに期待しましょう。

SERIE TV "VERNON SUBUTEX  SAISON 1"
2DVD (35min x 9 Episodes)
STUDIOCANAL EDV1392/831848-5   19 EUROS

カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)カナル・プリュス『ヴェルノン・シュビュテックス』ティーザー
彼には女も妻も家族もスマホもスタートアップ企業も貯蓄も家屋も別荘もスイス銀行口座も出会い系サイトも電動サイクルもない。だが彼にはこの髪と皮ジャンとロックがある。誰もが彼のとりこになる。世界は変わったが彼は変わらない。 - 俺が死んだら人類は滅亡だ。- 

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