2019年4月24日水曜日

ヴェロ70歳

2019年4月24日、わが最愛のヴェロニク・サンソンが70歳になった。パリジアン紙ウェブ版の当日号に、『70歳まで生きられるなんて思ってなかった(Je ne pensais pas arriver à 70 ans)』と題する70歳インタヴューが。喉頭ガン手術で8ヶ月間の闘病後、この4月にステージ復帰してツアー中(パリ、パレ・デ・スポール他)のヴェロ。後年の満身創痍は若き日の無鉄砲のツケと悟っているよう。その「70年代」の突出した音楽性だけで、この人は多くの人たちの宝物だけれど、焼かれても傷ついてもノートル・ダム聖堂のように立ち続けるつもりらしい。おめでとうヴェロ。Je t'aime pour toujours。
以下パリジアン・インタヴューを無断で全文日本語訳します。

(パリジアン):この水曜日で70歳になりますが、どんなことを思いますか?

ヴェロ「ただごとではないわね。70歳よ! 少女だった頃には超年寄りのように思っていた。自分がここまで来るとは思ってなかったし、今だってどうやってここまで来れたのか自分でもわかっていない。私は心筋梗塞をやったし、頸動脈を切る手術もしたし、血が凝結しない遺伝子系の血液病も持っているし…。私は正真正銘のサバイバーよ。私は生命への感謝の念でいっぱい。人間をより高いところまで至らせてくれるある種の超越したパワーにも感謝しているわ。」

(パリジアン):今から16日前にあなたはステージ活動を再開し、それから既に3度のコンサートを行いましたが、どんな感じですか?

ヴェロ「思ってたよりいいわよ! ステージに立っていると、私には何も近づけないわ。ファンたちと再会できて本当にしあわせ、ステージは「わが家」って感じね。しあわせすぎて一晩に2回のショーやってもいいわ、って思ったほど。私にはそれができるって、みんなに見せたくてたまらないのよ。」

(パリジアン): そのために準備したのでしょう?

ヴェロ「全然! 私は恐ろしいほどの怠け者なのよ。みんな私にスポーツをするようにすすめたのだけど、ウッディー・アレンがうまいこと言ってるわ「スポーツをするくらいなら萎縮した方がまし」ってね。最初のコンサートのあと、筋肉痛なんか全然なかったわよ。」

(パリジアン): そしてあなたの声は元のままでした!

ヴェロ「私は手の指に関しては何の心配もしていないの。手はよく動いてるわ。でも声が言うことを聞かないんじゃないかってどれだけ心配したことか。私は二日間しかリハーサルをしなかったし、毎度のことで「あがり」もあった。でも幸運なことに私の声帯は傷ついていなかったし、私の声に障害はなかった。その上それはうまく手当されていて、私は高音部が出るようにもなったし、ちょっと違う響きも出るようになった。まるで別人の歌手になったような印象よ。」

(パリジアン): あなたの腫瘍は治ったということですか?

ヴェロ「それはわからない。ご存知のように私は極端なまでにさまざまな治療を受けてきたのよ。私はそれを治すために6週間の放射線治療など人がやれと言うことはすべてやった。私は「催眠治療師」にもお願いして、放射線治療の副作用(首に赤あざが残る)を取り除いてもらった。このことは強調しておくべきだと思うけど、パラ医学というのは科学的医学に補完的な役目をするもので、決してイカサマではない。」

(パリジアン): あなたは最近「若き日の放蕩のツケを払わされた」と述懐しましたね。

ヴェロ「そうよ、でもそれはそうなんだから。私は絶対的に制限や禁止やタブーや慣習といったものが全部嫌いだった。私は人がやれと言うことの反対のことばかりしてきた。自分の身を危険に晒してきたのよ、でも私は危険が大好きだった。ガンという病気もひとつの危険であって特別なものじゃない。あなたがたは私のことを狂ってると思うかもしれないけれど、私はそんなものまったく無頓着だったの。私はそれを治すように人から言われたことに従った、何ごともなかったようにね。」

(パリジアン): そうしたのは死への恐怖からですか?

ヴェロ「そうじゃないわ。私が怖いのは死に関わる苦痛や病苦だけなの。喉頭ガンと宣告された時、私の頭の一方では「それは順序通りのことね」と観念したけれど、もう一方ではこう言ってた「いつものように私を救ってくれるものが現れるわよ、アンリみたいな人がね」って。」

(パリジアン): 誰ですか、そのアンリとは?

ヴェロ「私の守護天使よ、彼は一度も私を見捨てたことがない。この守護天使を私は時々は私よりも彼を必要としている人たちに貸し出しもして、それがとってもうまくいくの。アンリは私がオルジュヴァルに住んでた頃に初めて出現した。彼はまったく言葉を離さないけど、私は彼が私と一緒にそこにいるって知っている。ロサンゼルスでは、彼は書棚を倒すことにも成功したのよ(註:ヴェロニク・サンソン史では有名なエピソード。離婚抗争で最悪の関係にあったステファン・スティルスが銃を持ってヴェロニクを追い詰めたが、書棚を倒してバリケードにしてその難を逃れたという実話)。みんなこの話をお笑い種にするし、「あの女完璧にイかれてる」って言う話になるんでしょうけど。でもね、幽霊って存在するものなのよ。」

(パリジアン):そんなことすべてが新しい歌のインスピレーションになるんですね?

ヴェロ「断片的なフレーズやリフレインや言葉の端っこね。興奮状態で書いたらだめね。3日前、私は1曲(詞と曲)書いたのよ。このツアーが終わったら、私はまたアルバムを作って、そしてまたツアー。 Si Dios quiere (神がお望みなら)ね。」

(パリジアン): あなたは神を信じているんですか?

ヴェロ「ええそうよ。でも私は "教会通い”じゃない。私は宗教は好きじゃない。でも仏教は例外かも。仏教はむしろ人生哲学だから。」

(パリジアン): ノートル=ダム大聖堂の火事には衝撃を受けましたか?

ヴェロ「当然でしょう。でもキリスト教徒としてではなく、この例外的な建造物の礼賛者としてね。屋根を組むだけでひとつの森全体の木が必要だなんて、気が遠くなるわ。この火事に心が痛むわ。私は息子クリストファーが小さかった頃よくそこに行ったものだった。それから私の孫娘たちや、外国から来た友人たちともよく行ったわ。もしも歌ってくれと言われてたら(註:4月20日アンヴァリッドでのノートル=ダム救済コンサート)喜んで歌ったでしょうに。」

(パリジアン):あなたの誕生日をステージで祝おうというのはどうして?

ヴェロ「実のところ、息子と姉を例外として、誰かの誕生日のことなんか私は全然覚えてないのよ。人がバースデーカードを送ってくれなかったら、私は自分の誕生日も忘れてると思うわ。でもね、今回のはやったらすごく素敵なんじゃないかって思ったの。私は40歳の時にそのお祝いをして、すごく良かったし、格別だった。今度は70歳よ、もっと格別のはず。私のこと年寄りだと思う?」

(↓)ラジオRMC、2019年4月23日のルポルタージュ。


2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

パリジアンの翻訳、ありがとうございました。興味深く拝読しました。

猟銃で夫から殺されそうになったのですか?
激しい人生を歩んでますね。

彼女はそのとき警察に通報したのでしょうか?

咽頭がんはやはり、アルコールとたばこのせいでしょうかね。

また、ヴェロニク情報期待しています!

Pere Castor さんのコメント...

匿名さん、コメントありがとうございます。コメントが極端に少ないブログなので大変励みになります。
ヴェロニク・サンソンの1970年代約10年間のアメリカ滞在時期に関しては、帰仏した80年代の頃はかなりネガティヴに語られること(暴力的な夫との長い法廷闘争、アルコール、ドラッグ,,,)が多かったのですが、時間が経ち、フランスのトップクラスアーチストとしての地位が確立された頃からは、スティーヴン・スティルスとのさまざまな戦慄的エピソードも尾ひれのついた笑い話風になってます。だから話半分に聞いといてかまわないと思います。
長年この人の最大の問題だったのは極度のアルコール依存症でした。さまざまな病気(血液ガン、咽頭ガン etc)もアメリカ時代が特に極端だったらしい常軌を逸した生活習慣のたたりだと自分でも言っています。2000年代になってから頻繁に芸能誌のタネになってます。フランソワーズ・アルディも同じ傾向がありますが、軽々しく「自分の死」をほのめかしてゴシップ誌ネタにするところが、私のようなファンからするとちょっといただけない部分です。長生きしますよ、きっと。